ボロアパート29
「アレはまだ父親の事を言ってんのかい。」
悲しそうにお婆さんが呟く。
「麻世ちゃんとは知り合いだったんですか?」
「あぁ。ウチには子供がいなくてね。爺さんも早くに亡くなってたから、時々母親とあの子はウチヘ逃げて来ていたのさ。」
「そうだったんですね。」
「父親ってのは酷い男でね。暴力だけでも酷いってのに、金は渡さない、飯は食わせない、よその女を連れ込むなんて日常だった。」
「酷い…なんで…」
「理由なんてわからん。けど、何度も話したさ。そんなに酷い事をするなら別れてやれと。何をそんなに執着しているのかわからないが、一向に別れようとはしなかった。私は結局のところ他人だしね。してあげられる事はご飯を食べさせて、怪我の手当てをしてやるくらいしか無かった。」
お婆さんの表情は暗い。よほど辛かったのだろう。
「そうこうするうちに母親が男のせいで酷い怪我をしてね、病院へ入院する事になったんだ。」
「その間、麻世ちゃんは?」
「預かるって言ったんだよ。アンタに世話は無理だろうってね。でも、父親はあの子を渡そうとはしなかった。その時さ、あの子が亡くなったのは。」
「なんでそんな事に…?」
「詳しくは私にもわからない。ただ、高い所へ登って勝手に落ちたとか何とか…。私は、他人だからね…何もしてやれなかった。」
お婆さんが思い出して涙ぐむ。
「その後、母親が退院してきて少し悪さするのも収まったかと思ったんだ。でも、そうじゃなかった。あの男は、監禁して口を聞けない状態にして暴力を振るっていたんだよ。見つけた時はそりゃあ、酷いもんだった。」
「なんて事を…。」私は顔をしかめる。茜が寝ていて良かった。とてもじゃないけど聞かせられない。
結局、警察を呼ぶ騒ぎになってその父親は捕まったらしい。母親の方は、酷く痩せて別人のように変わってしまったそうだ。
ある日、ふらっと顔を見せたと思ったら挨拶もそこそこに引っ越して行ったそうだ。
静かな日々が戻ったと思ったが、ある日異変が起こった。
「夜中にね、子供の歌声が聞こえるようになったんだ。あの子が好きでいつも歌ってた歌なんだよ。」
『しゃーぼん だーまー
とーんーだー
やーね まーでー
とーんーだー…』
「ぴょんぴょん跳ねて楽しそうにいつも歌ってた…。」
お婆さんの顔が曇る。
「その頃から、ウチのアパートでおかしな事が続くようになったのさ。アレのせいでね。」
「アレっていうのは、麻世ちゃんの事なんですか?」