〈閑話〉 ルシダニア皇国 2
土の季節の始まりの月、聖の日に アスヒモス子爵のご令嬢、エーロス嬢の洗礼式が行われます。
貴族は聖の日に、平民は平日に洗礼式を行いますので、教会内で 貴族と平民が会うことはありません。
1の鐘が鳴る前に起き、町民から頂いた果物だけで朝食を終えます。
洗礼の日の朝は 殺生したものを食べないことになっていますので、卵も ベーコンもお預けです。
果物と水で腹を膨らせれば、教会の清掃を行います。
「エドムント司教 おはようございます、早いですね」
「ええ、おはようございます。サムイル君も早いですね」
箒を持って正面玄関を開ければ、既に掃除をしていた修道士から挨拶を頂きました。
彼はこの教会で一番若く、2年前にこの教会へ来た修道士です。
彼も他の修道士たちと左遷された理由が同じで、既に50歳を超えている筈のゴーガンが 未だに若い修道士や修道女に手を出している事に、気持ちの悪さを覚えます。
「エドムント司教、早いですね!」
次に雑巾を持って出てきたのは 私が来た時から この教会にいた ニコライ君と トロフィム君です。二人は修道士として勉強を励み、今は司祭として私を支えてくれています。
とはいえ、この小さな教会ですから、修道士、司祭、司教と言っても やることは皆で手分けして行っていますので、階級なんてあって無いようなものですが。
「パーヴェル君 おはよう、洗礼式の準備ありがとうね」
「いえ、司教自ら 清掃をしてくださっておりますので、こちらの準備をゆっくりさせていただけましたよ。此方の準備は大丈夫ですから 身を清めてきてください」
神殿内に戻れば、創造神の神像の前に 祭壇が設けられ、縁を金糸で刺繍された青い座布団の上に水晶が載せられています。
掃除で多少砂埃を被っていますからね、パーヴェル君の言葉に甘えて風呂に入ってきましょう。
従者に手伝われることなく身の回りの準備をできるようになって二十年。
昔は身体を洗う事さえ人任せでしたが、今となっては恥ずかしいとしか思えませんね。
「元々 貴族という生き方が向いてなかったのでしょうね……」
クスリと笑いがこぼれますが、ここで生活する教会関係者は 似たような境遇を持つ者たちで、存外今の生活を楽しんでいるようなので、私と同じように貴族が向いていなかったのかもしれません。
身を清めれば白い儀式用の装いに着替えます。
白は教会が大切にしている聖属性の色であり、我々聖職者は 聖属性を使える者である必要があります。
勿論修道士や修道女の中には 聖属性を使えない者もいますが、司祭以上は使えることが必須となります。
私が学舎を優秀な成績で卒業できたのも、聖属性が得意属性であり、魔力も人並み以上に高かったからでした。
聖堂にいた時には、そんなに使用しなかった聖魔法ですが、辺境に来てからはよく使います。
怪我をした住人の手当てだけではなく、魔の森から魔獣が来ないように、聖結界の魔道具に常に魔力を注ぐ必要があったのです。
お陰で 辺境に来てからの方が 魔力が増えましたし、ニコライ君とトロフィム君が得意属性ではなかった聖属性の魔法を使えるようになったのも、この聖結界の魔道具に魔力を注いでいたからだと思います。
修道士のサムイル君もこれを続ければ 司祭になれるかもしれないと、日々頑張ってくれていますから そう遠い未来ではなく、司祭になることでしょう。
身を清めた後は 儀式のための正装に着替えます。
足元に金糸の刺繍が施された 白い司祭服をすっぽりかぶり、同じく白のカズラを上から被ります。
そう言えば、聖堂の司教たちは この司祭服やカズラにも 白い糸で刺繍を刺していました。私のカズラには刺繍は無く、非常にシンプルなものとなっています。
司祭服には 聖句を入れる必要がありますので、裾に刺繍が入っていますが、これは金糸ではなく 金に見える黄色い糸で刺しています。
こうしたところにも存分にお金を使っていた彼らは、清貧という言葉を無くしてしまったのでしょうね。
鏡で着衣の確認をし、皺などが無いか確認したら 茶色の首帯を肩から掛けます。
こうした衣装も 自前で用意する必要があり、学生時代から着用していた衣装は 流石に布が擦り切れるようになり、司祭服とカズラだけは新調いたしました。
ですが、首帯は それぞれの季節の儀式がある時にしか身に着けませんでしたから、二十年以上前に作ったものを未だに使用しています。
うむ、大丈夫ですね。
最後にもう一度鏡で確認し、礼拝室に戻ります。
創造神の神像の足元には花や 果物が飾られ、普段は使わない絨毯も入口から祭壇まで敷かれています。
準備をしてくれた皆に礼を述べ、子爵令嬢の到着を待ちましょう。
今日のお客人は彼女だけの予定でしたからね。
2の鐘が町に鳴り響き、予定より30分程遅れて 子爵家の馬車が到着しました。
聖堂などの儀式において 客人の遅刻などあり得ませんが、この様な小さな町ではよくあります。
特に今日は領主のご令嬢ですからね。思ったより早い到着だったと言えるかもしれません。
本日洗礼を迎える令嬢を祝う為、既に沢山のお客人がいらっしゃっていますが、彼らは この子爵領に居を構える貴族であり、アスヒモス子爵と縁のある客人ですからね、主催者の遅刻に文句を言える人たちではないのでしょう。
パーヴェル君が前室で儀式の流れを説明し、子爵と夫人が礼拝室に入ってこられました。
複数の子供がいる時には、其々のご家族が礼拝室の椅子にならびますから、階級の順番なども考慮する必要がありますが、今日はお一人ですので気楽なものです。
夫妻は並ぶ客人と軽く挨拶をしながら 最前列の椅子にお座りになり、後方扉より入場準備が整った鈴の音が鳴り響きました。
「本日洗礼を迎える新たな信徒を迎えましょう」
聖堂では聖歌隊や楽団が演奏を奏で、それはそれは 荘厳な式となりますが、地方の教会、特にこの教会ではそこまで人もおりませんので、ニコライ君と トロフィム君がハープと太鼓で曲を奏でてくれています。ここに赴任した当初は楽器もなかったのですから、随分華やかになったものです。
扉が開き、緊張の面持ちで子爵令嬢が入場してきました。
礼拝室に集まった客人は、洗礼を迎える少女を祝う為、中央通路の近くにお座りになっていますからね。その視線に緊張するのも仕方がありません。
前方で待つ私と目が合った令嬢にニコリと微笑めば、令嬢は私だけをまっすぐ見つめ、ゆっくり歩いてこられました。
私がいる演台の正面で立ち止まった令嬢は 静かに片足を沈め 首を垂れます。
聖典の聖句を述べた後、洗礼の祝いを告げます。
「此度 其方は洗礼を迎えた、神々への感謝を常に忘れることなく、全ての生きとし生けるものを隣人と思い 慈しむように」
祝辞を述べれば 身体を起こし、集まった客人から拍手が贈られます。
ここまでは いつもの流れですから、大人たちも慣れた様子で見ていましたが、洗礼式の目玉はこの後です。
先程まではウトウトしていた人たちも 拍手の音で目覚めたのでしょう、正面を楽しげな表情で見つめています。
司教である私としては、神の教えももう少し真面目に聞いて頂きたいのですが、まあ仕方がありませんね。
「それでは これよりエーロス・アスヒモス子爵令嬢のご加護を確認してみましょう」
パーヴェル君が令嬢を水晶が乗った隣の台に案内します。
周囲から見えやすい高さになっていますので、7歳の子供は 2段ほどの階段を上る必要がありますからね。加護というか 得意属性を調べるのが目的ですが、得意属性が多ければ、それだけ神々の加護が篤いと言われているのです。
「では エーロス嬢、こちらの水晶に触れ 魔力を流していただけますか?」
非常に緊張した様子の令嬢は、胸元のネックレスを握りしめてカタカタと震えています。
平民の子供は ちょっとした祭事だと楽し気に行いますが、貴族は違います。
この属性の過多や 魔力量で、将来が決まると言っても過言ではありませんから 緊張はやむなしでしょう。
落ち着くまで待てば、本人も大きく何度か深呼吸をし、震える手で水晶玉に触れました。
ピカーーーーーーー‼‼
水晶から強い光が溢れ、思わず目を閉じてしまいます。
客人も皆 驚いた後、直ぐに爆発するかのような歓声が上がりました。
私も冷静になり 水晶を確認すれば、強い光は白、そして 青と黄色が少し。
「お静かに‼」
私の発言で 礼拝室に静けさが戻ってきました。
令嬢は先ほどまでの青い顔ではなく、頬が赤く紅潮しています。喜んでよいことですが、これはまた少し大変なことになりそうですね。
「エーロス・アスヒモス子爵令嬢は 水、木の加護だけでなく、聖属性の加護もございました。
そして先ほどの強い光は白、聖属性が最も強く出ていることが分かりました。おめでとうございます」
「「「おおお~!」」」
属性発表をしたことで 子爵夫妻は破顔し、周辺の貴族達から祝福を贈られています。この後 子爵家では祝賀会が開かれるでしょうが、婚約の申し入れなど 大変なことになりそうですね。
聖属性でも弱ければ 特に報告する必要はありませんが、あれだけ強い光を放ったという事は 魔力も強いのでしょう。
青と黄が同じくらいに光らなかったことは気になりますが、それだけ聖属性に特化しているという事なのかもしれません。
まずはクローニン大司教にご相談してみることにしましょう。