21 跪くくらいなら最初から言って
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引き続き執務室にて――
リリーは茶器を片付けに、ゆっくりとワゴンを押して執務室を出て行く。
「実家の執務に関してはいつも父が主体で進めていたから、何だか違和感が拭えないわね」
「ですよねぇ……」
ダッドリーはぼそっと呟いた。
侯爵家の当主であるレンブラントも、たまに他領に出向くこともあった。
だが最終的な決裁に関しては彼の署名が必要なので、長期間屋敷を留守にすることは稀だ。
出掛けなければならない時は、案件は早めに片を付けていた。
妻のマレインにも権限があるが、彼女が采配を振るうことは今まで一度も無かったと記憶している。
「そう言えば前辺境伯様の時はどうだったの?」
「大旦那様はご自身で差配されておりました。ご自分以外は信用されておりませんでしたので。
このようなことは初めてでございます」
レーモンが書類を持った手を止めて、溜息を吐く。
「バート様だけなのね。それで前辺境伯様――は少し言いにくいわね、先代様とお呼びしてもいいかしら?」
「問題ないと思いますよ」
ダッドリーが頷く。
「それで先代様にはお伝えしてあるの?」
「それが、旦那様から言うなと命令されておりまして……。大旦那様はご存じありません」
はぁと溜息がこの部屋にいる全員から上がる。
「突然大旦那様と大奥様がいらっしゃった事がございましたが……。あの時は肝が冷えたものです」
「そうだったなぁ、レーモン。あの時は何とか誤魔化してやり過ごしたが、もう2度とあんなことはご免だよ」
「それは大変だったわね……」
ふたりとも思い出したのか、顔が見るからに辛そうだ。
大の大人がふたりしてしゅんと肩を落として、哀愁を背中に漂わせている。
「そういえば先代様には、年の離れた弟さんがいたわよね? 今どうしておられるの?」
「カロルラブ様は研究者になるんだと仰せになって、出て行かれました」
「えっ!」
「大旦那様と口論になりまして」
エミリアーナは衝撃の事実に驚くが、レーモンは涼しい顔をしている。
「そ、そう。それで今はどちらにいらっしゃるのかしら?」
「以前は南の国にいらっしゃったとお聞きしたのですが、現在は帝国にお住まいだそうです。
そうだったな? ダッドリー」
「ああ、そうだよレーモン。
大旦那様も大奥様も、弟は帝国に留学中だと周りにはお話ししていらっしゃいます。
研究者など体裁が悪いと仰って」
ダッドリーは納得がいかないようで、鼻息が荒い。レーモンは眉間に皺を寄せて無言だった。
「そうだったの……。言いにくいことを聞いてしまって、何だかごめんなさいね」
「謝罪など貴方様はする必要がありませんよ。お知りになって当然なのですから、何でもお聞きください」
ふたりはそう言って微笑んだ。
「我々は、貴方様がいらっしゃるのを心待ちにしておりました」
「私を……?」
じっとエミリアーナの目を見つめながら、ダッドリーは拳をぐっと握りしめた。
「はい。エミリアーナ様は侯爵家の執務に加え妃教育も終えられ、慈善活動を精力的にこなしていらっしゃると聞き及んでおりました」
「我々は坊ちゃまには愛想が尽きたのです。これまでも何度も必死に執務をしてください、とお願いして参りました。
半ば諦めかけていたところへこの縁談――。正に女神様の思し召しでございます」
レーモンも遠い目をして、熱い胸のうちを語り出してしまった。
「大体のことは理解できたわ……。そういえば今日は取引先を訪問するそうだけど、そんなに頻繁に行く必要があるのかしら?
取引先とは手紙でやり取りして、魔獣の出没しそうな場所には警備を増やしてはどう?」
「我々もそう申し上げましたが、聞き届けてはいただけませんでした……。なぁ、レーモン?」
「執務についても、エミリアーナ様に押しつけるつもりだったようでございます……」
先程の熱さはどこへやら、彼女の意見に彼らは段々と声が小さくなっていく。
貴族としての責務を放り出して彼は毎日何をしているのか、エミリアーナはただただ唖然とした。
レーモンの言葉に、彼女は長い長い溜息を吐く。
「エミリアーナ様!」
突然ダッドリーが跪く。レーモンも彼の横で跪いた。
「何をしているの!? 止めなさい!」
「いいえ! どうか我らをお助けください。お願い致します」
「我らを……、この家を見捨てないでください」
「ひとまず落ち着いて。分かったから跪くのをやめましょう? ね?」
彼らを立たせ、ソファに座らせた。エミリアーナは彼らの向かいに腰を下ろす。
「落ち着いたかしら?」
「先程は失礼致しました。あのような失態をお見せしてしまい……」
「バート様の事は、少しずつでも改善していきましょう。でも今は領民の被害の方を先に知りたいわ。
明日で構わないから領地を案内してもらえるかしら?」
「は、はい! 是非!」
ふたりともしょんぼりして反省していたが、エミリアーナの言葉を聞いてパッと顔を上げる。
レーモンは勢いよく立ち上がった。
「では私は地図を持って参ります」
「ええ、お願いするわ。ところでバート様は取引先を訪問されているとのことだけど、新規の取引でも計画されているのかしら?」
エミリアーナが尋ねると、急にふたりの顔色が悪くなった。
「大丈夫かしら。聞いたらいけなかった?」
「それはその、何とお答えすればよいでしょうか……」
「どうしたの? もう何を言われても驚かないから聞かせてくれる?」
ダッドリーは額に汗をかいている。彼女が悟りを開いたような顔で笑っているのを見て、観念したようだ。
「旦那様は仲の良いお友達と集まって、パーティを開かれることも多いのです。
開催場所はそれぞれのお屋敷だったり、別邸だったりと様々だそうです」
「まあ、そうだったの?」
「坊ちゃまは、エイシャ様をお連れになることもあるそうでございます」
レーモンは憮然としているが、ダッドリーはハンカチで額の汗を拭っていた。
エミリアーナは別邸で会った彼女の顔を思い出し、嫌な気分になる。
「そう。泊まることもあるそうだけど……」
「いえ! そこまでの仲では。
どちらかと言うとエイシャ様が一方的に、旦那様をお慕いされているかとお見受けします」
ダッドリーが慌てて答えた。
「分かりました、私にできるだけのことはするわ。まずは地図を確認しましょうか?」
「こちらでございます」
レーモンが用意してくれた大きな地図を、テーブルに広げる。
「ここが帝国との国境。こちらが魔獣が頻繁に出没する森でございます」
「魔獣の被害が酷い地域はどの辺り?」
「それはこちらです」
ダッドリーが指を差す。
地図を見れば辺境伯領はとても広く、実家の侯爵家の領地よりも大きかった。
「療養院や治療出来る場所はあるかしら?」
「はい、こことここ。北と南に二軒ずつございますよ」
今度はレーモンが説明してくれた。被害が深刻なのか、バランスよく建ててあるようだ。
「では明日は、被害の多い方へ向かいましょう。いいかしら?」
ダッドリーとレーモンは頷き、地図上の目標地点に印を付けた。
「明日は、ダッドリーが同行するのね?」
「はい、旦那様もいらっしゃいませんし。地理に詳しいレーモンに一緒に来てもらいたいのは山々ですが。
護衛の者を多めに付けましょう」
「ええ。私はまだ詳しくないから人選は貴方に任せます。レーモン留守をお願いね?」
「畏まりました」
その日は早めに就寝することになったので、エミリアーナはリリーと一緒に部屋へ向かう。
バートはとうとう帰ってこなかった。
「蓋を開ければ最悪のお相手でございましたね、お嬢様」
リリーはそう言うとまたプンプンと怒っていた。
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