173話 市場へ
俺が奴隷になる覚悟を決めた翌日の朝、俺はいつもの姿から美しい女性の姿に猫被りをして宿を後にした。なるべく人に見られないように早朝に向かった。みんなには寝る前に伝えておいたので、俺はみんなの寝顔を後に少し寂しい思いをしていた。冒険者ギルドで聞いた情報通り組合に向かった。早朝とは言え人が全くいないということはなく、すれ違う人や街行く人に振り返られるという不思議な感覚になる体験をした。少し歩くと組合に着いた。この時間から組合が機能しているのか不安だったが、意を決して扉を開けた。
「こんな早い時間に…」
扉を開けると中から男の人の声が聞こえてきた。その人は俺と目が合うと言葉が出てこなくなってしまったようで、口を開けて固まっている。固まってしまい、何も言ってくれないので自分から話しかけた。
「ここに来たら奴隷になれると聞いたのですが、ここで合ってますか?」
精一杯の演技をして見せた。するとその人は血相を変えて俺の元に駆け寄ってきた。
「そそ、そうです。ここは私共が運営する奴隷組合でして、どのような方でも手続きをしてくだされば奴隷になれます。一応お聞きしますが、奴隷になられるということでお間違いないですか?」
「はい。」
俺は心の中でどれだけ必死なんだと呆れた。俺の外見は百人中百人が振り返るほどの美人だから仕方ないことだが、それにしても必死になりすぎだと思った。
「そそ、それではこちらに。」
俺はカウンターに促され椅子に座った。
「書類をお持ちしますので少々お待ちください。」
そう言うとその人は急いでカウンターの後ろにある棚から書類を持ってきた。
「こ、こちらが氏名と親族の有無を記入する用紙となりまして、こちらが誓約書になります。最後にこちらが、ジャドゥー帝国の奴隷に関する法律を簡単にまとめたものになります。奴隷が帝国でどのような扱いを受けるのかが書かれております。ご一読の上、誓約書にサインの方よろしくお願いします。私は他の仕事をしておきますのでご不明な点がございましたらお呼びください。」
俺は法律がまとめられている書類に目を通した。まず、ジャドゥー帝国において奴隷は冒険者等と同じ扱いの職業であることが書かれていた。次に、奴隷は不当な扱いや行為をされた場合、ジャドゥー帝国の法律に基づき罰せられると書かれていた。最後に、奴隷はジャドゥー帝国民である誰であっても奴隷の権利を侵害することはできないと書かれていた。これはかなり端折られて書かれており原本ではもっと長く難しい文章で書かれていることが容易に想像できた。しかし、奴隷はきちんと法律で保護されているにもかかわらず、なぜマーラは奴隷をあのような仕打ちに遭わせることができるのか分からないところが多い。権力で隠しているのかは定かではないが、不透明なことは確実である。
「何かご不明な点がありましたか?」
俺が書類に釘付けになっているのを確認したのか心配してくれた。俺は良い機会だと質問してみることにした。
「この法律はジャドゥー帝国にいる奴隷全てに適応されるのですか?それともジャドゥー帝国民のみですか?」
「全ての奴隷に適応されます。例外はございません。」
「それでは法律に基づき罰せられるとは書かれていますが、どの程度の罰則なのでしょうか?」
「度合いによりますが、裁判所で悪質性、残虐性、反省態度など様々なことを総合して処罰が下されます。最悪の場合死刑もありえます。」
「まぁ…」
俺はショッキングなことを聞いてしまったと驚いた表情を見せたが、内心ではマーラを死刑にできる可能性があるのだと希望を持てた。悪人には当然の報いを受けさせるのが最も効果的だ。きっとマーラのようなやつは言葉で言っても理解できないだろうから、裁判所で裁くのが一番だ。
「他に聞きたいことはありませんか?」
「はい。ありがとうございます。」
俺はペンを取り書類に名前とサインを書こうとしたが、困ったことになった。名前を決めていないのだ。そして身分を証明する物もない。これでは疑われた時ボロが出てしまう。俺は悩んだ。でも、俺という存在は存在しているがしていない、特殊な存在であるため適当に名前を決めることにした。俺は氏名の欄にイナームと書いて親族はいないことにした。そして誓約書にサインをした。これで俺は奴隷になったのだ。案外あっさりと終わったと思ったが、刻印のことを忘れていた。俺は痛くないようにと祈りつつ書類に記入し終わったことを伝えた。
「終わりました。」
「はい。それでは書類はこちらの方で受理させていただきます。これで奴隷になれましたが、仕事はどう致しましょう?今はあまり良いのがなくてですね…」
俺は刻印はないのかと拍子抜けだったが、顔には出さず話を続けた。
「そうですか…すぐにお金になるような仕事はないですよね…?」
俺は奴隷オークションのことを知らないように装い聞いた。するとその人は苦い表情を浮かべながら言った。
「奴隷オークションというものがございます…あなたほどの方なら引くて数多でしょうがあまりお勧め致しません。奴隷オークションは一度買われてしまうとどうしようもできません。組合から干渉もできなくなり、奴隷は買われた人に絶対服従のようになってしまうのです。もちろん、奴隷は保護されていますが、役人などに買われてしまうと事件が外に出ることはほとんどないので揉み消されてしまうのです…今まで何人もの奴隷が役人に買われてきましたがそのほとんどが音信不通です。それを聞いても尚、奴隷オークションに足を踏み入れますか?」
かなり念押しで奴隷オークションを否定してくれているが、俺の目的はそこにあるため一切引く態度は見せずに行った。
「それでもやります。」
「分かりました…それでは手続きをしておきます。後五日しましたら売買当日となりますので前日にここまでお越しください。それまでの間はご自由にお過ごしください。」
俺は組合を後にして宿に戻った。そして、後四日でみんなとしばらく会えないことになるから残りの日をみんなと楽しく過ごした。みんなと街を回ったり遊びに行ったりとそれはそれは充実した四日だった。俺はみんなに別れを告げて組合へと向かった。するとそこには俺が奴隷になる時に対応してくれた人がタキシードを着込んで待っていた。
「お待ちしておりました。イナーム様、売買は深夜に開催されますので今から会場に向かいます。帝国内とは言え、馬車で数時間かかる距離ですので軽食等は用意しておりますが、暇を潰せる娯楽の類は必要でしょうか?」
俺は予想外のことに少し動揺したが、イメージを崩さないために数冊の本を用意してもらおうと思った。
「それでは奴隷に関する本とジャドゥー帝国に関する本を数冊お願いします。」
「それでは少々お待ちください。」
十分程度待っているとその人は四冊の本を手にして戻ってきた。
「各種二冊ずつ用意しました。こちらで問題ございませんか?」
表紙を見せてくれてなんとなく内容が理解できた。全て難しそうな本で読んでいて楽しそうとは思えなかったが、キャラを演じ切ることに徹した。
「問題ありません。」
「それでは向かいましょう。」
そう言われ俺は組合が用意していた馬車に乗り込んだ。その馬車の外見はかなり豪華で奴隷オークションの規模感を物語っていた。馬車に揺られ始めた俺は用意してくれた本を読んだ。まずは奴隷に関する本から読んだ。昔と今の奴隷は違っており、昔は文字通り奴隷だったが、三十年前に今の奴隷に変わったらしい。でも、今でも昔の価値観のままの人は多くいるとのことだった。きっとマーラもそのうちの一人だろう。そしてジャドゥー帝国に関する本では、ジャドゥー帝国が辿ってきた事柄について書かれていた。ジャドゥー帝国はエクサフォン国とは違い爵位ではなく役人で貴族かどうかを判別していると書かれていた。昔はかなり治安の悪い国だったらしいが、三十年前に帝王が変わったおかげで良くなったのだそうだ。きっとその帝王が奴隷を今のように変えてくれた人だろう。その人が存命なら一度会ってみたい。そんなことを思っていると馬車が止まり会場についたようだ。
「足元気をつけて下さい。」
俺はエスコートされて馬車を降りた。すると目の前にはバロック建築のような煌びやかな建物があった。出入り口の両サイドにはバロック彫刻のように精巧な彫刻があった。
「ここに入った瞬間から売買は始まっております。もう後戻りはできません。それでもよろしいですか?」
「はい。」
俺は覚悟の決まった力強い返事をした。そして俺はエスコートされたままその建物の中に入った。中の美しさに目を取られそうになったが、人の多さにも驚愕した。エクサフォン国とは違い、役人だからどんどん貴族が増えていっているのだと感じた。高所得者が多くなるのは帝国としても喜ばしいことだから放置しているのだろう。にしても人が多い。五百人は入れそうなホールのようになっているのだが、その全席が埋まっている。この中からマーラ一人に買ってもらうのは困難を極めるだろうが、別にマーラでなくても他の役人が同じようなことをしてくれれば、役人全員に調査が行われるだろうからどっちでも良いと感じた。そんな考え事をしているといつの間にか壇上についていた。いよいよ奴隷オークションが始まるそう思うと少し怖くなった。でも、俺は自分のやるべきことをやっているのだ。そう自分に喝を入れ奴隷オークションがスタートした。
次回もお楽しみに




