Page.07 テント
広場に設置されたいくつもの防砂テント。
地面に直接設置されたテントだが、これらはドーム外での使用も想定されている仕様で、風速四十メートルまでも耐えることができる代物だ。
空調も完備。ひと部屋程度の大きさにがっしりとした骨格。集会テントの大きく進化した姿だ。
テントには工具や部品類を弄るマイドの作業員が数十人。
周りにはそれより沢山の身の丈ほどのコンテナ。
中からコメットサンド製のパネルや、保護用の被膜シートが運び出されている。
「すごい。こんなにたくさんの箱。いよいよパネルを貼っていくのね!」
ルーシーが感嘆の声をあげる。
「おう、ルーシー。うるせえ声が聞こえたと思ったら、やっぱりお前か。今日から復帰か?」
ひときわ大きな防砂テントから電子音声。
中から二メートル近くもありそうなマイドが書類を手に現れた。
頭には黄色いヘルメット。防砂服は着ないで首回りに防砂用のカバーを装着している。
「あっ! おはようございます、親方! 忘れないでくださいよ。今日からですよ。台本に書いてあったでしょう?」
つるりとした口を尖らせるルーシー。
「ハハハ。おはよう。いちおう聞いたまでだ。それで、これもいちおう聞くのだが、そちらの女性が中央からいらしたかたかな?」
親方と呼ばれた大マイドがこちらを向いた。
彼の目もまたLEDの表現装置とカメラで作られた疑似的なものだ。第一層用のマイドボディの一般的な仕様。
「中央技術部隕砂研究室室長のアイリス・リデルです」
私は起伏少なく名乗った。
「修復現場主任のジョージ・ウェルズです。ここでは親方って呼ばれています。本職はドーム外の電力線の点検係です」
修復部隊はその都度臨時に結成される。
破損部周辺は屋外に近い環境になってしまうため、ドーム補修においてはドーム外作業員の経験が大きく貢献する。
さらに彼らのボディは業務用の防砂装備を持つため、ドームが破損した場合には優先的に補修作業員として招集されることになっている。
ここに居る者の多くは、普段はドーム外の過酷な環境で戦っているのだろう。
「ここは砂が落ちて来ますから、中で話をしましょう」
私は主任に促されて中へと入る。ルーシーも、ぎしひょこと足音をさせながら続いた。
テントの中はやはり空調が効いており、バスよりも遥かに快適に過ごせるようになっていた。
ただし、音だけはどうしようもならないようで、テントの幕が絶え間なく砂と風に擦られ、騒ぎ続けている。
「これからの作業の打ち合わせ……と行きたいところですが。アイリスさん、砂が気持ち悪いでしょう? 髪を直すといい」
そう言うと主任が掛け鏡を持ち出してきた。
「お気遣いありがとうございます」
私はしっかりと礼を言い、こころの中で彼にハグをして、手荷物からヘアブラシを取り出して髪を梳かした。
ブラシが通るたびに白や黄色の粉が落ちる。
なかばやけっぱちに髪を出したままにしていたが、ずっと気になって仕方がなかった。髪はめちゃくちゃだ。何度もブラシを通す。
ところで、誰かに見られながら髪を梳かすのはなんだか気恥ずかしい。
相手がマイドで、細かな表情や瞳の色を読むことができないとしても。
「本当はシャワーもあればいいんですがね」ジョージ主任が言った。
「さすがにそこまで求めるのは贅沢です。髪を梳かす時間を頂けただけでも感謝し足りません」
どうせ洗浄施設で引っかかるだろう。これは消毒と風では済まされないレベルの汚染だ。
施設の薬くさいシャワーを使わなければ三層に戻ることは許されないだろう。
ゴーグルとマスクも外し、皮膚とのあいだに挟まり込んだ砂を払う。
「これは驚いた」
主任が声をあげた。
「何か?」
察しがつかないフリをして髪を梳かし続ける。初対面ではたまにある反応。慣れたものだ。
「アイリスさんっていくつなの?!」
主任の代わりに明るいマネキン娘が声をあげた。
「おい、ルーシー。失礼なことを聞くもんじゃない」
「でも、中央の研究所の室長がこんなに若いなんて!」
ルーシーは少し怒気を含ませた音声を発している。これは初めてのリアクション。
「室長と言っても肩書きだけですから。研究者連中は自分の興味さえ満たせればいいってひとばかりで、それ以外やりたがらないんです。今回も誰も研究室から出たがらなくて、室長なのに私が行くことになって」
あらかじめ用意していた文言を述べながら髪をキャップに納める。
「ここに来るのが貧乏くじみたいな言いかたね」
ルーシーが口を尖らせた。
「こら、ルーシー!」
私の演技は失敗。セリフが不適切。
「……ごめんなさい」
「アイリスさん、謝ることはありませんよ。こいつなんていつも粗相ばかりで」
主任は怒った娘を見て腰に大きな手を当てる。
「本題に戻りましょう。現在の施工状況の書類をあげておきました。昨日までのアドリブの修正分も含めてますんで、これが最新の分です」
私は主任に渡された書類に目を通しながら、こころの中で大きなため息を吐いた。
うっかりしていた。いつもの三層民へのやり方を選んだのは不適切だった。
ここは第一層。一層民か二層民しか居ない。
普通、一層民が三層民と関わることはない。座長や会社の長などの人の上に立つ者が視察に来たときくらいだ。
ドームでは、下層に行くほど地上の脅威から離れることができ、砂害対策が充実し、隕砂化していない貴重な物質を使った暮らしができる。
上層に暮らすひとびとも、大っぴらに軽視されたり暮らしぶりが悪かったりするわけではないけれど、保護され貴重品に囲まれた下層の暮らしには憧れを抱いている。
第三層で暮らすことは上のひとびとの目標であり夢なのだ。
もちろん人間だろうがマイドだろうが、階層の繰り上げや業務上の昇進にはそれなりに時間がかかる。
本当ならば仕事や配役、台本の評価によって加点を得ていかねばならない。
それらをスキップできるのはただひとつ。「生まれ」だ。
例えば、ある第三層の夫婦に子供が生まれたとする。
当然子供は生まれながらにして三層民だ。犯罪行為がない限り層の格下げはないし、親子を引き裂く非倫理的なこともおこなわれない。
しかし、それと生まれた子供が人生を上手に演じられるかどうかは別問題だ。
“配役を演じる”という行為は、血筋や教育システムだけでどうにかなるものではない。
キャストとしての良し悪しは、個人ごとの資質と、取り巻く環境が複雑に作用して決まるものだ。
だから、三層民のニ世以降が仕事の都合で他層の者と関わるときは気を付けなければいけない。
彼らは他層の勤勉なひとびとよりも演じるのが下手だからだ。
こういうのが親の七光りだのなんだのと嫉妬の的になることは、遥か昔からの常識だった。
母にもあらかじめ注意されていたというのに、すっかり失念していた。
「私もちゃんと、学ばなきゃ」
「何かおっしゃいました?」
主任が首を傾げる。また失敗。悪癖ひとりごと。
「作業進度に関しては、今朝にようやくパーツの搬入が開始されたとのことですから、これからが本番ですね。台本通りにこなすのは困難でしょう」
素知らぬふりして流す。
「ええ。ですが、そのパーツ類、特にパネルの納品が遅れてるんですよ。
あれだけコンテナがあっても、予定のニ割程度のペースです。
二層の生産作業に遅れがあるそうで。
ですので、空いた時間に破損部周辺の被膜を剥がして、内部のチェックを済ませようと計画しています。
アドリブにはなりますが、今後のトラブルを防ぐチャンスかと思いまして」
「賢明な判断だと思います。追加の崩落があると関係者全員が台本を投げなければならなくなりますから」
台本はあくまで指標。末端に行けば末端に行くほど歪みが生じる。
それ通りにこなすことも大切だが、アドリブでの処置もまた、能力を示す格好のチャンスである。
「親方はそうやってまたポイントを稼ごうとする!」
ルーシーはまだ不機嫌のようだ。
「そんなつもりじゃねえって。俺は現場が好きなんだ。仮に三層民の権利を得てもそっちにはいかねえよ。二層行きだって保留にしてるんだ」
「どうして。こんなところ早く出たほうがいいに決まってるのに!」
「無駄口を叩いてないで出勤してきた連中の台本チェックを済ませて来い。アドリブと怠慢はまったくの別物だからな。生きてるうちに三層が拝みたきゃ、しっかり働け!」
親方はこぶしを振り上げてルーシーを追っ払った。
彼女は小走りにテントの出入り口に向かうと、あかんべーのような仕草をしてから出て行った。
それは主任に向けられたものだろうか? それとも私に向けられたものだろうか? 精度の低いマイドの動作からはそこまで読むことはできなかった。
* * * * *