Page.09 蜃気楼
私の仕事のキモは破損部の点検だった。
けれど、それは早くも気温と足場の都合で続行不能。
ほかの仕事となると、全ドーム共通のルールがどのくらい守られているかとか、大道具や小道具にどの程度の質のものが使用されているかとか、「お姑さん」のようなチェック作業しか残っていない。
それだって現場をうろついて見学する程度のものだ。
気温が下がったのを見計らって、私は広場やテントを徘徊し始めた。
ドーム全体の空調システムはきっちりと仕事をしているようで、人間がまったく出歩けないほどでもないようだ。
テントに押し込められる前よりはずいぶんとマシになっていた。
それでも暑いのには変わらず、熱にくらんでふらついてしまった。
作業員たちの邪魔にならないように、気を付けないと。
彼らはクレーンを使ってパネルの取り外しを開始していた。
高い塔では主任に命じられた作業員がクレーンの監視をおこなっている。
「親方のそばの機材を殺しといてもらえますか。パネルが外れたらあのあたりに砂が降ります」
主任と作業員は塔の上と下を繋ぐマイクでやりとりをしている。
「まるで雨ね」私は上からさらさらと舞い落ちる砂を眺めて言った。
雨。空から水を降らせる気象現象。
データとしては存在するが、オリオン座近辺ではほぼ観測されない。
雨は特定地域でのみ集中して観測される。今ここで降っているのは砂。
そもそも屋根付きの世界には、天気予報なんて無用の長物だ。
砂の雨の傍ら、塔のゴンドラは忙しなく上下を繰り返している。
いくら一層民のボディでも、長い時間はあの場所に居られない。
作業員の何人かはテントで休んでいる。
彼らは上から降りてきて、ボディを冷却している最中なのだろう。それもまた仕事だ。
「アイリスさん、中央から見てうちの現場はどうです?」
ジョージ・ウェルズ主任が訊ねる。
彼のつるつるした頭にはヘルメットに代わりに濡れタオルが乗っかっていた。
「何点かオリオン座流のやり方が見られますが、大筋に影響はないかと。砂まみれなこと以外は中央の修復現場と似たような景色です」
「それはよかった。砂の掃除はまったく追いつかないから困りもんです。小さな穴の修復の時はこうじゃなかった。穴が埋まればそのうちに片付くんでしょうが、砂が増えれば増える程リミットのリスクも高くなるもんですから、掃除も手を抜くわけにはいきません」
地上組の作業員のほとんどは砂の掃除に追われている。
集めてトラックに乗せては集積所に運び込むことの繰り返し。
不純物が混ざった砂は振るいにかけられ、再びパネルなどの材料になる。
本来ならパネルにしてもマイドの体内部品にしても、コメットサンド製でない素材を使えればいいのだが、この過酷な環境では物資に制限がある。
引き換え、隕砂は一歩外に出れば無限に手に入る。自業自得の生み出したパラドックスだ。
「座長が見学に来た時は大変だった。細かいルール違反を全部指摘されたんです。小さなひずみが台本の狂いを生み出すって。ルールを現場判断で変えてるのは、部下たちの癖や性格に合わせて効率化したためです。オリオン座流ではなく、私たち流なんですよ」
「なるほど。そのほうが台本の遂行にいいのなら何も問題ありませんね」
「……彼は小言を言ったくせに、私とふたりきりになった途端に配役も台本も守らないんですよ」
主任がこぼす。うっかりだろう。
彼は自分の吐いた言葉を知らんぷりするかのように、私から顔をそむけた。
「私の時もそうでした」
私は聞こえないフリをしなかった。
本来、マイド然と振る舞う人間ならば、こういう人間くさい面は仏頂面でスルーすべきなんだろうけど。
「やはりそうですか。ラント座長の配役は“シャイで努力家”。そんな人間がわざわざ開け広げに自分の努力を無為にするような振舞いをするなんて。ドームのトップになるほどのひとだ。もっと堅いものだと思ってた」
「彼は親愛のつもりらしいです」
「仕事の最中だったんですがね。オンオフはしっかりしてもらわないと。それにどうも、差別的な感じがあった。人間とマイドの作業員で扱いが大きく違う。いや、同じだったんです」
そう言って主任は腕を固く組んだ。
「同じ?」
「ええ。人間もマイドも、ひととしてではなく、機械として見てるような。そうでなくとも、どちらも振舞いは互い違いですから、ひとまとめにして扱うのは、どちらかに対して差別的になる」
「確かに」
「マイドも機械でなければ、マイド然として振る舞う人間も機械ではありません」
「おっしゃるとおりです。……私も反省しています」
しおれて答える。
「ああ! 申し訳ない。さっきの話を蒸し返すつもりでは。塔の上でのこととは別の話ですよ。上手く表現できなくて申し訳ない」
主任は頭を掻いた。
「配役と個人の混乱や差別は、人間にとってもマイドにとっても難しい問題ですから」
「理論や理屈では言い表せるんですがね。正しくデータを整理しても、どうしてもしっくりとこないというか……。マイドがこう言うのもおかしいですが」
「おかしくなんてありません。その感覚は人間に近いものですよ。あなた達マイドは人間に近づきたいと常に願っているのだから、それはよいことなのでは?」
「はは、尚更ややこしい。……でも、そうか。だったら、このもやもやはある点においては喜ぶべきか」
主任は顎に手を当て深く頷いた。
「そう思います」私はほほえんだ。
ルーシーの発言から察するに、ジョージ・ウェルズ主任は本来二層に上がれるだけの評価を持っているらしいが、現場が好きという理由で一層に留まっているようだった。
だが彼のプログラムの精神とも呼べる部分は、自力で三層に上がったマイド相当、もしかしたら一部の人間よりも人間らしいかもしれない。
ひとびとは互いに互いを目指している。
電子回路にも本当に人間らしい精神が宿るというのなら、生体の脳にも機械的な精神が宿ることもあるのだろうか。
真に人間に近づき、マイドに近づいて、もしも同一と呼べるほどになった場合、彼らは次にどうすればいいのだろうか? 今度は逆でも目指すの?
――ひととは、なんなのかしらね?
私は主任と別れ、疑問を弄びながら見学を続けた。
ボルトやナット、スパナやコメットサンドカッターなどの小道具を納めるテント。
テントの中も入り口の幕の開閉時に吹き込んだのだろう、地面には薄く砂が被っている。
そこに足を踏み入れた時、スピーカーから昼を知らせる放送が流れた。
「あ、ここに居た。アイリスさん、お昼休憩よ」
テントに入った私を追って、ルーシーがドーナツとミルクの入ったパックを持って現れた。
「ありがとうございます」
私は彼女から差し出されたパックを受け取る。演技ではなく、緊張でマイド然としてしまう。
「さっきはごめんなさい!」
ルーシーは突然、頭をトンカチのように振り下ろした。
「ひとの生まれのことをとやかく言ってもしょうがないのに。もう言わないようにするから!」
「気にしないでルーシー。そういう配役なんでしょう?」
私は小道具の詰まった箱の上に腰をおろす。
「違うの。私の配役は“明るい夢想家”だから。“イヤミ”とか“やっかみ屋”じゃないの」
ルーシーはかぶりを振った。
「そう、それならいいことだと思う。それってかなり人間らしいわ」
私はほっとして、口調が自然に砕けてしまった。
「本当? あなたが言うなら折り紙付きね。……でもやっぱり、それとこれとは別。本当に、ごめんなさい」
彼女は私の手に指を重ねる。少し熱い。
「大丈夫。むしろ私のほうが嫌われたんじゃないかって心配したくらいだから」
私は笑って肩をすくめる。
「ありがとう。ああ……! 素敵な笑顔! やっぱり本当は“やっかみ屋”かも! ……でも、少し眠たそうね?」
ルーシーは楽しそうにLEDを点滅させた。
「今は休憩中よ。配役のことなんて気にしなくていいでしょう?」
「配役じゃないわ。本当に素敵。私もあなたたち人間のようになりたい」
「マイドの指標ね」
「指標だなんてつまらない言いかたしないで。みんなの憧れよ。私にとっての夢!」
――マイドが人間に近づきたいのは指標ではなく、夢なのよ。
夢。それは人類が誕生してからずっと、眠りのシアターで観続けてきた映画。
記憶の定着、神経の調律、深層心理の現れ、ときには謎めいた預言としても解釈される。
そして、憧れや目標を指す言葉。
夢を見るのは人間だけではない。
機械体であるマイドにも睡眠はある。それは人間らしさのためではなく、個体として必要な事だ。
その時間は、各パーツを休ませるためと、人間と同様に記憶領域の整理に宛てられている。
電子的デフラグメントによる最適化。不要な記憶の消去や、体験の項目化。
本人にとって重要度の低かった出来事は、「○○があった」という単純なデータに置き換えられる。
(人間の場合は曖昧な体験データが記憶に残り、それを思い出して「○○があった」と言葉にする)
重視された記憶は、出来事の詳細だけではなく、その時に「何を思ったか」「どう感じたか」なども残される。
ベースのプログラムそのものはマイド全員共通だ。
共通の基本公式の代数に体験と台本が入力される。
この積み重ねでマイドのパーソナリティが形成され、取捨選択される記憶にも個人差が生まれてくる。
そして、結果の良し悪しから基本公式も修正されていくのだ。
演算子が加算から減算に変更されたり、時には台本が“掛けるX”から“掛けるマイナスX”に変わったり……。
個性の形成ともいう過程だ。
その際に彼らの頭の中では映像や音声が再生されるという。まさに人間の夢に似たものだ。
この夢もまたデータとして残り、それが自身に害するものであれば「恐怖や悲しみ」などの忌避すべきものにカテゴライズされ、利するものであれば「快楽」あるいは「目標や夢」に設定される。
ルーシーの場合は、台本と本来の性質が近しいものなのだろう。
自然に台本通りを目指し、スローガンを実行することを「こころよい」とできるようだ。
彼女がさきほど、私に対して事務的に振る舞ったのは、「気まずさからだった」と話してくれた。
やりたいこととすべきことが一致する個体は、マイドだろうが人間だろうが幸せものだ。
中にはスローガンを守った結果がマイナスデータとして蓄積される哀れな式を持った個体もいるのだとか。
「私には夢があるの!」
突然、高らかな告白。
「私ね、ここでの仕事を立派に勤めて、台本もしっかり演って、二層民にしてもらうの」
「あなたならできると思うわ」
「二層民になったら、そこでもしっかりやって、三層民になるの! あなたと同じ研究者よ。トップスターね!」
「頑張ってね」
私は淡泊に返した。
それは一層で暮らすひとの夢や目標としては月並みだからでも、マイド然に振る舞っているからでもない。
彼女はさっきからずっと、私の手の上に自分の手を重ねたままだ。
私の手はいい加減、ドーナツの敷き詰められている箱を開けたがっていた。
「つまんない夢だと思ったでしょう? ……でもね、それだけじゃないのよ!」
その先に何があるというのだろうか。パックから甘い油の香り。胃もご立腹。
「私は三層ですごい研究をするの。それで、すごい発表をしてすごい功績を認めてもらって……」
「すごい認めてもらって?」私は苦笑いをする。
「アンドロイドの身体を貰うの!」
「アンドロイド?」
「アンドロイドはね、ぱっと見ただけじゃ、人間と全く変わらない姿をしているの。こころもよ。食べ物も食べられる。でも、機械仕掛け。人間みたいにお母さんから生まれないの。北極星にある秘密の工場で作られるのよ」
「ルーシー、それは……」
私は言いかけてやめる。第一層や第二層で「そういった噂」が囁かれていると、以前に研究所の仲間から聞いたことがある。
彼はそんな噂をするひとたちを笑い飛ばし、バカにしていた。彼は生まれながら三層民で、人間だった。
「それで、アンドロイドの身体を貰ったら」
ルーシーは上を見上げる。防砂シートの屋根。
「ドームから外へ出るの!」
「外へ? パジェンターでもないのに砂だらけの大地に?」
「ええ。沢山の水と食料をもって、“空の森”を探しに行くの」
「空の森って? 確かにこの大陸には、まだ森の残っているところがあるけれど……」
空の森。聞いたことのない名称。何かしら?
「ふふん。これは秘密なんだけど……」
ルーシーは立ち上がり、腰に手を当てて気取って話す。私の手が釈放された。
「天井に開いた穴の先にね、森を見つけたの」
天井の穴は真上に開いている。
修理用の塔から穴の上へは出られない。彼女は何を見たというのだろうか。
「その顔。信じてないでしょう?
本当よ。空の森はね、その名の通り空に浮いているの。
私が塔に登った時、たまたま砂嵐が止んだの。ほんの一瞬だけれど。雲が見えたわ。
そして、雲の中にたくさんの緑があったの! ちゃんとした森ね。
よくは見えなかったのだけれど、あれは寒い所にある背の低い大森林とは違った!」
私は目を擦る。
彼女のマネキンの様なボディがほんの一瞬、生身の娘のように見えた。
防砂服姿ではなく、映画の古臭い探検家の恰好をして。
冒険の果てに頬を泥で汚した……最後は主役の男性と結ばれるのがお約束とされるような……。
娘の対の輝きはふたつの屋根を飛び越え、空の森を越え、星座の仲間入りを果たす。
「あの空の森を調べれば、この砂だらけの世界に緑を取り戻す方法がきっとわかるわ。
私はそれを見つける旅に出るの。
もし方法を持ち帰ったら、親方には電力線の工事なんてやめてもらって、木を植えてもらうわ。
ウィリアムさんには広場じゃなくって、毎日伸びていく木を警備してもらうわ。誰かが盗みだしてしまうかもしれないから!」
LEDの瞳が私の瞳を覗き込む。いつの間にやら私の横に座り直し、やや首を傾げてリアクションを待っているようだ。
「素敵な夢だと思うわ。みんなが昔のようにドームの外で暮らせるようになったら。もしもこの星が、かつてのように青く輝くようになったら……」
私の好きな色。空と海。そして森。
「アイリスさんは笑わないのね」
嬉しそうな声色。
「笑わないわ。歴史映画で飛行機を作った兄弟の話を見たことがあるの。
みんなは彼らをバカにした。でも、彼らはやってのけた。
ただの夢想家じゃ終わらなかったの。
それは物語なんかじゃない。歴史上の事実よ。
ライト兄弟だけじゃない、多くの成功者たちは最初はみんなバカにされるところから始まるのよ。
トライアル・アンド・エラーよ。Hi-Storyだって歴史に学んで台本を書くんだもの」
「夢がかなった人の話なのに、なんだか現実的な意見だわ」
ルーシーは肩をすぼめる。そんなに私は理屈っぽかっただろうか。励ましたつもりだったのだけれど。
「母が言っていたわ。夢も現実も、配役も個人も、すべては表裏一体なんだって。夢をバカにする人は、現実や台本だってバカにしてるようなものよ」
「すごいことを言うお母さんね」
「母は私の指標だもの」私は自信をもって言った。ルーシーは目を逸らす。
「……私、両親の思い出はあまり残ってないの。大人の身体に記憶を移すときに、“整理”しちゃったから。指標にしたいひとなんて……」
LEDとセンサーが指先を見つめる。
どんなに上手に演じようとしても、機械臭さの残る関節の動き。
「夢は未来よ。過去に縛られていては届かないわ。飛行機は無くなってしまったけど、空を飛ばなければ、森へは行けない」
ルーシーは少し小さな声で言い、立ち上がる。
「昼休みのうちにこっそり塔に登ってくるわ。また森が見られるかもしれないから! じゃあね、アイリスさん!」
彼女は私に手を振ると、テントの外へと駆けていった。
一瞬開いた出入り口の幕の隙間から外が見える。
そこは砂嵐。
「……ごめんね、ルーシー。あなたが見た空の森なんて、本当は無いの。今の私たちの技術力じゃ、地球まるごとひとつをよくすることなんてできはしない。アンドロイドの噂だって、ただの蜃気楼に過ぎないのよ」
私は中央三層で生まれ暮らしてきた。そして、そこのすべてを知っている。
彼女の夢は叶わないだろうと。仮に方法が見つかったとしても、ひとの一生のうちにこなせるものではないことを。
だけど。ほんの一瞬だけど。彼女は女優だった。主役だった。
打ち切られ舞台から降ろされるまではこれからも演じ続けるのだろう。
彼女の持って来てくれたドーナツと甘味料たっぷりのミルク飲料は、なんの味もしなかった。
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