23 マスターレーモンと運命の歯車
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ピイィィー。
エミリアーナの指笛に答えてくれているのだろうか。鳥の鳴き声がして嬉しくなった彼女は、涙が流れるのも気にせず何度も吹く。
はぁはぁと息切れしてしまって、やっと指を口から離した。
バサッバサッ。
頭上から羽の音がして彼女が見上げると、大きな鳥がすぐそこまで近づいていた。
太陽の光で最初はよく見えなかったが、どこか見覚えがある。
「もしかして……、アイビス!?」
彼は近くの木の枝に止まると、ピィと鳴く。
「やっぱり。リリー! こっちに来て!」
何事かと慌てて飛んできたリリーにアイビスがいることを伝えると、彼女はとても驚いていた。
エミリアーナはアイビスを腕に止まらせたいが、この服では駄目だ。
リリーに布を持ってきてもらうと、爪が食い込まないように腕に厚めに巻いた。
「おいで。……こんな遠くまでよく飛んできたわね」
呼びかけると、アイビスは素直に彼女の腕に止まる。
「私の部屋に連れて行ってもいいかしら?」
レーモンはアイビスを見てとても驚いていたが、快く承諾した。
自室に戻ると、エミリアーナはアイビスを部屋の中に放す。彼はクローゼットの上に止まってこちらを見下ろしていた。
「どこかに止まり木を用意しないといけないわね……」
「以前使っていた物ですが、よろしければ。餌は家畜の物ですが」
部屋の中をウロウロしていると、レーモンとダッドリーが鳥用のカゴと餌を運んできてくれた。
鳥カゴを床にそっと置くと、アイビスはクローゼットから降りて上に止まった。
エミリアーナはふたりにお礼を言って、アイビスに話しかける。
「久しぶりね、侯爵家のみんなは元気にしているかしら?」
ピィと鳴いて返事をしてくれているようだったので、彼女はそっとアイビスの背中を撫でる。
「ねぇ、リリー。餌はどうしたらいいのかしら?」
「ここまで飛んできたのですから、自分で調達出来るのでしょうかね?」
「じゃあ、部屋の中で飼わない方がいいかしら」
外は既に薄暗くなっていた。自室の窓を夜中開けっぱなしにするのは、さすがに勇気が要る。
エミリアーナはアイビスをじっと見つめて癒されていたが、彼の細い足に何かが巻き付いているのを見つけた。
「あら、これは何かしら? リリー、見て」
彼女を側に呼んで一緒に確かめてみる。
足からそっと外してみると小さな紙切れだった。小さく巻いてあるのを丁寧に開く。
「かすれて読みにくいけど……。ゼンからだわ!」
「まあ!」
手紙にはエミリアーナの体調を心配する文章と、侯爵家であったことなどが彼らしい力強い字で書いてあった。
それにアイビスは、手紙をやり取りするのに向いていることも。主人の元へ必ず帰って来るそうだ。
長距離を飛べるよう訓練したので、無事にたどり着いたら返事が欲しいとも書いてある。
「アイビス、あなた凄いのね? それにしてもよくここまで飛んで来られたわね。どうやって覚えさせたのかしら?」
彼女が褒めるとこちらを向いて、彼はピ!と鳴く。
「この前の婚約式ではないですか?」
「それも聞いてみましょうか」
エミリアーナはいそいそと机に向かい、返事を書く準備を始めた。
「……でも雨が降ったら手紙が濡れてしまわないかしら? そもそもアイビスが可哀想だわ」
「そうでございますね……。手紙を入れる小さな筒のような物を使ってはどうです? 私、探してきますね」
リリーは最近塞ぎ込んでばかりいた彼女の嬉しそうな顔を見られるのが嬉しくて、鼻歌を歌いながら軽快に部屋を出て行く。
彼女はしばらくしてレーモンを引っ張って戻ってきた。
「お嬢様、マスターを見つけました」
「マ、マスター? よく分からないけれど、ありがとうリリー」
リリーは小さな筒を彼女に渡す。アイビスにぴったりの大きさだった。
エミリアーナがどうやって括り付けようかと筒を眺めていると、マスターレーモンが一冊のノートを差し出した。
「ここ二十年分の執務日記でございます。
こちらに月毎の天気がまとめて書いてあります。辺境伯領では雨の続く日もございますので。
季節毎の天候の移り変わりが分かるかと思いまして」
「貴方は本当に優秀な執事ね? ありがたく使わせていただくわ。ありがとう」
彼女はお礼を言って受け取ると、大事そうにそっと机の上に置いた。
「明日の朝、天気を確認してからアイビスを飛ばしてみようかしら?」
「ええ、是非。私にも楽しみができましたな」
エミリアーナは楽しそうに笑う。マスターレーモンは優しく微笑むと一礼をして部屋をあとにした。
彼女は何度も何度も書き直し、小さな字で用紙一杯に書き込む。筒に入れると準備万端だ。
「お嬢様、そろそろお休みなさいませんか?」
手紙を書くのに一所懸命で時間が経つのも忘れてしまっていた。リリーに促されて彼女は渋々ベッドへ入る。
明日を楽しみにしながら眠りについた。
「おはよう、アイビス」
翌朝、エミリアーナはいつもより随分早く目が覚めてしまった。早速起き上がると、アイビスの元に駆け寄り挨拶をする。
彼はピ!と返事をしてくれた。鳥カゴの中の餌を確認すると、もう少し残っているようだ。
「おはようございます、お嬢様。今日はお早いですね」
「おはよう、リリー」
彼女は当然のようにもう起きていて、エミリアーナのために洗面用のお湯を用意してくれている。
アイビスにも飲み水として、広めの器に水を入れて持ってきてもらった。
「すぐに戻るから大人しく待っていてね」
エミリアーナはアイビスに声を掛けて急いでダイニングルームへと向かい、食事を簡単に済ませる。
彼女が部屋へ戻ると、アイビスは大人しく待っていてくれたようだ。
「ねぇ、リリー。昨日来たばかりで疲れていないのかしら?」
「そうでございますねぇ……」
「少し調べてみるわ」
リリーも詳しくないので困った顔をしていた。エミリアーナ達は辺境伯家の図書室へと向かう。
さすがに鳥に関する書籍は無かったので困っていると、マスターレーモンが通りがかった。
「エミリアーナ様、どうされました?」
「アイビス――昨日の鳥のことなんだけど……、こちらへ着いてからすぐに返してもいいのかしら?
疲れているのではないかと思って」
「大丈夫でございますよ、彼らは疲れれば途中で休憩をとりますから。餌も自分で確保出来ますし」
「貴方はよく知っているのね?」
「子供の時分に、私の祖父が伝書鳩を扱っていたことがございましたので詳しいのですよ」
エミリアーナは頼もしい師匠を得た。
「では、餌はそこまで用意しなくても大丈夫なの?」
「室内で長期間飼うのでしたら必要ですが、外で自由にさせるおつもりでしたらそれ程必要ではございません。
飲み水は我々が思っているより沢山飲みますから、いつも綺麗な水を用意されると良いかと思いますよ。
あとは水浴び用に深めの器を。彼らは水浴びで身体についた虫などを落としますから」
彼はそう言うとにっこりと微笑んだ。
「マスター……」
「では、失礼致します」
リリーは尊敬の眼差しで呟く。マスターレーモンは軽く頭を下げると、細身の身体をキビキビと動かし颯爽と去って行った。
「リリー、これで大丈夫だわ。早速行くわよ!」
「はい、お嬢様!」
ふたりでアイビスの待つ部屋へと向かう。
エミリアーナは懐かしい人達と連絡が取れるのが嬉しくて、気が急くのか少しだけ早足になる。
アイビスの足に手紙を入れた筒を何とか取り付け、放鳥するためふたりは庭へと急いだ。
エミリアーナの腕に乗せたアイビスは、まるで準備運動かのように一度バサバサと羽を横に大きく広げ動かすと、グッと一瞬身を低く屈め空へ向かって高く飛び上がる。
彼はぐるっと屋敷の上を何度か旋回すると、猛スピードで東の方向へ飛んで行った。
「は、早いわね……」
「もう見えなくなりましたよ、お嬢様」
エミリアーナはリリーと手を取り合って顔を見合わせ、ふふふと笑い合った。手紙の返事が楽しみだった。
突然のアイビスの登場で、ヤケクソになっていた彼女は落ち着きを取り戻していた。
彼に夢中になりすぎて、その他のことがあまり気にならなくなったのだ。
彼女はいつもの執務をこなしながら、今度は何を書こうかそれを考えると自然と顔が綻ぶ。
手紙は予想していたよりも、大抵短い日数で届いていた。
最初の頃は小さな紙切れ一杯に書いていたが、それも落ち着くと今度は毎日の出来事を書き連ねるようになった。
バサッバサッ――。
聞き慣れた羽音が聞こえて、エミリアーナはパッとそちらを振り向く。
「ピ!」
アイビスが着いたようだ。 慣れたもので、最近では部屋の窓枠に止まるようになっていた。
理解しているのか窓が開いている時にしか来ない。
近くの木の枝などに止まって、開くのを待っているのかしらとエミリアーナはリリーと話し合った。
彼女はアイビスに近づき、足にくくりつけてある筒から手紙を取り出す。
彼は今日はすぐには飛び立たず、大人しくそのまま待っていた。彼女はソファに座り、クルクルと巻いてある手紙を開く。
「お嬢様、お飲み物をご用意いたしましょうか?」
「ええ、お願いするわ」
エミリアーナが答えると、リリーは手際よくポットに茶葉を入れていく。
「今日は……、どの香茶にいたしましょう?」
「そうねぇ、たまには変わった物がいいわね」
「こちらはどうです? 南ドイ王国の農園の物だそうですよ」
「じゃあそれをお願いできる?」
リリーは先日実家の侯爵家から届いた茶葉を取り出した。
入れ立てを飲んでみると、香りは華やかで穏やかな口当たりだった。お茶の色は、紅色や茜色に近いだろうか。
「ダッドリーやレーモンにもお裾分けしなくてはね」
「ええ、きっと喜ばれますよ」
エミリアーナがゆっくりと香りを楽しんでいたところに、コンコンと扉をノックする音がした。
マスターレーモンかしらと思いながら返事をする。
リリーが扉を開くと、そこには焦った表情のバートが立っていた。
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