第六話 うえの人のいう事は聞くべし
「で。君たちは天秤制度に異議があると?」
煉獄の大広間。大きな天秤をちらりと見上げて、ミカエルはふたりの天使に視線を戻した。たった今、先ほどの殺し屋騒動の一部始終を報告したサタンは、天使たちの背後で腕を組んで様子を見ている。
「とんでもありません! そんなつもりは……」
「あまりにもあの青年がかわいそうに見えて。それで……」
「天国に行かせてあげたいと、そう思ったのかい?」
ミカエルは困ったように眉を下げた。天使たちは気まずそうに下を向き、わずかに頷く。四角いフレームの眼鏡をかけた真面目そうな天使と、大きな丸いピアスを付けた快活そうな天使。どちらもまだ少年のように若く、経験も浅いようだ。
「天秤の判断は絶対、だ。私も事あるごとに言っているし、指導者たちもそう教えているはずだよ」
「それは聞いています」
「ではなぜこんな事に?」
「それは……」
天使たちは黙り込んだ。いかにも無理やり連れてこられましたというようなその表情を見る限り、まだ納得がいっていなさそうだ。おそらく何が悪かったのか、よくわかっていないのだろう。
「僕たちは騙されたんです!」
「あの殺し屋、とてもかわいそうに見えて……彼が悪いんです!」
「地獄行きになるような奴なんだから悪ぃのは当たり前だろぉが」
この期に及んで悪いのは殺し屋の方だと訴えた天使たちに、黙って見ていたサタンが思わず突っ込んだ。悪人だから地獄に行くのだ。騙されやすいのは天使の性だが、地獄行き判定が出た死者の言うことをいちいち真に受けるのは本当に問題である。
「そうだねぇ……もし彼が天国に行ったら、どんな事が起こると思う?」
ミカエルの言い方は変わらず穏やかだが、太陽のようだと称される金の瞳は厚いガラス越しの太陽のように温度が感じられない。しかしこのまま無言でいるわけにはいかないと、眼鏡の天使が口を開いた。
「殺し屋が天国に行ってしまったら……天国が大変なことになると思います」
「そうだね」
ミカエルは頷いた。いかにもそれらしい事を言っておけばいいだろうと言う感じのざっくりとした答えだ。
「君たちはそれを願ったんだ。わかるかな?」
「…………」
無言でいる天使たちを見て、ミカエルは少し考えた。彼らはかなりの怪我をしたし、これに懲りて考え方を改めるなら厳重注意で済まそうと思っていたのだが、難しそうだ。
何せ、彼らは未だに納得がいかなそうな表情をしている。拳を握って身を固くし、嵐が過ぎるのを待っているような態度。こんな状態で善悪入り混じる煉獄で働いて、罪人を引っ張っていく悪魔の邪魔をしては困るのだ。
「いいかい。行き先を決める権限はあくまでも『天秤』にあるんだ。私たちは死者の事を何一つ知らないだろう? 産まれた時から行いの全てを見ているならまだしもね」
「それでも心までのぞけるわけじゃないからな。一部の言動だけならなおさら、真意とは違うことが多い。惑わされないことだな」
じっと下を向いている天使たちに、ミカエルとサタンの言葉がどれだけ伝わったかは分からない。しかしやはり彼らの固い雰囲気は、早くこの場を去りたい一心でじっとしているように思えた。
「さぁ、ここで問題だ。私は、君たちにどんな処分を下すのが正しいと思う?」
思いもよらないミカエルの言葉に、天使たちがばっと顔をあげる。厳重注意で終わると思っていた彼らは、処分という言葉に激しく反応した。
「処分なんてそんなっ! 今度から気を付けますから!」
「お願いします! もうしません!」
縋るような二つの視線を受けて、ミカエルは微笑んだ。しかしその瞳には、やはり温度は感じられなかった。
「……仕方ないね」
ミカエルはちらりとサタンを見た。そろそろ処分を決めなければならないが、直接現場を見たサタンの意見ももっと聞くべきだろうか。しかしサタンは組んだ腕を下ろし、ミカエルに向けて手のひらを差し出した。
「どうぞ」
「いいのかい?」
「何も。俺からは事実の報告だけ。決めるのはお前」
「なら……そうだね」
静かに、穏やかに、ミカエルの判決がおりた。天国地獄の王に挟まれて、まだ若く立場もない天使たちは、成す術もなくそれを受け入れるしかない。
「天秤を疑う者に、死者の案内は任せられない。君たちには今後千年の間、煉獄での死者との接触を禁じることとする」
そしてその日以降、二人の天使が死者の手をとって天国に向かう様子を見ることはなかった。