Page.08 マイド
隕砂化させていない鉄で作られた塔。二種類の足音がうるさく鉄板を鳴らす。
「本気でやるんですか?」
ジョージ・ウェルズ主任が足を止め、振り返って私の顔を見つめた。
「そうでなければ私が来た意味がありませんから」
「まだ陽が高くないとはいえ、上のほうはすでに六〇℃を越えてます。なんで中央はマイドのひとを派遣しなかったんだ」
かぶりを振る主任。
「誰も出たがりませんでしたから。それに三層民のマイドの身体は四〇℃前後で障害を発するように設計されてます」
精密機器だから高温が不可というよりは、“そのほうがより人間らしい”ということだ。
「どちらにしても上に登るのは無茶ですよ」
「破損部を直接見なければ何もアドバイスはできません。ドローンを飛ばしてカメラ越しに見ただけでなんでもわかるなら、今回の事故だってもっと早く発覚していたはずです」
「そりゃそうですが……」
私は少し意地になっていた。
ルーシーのせいか、自分のしくじりのせいか、それとも仕事への生真面目さなのかは自分でも分からない。
「砂化は目視や携帯検査器具では感知できないレベルでも発生します。当然、三層民の視覚センサーでも感知できません。人間でも職人レベルに達しなければ到達できない領域です」
コメットサンドのリミットには“なんとなくのパターン”がある。
それは数式で算出されるものではなく、勘とフィーリングによるもの。
事実や理論による思考を持つマイドには向かない仕事だ。
「あなたならそれができると?」
「これでも中央技術部隕砂研究室室長ですから」
私は主任の脇を通り抜けてゴンドラに乗る。
手すりだけの、むき出しのエレベーター。
オリオン座の天井パネルはおよそ二〇〇メートルの高さにある。まともな人間ならば狂いかねない高さ。
「ルーシーが言ったことを気にしてるんですか?」
「まさか。ああいう役でしょう?」
「そりゃ、そうですけど……」
彼はしぶしぶ私に続き、上昇スイッチを押した。
エレベーターは骨組みと鉄板だけの頼りない作りではあったが、静かに動き出した。
上に行くほど風が強くなるのだから、モーターの回転程度で揺れていてはお話にはならない。
「彼女はね、幼い頃に両親を亡くしてるんですよ。十二の頃だったんで、まだ子供用のボディの頃ですね」
子供用のボディ。機械であるマイドは、人間のようには身体が成長しない。
だから子供時代は身長一二〇センチメートル程度のボディを与えられ、十六歳を迎えると大人と同じボディに変更される。
「両親は古い型の身体でして、パーツにリユース品が使われていたんです。それが急にリミットを迎えて、そのままぽっくり。ふたりとも日を置かずに立て続けでした」
現在生産されているボディには、コメットサンド製の部位の再使用は禁止されている。
外気に触れる面には隕砂化した素材は使われない。
マイドの体内部品は隕砂製だが、新品で八〇から一〇〇年もつなら充分だ。
それはあくまで平均値だ。若くして特定の部位が砂となることもある。
砂化した部分は発見が遅れると連鎖を起こして身体の崩壊を招く。
人間でいうところのガンだ。
「あの子の身体……」
私はつぶやいた。大人用の身体は子供が自分の意思で選ぶことができる。
両親がリユースによる癌で亡くなったのなら、何故あえてリユース品が紛れているリスクの高い旧式のボディを選んだのだろうか?
扶養者の居なくなった子供マイドには福利厚生の一環として半階層分上質な身体を選ぶ権利が与えられるはずだから、それまでの成績は理由にならない。
性質上、実生活においてマイドは人間よりも遥かに早く自立できる。
極論を言えば、生まれたてでも親は必要ない。
精神プログラムの形成のために十六年という期限が切られているのと、人間に近づくために家族を形成しているというだけのことだ。
「あれはわざと選んだらしいです。親と同じ型の身体を使って第一層でやりきって、二層三層を目指すんだって」
「理論的じゃないわ。身体の問題は個人の問題でしょう? 配役が“親想い”だろうと“ばかたれ”だろうと影響されるべきじゃないと思います」
「中身もそうだってことでしょう。あなただって、そんな防砂服ひとつでこれから地獄に向かおうって言うんだ。私からみりゃ、ルーシーと同じ“ばかたれ”ですよ」
言ってくれる。でも、私は反論しなかった。
ほどなくしてエレベーターが塔のてっぺんに着く。
防砂服の温度計は四八℃、これから塔の温度計の示す六〇℃にどんどんと近づいていくだろう。
これでも砂で太陽光は遮られているのだ。服の中が、早くも自身の水分で蒸れていくのを感じる。
「いいですか、様子がおかしいと思ったらすぐに降ろしますからね。中央のかたでも現場主任の指示には従ってもらいますから」
「分かってます」
私はゴンドラをコントローラーで天井ぎりぎりまで移動させ、崩落部の断面を観察した。
パネルの保護被膜も破れ、パネル数枚がむき出しになっている。
「崩落しなかった部位もリミットが始まってるわ」
「やはりそうですか。いちおうワンブロック分余分に取り換えることにはなってますが」
「それじゃ不充分かもしれない」
私は一枚先のパネルを見る。パネル一枚一メートル半。そこには足場は無い。手すりに腹を乗せ、腕を伸ばす。
「ちょ、ちょっとアイリスさん! 身を乗り出したら危ない!」
つま先を伸ばして、やっと私の指先がパネルを撫でた。
……やっぱり。
目視では分からない極細の砂化。グローブ越しだって分かる。
そのとき、砂混じりの風が吹いた。
大丈夫、伸ばしていないほうの手はしっかりと手すりを掴んでいる。
風が強くなった。「アイリスさん!」
私の腰をがっしりとした硬い金属の指が掴んだ。
「何やってるんですか! 落ちたら死にますよ!」
「バランス感覚には自信があります」
「勘弁してくださいよ。あなたは怖くないんですか?」
「人間はマイド然に振る舞うべきです。機械には本来、恐怖心はないはずでしょう?」
「重量バランスの計算上では落ちないのが分かってても、風なり振動なり不確定要素はいくらでもあります。マイドにだって恐怖心はプログラムされてるんですよ。計算を狂わせられるのは、恐ろしいことだ」
彼は私の身体に大きな腕を巻き付け、引き寄せてくれた。
「そのパネルはもうダメ。あっちのパネルも気になるんだけど……」
さらに先のパネルを指さす。もちろんその下に足場は無い。
「無理ですって。今のパネルだってギリギリだったでしょう。心配ならもうひと回り分取り換えるように要請しますから」
「パネルは円形に配置されています。
ひとつ分先に行くかどうかで、二層で生産するパネルの数も跳ね上がります。
大番狂わせです。少しくらい危険を承知で調べる価値はあるでしょう?
いくらオリオン座が大きなドームだといっても、労働力には限界があるでしょう。
何より、パネルの搬入の遅れが……」
「無理なもんは無理です!」
鉄の親方が私を叱った。
母以外にお叱りを受けるなんて何年ぶりだろうか。今日の私はちょっとヘンかもしれない。
とはいえ、パネルのリミットを確認するには、私が触れること以上にマシな手段がないのが実情だ。
だけれどヘンな私は、彼に叱られた事に少し嬉しくなって余計な一言を放ってしまった。
「あっちに建設用のクレーンがあるわ。あの作業アームなら破損部のすべてに届く」
「あれに吊るせって? ……いい加減にしてください! あんたはとんでもないひとだ! 座長も変わっていたが、三層の人はみんなこうなのか!?」
主任は両腕を振り上げ、頭を抱えた。
「私も中央で命令を受けて専門家としてここに派遣されてきてるんです。私の見落としで、せっかく直した天井がまたすぐに虫食いになるなんて耐えられません。次は誰かの頭の上に落ちるかもしれませんよ」
私も座長のことは言えないみたい。
「仕事の話だけじゃない。俺はマイドなんだ。
俺たちも確かにひととしての権利を持つが、“マイドは人間のためにある”ってのは自覚してるんだ。
万が一、中央の花形のあんたを死なせたら、俺はマイドの恥さらしどころの騒ぎじゃない。
あんただってパネルよりも自分が誰かの頭の上に落ちたほうがマシだとは考えてないだろう!?」
彼は私の肩を痛いほどにつかんで揺すった。
「ごめんなさい」
「……とにかく、パネル生産については二層の問題。それと、“マイド然とすること”と“機械のように振る舞うこと”は似てる様で違うってことを覚えておいてくれ」
主任はため息をつくと、わざわざ私からコントローラーを遠ざけて、下降のスイッチを押した。
塔から降ろされたのち、主任にはリミットの発生や広がりの“なんとなくのパターン”を伝える。
行動で示せない分は、知識で力になりたい。
しかし、フィーリングじみた考えかたは、マイドの思考回路にはしっくりとこないようで、主任のリアクションはいまいちぱっとしないものだった。
「これから暑くなるので、あなたは少しテントに避難しておいてください」
現在、塔の最上部は七九℃に達している。
このレベルの気温下で活動できるのは、ドーム外作業を想定されたパジェンターのマイドだけだ。
広場も天気の都合で日光が濃くなり、灼熱と化してしまっていた。
そのため、私は主任のテント内に追いやられてしまった。
こっそりと防砂服を膝まで下ろし、作業服の前を開け、エアコンの吹き出し口の前に陣取る。
保冷剤はすっかりくたばってしまっていて、防砂服は湿った音を立てた。
ジョージ・ウェルズ主任。
彼はなかなか面白い人物だ。記憶の新鮮なうちにノートに書き留めておこう。
それとルーシーと、警備員のウィリアムの言っていたことも。
マイドだらけの作業現場。
彼らはスローガンによる習わしで“人間らしく”和気あいあいと無駄口を叩きながら仕事をしている。
気温を理由に昼間はマイド、夜間は人間という形をとっているが、本来スローガンは台本を円滑に進めるためと、人間とマイドの差異を埋めるためにあるものだ。
マイドだけの作業現場にも必要なものなのだろうか?
ページを文字で埋めながら、胸元のひんやりとした感触を楽しむ。
「マイド然とした振舞いと、機械然とした振舞いの違い……」
彼のくれた忠告も記録する。
マイドと機械。両者はもちろん違う。法律上の定義も、権利や人工知能の有無も。
電子的な性格や記憶の構成。マイドの場合、それらはかなり人間に近い。
決定的に人間と違うのは構成物質と、物理的には変形や成長をしたりしない点だ。
人間の脳は回路が物質的にも成長するので、多くの場合はデータの蓄積が増えれば増える程に高速な処理ができるようになる。
マイドの場合は処理をする回路そのものは機械と変わらない。
データの関連付けと照合で思考を構築しているので、経験や記憶が必ずしも高速化に繋がるわけではない。
「あっ、アイリスさんがサボってる」
ルーシーがテントに入って来た。私は慌てて服を直し、ノートを閉じる。
「主任に休憩を貰いました。ルーシーさんもサボりですか?」
唐突にマイド然に切り替えるのは難しい。
「私は仕事。今朝の台本の訊き回りを終えたら、親方にあなたのお昼を聞いて来いって」
「わざわざありがとうございます」
お昼。お昼ご飯の話だ。私ひとりのためにわざわざ訊きに来てくれたのだろう。
マイドたちは電気による稼働で、食事を摂ることはない。食事代わりに充電システムだ。
エネルギー的な話では人間の食事とマイドの電力供給はよく引き合いに出される。
だが、実際のところ、マイドのそれは食事よりも呼吸に近い。
彼らはバッテリーが無くなると予備に切り替わり、それも切れてしまうと機能停止をしてしまう。
そして、回路の帯電が尽きると記憶データは保持されなくなってしまう。記憶の完全な喪失。つまりは個人の死。
彼らは“より人間らしく”という方針のもとに設計されている。
そのため、記憶領域には電気的なメモリーが用いられているのだ。
コンピュータのハードディスクドライブのようなものを用いれば電池切れ程度で死ななくなるのは可能だ。
だが彼らは、みずから“死ねること”を選んだのだ。
「普段、人間のひとたちがお弁当を発注してるお店があるんだけど、そこでいいかしら? 距離も近くて楽だし」
ルーシーから注文可能な食事のリストを受け取る。
メニューは豊富。各旧文化の食事がずらりと並ぶ。中央三層に負けない品揃え。一〇〇項目はありそうだ。
画像付きではないので聞いたことのない料理のイメージはできないが、それはかえって好みの文字列を探し出すのに役立った。
「それじゃあ、このドーナツセットとミルク風飲料をお願いします。ミルクにはお砂糖を二本付けてもらえると嬉しいです」
「……私、食事はしないけど、それはちょっとヘンじゃないかしら? ランチの注文を訊いてるのよ? ティータイムじゃないのよ?」
「甘いのが好きなので」
「まあ、いいけど。昼休みは十二時きっかりから一時間よ。台本を持ってない人がいると手間が増えるわ」
ルーシーはメモを取ると小言を言ってテントから出て行った。
私は少し寂しくなる。出逢った時とはずいぶんと違った態度だ。まるで別人。
個人と配役の違いなのか、それとも単純に私が嫌われてしまったのか。
確証はないが、後者について思考したときに胸が少し痛くなった。
自分の研究室では見知ったメンツとのやり取りばかりだった。
今や彼らとは気を遣うことも、配役か個人かなんて気にすることも少ない。彼らと初めて会った時はどうだったろうか?
……ひと付き合いというものは、難しい。
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