31 顔真っ赤にして怒る暇があったら書類読め
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お祭りの裏事情など、その場にいる者達も初めて知ったようだ。
「まあ、そうでしたか」
「大抵の方はご存じないことですから。私は知り合いが城で勤めておりまして、その者から教えてもらいました」
バートはしばらく神妙な顔で聞いていたが、また怒りを露わにした。
「では、いま届け出たところで無駄ということか!」
「ああ、そうだよ。提出をしてさえいれば婚姻の事実は変わらない。それにきちんと提出日で登録されるそうだから心配せずとも大丈夫だ。こちらには何の影響もないからな。
手続きにひと月かふた月掛かったとしても、大して変わりはしないだろう?」
淡々と語るクロードの言葉を、バートは黙って聞いていた。
「相手の女性が妊娠されている場合は、受け付けてもらえるそうです。体裁を気にする方や、子供の養育費の関係で婚姻証明書が必要な人もいるそうですから。
……それにバート、お前は何をそんなに焦っているんだ?」
バートはクロードに問い質されると、さっと顔色を変えて怒鳴り散らす。
「う、うるさいっ、うるさい! 黙ってろ!」
「まさかお前……何か仕出かしたんじゃないだろうな?」
「クソッ、上手くいくはずだったのに……」
「バート、貴方一体どうしたのよ?」
エイシャは彼を心配して声をかけるが、バートは彼女の方を睨み付けた。
「エイシャ、母に告げ口しただろ! この前、融資を頼んだら断られたんだぞ!」
「融資……。どういうことですか? バート様」
「君は部外者だ、ちょっと黙っててくれ!」
不審に思って問い質そうとするエミリアーナだが、彼は口を挟ませない。
「何よ、本当のことを手紙に書いただけじゃない。貴方が嘘ついていたんでしょ? 知ってるわよ」
「だからって、母に教えることはないだろう? 僕の立場が悪くなるだろうが!」
「はぁあ? 馬鹿じゃないの? 自分の立場って本当にどうしようもないクズ男ね。私は貴方なんかより、エミィ姉さんの方が大事なのよ!」
エイシャも興奮して口論はどんどん激しくなっていく。周りの者達はヒヤヒヤしながら、ふたりのやりとりを見守っていた。
バートは怒りで完全に我を忘れているのかツカツカとエイシャに近づき、彼女の頬を叩こうと右手を高く上げた。
「このクソ女! 余計なことをしやがって!」
「キャアッ!」
エイシャはギュッと固く目をつむり、首をすくめて身を縮めた。
「止めろ!」
「イタタタタッ」
大きな叫び声が聞こえてエイシャが目を開くと、タオル姿のクロードが彼女の前に立ち塞がりバートの腕をひねり上げていた。
「痛いだろうが! 離せクロード!」
「断る!」
彼はバートを一喝すると、そのまま壁へと突き飛ばした。
「この野郎!」
恥をかかされたことに憤慨して、バートは壁に掛けてあった剣を取り彼に向ける。
クロードはすぐさま暖炉の側にあった火かき棒を手に取った。
左手でエイシャを自身の後ろに庇いながら、バートの方へすっと真っ直ぐにその先を向ける。
「ハッ。そんな物で一体何が出来るんだ?」
「試してみるか?」
バートはタオル姿の彼を嘲っていたが、次第にクロードの気迫に気圧されていく。
「フ、フン! どうせもうすぐ僕たちは夫婦になるんだ。そうすれば全て上手くいくさ」
「いいえ。貴方は信頼に欠けます。このことは侯爵家に相談して婚約の解消を願い出るつもりです」
「は? ……だ、だがこの婚姻は王家が絡んでいる。そう簡単に解消など出来るはずがない」
「王家? それがどうかしましたか?」
「何!?」
エミリアーナは決心したかのようにバートに言い放った。真っ直ぐ自分を見据える彼女にバートはたじろぐ。
「な、何を言っているんだ? 王家の意向に逆らえば、反逆心を持っていると思われるぞ?」
「そう上手くいきますかしら? ふふふふ」
「……フ、フン。勝手にしろ!」
バートは捨て台詞を吐いて足下に剣を叩き付けると、足早に部屋から出て行った。彼が去ったことで部屋の中の人々は溜息を吐く。
「ライバーさん、ありがとうございます。エイシャも大丈夫だったかしら?」
「いえ、お役に立てたようで良かったです」
エミリアーナが声を掛けると、彼は照れくさそうに笑った。
「エイシャ、大丈夫? どうしたの?」
「カッコいい……素敵」
「えっ!」
アダリナが名前を呼ぶが、彼女は顔を赤くして呆けている。
タオル姿のクロードが驚いて声を上げると、エイシャはハッと我に返り彼に背を向けた。
彼はオロオロとエイシャを覗き込むと、彼女は恥ずかしそうに俯く。
「あの……今、素敵って言いましたか? エイシャ嬢」
「……」
「あ、あのエイシャ嬢……」
「な、何をしているの!?」
クロードは小さな声で彼女の名前を呼ぶと、いきなり跪いて驚くエイシャの手をとる。
「初めてお会いした時から、貴方のことが忘れられませんでした。
……結婚を望むことは、私の身分では到底叶えられないことだと分かってはいます。
ですが、ほんの少しでいいのです。私のことを知ってもらう機会を頂けませんか?」
「……」
エイシャはただぼうっと彼を見つめている。
「……エイシャ。お返事をして差し上げて」
コソッとエミリアーナが彼女に囁くと、ハッと我に返ったようだ。
「は、はい! よろしくお願いします」
「本当ですか! ありがとうございます!」
クロードは満面の笑みを見せて、エイシャの両手をぎゅっと握った。部屋の中の雰囲気は一変しお祝いムードに変わる。
真っ赤な顔をしたふたり以外は、皆にこやかに微笑んでいた。
エミリアーナは先ほどの彼の姿を思い出す。
「ライバーさんは剣術の経験がおありなのかしら? とても素人には見えないのだけど」
「ああ、私は王都の騎士団に所属していますから」
「えっ、騎士様?」
エイシャが素っ頓狂な声を上げる。
「そうでしたか。それでお強いのですね」
「私は騎士爵しか持っておりません。しかし、エイシャ嬢のことは諦めたくないのです」
そっと彼がエイシャの方を見ると、エイシャもクロードを見つめていた。
ふたりの様子をニコニコしながらアダリナは見ている。
「私達は、貴方がご実家を継がれるのかと思っていたんですよ? そうよね? エイシャ」
「家の方は弟に任せています、私には商才が無いようですので。今回は私用でこちらへ戻って参りました。
もうしばらくしたら王都に戻りますが」
「えっ、そうなの?」
「君との結婚をご両親に認めていただいて、できれば王都へ一緒に連れて帰りたいのです。ですが少々急ぎ過ぎでしょうか?」
彼はエイシャを優しく見つめると、少し寂しそうに笑った。
「こういうことは、勢いも大切と言いますわ。
しかし……彼女の実家に認めていただくのはもちろんですが、伯爵家との縁談も解消しなければならないですわね。
騎士爵をお持ちなら、子爵家では反対されないのではないかしら?
もちろん私も口添えしますわ。ねぇ、アダリナ」
「ええ、大丈夫だと思います。ただ跡継ぎのことなど、話し合わなければならないことが山ほどありますね」
「そうね、エイシャが跡を継ぐ予定だったわね?」
クロードはエミリアーナとアダリナのやり取りを静かに聞いていたが、何か思い付いたようだ。
「……伯爵家との縁談ですが、どうにか出来るかもしれません」
「そうなの? それは嬉しいけど大丈夫?」
「ええ、しばらく時間をもらえますか? エイシャ嬢」
クロードは問い掛けるエイシャに、やさしく微笑んだ。
「もうエイシャ嬢は止めて、エイシャでいいわ。私もクロードって呼ぶから。あと畏まった言葉も駄目!」
「でも……」
「いいから! ねっ」
可愛らしいエイシャにねだられれば、彼は断りきれない。少し頬を赤く染めてうんと頷いた。
「お召し物がご用意できたようですよ」
爽やかな笑顔のレーモンが、いつの間にか彼のズボンを持って部屋の入り口に立っていた。
◇◆◇◇◆◇
数日後、何故かエイシャとグッドマン伯爵家の縁談は、立ち消えになっていた。
「ねぇ、リリー。どういうことなのかしら?」
「さあ……、私にも分かりません」
「彼は、エイシャにも教えてくれないそうよ」
「世の中には、知らない方が良いことも沢山ありますからねぇ」
ふたりでいくら考えても分からない。
エミリアーナはバートと口論になった日の翌日、早速父親のレンブラントに向け手紙を送っていた。
もちろんアイビスを使って。
彼女はこの婚姻を成立させる気は完全に無くしていた。
以前バートの身辺調査をお願いしていたが、まだ彼女の元に調査書は届いていなかった。
「未だに私宛の手紙は開封されているし、書類をどうやって受け取るべきかしらね」
「バートランド様の調査の件でございますか?」
「ええ。彼は融資と言っていたけれど、要は借金でしょうね」
「エミリアーナ様もそう思われますか?」
「賭場に出入りしていたそうよ。そう考えてもおかしくはないわ」
リリーは考え込んでいるエミリアーナの前に、カップをそっと置く。
「そういえば、もう収穫祭が始まっているようですよ?」
「あら、そうなの? ライバーさんの件も解決したことだし、ふたりを誘ってみようかしら?」
「それはよろしゅうございますね! あと数日すればおふたりもご実家に戻られるでしょうし」
あの後すぐに、エイシャはクロードと共に一旦子爵家へ戻った。
「私、この人と結婚するわ!」
彼女は両親の前で宣言したが、やはり最初は反対された。
今は伯爵家との縁談も無くなってしまったので、逆に彼は歓待されているそうだ。
リリーもエミリアーナもエイシャのことを心配していたので、無事にことが収まり安堵した。
「エイシャの結婚も丸く収まりそうで良かったわね」
「ええ、本当に。一時はどうなることかと思いましたが。後継者問題は親族から養子を迎えられるそうで、子爵家も安泰ですわね」
ふたりが歓談していると部屋の扉をノックする音が響く。
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