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1 後継者教育って、聞いてないんですけど!? 庭で読書したかっただけなのに!

皆さま、はじめまして。そしてご覧くださって本当にありがとうございます。


本作は、かつて聖女と称された一人の少女が、己の力と存在意義に疑念を抱きながらも、真実に向かって歩む物語です。

信じていた人の裏切り、胸に秘めた想い、そして、過去から続く謎――。

光と影が交差する中で、少女は何を見つけるのか。


陰謀と恋、そして微かな希望を織り交ぜたファンタジーです。

のんびり更新にはなりますが、どうかお付き合いくださいませ。

 木々が生い茂り差し込む太陽の光を遮る薄暗い森の中を、息を切らしながら走り続ける。


「……うっ。はぁっはぁっ」

「そこの草むらに隠れましょう。さあ、早く」


 彼は苦しそうに息をする彼女を見て、腰の高さまである草むらを見つけ指差した。

 追っ手に見つからないように、ふたりは身を低く屈め息を殺す。


「もう少し俺の側に来てください、見つかってしまいます」

「ええ、分かったわ」


 彼は彼女の腰に手を回し、グイと自分の方へ抱き寄せる。

 彼女がバランスを崩して逞しい胸に抱かれ見上げると、至近距離で目が合って彼は安心させるようにフッと微笑んだ。

 

「体勢がキツいでしょうが大丈夫ですか?」

「……ええ、大丈夫」


 彼女は驚いて曖昧に微笑んだ。


「……でもしばらく離しません」


 彼は彼女の耳元に唇を寄せるとそっと囁いた。吐息が耳にかかると、ドキンと彼女の心臓が跳ねる。

 顔を真っ赤にして恥ずかしくて逃げ出したいが、今は彼の言う通り大人しくしているしかない。

 彼女の背中に回った手で更に強く引き寄せられ押し返そうとするが、ひとまわりも大きな身体はビクともしなかった。

 追っ手の目がこちらを向いていないのを確認すると彼は彼女に顔を寄せ、その低く彼女の脳を痺れさせるような声でそっと囁いた。


「そろそろ行きますよ、心の準備はいいですか?」


 彼の合図で一気に草むらから飛び出した。

 彼女は彼の足手まといになりたくなくて、せめて木の根に足をとられないよう用心深く走る。

 胸の鼓動がドキドキと早鐘を打ち、身体がブルブルと震えた。熱くなった身体と恐怖で頭がどうにかなってしまいそうだった。


「いたか! クソッ、どこへ行ったんだ!」

「どこにも見当たりません!」

「草の根分けてでも絶対にふたりを探しだせ! 捕らえて差し出せば一生遊んで暮らせるぐらい、報奨金がたんまりもらえるぞ!」


 ふたりが森の奥に逃げ込むにつれ、闇はどんどん深くなっていく。

 彼女達が振り返ると、ゆらゆらと揺れていた追っ手の松明の明かりが、少しずつ遠くなっていった。


「その岩の後ろに隠れられないかしら? 少しだけ休ませて、息が苦しいの」


 彼が素早く辺りを見回すと、そこには大人ふたり分はありそうな大きな穴がぽっかりと空いていた。


「ここなら何とか隠れられそうですよ。先に奥へ入ってください」


 彼女を奥にグイグイと押し込むと、彼は剣の柄に手を当てたまま入り口に立ち塞がり、辺りを警戒している。

 大きな身体に入り口を塞がれたことで、彼の香りが彼女の香水と混ざり合って辺りに充満した。

 立ち上る(たちのぼる)その香りと見つかってしまうかもしれない恐怖に、彼女の頭はクラクラとしてふいに彼の背中に縋り付きそうになるのを必死に堪える。

 押し込まれた彼女は、その誘惑を断ち切ろうと大きな彼の背中に不満をぶつけた。


「私、貴方のこと何も知らなかったのね。そこまで長い付き合いではなかったけれど」

「まぁまぁそう言わないでくださいよ、聞きたいことがあれば答えますから。

帝国に何とか入国できれば、俺の仲間がいますし国が保護してくれるでしょう。国境まであと少しですからね」


 彼は辺りをキョロキョロと警戒しながら岩の外に出ると、振り返りその大きな手を彼女に差し出した。

 まだ熱を持った顔を見られたくなくて、彼女はプイとそっぽを向く。


「やっぱりバートとアダム様が計画したのかしら? 婚約を解消するとは言ったけど、そこまで彼に憎まれていたの?」

「……まだハッキリとは言えませんが、彼らが関わっているのは確かです。それに、敵はそれだけだとは限りません」

「どういうこと? それにしても何人ものならず者達を雇ってまで、私を捕まえようとするなんて」

「あまりにも敵が多すぎるんですよ。伯爵風情が雇ったにしては統制がとれすぎています。

まるで国で訓練された、近衛兵や騎士団のように……」


 彼は額の汗を拭う。


「貴方一体何者なの? それに、もうお嬢様呼びは止めてくれないかしら?」

「では聖女様とお呼びしますか?」

「……エミィでいいわ。さあ、早く行きましょう」

「承知しました。エミィ様」


 彼は中々手をとってくれない彼女に痺れを切らすと、その小さな手を優しく包み込むように握った。

 反対の手でグッと細い腕を引っ張り自分の方に引き寄せると、両腕で抱きしめる。


 「もう! 離して」

 「嫌です、もうちょっとだけこのままで。

今は逃げの一手ですが、必ずこの国に戻って貴方をこんな目に遭わせた奴らに報いを受けさせましょう」


 彼は彼女の首筋に顔を埋め、胸いっぱいに息を吸い込んだ。腕の力を緩めると、慌てて離れていく彼女に苦笑する。


 「さあ、行きましょうか」


 一息ついて手を取り合い、ふたりでまた駆け出した。


 ◇◆◇◇◆◇


 彼女の名前はエミリアーナ・グランデール。侯爵家次女。

 事故で両親が亡くなり、伯母が嫁いだ侯爵家の養女となった。


「急用かしら?」


 彼女は執務室へ急ぐ。そこには、養父母が待っていた。向かいあうように、そっとソファに腰を下ろす。

 母親のマレインは心配そうな顔をしていたが、父親のレンブラントが話し出すのをじっと待った。


「このカレンヌ王国では、大抵長男が跡継ぎとされるのは知っているな?

しかし他国との交易が深まるにつれ、女性が後継者となる家も増えているんだ。

お家の繁栄のため、より優秀な者が跡を継ぐ。実に合理的だろう?」


 レンブラントは、長い足をゆっくりと組み直す。いつも優しい彼の顔は、真剣な表情に変わっていた。


「私は、お前にも後継者教育を受けさせるつもりだ」

「お父様、それは……」

「長女のアンネは既に教育を始めている。弟のアッシュも、もう少し大きくなれば同様だ」

「しかし私は、おふたりの実子ではありません。お姉様かアッシュが後継者になるべきではありませんか?」


 慌てるエミリアーナの隣にマレインは座り直し、悲しそうな顔で彼女の顔を覗き込む。


「そんな寂しいことを言わないでちょうだい。貴方も私達の大切な娘なのよ?」

「これは決定事項だ。セバスチャンもそれで良いな?」

「承知致しました、旦那様。では早速手配致します」


 彼は執事の礼をして、エミリアーナに微笑んだ。

 彼女が自室に戻ると、待機していた侍女のリリーはソワソワしている。


「どうでした? お嬢様」


 彼女は群青色のフワフワした髪を綺麗にひとつに纏め、赤茶色の瞳を輝かせる。

 テーブルの上に香茶(こうちゃ)を用意してくれていた。

 王国では肥沃な大地に恵まれ、主要な農産物は穀物や野菜、茶葉だった。

 カレンヌは花の都と言われる程花茶(はなちゃ)が有名で、その中でも香茶(こうちゃ)は貴族向けに栽培された高価なお茶の総称だ。

 朝昼夜と食事以外にもお茶を嗜む。カレンヌ王国の花茶は、民にとって欠かせない物となっていた。


「教育を受けることになってしまったわ……」

「まぁ! そうでございましたか」


 なぜか嬉しそうなリリーは、すっとエミリアーナの前にカップを置いた。


「さあどうぞ、落ち着きますよ」


 温かい香茶を一口飲むと、彼女はふぅと息をついた。お気に入りのカップに注がれたお茶はちょうど良い温度で、エミリアーナはこうしてゆったりとした時間を過ごすのが好きだった。


「ありがとう。すごく美味しかったわ」


 名残惜しそうに最後の一口を飲み干すと、彼女はソファから立ち上がる。


「気晴らしに、庭で本を読んでくるわね」

「では彼を呼びましょう。少しお待ち下さい」


 エミリアーナの趣味は読書だった。彼女は気に入った本を見つけては、庭の木の下で読みふける。

 リリーと共に廊下に出ると、そこには黒髪、黒目の日焼けした大柄な男性が待っていた。

 ふたりが部屋から出てくると、軽く頭を下げた。


「いつものことだけど、お願いできるかしら? ゼン」

「承知致しました」


 頭を下げる彼の肩越しに、姉のアンネローゼが踵を返すのがチラリと見えた。

 ゼンと呼ばれた彼はレンブラントに同行した先で、襲ってきた盗賊を撃退したことがある。

 まだこの屋敷で働き出してから数ヶ月しか経っていないが、襲撃以来父親から全幅の信頼を得ていた。


 その場にアンネローゼも同行していたため、馬車の中から悪鬼のような表情で暴れ回る彼を見ていたらしい。

 よほど恐ろしかったのか、彼女はゼンの姿を見ると避けるようになった。

 姉の護衛を彼には任せられない。

 下の弟はまだ小さいので、数名の護衛と侍従、侍女が常についている。

 エミリアーナが庭で読書する時の護衛は、ゼンひとりで十分事足りるので必然的に彼が付くようになった。

 

「お嬢様、飽きませんね。そんなに本が好きですか? たまにはこうやって身体を動かすのも良いもんですよ」

「放っておいて。私は読書が好きなの」

「そうですか? もうちょっとこう……」

 

 普段は寡黙で言葉少な目の彼だが彼女とは話しやすいのか、ふたりの時はいつもこんな調子だ。

 ゼンは彼女の側に近づくと木の幹に寄りかかり、エミリアーナを上から覗き込んだ。


「そこで身体を鍛えてなさい。最近アッシュの突撃に、耐えられなくなっているのは知っているわよ?」


 彼の薄いクルミ色の瞳が、何か言いたげにエミリアーナの方を見るが、彼女は無視して本を捲る。


「ははは……何で知ってるんですか。どこからか見てます?

坊ちゃまは日に日に激しさが増していらっしゃいますが、まだまだ俺は余裕ですよ。

……あの、話聞いてます?」


 ゼンは同情を引こうとわざと寂しそうな顔を彼女に見せるが、相手にしてもらえなかったので諦めて話題を変えた。


「それはそうとお嬢様、旦那様に呼ばれていたでしょう?」

「あら、もう知っているの? 耳が早いわね」

「さっきは無視してたのに……。そうですよ、他の使用人達が話していましたから」

「こうやって好きな本を読むことも出来なくなりそうだわ」

「旦那様にもお考えがあってのことでしょうから」

「そうね……。私は与えられた仕事を粛々とこなすだけだわ」


 後継者教育は順調に進み、毎日があっという間に過ぎる。

 学ぶ事は山ほどあったが、読書の時間を捻出するため彼女は必死に勉強した。

 そんな中、今日はほんの僅かな時間が空く。エミリアーナはいつもの場所にそそくさと移動し、本を読み始めた。


「お嬢様。これ見てくださいよ」


 ゼンが手の平をそっと開いて、グッタリとしている鳥を見せる。


「どこで見つけたの? ケガをしているようね」


 エミリアーナは、手の中の鳥を覗き込んだ。


「そこの茂みです、生きてはいますが。鷹にやられたんですかね?」

「可哀想に。手当できるかしら?」

「とりあえず屋敷に連れて帰りましょう。毛を膨らませているので寒いのかもしれません、急いで暖めないと」

「戻るまでこれを使って。少しは暖かくなるでしょう?」


 彼女は肩にかけていたショールをゼンに渡す。


「汚れてしまいますよ」

「別にいいわ、他にも持っているもの。それより早く行きましょう」


 鳥をそっと優しく包むと、ふたりで急いで屋敷内へ戻った。

 空いている部屋を大急ぎで暖めてもらうと、動物に詳しい使用人を呼んで手当をしてもらった。

 鳥はじっとして動かないが、出血する程の怪我は無いようだ。

 扉を遠慮がちにコンコンと小さくノックする音がして、エミリアーナが返事をするとゆっくりと開く。


「エミィ姉様? 入ってもいい?」

「アッシュ? こっちにいらっしゃい。そっと静かにね」

「うん」


 彼は抜き足差し足で、ゆっくり近寄ってくる。


「わあ、可愛いね? 怪我をしているの?」


 つま先立ちになり、クリクリとしたつぶらな瞳で覗きこんでいる。

 手当を済ませた使用人はテキパキと道具を片付けながら、アッシュに微笑んだ。


「それ程酷い怪我ではありませんでしたので、直ぐに良くなると思いますよ」

「そっか、良かった! あ、大きな声を出しちゃった。ごめんなさい」


 アッシュは慌てて両手で口を塞ぐ。


「……姉様、ぼくがお世話したい。駄目?」


 エミリアーナの耳元に顔を寄せてヒソヒソと話す彼は、少し遠慮がちに強請る。


「そうね……。お父様がお許しになられたらいいわよ?」

「わぁ、本当に? ……でもぼく、ひとりで出来るかな。ゼンも手伝ってくれない?」

「もちろんいいですよ」

「じゃあ夕食の時に、お父様にお願いしてみるよ!」


 鳥は眠っているのか、目を閉じたままだった。起こさないように3人でそっと部屋を出て、扉を静かに閉める。

 可愛らしいアッシュのお願いは、必ず誰かと一緒にという条件付きで即叶えられた。


 数日後、執務室の扉を激しくノックする音が部屋の中に響いていた。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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