22 吹けない指笛と、空っぽの心
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翌日エミリアーナは、朝早くから魔獣の被害が深刻だった地域へと向かった。
「リリー、そこの包帯を取ってもらえる?」
「畏まりました」
「さあ、これで大丈夫ですよ。傷も綺麗になりましたからね?」
「ありがとうございます、聖女様。ねぇ、アンタ。これで畑仕事もまた再開できるようになるねぇ」
「本当に綺麗に治るんだな……。まあ、お前が手伝ってくれないとひとりじゃ無理だしな。
しっかし王子様との縁談が解消になったって聞いてたから、とんでもない方が来るのかと思ってたよ」
「ちょっと、アンタねぇ……。言い方ってものがあるだろう? すいませんね、聖女様」
「あら、すっかり忘れていましたわ。そんなこともありましたね、うふふふ」
「お嬢様、随分逞しくなられて……。お側でお仕えしていてこれ程嬉しいことはございません」
リリーは涙ぐんで目元をハンカチで拭っている。治療が済んだ女性患者は、慌ててデリカシーの無い発言をした夫を窘めた。
リーバスとの縁談が解消になったことは、すでにほとんどの領民が知っている。
とはいえ魔獣の被害にあった者達にとって、多少時間が掛かったとしても傷を完治させる力を発揮する彼女の存在は絶大だった。
エミリアーナは、どこへ行ってもとても重宝されている。
魔獣から受けた傷は瘴気を纏い治りも遅いため、 領民にとっては噂などより自分達の生活の方が大事なのだ。
バートは外泊しては、たまに帰ってくるのが当たり前になっていた。
エミリアーナ達は彼を引き留めようと試行錯誤するが、相変わらず仕事だと言い張りながら屋敷を留守にする。
彼の不在中、片付けるべき仕事は全て彼女が担うしかなかった。
ある日前辺境伯夫人バーバラから一通の手紙が届くと、エミリアーナは慌てて返事を書く用意を始めた。
「お嬢様、どうかなされましたか?」
「ええ、心配しないで。リリー」
「でもとても動揺していらっしゃるようですが……」
「リリー、レーモンを呼んでくれる?
別邸を訪問した時に私達が挨拶もせずに帰ってしまったでしょう? 夫人がそれをお怒りなのよ」
リリーは心配そうに彼女の方を窺いながらも、急いでレーモンを呼びに部屋を出て行った。
エミリアーナは彼を待っている間も、バーバラからの手紙を読み続ける。
手紙には何枚にも渡って勝手に帰ってしまったことへの抗議と、準備していたお土産が無駄になってしまったと書いてあった。
「これ読んでみてくれるかしら?」
ただならぬ様子のリリーに驚いて慌てて駆けつけて来たのか、珍しく額に汗をかいているレーモンに手紙を渡す。
彼はサッと目を通すと眉間に皺を寄せた。
「レーモン、どうしたらいいと思う?」
「これは……。坊ちゃまとお二人で出向かれた方が良いかと思いますが、今は無理でしょうね」
「そうよね、バート様は不在だもの」
エミリアーナは椅子に座ると目を閉じおでこに手の平を当てながら、何かいい方法はないかと考え込む。
「お手紙を差し上げるのは当然として、他に何か一緒にお送りしようかしら?
次にお会いするのは婚約式が1番近いから、その時にでもバート様と一緒に謝罪するわ」
「それがようございますね。では贈り物のリストをご用意しましょう」
レーモンはそう言うと、急いで部屋を出て行く。
心配そうな顔をするリリーに微笑むと、エミリアーナは机に向かい手紙の続きを書き始めたのだった。
それからしばらくして、バートとエミリアーナの婚約式が開かれた。
侯爵家の家族も全員揃い久しぶりに会えた彼らの顔を見ると、エミリアーナは今にも泣き出しそうになる。
少し痩せてしまった彼女を気遣う彼らに、心配をかけまいと嘘を吐いてしまった。
もう少し家族と一緒にいたかったエミリアーナだが、王都まで1週間近く掛かることを考えると、いつまでも引き留めるのは憚られた。
元々婚約に関しての書類は細かい取り決めと共に、すでに家同士で交わされている。
婚約式が無事に済んだのは良いが、エミリアーナは魔獣の被害の対応と執務に日々明け暮れていた。
相変わらずバートは外出ばかりしている。
しかし今は彼よりも厄介な人物がいた。それは義母となるバーバラだった。
「またですか? お嬢様」
「そうなの。親族が集まるそうよ」
「もう今月に入って3回目ですよ? しかも毎回泊まっていけだなんて。お屋敷から大して離れていないじゃないですか」
「仕方ないわ、これも義娘の務めね。せめて日帰りにできるように努力するわ」
「まだ婚約しただけで妻になったわけでもないのに。次は孫を催促されそうですわね」
初めこそ何か重要な用件でもあるのかと律儀に訪ねていたが、ただ座って彼女の愚痴を聞かされるのみで特に何も無い。
親族と言っても、先代の親族が一人顔を出してすぐに帰るだけ。
おまけに今にも痛んで食べられなさそうな菓子等を、お土産に持ち帰らせようとする。
持ち帰っても結局食べられないので捨てるしかない。
「お嬢様、夫人はどこかお悪いのではないでしょうか……? こんな物を人に渡すなんて」
「そうね、心配だわ。バート様に相談してみようかしら?」
リリーはさすがに見ていられなかったのか、そっと耳打ちしてくる。
直接本人に言えるわけもないのだが、だからと言ってバートも不在がちで頼りにはできない。
加えて辺境伯の執務に、領内の魔獣の対策。
忙しい彼女は、義母の誘いを理由を付けて断るようになってしまっていた。
ある日療養所からの帰り道に酷い雨に降られ、帰りが遅くなったことがあった。
エミリアーナがやっと屋敷にたどり着くと、執事のレーモンが心配そうな顔をしてエントランスで待っていてくれた。
「心配しておりました、エミリアーナ様」
彼はほっとした顔をしていたが、言いにくそうに口ごもる。
「ご不在の間に、大旦那様と大奥様がいらっしゃったのです」
「まあ、そうだったの? 事前に連絡は無かったわよね?」
「ええ、ございませんでしたが突然いらっしゃいまして……」
「もうお帰りになったの?」
「はい、それがその……エミリアーナ様はいらっしゃらないとお伝えしたのです。そのあと一度帰られたのですが、何度も訪ねて来られまして」
「え!? 何度も?」
「ええ、貴方はどこに行っているのかと仰いまして」
「……私が領地の視察をして回っているのは説明したのよね?」
「はい、もちろん致しました。が、信じておられないようでした」
「……」
エミリアーナが呆然としていると、レーモンは申し訳ありませんと頭を下げた。
「貴方のせいではないわ。気にしないで」
彼を宥めると自室へ戻る。以前からバーバラ達の奇行には辟易していた。
「お嬢様……」
「リリー。レーモンが説明しても信じられないそうよ。私が遊び歩いているとでも言いたいのかしら。
誰のせいで――」
「お嬢様落ち着いてくださいませ」
彼女は考える度怒りが次々と湧いてくる。リリーはエミリアーナをソファに座らせると背中を優しく摩った。
「ごめんなさいね……リリー」
「いいんですよ、お嬢様」
リリーはエミリアーナが落ち着くまで、ずっと背中を摩ってくれていた。その時は彼女のおかげで、何とか気持ちを落ち着かせた。
数日後やっとバートが屋敷に帰って来たが、エミリアーナと顔を合わせると呆れた顔をする。
「この前両親の所に寄ったんだけど、僕たちがなかなか来ないから心配してたよ。君が行きたくないって言っていたからって伝えといたから」
「え? それはどういう意味ですか?」
「だって、君がいつも断ってるでしょ?」
「それは、貴方が――」
「それと両親が、君は出掛けすぎなんじゃないかって言っていたよ。アイツはどこに行ってるんだ!って。
それで次の休みは別宅に遊びに来いってさ。みんな集まるから」
「は?」
「この前、屋敷にいなかったんでしょ? どこに行ってるんだかって両親が親族の前で笑ってたよ?」
バートはいつの間に別宅に行っていたのか。
不思議に思うエミリアーナだったが、取り敢えず彼に説明しようと口を開きかけた。
「あれは――」
「ああいいよ、言い訳しなくても。エイシャもその場にいたけど、君のこと笑ってたよ。
僕が親族の前で恥ずかしい思いをするんだから、少し控えてもらえるかな?」
怒髪天を衝くとはこのことだろうか。エミリアーナは一気に体中の血が沸騰するようだった。
「あ……。じ、じゃあそういうことだからよろしくね」
彼女の表情が一瞬で変わったのに気が付いたのか、バートは逃げ出した。
「エミリアーナ様……。申し訳ございません」
「少し庭を散歩してきます」
ダッドリーがただただ頭を下げている。彼も言葉もないようだ。
エミリアーナは彼に言葉をかける余裕も無く、少し急ぎ足で庭へと歩く。
ダッドリーは頭を下げたまま、彼女の気配が無くなるまでずっとその姿勢を保っていた。
「少し一人にしてもらえる? リリー」
「畏まりました」
庭へ出るとひとりになりたくて、彼女にお願いする。リリーは戸惑いつつも離れた場所に待機した。
エミリアーナはゆっくりと辺りを歩き回る。
「押さえなくちゃ。怒りを露わにしては駄目よ、押さえて――」
鼻と口でふうふうと深呼吸を繰り返した。ようやくエミリアーナは落ち着いたので、バートとのこれからのことを考えてみる。
彼に対しては元から愛情など無かったが、それでも何かしらの情が湧くだろうと思っていた。
しかし、誤解は解いておかなければ。もう一度息を吐いた。
彼女はリリーにバートを呼んでもらうように言うが、焦った様子のダッドリーがやって来て彼の不在を伝えられた。
「えっ、彼はいないの? もう?」
「はい……。あの後すぐに出掛けられたようで……」
エミリアーナはダッドリーを下がらせると、その場に立ち尽くす。バートはすでに屋敷を出たあとだそうだ。
彼女はプツンと張り詰めていた糸が切れたような気がして、全てがどうでも良くなってしまった。
自分ばかりが一所懸命で馬鹿馬鹿しくて、真っ青な空を見上げてみる。
こちらに来てから空を見上げるのは初めてだった。
青く晴れたそこには雲がのんびりと浮かんでいて、鳥が優雅に飛んでいた。
ふと思い出して指を口に当てて吹いてみると、ふーと空気が抜けるような音しかしない。
「前は吹けたのにな……」
エミリアーナは何度か指笛を練習してみた。一度コツを掴めば簡単なもので、面白くなって何度も吹いてみる。
彼女の頬に涙が流れるが、それさえも気付かずに何度も。
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