箱のささやき<1>
あれから毎日、私はあの箱から目を離さないために四六時中そばに置いておいた。中身は分かっているし、彼らがどんな性格なのかも把握しているのでそれが私の人生を幸せにする、唯一の方法だった。この様子に父も母もこの箱を気に入っている者だと勘違いしてくれたおかげで、蓋を開けてくれという催促もない。ここまでずっと手元に置いているのだから、開けたことは当然だと思ってくれているらしい。
それはともかくとして、ベアトリスという人物に対して少し見方が変わった。なんとなくだけれど、この箱を開けてしまったことによる責任か性格悪化の呪いにより、あんな人物になってしまったのだと察することができるようになった。本来の彼女は純真無垢で努力家、貴族の娘として教養も十分に備えたスーパーお嬢様だった。確かにゲームのシナリオで、学年2位という設定があった。ちなみに1位は王子だ。毎日大量の課題をこなし、難しい魔術の練習も欠かさず、本もたくさん読む。前世の私には耐えられない者かもしれないけれど、今は彼女の体のため、そこまでつらいものではない。
今日課された課題も家庭教師による授業も終わり、部屋で一人、例の箱を眺めていた。
見た目だけはとても綺麗だと思う。キラキラしたものが好きなベアトリスだったら、すぐに開けてしまうだろうと考えることができる。もちろん、自分の人生がかかっているのだから開けるなんて馬鹿なことはしない。けれど、考えてしまう。この中には私がかつて涙を流した、好きだった災厄たちが封印されていることを。それぞれいろいろな境遇の末に悪さをして捕らえられたり、人から災厄になったりしている。
4人の災厄はそれぞれ、堕天使のルシファー、夢魔であり大魔法使いのマーリン、ヴァンプのクドラク、悪魔のバジリスクである。
ルシファーは彼らのリーダー的存在であり、一番かわいそうな境遇の堕天使である。天界でも優秀な仕事成績を収め、次期天使長とも言われていたけれど、嫉妬したほかの天使がとある事件の濡れ衣を着せ追放し、それ以降誰かを信じることができなくなった。
マーリンは夢魔であるため、人から罵られ、石を投げられて住んでいた街を追い出されたあげく、婚約者にも裏切られた。
クドラクは純血種のヴァンプに噛まれ、後天性のヴァンプとなった。彼は吸血衝動を抑えられずに街一つ分の人間の血を吸い尽くした後、ヴァンパイアハンターに狩られたけれど、埋葬が適当だったため、なんとか生き返ることができた。
バジリスクは病気で亡くなった妹を救うために手を出した禁忌の魔術により、蛇となった。しかし妹は生き返ることはなく、とりついた蛇の赴くまま村や町を破壊し尽くした結果、英雄に封印された。この通り、みんな人間不信に陥っている上、完全に被害者集団なのだ。
ちなみに彼らにとっての最大の加害者は最後の方に出てくる魔王であり、一連の事件の差し金となっている世界すべてを支配したい願望を持っている極悪人である。
そんな境遇の彼らを思いながら、箱の蓋を撫でた。そのときだった。
『おい人間、ここから出せ』
箱から声が聞こえた。ゲームの声から察するに堕天使ルシファーだ。高圧的な態度であり、ほかを寄せ付けない、俗に言う俺様系キャラの人物。
『君さ、そんな風に声をかけて開けてくれる人がいると思う?もっと優しく声をかけないと』
今度は夢魔のマーリンの声がする。基本的には物腰が柔らかく、誰とでもフレンドリーな関係を築ける人物だ。もちろん、うわべだけの関係だけれど。
『じゃあ、なんて声をかければいいのさ。ここ数百年、君たちとしか会話らしい会話をしてないから僕にはさっぱり分からないんだけど』
この声はクドラクだ。この中では一番見た目が若く、高校生くらい。人とコミュニケーションを取るのが苦手で、いつも突っかかるような言い方になってしまう人物。
『興味が無い』
最後に聞こえてきたのはバジリスクだった。他人に対して、無関心を貫く一匹狼のような人物だ。
『おい人間、聞こえているだろう』
もちろん、ばっちり聞こえている。けれどまさかあちらからコンタクトがあるなんて思いもしなかったため、反応に遅れてしまった。この封印を解いてしまえば、自分の人生はバッドエンド直行。そんなへまはするつもりはないけれど、かつて好きだった人たちの声が聞こえているのだ、興奮していないと言ったら嘘になる。
『もしかすると、箱から声が聞こえてくるなんて思わなかったんじゃないかな』
『普通は箱から声なんてしない』
『ねえ君、僕達は閉じ込められているんだ。その蓋を開けて出してくれないかな』
「無理です」
なんと答えたらいいか分からず、とりあえず無理だと言うことを伝える。
『なんで!この僕が優しく言ってあげたんだよ。それに対する反応がこれって言うのはひどいんじゃないかな』
「私にも事情があるんです」
『ただの餓鬼かと思っていたが訳ありか』
『どうしても駄目なんだね。それじゃあ、諦めるしかないのかな』
『マーリン、君はすぐ諦めるんだね。だから婚約者に振られるのさ』
『そういう君こそ、注意深く行動していればヴァンプにならずにすんだんじゃないかな』
『どっちもどっちだろ』
『そういうお前だって、怪しい魔導書なんて者に手を出さなければこんなことにならずに済んだだろう』
『アンタこそ、そんな無愛想じゃなければ今頃天使長だっただろうな』
彼らはそこまで仲良くないのだけれど、マーリンとクドラク、ルシファーとバジリスクの仲は特に険悪だった。性格が若干に通っているので、似たもの同士故の同族嫌悪だ。
「ちょっと皆さん、落ち着きませんか?」
このままでは箱の中でとんでもないことが起きそうだと本能が叫んでいた。箱の封印が完璧とは言っても、彼らによる魔術の行使で容量があふれ、ほころびでもできたら大変だ。現にこんな風に話しかけてくるのだ、綻びまみれだろう。