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第一話 死後の世界は忙しい

 かつて天国と地獄の中間地点には、煉獄(れんごく)という世界があった。


 宙に浮かぶその世界は見渡す限り真っ白で、白い服を着た死者たちが列を作って裁きの時を待っている。


 白いタイルにのせた素足はひんやりと冷たい。アーチ状に広がる天井や壁の間にはところどころ大きな隙間があり、そこから流れる空気は温かく心地よかった。


 大きく開いた天井の隙間からは青く澄んだ空が見えて、そこを白い翼が何対も行き来している。横を向くと大きな下りの階段が緩やかに続いていて、そこを黒い翼が通っていく。


 そして中央に見えるのは、一際大きな金の天秤。死者が一人ずつ前に立つと、天秤がゆらゆら揺れて左右に傾く。右は天国、左は地獄。


 さあ。次はどちらに傾くか――





「はい、また天国行き(みぎがわ)! 天使行って」

「待ってあの人どうしたの? 誰か案内忘れてる」

「キャー! 脱走犯よ! 悪魔いる? 誰か押さえて」

「はいよー……あ、やべ逃げた」

「早く追いなさいよ! 怪我人いたら連れてきて」


 大きな天秤が死者を裁く『裁きの間』。そこでは、何百もの天使や悪魔たちが、一人でも多くの死者を天国または地獄に導こうと忙しく走り回っていた。


「今日は何かとトラブルが多いな……これで三人目か?」


 天秤の横で黒い蝙蝠(こうもり)のような翼を広げた長い黒髪の男が、首を伸ばすように遠くを見た。


 彫刻のような端正な顔に鋭く光る金の瞳。(まと)うオーラは死の気配そのもの。この場に黒い翼が生えた者は何百もいるが、その男は彼らとは一線を画していた。


「脱走犯かい? 物騒だねサタン」


 その隣で同じく遠くを見ていた天使が、のんびりと黒髪の男を見る。


 緩く編んだ白髪に同じ彫刻のような端正な顔立ち。しかしサタンと呼ばれた悪魔とそっくり同じ色合いの金の瞳は、穏やかで優し気に細められている。


 白い翼と黒い翼、彼らの雰囲気は何から何まで違ったが、その圧倒的な力と王者の貫禄(かんろく)には近いものを感じるだろう。


 彼らは天国、地獄それぞれの(マスター)として、死後の世界を長い間守っているのだった。


「おや、もう取り押さえたみたいだね。悪魔たちは本当に頼もしい。いつも助けられているよ」


 遠くで一際大きな黒い翼が死者を押さえているのを見て、白髪の天使――ミカエルが微笑む。しかしサタンはその大きな黒い翼の隣で、癒しの力を持つ天使が巻き込まれて転んだらしい天使の治療をしているのを感心した顔で見ていた。

 

「天使には攻撃手段がねぇからな。しかしトラブルがあっても場が荒れねぇのは天使がいるからだろ。助かってんのはこちらの方だ」

 

 地獄の管理者である悪魔は日々凶悪な罪人の管理をしているので、荒事は得意だ。それに対し、天国を管理する天使は迷子の保護や怪我人の治療を積極的に行い、それぞれのやり方で死後の世界を守っている。


 お互いの長所を生かし補い合うことで、天使と悪魔は良好な関係を築いているのだ。


 

「あ? こっち来るな」

「本当だ」


 少し遠くで起きている脱走犯事件。その横で怪我人の治療をしていたはずの天使が、気づけば猛スピードでこちらに向かっている。


 彼女は天国に(わず)か三名しかいない「指導者(リーダー)」と呼ばれる指折りの実力者で、(マスター)であるミカエルの補佐をしている優秀な天使だ。


 脱走事件くらいなら自分で処理できるはずなので任せようと思っていたが、何か報告が必要な事があったらしい。


「サタンさま! ちょっと聞いてよ!」


 彼女は純白の美しい翼をしなやかに広げ、サタンの目の前でぴたりと止まった。


 肩までの銀髪は少しの乱れもなく毛先まで艶やかで、服装は決して華美ではないが爪の先まで磨かれた容姿は美への拘りを感じさせる。


 さっぱりした性格ながらどこか色気の(にじ)む顔立ち、パワフルな力に似合わずおっとりして見える新緑の瞳。そんなアンバランスさが、多くの者を惹きつける。彼女は身体的には男性ながら、死後の世界三大美女に数えられるほど美しい。


「あ? ミカエルじゃなくて俺かよ」

「えぇ。あっちで脱走犯が暴れてんのよ」

「知ってる。今見てた」


 サタンは再び脱走犯事件の現場を見た。おそらく何か想定外の事が起きて、サタンを呼びに来たのだろう。ミカエルの補佐役天使が悪魔の王(サタン)を呼び出す。


 よく考えると不思議な光景だが、二つの種族が入り混じった煉獄ではたまにある光景だ。


 天使に使われているようだと不満を漏らす悪魔もいるが、サタン自身は全く気にしていない。有事の際の情報共有は何よりも速さが重要だ。種族や手続きなどにこだわって必要な情報が入らない方が大問題である。


「で、シルバー。その脱走犯がどうしたって?」

「なんか納得いかないんだって」

「地獄行きになったことがか?」


 頷いたシルバーの銀髪がさらりと揺れる。それを見ながらサタンは眉を寄せた。


 彼女がわざわざ報告に来たのだからもっと重大な報告なのかと思っていたが、地獄行きが決定した死者たちが物言いをつけるのは日常的なことで、決して珍しくはないのだ。


「いつもの事だろぉが」

「今回はちょっと特殊なのよ。生前からの知り合いを見つけたんだって」

「同時に死んだんだろ」

「たぶんね」


 シルバーは頷いた。家族や友人と死ぬタイミングが一緒で、同時期に裁かれるケースはたまにある。煉獄(ここ)に来る時点で生前の記憶は薄れているはずので、はっきり覚えているのは珍しい事だが。


「その知り合いが天国行きで、自分が地獄に行かされるのはおかしいっていうのよ」

「そんな事言われてもな」

「天秤の判断なのだろう? なら間違いはないはずだけどね」


 サタンとミカエルは同時に巨大な天秤を見上げた。前に立った者の心を覗き、相応しい方に傾く『裁きの天秤』。ここでは人間という種族が生まれた時からずっと、この天秤で魂の行く先を判断していた。


 天秤に間違いはない、がここ煉獄の絶対の掟だ。

 

「前にもいちゃもん付けて来たやつは山ほどいたが、調査したら全員真っ黒だったろ」

「地獄行きになるって事は、それなりの事をしてきてるはずだからね」

「それも言ったんだけど、もっと上のやつ出せの一点張りで」

「自分より上なんていねぇって言ってやれよ」

「有事の際の最高責任者はサタンさまだから呼んで来いって言うのよ」


 あいつが。と、シルバーは美しく整った爪の先で騒動の中心を指さした。


 今まさに脱走犯を取り押さえている大きな黒い翼。彼はサタンの補佐をしている優秀な悪魔だ。サタンは彼に日ごろから、全幅の信頼を置いていた。


「なんでクロム(あいつ)はいつも俺じゃなくてシルバー(おまえ)と一緒にいんだよ」

「あら。妬いてんの? ほんとサタンさまってクロムのこと好きよね」

「べっつに。任せるから好きにしろって言っとけ」

「『サタン様の仕事でしょう。いいから早く来てください』って言うわよあいつ」

「ムカつくほど似てんなお前」

 

 腹心の部下そっくりの低い声で言い返してきたシルバーを、サタンは感心半分呆れ半分で見た。


 普通に考えると地獄の(マスター)である彼は、脱走犯ごときに時間を割くような立場ではない。しかし彼に近い立場のクロムやシルバーは、サタンを気軽に呼びつける。そしてサタンのフットワークも、意外にとても軽かった。


「じゃ行ってくるわ」


 ミカエルとシルバーに向けて軽く手を上げ、サタンは脱走犯が取り押さえられている現場に向かって黒い翼を動かした。


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