Page.55 虹の女神
翌朝から全員、警察の管理下に置かれながら検査と治療に努めることとなった。
私がテロ行為に加担していないということは、生き延び捕縛されたヘルメス・ラルフによって証言された。
ヘルメスの発言が信用されたというよりは、第二層での事件とサブウェイを破壊して逃走したことが把握されて手配されていたことや、第二層監査部部長トマーゾ・サンポリス氏の口添えの賜物だったけど。
クララのほうは、何か自身で余計なことを言ったのか、ナイトが何か言ったのかは分からないけれど、警察から病院に戻ってきたのは夜間灯が点いてからだった。
おかげで私の事情聴取は後回しにされ、一日中、質のいいベッドの上で横になっていることができた。
「あ、痛たたた……」
自己暗示による過度な肉体の酷使による損傷。いわゆる筋肉痛。
姿勢を変えるのも一苦労。
午前中におこなわれた検査では、いちいち弱音を吐いて看護師たちの笑いの的となってしまった。
午後からはお手洗いすら避けてまくらのおもり。かろうじてノートを開いて報告書の続きを書くことができた程度だ。
私は面会に制限を設けられてはいなかったが、クララがこちらに戻ってくるまで病室を訪ねてくる人はなかった。
「アイリスさん、お加減いかが~?」
クララは、私がちょうどうつぶせになることに成功したタイミングで病室に現れた。
「いかがってもんじゃないわ。これなら腕でも一本折ったほうがマシ。申し訳ないのだけれど、このままの姿勢でもいいかしら……」
「構いませんよ~」
あいたた。クララの声すら身体に響く気がする。
「聴取は終わった? 今朝早くから出てたみたいだけれど」
「ええ。全部お話してきました。病院も泊まらなくていいそうです」
「そう。帰れるのね。よかったわ……」
私はもう少し深く訊ねようかと考えたが、思いとどまった。
彼女が時間を掛けて聴取に応じていたことや、その上で自由の身でいられることから、おおよそ包み隠さず話したことは想像に難くない。
つまり、彼女と仲のよかった青年が庇われることはなかったのだろう。
「アイリスさんは、入院が長引きそうなの?」
「ううん。私も検査で異常がなかったから、今晩で追い出されるわ。座長から貸し出されてたマンションは押さえられちゃってるし、サブウェイはまた異常を起こして動かないから中央に戻るのもまだ先になりそう」
私が無意識のうちに使っていた青色のレーザーは水道管だけでなく、掘削現場の上にあったレールや通信回線まで焼き切っていた。
連中のアジトが地下深くに無ければ、三層にまで被害が及んでいただろう。思い出すと背中が凍り付く。
エネルギーを使い切ったあれは、分解しなければ壊れたペンくらいにしか見えない。
私はあれを「父の形見」とうそぶいてディレクターたちから回収した。
今は役目を終えて私のセカンドバッグに眠っている。
「ということは、今日は寝る場所がないの~?」
間延びした声。
「ええ、まあ……そうね」
さも大したことないふうに言う私。
「じゃあ、しばらく泊まっていくといいわ。部屋は余っているから」
「ありがとう、クララ」
内心これを期待して誰か、というかクララが訊ねてくるのを待っていた。
今の社会では宿泊が必要なレベルの移動はドーム間移動くらいだ。
訪問のある場合は私のケースのようにドーム長が対応する。
つまり、旧時代にあったような宿泊施設は存在しないのだ。
イレギュラーなケースではあるが、これは社会システムの穴としか思えない。
サブウェイと通信網が損傷したとはいえ、いくつもの線で結ばれている以上、路線が一本切れたところで台本の配信にまで大きな支障はない。
私のための手配が放置されているということは、この大掛かりなアドリブに対しての台本の書き換えが済んでいないというわけだ。
私は心の中で、徹夜で仕事をするであろう女性へひとつ悪口を言うと、痛みを押しのけ身を起こした。
「着替えて支度をするわ。少し待ってもらってもいいかしら?」
改めてクララの顔を見る。彼女の表情にはやはり、どこか影が落ちている。
「手伝いましょうか~」
それでもいつもの調子を崩さず、クララは手伝いを申し出た。
「大丈夫よ。……できれば、少し外へ出てもらうと助かるわ」
「そう? じゃあ出てるわね~」
私は彼女を追いだすと、ときおり呻きながら着替えを始めた。
私が保護されたときの服は例のドレス姿だった。
少し目立つデザインだが、私服としても着れなくはないだろう。……問題はその下に身につけていたスーツ。
あれは特殊な品で、身体を環境から保護する目的のものだ。
スーツの効果を生かすためにに首から下を覆うスーツの下には何も身につけず、滑りをよくするローションが必須の代物だった。
すべて合わさればちょっとした寒暖差はもちろん、レーザーや放射線にも対応できる。
あれを脱がされるとき、私は看護師が女性マイドだったことに感謝した。
ちなみに、ローションを含む私物はまだ返却されていないため、私はクララと『中庭』に向かう途中、寒いような、熱くなるような感じにさいなまれなければならなかった。
中庭を訊ねると、驚く車いすの少年と、何かを察した様子のマザーが優しく出迎えてくれた。
クララは孤児院のひとびとに直接連絡する機会がなかったらしく、何も知らない少年と職員たちに質問攻めにされていた。
しかし、彼女は質問をはぐらかして早々に夕食の用意に取り掛かった。
ヘンリーはときおり、再び戻って来た私の顔をちらちら盗み見た。
そのくせ、こちらからアクションを掛けようとすると部屋に逃げていってしまった。
彼の目の下にはくまができていた。
母親が戻っていないことに気付いて心配していたのだろう。
私は夕食後、マザーの部屋に呼び出された。
マーサはクララが警察に呼び出された件よりも、先日にヘンリーと出かけてどうだったかということを先に知りたがった。
大まかにその日の行動を伝えると、次は私の体調のことを訊ね、そののちにようやくクララの件に切り込んできた。
「マーサはディレクターから連絡を受けましたか?」
「少しね。ナイトさんが逮捕されたことと、それに関連して後ほど聴取をお願いされたことだけ。
私もヘンリーも、彼がクララをよくするきっかけになってくれることを望んでいたのだけれど、こういう形になるとは思いもよらなかったわ」
老婆は複雑そうな顔をして言った。
「クララはやっぱり、あなたの目から見ても変化がありますか?」
「ええ。長時間だろうが短時間だろうが、出先から戻った時はすぐにヘンリーに会いに行くもの。
今日は長く空けていたはずなのに、彼女はまっさきに夕食の支度へ行ったでしょう?
それに、食事の際もヘンリーのことをいっさい手伝おうとはしなかったし」
マザーの洞察の通り、クララはずっとヘンリーを避けている。
これまで私が耳にしてきた彼女の会話には、たいてい息子のことが登場するのだが、事件以降、彼女は息子の名を一度も口にしていない。
「じつはクララは、ヘンリーが歩けることを知ってしまったのです」
偶然の糸の絡み合い。出来上がるのは布地か、ただの毛玉か。
「やっぱり。でも、あの様子なら大事にはならなかったみたいね」
ため息をつくマーサ。
「はい初めは少し様子がヘンでしたけど。本人も本当は気付いていた、と言っていました」
「そう、そう……」
マーサは慈愛とも憐憫ともつかない表情でうなずき、こう言った。
「よかったわ。あの子が越えなければならない壁は、あとひとつだけね」
「そうですね。彼女、ちゃんとヘンリーと向き合えるかしら」
「大丈夫みたいよ。さっきヘンリーの部屋に行くのを見たから。それに、私にあとでみんなを集めるようにお願いがあったの」
「そうですか」
私も安堵の息を吐く。
「これで私も寿命を心置きなく迎えられるわ」
老婆が笑った。親子のことは、彼女の望むフィナーレに必要な伏線だったのだろう。
その晩、マザーによって孤児院に居る職員と子供たち全員が集められ、ヘンリーの歩行のお披露目と、クララからみんなへのお礼と謝罪がおこなわれた。
一同に祝福されるふたりは頬を染めて照れくさそうにしていた。
私もよく似た仕草をするふたりを見て嬉しかったし、秘密に加担せずに滞在できるようになり、いっそう居心地がよかった。
後日、正式にお祝いパーティのようなものを開くことを決めて解散。
クララとヘンリーは台本の時間よりも大幅に遅れての就寝となった。積もる話があるのだろう。
翌朝、第三層監査部への出頭を命じられていた私は、ほかの住人に混じって朝から元気に活動をしていた。
まだ身体には鈍い痛みが残っていたが、それはそれで生きているという実感を感じられて悪くはなかった。
繰り返しの毎日。起きて、洗濯をして、朝食を用意し、子供たちを学校に送り出す。
昼には手ごわい幼児の昼食タイムや時間を縫っての買い出しがある。
端的に見ると、一日だけでも遠慮したい次元の多忙さ。
しかし、悪い点ばかりではない。
朝は早いが、それが大人の心身を程よく調律しているし、彼らの調子がいいと、子供たちもそれに応えるかのように元気いっぱいだ。
気持ちの上での健康は身体の健康に繋がる。
よりよいメンタリティはよりよい関係性を。建設的な関係は彼らの将来に素敵な小屋を建てるだろう。
私も出発までのあいだ、職員に混じって子供の世話を手伝うことにした。
「ほらほら、こぼれちゃってるよ」
私は食べこぼす子供の相手をする。
「あい、おねーちゃんもどうぞ!」
子供はマイペースに握ったスプーンの中身を私に食べさせようとする。
こういう朝もよいものだ。先日はどこか気を張りつめていたからか、頭を余計ごとに回さなければならなかったからか、孤児院独特の騒がしいような、若い活力の中ののどかさには気付けないでいた。
「大変だよ! みんな来て!」
学校へ向かったはずのヘンリーが食堂に飛び込んでくる。
私は眠たげな緊張感を慌てて起こそうとした。
「アイリスさんも! 早く早く! 消えちゃうよ!」
私の心配をよそに少年は楽しそうな声でクララやマザー、職員たちをかき集めていた。
いったいなにごとだろう。
私たちは、少しいびつな走りクセの抜けない少年を追いかけて森を駆ける。
彼が急かすものだから、食事中だった幼児を抱きながらだ。明日もまた筋肉痛じゃないといいが。
一同は孤児院への道を抜け、公園へ。
そこでは登校途中の子供たちが立ち止まり、やいのやいのと朝の薄青い天井を指さしている姿があった。
「みんな、学校に行かないで何してるの? 台本は守らなきゃダメよ!」
職員のひとりが声をあげる。
「いいから、いいから! 見てみなよ、あれ!」
少年の指さす先。
そこには異常な量のミストを散布する人口の空と、光と水分のいたずらで作りだされた巨大な七色の橋が輝いていた。
「本物の虹だ!」
少年が満面の笑みを浮かべた。
ルールを守らない子供に渋い顔をしていた職員たちの顔もほころび、感嘆の声があがる。
「綺麗だなあ」
青く塗られた天井を揶揄して、偽物の空だとか舞台装置だとかよく言われるけれど、少なくとも彼らにとってこの虹は本物だ。
種を明かせば、恐らく私が傷つけてしまった配水管に関連した異常なのだろうが、これを見た私も、何か大きな善行をした気持ちになった。
「初めて見たわ~」
「ほんとう。あれが虹なのね。長生きしてよかったわ」
クララもマーサを伴って遅れて駆けつけた。
「アイリスさん。本物の虹、見れちゃったね」
昨晩からずっと私の顔を直視してくれなかった少年が、ようやくこちらを向いて笑った。
* * * * *




