第1話 初動
ロゼッタの小さな背中を見送り、さて俺たちも次の買いものを……そう思ったとき、
ゴンゴーン、ゴンゴーン。
不規則な鐘の音が響き、街中に響き渡る。
市場の人たちもざわつき始める。
「この鐘の音は……まさか十年前の——帝国軍なのか?」
「焦るな。こういう時は避難を行う手はずになっているだろう。それに従え」
「そうだな。いつもやっている、訓練通りにやろう」
漏れ聞こえる声をまとめると、どうやらこれは敵襲を知らせるものらしい。
俺も警戒レベルを上げつつ、周囲の気配を探る。
ドドドド……ズズズズ……。
音が聞こえる方向に視線をやると、街を取り囲む城壁の上方にもうもうと砂埃が上がっていた。
耳を澄ますと、悲鳴や怒号のようなものが聞こえてくる。それに混じり、ゴォォォォという、何か固いものが城壁にぶつかるような音がする。
この音は聞き覚えがある。
大きな岩石や砲弾がぶつかる音だ。もっとも、岩石を投げてくるのは魔物だけ。
砲撃か? ただ、帝国軍でさえ砲弾を発射する兵器はまだ少ない上に、取り扱いが難しいはず。
でも、その兵器を使っている?
ゴオオオオ。
またぶつかる音がする。幸い、城壁が防いでくれているが、あれが街の中に打ち込まれたら?
それに、発射場所が近づいてきているように思う。砲台が移動しているのか?
ヒューーーーー。
何かが風を切る音が響く。ついに砲弾が城壁を越えたようだ。
「マスター、ロゼッタを助けに行きます!」
そう言って、フェネルが駆け始めた。
見ると、さっき見送ったロゼッタが少し離れたところでしゃがみ、動けなくなっている。転んで怪我でもしたか?
指示をする前に動き始めるフェネルに少し驚く。もしかして弾道を計算したのか? まさか。
ガッシャアア!
崩れるような音がしてズン、と大地が揺らぐ。砲弾が建物に命中したのだ。
見ると、ひときわ高い見張り台に着弾したようで、上部が崩れ始めた。
しかし幸いにも、その付近にいた人々は逃げ始め、距離を取っていた。
——たった一人を除いて。
「ロゼッタ!」
ロゼッタは依然動けない。その上に、崩れ始めた見張り台が落下していく。
このままでは、落下してくる瓦礫にロゼッタが巻き込まれてしまう。
「もうあの子は……ダメだ」
「ああ、あんな小さい子が命を落とすのか……」
「ああ……精霊神よ……あの子の魂をお救い下さい」
周囲から、ロゼッタの生存に絶望する声が漏れた。
思わず祈る人もいる。皆誰もがロゼッタが命を落とすと思い込んでいる。
それほど絶望的な景色だった。ロゼッタを見つめる人々を、諦めの黒い色が覆った。
しかし、フェネルが動いたことで状況が変わる。降り注ぐ瓦礫を避け、最短距離を駆け抜けるフェネル。
でも、それでもあと一歩間に合わない。俺の脳裏に瓦礫に押しつぶされるロゼッタの映像が浮かぶ。
「マスター……私に力を……」
フェネルの想いが籠もった声を俺は頭の中で受け取った。。
ああ、そうだよフェネル。俺も、そうしようと思っていたところだ。
「【魔力注入】起動ッ!」
俺は全力で疾走するフェネルに対してスキルを起動した。
フェネルの瞳が煌めき俺の頭にフェネルの声が響く。
『スキル【嫉妬の炎】を起動しますか?』
どうする? この状況でフェネルが動けなくなるリスクを取るか? それとも温存?
いや、人の命を失えばもう戻らない。ロゼッタの頭上に瓦礫が迫っている。
「【嫉妬の炎】起動! フェネル、行け!」
「はい! マスター!!」
フェネルの身体が煌めいた。さらに加速し凄まじい速度に達する。
「ロゼッタ!」
フェネルが吠えた。その声にロゼッタが反応する。
ロゼッタは怯えていたようだが、フェネルを見て笑顔を見せた。
「ああ……フェネルちゃん……」
次の瞬間、立ち上がったロゼッタを抱え、瓦礫の下を走り抜けるフェネルの姿があった。
ガガガガガガガッ!
ついさっきまでロゼッタがいたところに瓦礫が降り注ぐ。
あの瓦礫がロゼッタに押しつぶしていたら……そう思うとゾッとする。
フェネルはすぐ反転し、ロゼッタを抱えたまま瓦礫を避けて戻ってくる。
よし、ロゼッタの救出に成功した。
「マスター、ロゼッタを連れてきました」
「最高だフェネル。よくやった!」
「いいえ。マスターが力を貸してくれたから私は力を出せたのです」
俺は返事をする代わりに、フェネルの頭を撫でた。
すると、フェネルが俺に寄り添ってくる。
「わああああああ!!!!!」
ロゼッタは、フェネルに抱きつき、大声で泣き始めた。
それほど怖かったのだろう。
「まさか助けてしまうとは……! 凄い!」
「あの子、すごい速さだったが、何者だ?」
「そうだ。私たちは負けない。だから今は……避難を」
ロゼッタの泣き声と共に、周囲に歓声が沸き上がった。
フェネルの活躍。それが絶望に黒く染まる人々の心を、太陽のように明るく塗り替えたのだ。
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