12 私、婚約解消されるってよ?
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馬車に揺られること数日、ついに一行は王都へと帰還した。
エミリアーナは王都の侯爵邸に着くと、すぐに着替えて城へと向かう。報告をする為だ。
多少の疲れはあったものの、城からの呼び出しとあっては無視できない。
今回はレンブラントも何故か馬車に同乗していた。
「大変だったろう?」
「これも聖女としての勤めですから。心配しなくても大丈夫ですよ」
レンブラントは労るように、エミリアーナの頬を指で撫でる。彼女はくすぐったそうに微笑んで、彼の手を握った。
「お嬢様、皆さまお元気そうでよろしゅうございましたね」
「ええ、本当にね」
「リリーも疲れただろう? 娘の側に付いていてくれてありがとう」
「いいえ、当然の事でございます」
レンブラントはリリーを労う。彼女はニコニコしているが、父親がいるため若干言葉が丁寧だ。
「リリーが居てくれたから心強かったのですよ、お父様」
「そうかだったか。同行を許して正解だったな」
褒められたリリーは、頬を少し赤く染めはにかんでいた。
「ところで今回は何故お父様も登城されるのですか?」
「ん?そうだな。……お前は何も心配しなくていいんだよ」
遠征の報告だけならば、彼女が出向けば良いことだ。彼はあまり口を開かず、そっとエミリアーナの頭を撫でる。
王城のエントランス前に馬車が停まり、謁見室へと案内された。
神殿の代表としてママコルタ、同行したうちの数名とティアナもその場に着席している。
部屋へ入るとエミリアーナ達に近くに来るよう、国王が促した。
「待ちかねたぞ」
「これで全員揃いましたな」
宰相のスタイナー公爵が護衛の者達に合図をすると、謁見室の扉が閉じられた。
「皆様にはお疲れのところ、おいでいただき誠に恐縮です。
本日は西の地区コウィの病の調査と、治療の報告のために集まっていただきました。
先程レッドスター司祭から、今回の病について纏めた書類を提出していただいています」
国王や高官達は書類に目を通している。
「またこちらにおられるティアナ嬢の、目覚ましい活躍についても報告を受けております」
周囲がざわめきだした。
「陛下、他に何かお聞きになりたいことなどございますか?」
「ああ、その時のことを詳しく話してくれないか」
レンブラントは、またかというように呆れた顔をしていた。一通り報告が終わり、その場に参加した者は席を立つ。
「ティアナ嬢はこのままここに残るように」
「さあ、我々は退出しよう」
ティアナは聞いていなかったのか、少し不安そうにしている。
エミリアーナは彼女のことが気になったが、レンブラントに肩を抱かれ部屋を出た。
足早に廊下を進むレンブラントが、彼女の手を引く。彼女は前を歩く彼の背中へ問いかけた。
「お父様、今日は王妃様とリーバス王子殿下にご挨拶しなくても良いのでしょうか?
長い間王都を離れておりましたので、定期のお茶会もお断りしておりましたから」
「……良いんだよ、もう無理して会わなくていい」
レンブラントはそれだけ言うと黙ってしまう。
「あの、それはどういう事で――」
「やあ、エミリアーナ嬢」
突然後ろから声をかけられて振り向くと、そこには満面の笑みをたたえたエンデルクが立っていた。
彼はニコニコとしながら、レンブラントの方をチラリと見る。
「殿下」
レンブラントはさっと向き直ったので、慌ててエミリアーナも挨拶を交わす。
「グランデール侯爵も。久しぶりだね」
「ご無沙汰しております、エンデルク王子殿下」
「今から帰るのかい?」
「ええ。用事は済みましたので」
エミリアーナはいつもと違い、冷たい態度の父親に驚く。
「侯爵、エミリアーナ嬢と少し話せないかな?」
「いえ、娘は本日コウィから帰って来たばかりです。疲れておりますから、またの機会にしていただきたい」
レンブラントはエミリアーナを片手で自身の後ろへと隠す。
「お父様、わたくしは構いませんわ」
「エミィ。……そうか。エンデルク殿下、ご配慮いただけますか?」
「ああ、もちろんだとも。エミリアーナ嬢行こうか」
レンブラントが彼を見る目つきは厳しかった。エンデルクはエミリアーナを連れて、来た道を戻っていく。
「さあ、座ってくれ」
彼は自身の執務室の隣にある応接室へエミリアーナを通した。彼女が言われるまま座ると、侍女が香茶を用意し始める。
美しく縁取られたカップに注がれる、澄んだ赤褐色の液体から放たれる香りが鼻腔をくすぐった。
「この香茶は南のアッテム地方にある、デサムという農園の物だよ。良い香りでしょ?」
「はい、とても」
エミリアーナは鼻から息を吸い込んで、香りを確かめる。
「コクがあるのにまろやかなんだ。渋みが少ないから飲みやすいと思うよ。
そうだ、ミルクにも合うから入れてみると良い」
テーブルの上に用意が済むと、側近と護衛以外は部屋を離れて行く。
先ほどの父親の態度といい、何かあるのかとエミリアーナは警戒した。
「ああ、そんなに固くならないで。まだこれからどうなるか分からないんだから」
「……あの、どういった事でしょうか?」
「侯爵からまだ何も聞いてないようだね?」
「はい。侯爵邸へ到着してからすぐにこちらへ参りましたので、何も聞かされておりません」
「そう……」
エンデルクは困ったように少し眉尻を下げると、カップに注がれた香茶を一口飲む。
目を伏せ己の手の中で揺れる液体を見ながら、言いにくそうに口を開いた。
「君と兄のリーバスとの婚約が解消されるかもしれない」
「えっ」
「そりゃびっくりするよね? あれだけ強引に婚約しといてさ」
彼は呆れた顔をしていた。
「あの、わたくしが何か粗相をいたしましたでしょうか?」
「いやいや! 君に瑕疵はひとつもないよ」
「左様でございましたか」
慌ててエンデルクは否定する。
王子妃教育も済み、後は学園の卒業を待つだけだった。エミリアーナは自身の行動を思い出す。
自分の失態で、侯爵家まで処罰されるのは避けなければならない。そのため、彼女は結びたくもない婚約を受け入れたのだ。
彼女はぎゅっと両手を握りしめ、エンデルクに尋ねる。
「では、どうしてでしょうか?」
エンデルクは溜息を吐いて、カップをそっとソーサーに戻した。
「ティアナ嬢のせいだよ、彼女が聖女の力を発揮したから」
「ティアナ様ですか?」
「そう。聞くところによると、コウィでかなり活躍したそうじゃないか。」
確かにティアナは一度に幾人もの患者を治療していた。早めの帰還にも一役かっている。
「そこに目を付けたのが王妃だよ。いずれティアナ嬢の噂は国中に広がる。
君の時と違ってまだ箝口令が敷かれていないからね。病を短時間で治療したのも大きい」
一気に告げると、エンデルクはカップの香茶を飲み干した。
「人の噂というものは尾ひれがつくんだよ。コウィの領民達から各地を旅する商人へ。
彼らが各地へ散らばると、その噂はまた人から人へ。王都に届く頃にはある事ない事、ない交ぜになっているさ」
エンデルクは腕を組み、ソファの背もたれに寄りかかる。
彼は侍女が新しいお茶を用意し始めるのを眺めながら、テーブルの上のクッキーをひとつ摘まみ口に放り込んだ。
「王妃は兄を立太子させたいようだからね。少しでも自分達を有利な立場にしたいのさ」
エミリアーナは呆然とエンデルクの話を聞いていたが、ある結論にたどり着く。
婚約は解消なので、彼女に瑕疵は付かない。今後良い縁談は難しいかもしれないが、元々何処かへ嫁に出る事は覚悟していたのだ。
これで彼女が侯爵家で学んだ領地経営も、生かせるかもしれない。そう悪い話でもないのではないかと思ったのだ。
「大丈夫かい? 突然で驚いただろう?」
「確かに驚きはしましたが……」
エミリアーナがあまり衝撃を受けていない様子なので、エンデルクは拍子抜けしていた。
「元々私は王子妃になることを希望しておりませんでしたので」
「そう言えば確かにそうだったね。しかし婚約までしておきながら結婚間近に解消するなんて。
そう許されることではないよ」
エンデルクは不快感を露わにしている。
「普通はそうでしょうが、私には千載一遇の好機到来です」
「そうかい? まあ君が良いのならいいが」
「エンデルク殿下、ご心配には及びません」
王妃もリーバス王子も顔を見せなかった理由を、エミリアーナは理解した。
彼女が案外平気そうなので、彼は安心したようだ。
「それと、もうひとつ。コウィの更に西の地域、辺境伯領だがもちろん知っているね?」
エミリアーナがはいと返事をすると、彼は話を続ける。
「隣の帝国との境界線を守っている場所だが、少し前から魔獣の被害が酷くなっていてね。
今は前辺境伯から代替わりして、息子が継いでいるんだが。これがあまり仕事熱心ではないんだよ」
「まあ、そうでしたの」
「うん。前辺境伯は真面目な方だったが……。何度か会ったこともあるけど、いつも領民のためを思い働いているような人だったよ。
息子の方は何というか……面倒事を嫌がるんだ。よく言えば平和主義、当たらず触らずを貫いていてね。
責任転嫁が得意と言った方がいいかな。困ったものだよ」
エンデルクは新しく入れ直してもらったお茶の香りを楽しんでいる。
「この茶葉も良い香りだろう? さあ、このクッキーも食べてみて」
エミリアーナがひとつ口に入れてみると、薔薇のジャムが練り込んであったようだ。
バターの芳醇な香りと相まって、濃厚な味わいだった。
「この香茶とよく合いますね」
「だろう? お土産に持ち帰るといい、用意させよう」
「ありがとうございます。家族も喜びます」
彼女の脳裏に、弟のアッシュや姉の喜ぶ顔が浮かんだ。
エンデルクはそんな彼女を眺めながら、急に真剣な顔をする。
「……それと、ここからは落ち着いて聞いて欲しいんだ」
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