〈閑話〉メネクセス王国 15
~王妃 アナリシア視点~
「奥様、どうやら宰相が冒険者ギルドに訪れたようです。
帰城した時には 相当落ち込んでいたご様子ですから、例の件は無事 宰相に情報が伝わったようですね」
「そう、では今日にも 陛下に報告をなさるでしょうね。
わたくしは庭の手入れに向かいます。用意をして頂戴」
夏のある朝、自室で朝食後のお茶を頂いているときに 侍女のメイミから 報告を受けました。
あの宰相の事です、最悪の報告であっても 必ず直ぐに報告するでしょう。
陛下がそれをお聞きになって どうなさるのか、陛下の執務室がある階には 立ち入り規制がありますので、わたくしは お庭で そのご様子を確認することにいたしました。
わたくしが育てる庭園は、オレンジの薔薇が咲き誇っています。
以前 陛下の執務室に持って行った時には 廊下の花瓶に飾られてしまいましたが、もうピンクの花を求めてもその色の持ち主に会うことは敵わないのです。
そろそろ オレンジの花を受け入れても良いと思うのではないかしらね。
水やりに関しては範囲が広くなってきていることもあり、私付きのメイドと執事たちが 丁寧に水やりをしてくれています。
メイミはわたくしに日傘を翳しながら 付き従っていますので、彼女たちは水やりを終えれば 庭園の入り口にある小部屋で 待機時間となるのです。
今日はいつも以上に時間をかけて、剪定をしていきます。
美しく咲いた薔薇を切り落とし、棘の処理もゆっくりと。
ガシャーン パリーン
『陛下っ』
何かが割れる音が聞こえた後、女性の声、男性が呼び止める声がかすかに聞こえます。
ふと見上げれば 3階にある執務室の窓にかかるカーテンが揺れています。
(うふふ、あはは、あ~っはっはっは、あの様子じゃ 平民女が死んだ事を報告したようね)
暗部には あの後すぐに連絡を取り、娘の行方も確認しておくように伝えておきました。まだ孤児院に入ったという報告が届いていませんが、王家に関わるものを手にしていないかが確認事項ですから、そんなに急いではいません。
そんな事より、傷心の陛下をお慰めして差し上げなければね。
「メイミ、今日の晩餐の時 陛下のお飲み物には 我が家秘伝のアレを入れておいて頂戴」
「畏まりました。では そろそろ ご準備もなさいますか?」
「そうね、今夜は 3年目の初夜になるでしょうから 磨いてもらわないとね」
結婚して3年、寝所を共にすることはありませんが、ここ数年は 晩餐を必ず一緒にしてくださるようになりました。
わたくしが無理に迫ることを止めたおかげで、政務にも 一部ではありますが 携わるようになっております。国の方針を決める時には相談してくるようにもなり、陛下の中で わたくしの重要性が高まってきているのをひしひしと感じます。
これまでは 冒険者時代に関係を持った平民女の為に 操を立てていらっしゃいましたが、それも もう必要ないのです。
名実ともに、わたくしを妻として見てくれるようになるでしょう。
◆◇◆◇◆◇
晩餐に現れた陛下は、たった一日で随分 窶れてしまったように見えます。
いつも隣に立つ宰相は居らず、侍従と護衛騎士だけしかいません。
これは、わたくしにとっては非常に好機ではないでしょうか。まあ、宰相が居たところで、今となれば わたくしの考えに賛同していたでしょうけれど、あれは公明正大な人間ですから、陛下のお心を煩わす可能性があるとすれば 報告をしてから、などと言い出したでしょう。
メイミに目配せをすれば コクリと頷き、我が公爵家で使われている媚薬を 陛下のグラスにポタリと落としました。
「陛下、お顔色が優れませんわ」
「ああ……すまないな。本来なら晩餐も中止したかったのだが、君には何の責も無いのに 急に約束を反故するのも申し訳なくて来たのだが、やはり中止すべきだったな」
今にも倒れそうなほどの顔色の悪さであるにも関わらず、わたくしと会う為に 来て下さったのですね。これは 益々 わたくしがお慰めするしかないのではないでしょうか。
「まぁ、そんなお辛いのに お越しくださってありがとうございます。わたくしは陛下とお会いできるこのお時間を とても大切でございますので、お越しくださって嬉しいですわ」
ニコリと微笑み グラスを掲げます。
メイミが注いだワインを侍従から受け取った陛下は、グラスを掲げることはなく、ジッとその水面を見つめています。
まさか媚薬に気付いたというのかしら?
しばらくグラスを眺めていた陛下が 何かポツリと呟かれましたが、長いテーブルの端同士、その声は聞こえませんでした。
溜息を一つ吐き出された陛下は 次の瞬間 そのグラスを傾け、クピリとワインを飲みました。
(よしっ)
思わず心の中で淑女らしからぬ声が出てしまいましたが、大丈夫、声には出していませんわ。
その後、言葉数は少ないまま 晩餐は終わり、陛下は自室へ引き上げられました。
いつもは このままわたくしも離れの自室へ引き上げますが、今夜は違います。
陛下の自室の隣にある 王妃の部屋へ久しぶりに入りました。
この部屋は、他国の国賓をお招きしている期間、王妃であるわたくしが 離れで生活していることを、他国の者に悟らせないために準備された部屋で、一通りの生活が出来るだけの支度は整えられているのです。
晩餐前に 張り切ったメイドたちにより 磨き上げられた身体ですので、軽く湯あみをした後、花の香りがするオイルでマッサージをしてもらい、煽情的な夜着を身に纏います。
「奥様、非常にお美しいですわ」
「うふふ、ありがとう、わたくしもそう思うわ」
メイミの褒め言葉を素直に受け取り ガウンを纏い、本来は夫婦で使う寝室の扉を開きます。
大きな寝台が入る予定のこの部屋には、現状何もなく、ただの伽藍洞となっています。その空室を通り抜け、反対側にある 陛下の寝室へつながる扉を開きます。
ガチャリ
この扉を使うことがないからでしょう、鍵のかかっていない扉は直ぐに開きました。
寝台には 幕が下りており、その中には陛下が居るのが分かります。ワインも数杯お召し上がりになっていましたから、媚薬もしっかり効いているはず。
その証拠に 寝台の中からは 苦し気な声が漏れ聞こえてきます。
(ふふっ、不能だなんて言っても、まだ男盛りの年齢ですもの。媚薬で刺激されたら きっと発情されている筈だわ)
そっと天幕を薄く開いて見えた陛下は、自身の昂りに苦しんでいるのではありませんでした。
「アイリス、アイリス……。
何故 死んでしまったんだ。どうして、いつの間に国を出ていた?
俺が国王になんてなってしまったからか?
ああ、あの時、この国で出産をしようなんて言わなければ、共和国であのまま過ごしていれば、アイリスが死ぬことも、俺がこの国の王になることもなかったはずなのに……。
アイリス、ヴィオ、お前たちに会いたい、会いたいよ……」
白い紙に包まれた ピンク色の糸のようなものに縋りつきながら 泣き続ける姿を見て、その糸が例の平民女の遺髪であることに気付きました。
既に死んだ女の事をいつまでも思うのではなく、わたくしを見て、新たな幸せを実感してくれたら 直ぐにでも忘れられるはず。
いえ、違うわね。いつまでも平民女にわたくしが負けているようで 腹立たしいというのが素直な気持ちでした。
「陛下、大丈夫ですか」
「誰だっ!」
天幕を捲り 声をかければ、俊敏な動きで 陛下がこちらに向き合います。
「陛下、わたくしです、アナリシアですわ。晩餐時の陛下のご様子が気になって 伺いましたの。そうしましたら、苦しそうなお声が聞こえてきたので、わたくし心配で……」
陛下は警戒されていましたが、わたくしの姿を認め、内容を聞いて 少し落ち着かれたようです。寝台を回り込み、陛下のお隣に座らせていただき、その手に わたくしの手を重ねます。
「陛下、どうかお元気を出されてくださいませ。
子爵如きの愛人となった事で、その夫人が雇った破落戸に殺害されたのでしょう?
亡くなった事は悲しいですが、陛下を先に裏切ったのは 彼方ですわ。
陛下にはわたくしがおります。心身ともにお支え致しますから、どうか今はわたくしに身を委ねてくださいませ」
遺髪の入った懐紙を握りしめた手を擦り、甘い言葉を囁きます。
愛人になっていたかは不明ですが、そう思われたことで子爵夫人が破落戸を雇っていたことは事実。調べればそれはわかるでしょう。
ガウンをするりと脱ぎ落し、肌が透けて 守るという意味を全くなしていない 煽情的な夜着だけになったわたくしは そのまま陛下の首にしなだれかかります。
22歳になったわたくしは、母譲りの美貌に、父方の家系譲りの女性らしい身体つきになっています。
柔らかい胸が陛下の腕で形を崩し、きっと陛下もその柔らかさを感じている筈。
自分からここまでするのは恥ずかしいですが、御子を授かるには やるしかありません。
耳元で陛下への愛を囁きつつ、左手で陛下の脚を撫で上げます。
「愛人……?」
それまでずっと静かにされていた陛下が やっと一言呟きました。
やはり裏切られていたというのは知らなかったのね。うふふ、そこから攻めれば行けそうよね。
「ええ、そうですわ、薬屋を営む家は 子爵の隠れ家だったという事でしょうね。小さな御子がいらっしゃる家でそのような事をされていたとは……」
断り続けていたらしいけど、子爵が通っていたというのは事実ですもの。
だから、そんな浮気女の事は早く忘れてしまってくださいませ。そんな風に陛下に囁きます。
口づけをしようと陛下の顔を覗き込めば、その瞳は怒りに満ち溢れていました。
平民女よ、これで貴女は永遠に陛下から恨まれるだけ、もう貴女が入り込む隙は無いわ。
そんな風に思ったのに、何故……?
気が付けば床に組み伏せられており、わたくしは床に頬を摺りつけられていました。
夜着のままのわたくしにガウンをかけることもなく、近衛兵を呼び寄せ、離宮に連行させ、離宮からの外出禁止令が出されました。
何故……?
執務室から見える庭も潰されることとなり、離宮に併設される小さな庭だけを使うようにと言われました。
そして王妃の部屋で待機していたメイミは、陛下の飲み物に毒物を入れたとして 処刑され、毒物の搬入先として 実家のガルデニア公爵家は 侯爵へ降格処分となりました。お取り潰しや 伯爵まで下がらなかったのは、ひとえに以前の内乱におけるお父様の活躍を考慮してのことだと聞きました。
何故……?
たかだか平民女を処分しただけで、何故こんなことになるの?
「せめて あと数か月待ってから行動を起こしていれば違っただろうに、あれだけ溺愛していた相手の事を 平民だからと侮って発言した其方が愚かすぎたのだ。
こんな出来損ないだとは思わなかった。
其方のせいで、我が公爵家が侯爵になってしまったのだ。
陛下は 王太子殿下の遺児をお二人とも呼び寄せられることとしたそうだ。
ナルツィッセ王から 直々に 帝王学を学ばせるそうだぞ。お前には あの子供たちを懐柔してもらおうと思っていたが、その予定も無駄になった。
これ以上余計なことはするな」
面会に来て下さったお父様からは、下賤なものを見る様な目で冷たく言い放たれました。
だって、たかが平民ですのよ?
それを侮って何が悪かったのですか?
遺児……、あぁ、わたくしが 継母として 懐いてもらえればと言っていたお二人ですわね。
そう、自分の子供が出来れば不要な子供達……。
帝王学を先王が直接お教えになる? わたくしは不要という事ですのね?
あぁ、何故、どこで間違えたの?
メイミ、教えて頂戴……。
今回の閑話は2話のみです