18 この家、執事が一番まとも説
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大きく落ち着いた色の扉が開かれエミリアーナが応接室に入ると、メイド達はお茶の用意をし始めた。
ここは王都よりも少し気温が低いため、床にはふかふかの毛足の長い厚めの絨毯が敷かれている。
その上を歩くと足が沈み込む感覚が初めてで気持ちも良くて、彼女は癖になりそうだった。
「どうぞ、そちらへ座ってください」
バートランドに勧められ、少し大きめのソファへその柔らかさを確かめるように、彼女はゆっくりと腰掛ける。
リリーはエミリアーナに最も近い壁際に静かに立つと、じっと彼女を見守っていた。
「道中は何事もありませんでしたか? こちらは王都に比べるとのどか過ぎて驚かれたでしょう?」
彼は柔らかく微笑みながら優しく彼女に問いかけると、カップをそっと持ち上げお茶を一口飲んだ。
注がれている赤褐色の液体は、いつもエミリアーナが飲んでいる香茶よりも色が濃い。
蘇芳色のように、紅色よりも少し暗い赤色だった。
彼女が口元にカップを近づけると、果物の香りが仄かに感じられた。
「いいえ、景色を堪能させていただきましたわ。
風は少し冷たく感じましたが、日の光は暖かくてとても過ごしやすそうです。領民も穏やかな方が多くて親切でした。
それはそうと、このお茶は果物の良い香りがしますね。初めて頂いた気がします」
そう言ってエミリアーナがカップの中のお茶を珍しそうに眺めていると、バートランドの側に座っていた側近のダッドリーの口元が綻んだ。
「さすがにお目が高い。果物の香りによくお気づきになられましたね?
この辺境の地では、お茶の香りを理解していただける方はあまりいませんから、寂しい思いをしていたのです。
南のアッテム地方にある、シンバリという地域の茶葉なのですがご存じですか?」
「シンバリ……は初めて耳にしましたが、以前アッテム地方の他の華茶を頂いた事がございますわ」
リーバスとの婚約解消を知らされた日、エンデルクと一緒に頂いたのをエミリアーナは思い出す。
彼女は忘れられるはずもない。
「おお、そうでしたか! ちなみにどちらの茶葉です?」
「確か、デサムでしたでしょうか。渋みが少なかったのでとても飲みやすかったのを覚えています」
「なるほど! 何とも羨ましい。あの茶葉はなかなか手に入りにくいんですよねぇ」
目の前に座っているバートランドよりも、ダッドリーとお茶の話題で盛り上がってしまった。
「僕は置いてけぼりかい?」
バートランドは少しふてくされてしまったようだ。
「あっ! ……失礼致しました」
ダッドリーとエミリアーナが慌てて謝罪する。
「いやいや、冗談だよ。お茶の美味しさを理解してくれる人が増えて良かったじゃないか」
「はい! またお話をお聞かせくださいね」
ダッドリーは目を輝かせると、満面の笑みを浮かべた。
「では坊ちゃま、そろそろ皆様をお部屋の方にご案内致しましょうか?」
「おいおい、坊ちゃまは止めろって言っただろう?」
「あっ……と、これは失礼を。では旦那様、よろしいですね?」
バートランドはぶつくさ言いながら、エミリアーナ達の世話をするよう彼に指示を出す。
ダッドリーに案内された部屋は2階の奥の方にあって、とても日当たりが良かった。
侯爵家のエミリアーナの部屋よりも随分広く、正に辺境伯夫人のための部屋という造りになっている。
「本日からこちらがエミリアーナ様のお部屋でございます。侍女の方は、そちらの扉を隔てた向こう側にご用意してございます」
「外は少し肌寒かったけれど、日当たりがいいからぽかぽかして暖かいわ。案内してくれてありがとう」
「お気に召していただけたのでしたら、幸いでございます」
壮年の真面目そうな女性が、深く頭を下げる。
「お疲れでしょうから、お部屋でゆっくりしてくださいね。では私はこれで失礼します」
一緒に案内をしてくれたダッドリーが、深々と礼をして静かに扉を閉めた。
部屋の中には荷物がすでに運び込まれており、リリーは早速荷ほどきを始めようとしている。
「リリー、貴方も疲れたでしょう? ここに座って一緒にお茶を飲みましょう」
「いいえ、結構です。主と同じソファに座るなど普通は許されませんよ、お嬢様」
「そう言わずに。いいじゃない、ね?」
エミリアーナが何度もしつこく誘うので、ついに諦めたのか彼女は渋々ソファへ座る。
「私がお茶を入れてみてもいいかしら?」
「それは駄目です。もう! 座っててください」
彼女は華麗な手さばきで茶葉をポットに入れると、カップと共に湯を注いだ。
「私も自分で出来るようになりたいわ。教えてくれない?」
「お教えするのは構いませんが。私といる時は、手を出さないとお約束ください」
いいですねと念を押され、うんうんとエミリアーナは頷く。リリーに教えてもらって一緒に入れたお茶は特別美味しかった。
しばらくすると先ほどの女性が、お湯の用意が出来たと知らせに来てくれた。メイド長が気を利かせてくれたらしい。
エミリアーナは有り難く湯浴みをさせてもらい、ドレスに着替えるとソファで寛ぐ。
部屋の扉をノックする音が聞こえて、この屋敷の執事という男性が顔を覗かせた。
「失礼致します。夕食の準備が整いましたので、ダイニングルームまでご案内致します」
彼の名前はレーモン・マッケンナーという。
中年から初老に近い年齢だろうか、豊かな銀髪を後ろになでつけている。
先ほど応接室で顔を合わせてはいたが、予想外にお茶の話題で盛り上がってしまったので紹介してもらう機会が失われてしまった。
自己紹介を済ませると、彼はふたりをダイニングルームまで連れて行ってくれるようだ。
時たま彼女達に説明をしながら、執務室やバートランドの部屋の前を通り過ぎる。
到着したダイニングルームには、長い大きめのテーブルが設置してあり、沢山の椅子が用意してあった。
他の部屋もだが広めの造りで、ある程度の人数が集まっても十分に機能しそうだ。
エミリアーナが席に着くと、温かい料理が順番に運ばれてくる。前菜から始まり、メインは美味しそうな肉料理だった。
「鹿肉のローストでございます」
料理長らしい男性に説明を受けるが、エミリアーナは初めて見る鹿肉をじっと見つめた。
「鹿肉は初めてですか?」
不意に声が聞こえて、彼女は顔を上げる。はいと答えると、バートランドが肉を切り分けながら説明を始めた。
「この辺境伯領は王国の西にありますが、王都より北にありますので結構寒いのですよ。
岩場も多く、寒さを好む鹿が多数生息しています。もちろん魔獣もいますが。
家畜もいるにはいるのですが、鹿肉をメインに使う事が多いのです」
「そうでしたか。王都ではなかなか口にする機会がありませんので楽しみです」
エミリアーナは食べやすいよう、肉汁が滴る鹿肉を丁寧に一口大に切り分ける。
添えられていた濃厚なソースと相まって臭みもなく、彼女が思っていたよりも食べやすかった。
「まあ! このソースが肉汁と絡み合ってとても美味しいです」
彼女が料理を褒めたことで壁際に控えていた執事や使用人達は、ホッとした表情を顔に浮かべて胸を撫で下ろす。
この辺境の地ならではの珍しい料理が並んだ食事は無事に終わり、本格的に打ち合わせをするのは翌日からとなった。
「今晩はゆっくりお休みくださいませ、お嬢様」
リリーに就寝用のローブに着替えさせてもらって、エミリアーナがベッドへ入るとすぐに睡魔が襲ってくる。
明日から忙しくなるからと彼女はウトウトしながらあれこれ考えるが、いつの間にか眠ってしまった。
翌朝朝日が窓から部屋の中に差し込み始めると、エミリアーナの目がゆっくりと開き目覚める。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、リリー」
リリーはすでに起きていて、勢いよく厚めのカーテンを開いた。
エミリアーナは眠そうな目をこすりながら、ゆっくりとベッドから起き上がる。
昨日は緊張していたために気付かなかったが、あちこち身体の節々が痛んだ。何日も馬車に揺られていたせいだろう。
彼女はベッドの上で背中を少し反らして、ぐーっと伸びをする。
リリーが開けてくれた窓からは鳥の囀りが聞こえてきたので、アイビスを思い出して手の甲を摩った。
彼女が身支度を済ませると、メイドが彼女の起床を知らせていたのか、扉のノックの音が響いた。
「どうぞ、入ってください」
「おはようございます」
扉が開かれると、執事のレーモンが廊下に立っていた。彼は部屋の中には入らず、丁寧に頭を下げ朝の挨拶をする。
昨日と変わらず、にこやかに微笑んだ。
「ゆっくりお休みになられましたか?」
「ええ、ぐっすり眠れました」
「それはようございました。では、ダイニングルームにご案内させていただいても構いませんか?」
「お願いします、マッケンナーさん」
「どうぞ、レーモンとお呼びください。それから我々は使用人ですので、そのようにお話しくださいませ」
語尾については理解できるが、さすがに名前を呼び捨てにするのは憚られた。
「ではレーモンさんと呼ぶわ」
「はい、では名前については追々お願い致します」
彼は少し残念そうな顔をしたが、彼女達を先導して案内してくれた。
少し早めに起きたためか、ダイニングルームにはまだバートランドは来ていなかった。
「旦那様をお待ちになられますか?」
「そうね……せっかくだから待つわ」
「では、何か温かい飲み物でもご用意いたしましょう」
彼はすぐにメイド達に指示を始めた。
エミリアーナは出された香茶を頂きながら、今日の予定を彼に尋ねる。
「旦那様からもお話しがあるとは思いますが、本日はまずこの邸宅内をご案内させていただく予定でございます。
その後、執務室にて婚約式の予定についてのご相談となるかと思います」
「分かったわ」
「おはよう、早いね」
彼女がレーモンと話していると話し声がして、バートランドが顔を見せる。彼は席に着くと、早速ナプキンを広げた。
「おはようございます」
エミリアーナもにこやかに挨拶をする。これからはこれが当たり前の日常になるのだ。
今までは大人数で食事をとっていたのを思い出し、彼女は少しだけ寂しくなった。
食事を終えると執事のレーモンに案内されて、エミリアーナは邸宅内を歩く。リリーももちろん後ろに控えていた。
「こちらが昨日ご案内した応接室です。隣は――」
かなり広い屋敷なので、覚えるのが大変そうだと彼女は思った。廊下で使用人とすれ違うと、彼らは端に寄り頭を下げる。
時々王都の人間が珍しいのかチラチラこちらを見るが、エミリアーナは特に気にしなかった。
あらかた案内が終わり今後の予定を話し合うため執務室に移動すると、彼女は少し固めのソファに座った。
向かいには、バートランドとダッドリーが並んでいる。
「では、来月の婚約式についてですが……」
ダッドリーが細々とした説明を始めた。この国では、貴族は結婚式の前に婚約式をするのが一般的だ。
比較的簡素なもので新郎新婦の家族や親族、またはそれに近しい者達が集まるのが慣習となっている。
グランデール侯爵家側は家族が参加予定だった。未だに進んでいない式の準備を、早く済ませてしまわないといけない。
「グリーンムーン家からはどなたが参加されるのかしら?」
「旦那様のご両親と、従姉妹の方がおふたりですね」
「従姉妹がいらっしゃるのね?」
ダッドリーが書類を確認しながら答える。エミリアーナは従姉妹でなく、なぜ親が参加しないのか疑問に感じた。
「旦那様の伯父にあたる、ハウスマン家の姉妹でいらっしゃいます」
「そう。一度お目にかかって、ご挨拶しなくてはいけないわね?」
「いや、まあ……そんなに急がなくてもいいよ?」
バートランドが口ごもるのを、彼女は不思議に思いながらも追求しなかった。
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