Page.54 唯、在るということ
銃声に反応して一斉に顔を向ける人形たち。
いきなりの大音量がエラーを招いたか、彼らはふいに機能を停止してしまった。
銃撃した男の足元に居る女性は目を見開いている。
それから、人形とつかみ合いを続ける青年も。
「どうして、あなたが……」
誰かが言った。
ピストルの弾から私をかばったのは、ここに居るはずのない人物。
誰かが言った言葉を思い出す。
「ありえない偶然の積み重ねが、良質な物語をつくりだす」と。
これもそのうちのひとつだろうか?
しかしこれは、あまりにも不可解で、それから、私の胸に弾丸以上の衝撃を与えた。
「ヘ……ヘルメス……どうして?」
「……どうしてでしょうね。気がついたら飛び出していました。きっと、人間にとってよくないことだとプログラムが判断したのでしょう」
私の腕の中でトレンチコートの男が言った。
「プログラムだなんて。だとしても、あなたは“父”の意思に従っていたはずでしょう?
彼の意向に従うことが、人間のためなんだって。こんなこと、おかしいじゃない……」
ヘルメスは自分の脚で立とうとしたようだったが、力が入らず、再び私の胸の中に崩れ落ちた。
「どうしてでしょうね? ただ、こうなってしまっただけとしか。
これほどの損傷です、早く仲間のもとへ戻って修復をしなければなりませんねえ。
オリオン座の計画は台無しです……。しかし、不思議だ。どうにも気分がいいのです」
そう言うとヘルメスは声を立てて笑った。
「どうして? どうしてあなたが? この女はあなたの、父の、我らの敵だったはずだ」
エヴノがうめいた。
弾倉がカラになったままのピストルを握り締めたまま。
「私にも分かりませんよ。
あなたに手を汚して欲しくなかったのかもしれませんし、アイリスさんに死んで欲しくなかったのかも。
あるいは、私は死にたかったのかもしれません。八〇〇年も生きてますからねえ……」
ヘルメスはもう一度笑う。それから崩れ落ちる。
私は彼が床に衝突しないように支え、ゆっくりと座らせてやる。
「何がおかしいんですか!? 理想は!? 完全な社会は!? 使えるヤツと使えないヤツの選別はどうなるんです!?」
砂まみれの床を踏み鳴らす青年。
「はははは……。それはあなたが勝手に言っていただけでしょう。
我々はひとびとのために在るのです。
ドームの中や外、出来不出来は関係ありません。それが父の意思だから……」
そして、私の母とも同じ思想。
「違う! 全員救うなんてムリだ! 優先順位が必要だ! 切り捨てるんだ! 完全な社会に不完全な生き物など不要だ!」
エヴノは地団太を繰り返し砂を撒きあげる。
「……クソったれ!」
ピストルが思い切り投げられる。
黒い銃身はその辺に居た人形の頭に当たり、大きな音を鳴らした。
当たった衝撃か、停止していた人形が再起動をする。
「……四〇番だな。踊れ四〇番。……全員殺せ。ここに居る全員だ」
連鎖反応。ひとつの人形が動き出すと、ほかも次々と再起動を始める。
グラン・ギニョールのアンコール。
「踊れ三六番。そこの女を殺せ」
「やめるんだ! クララ! 逃げろ!」
「踊れ九番。そこの男の頭を割れ」
「あなたも逃げて!」
「踊れ一〇番。破損している役立たずの人形どもを完全に破壊しろ」
壊し合いの再上演。
「踊れ三一番。そこの女とコートのマイドを殺せ」
私は向かってきた人形を足蹴にして追っ払う。
起動する人形たちに次々と命令を出すエヴノ。
彼の目は虚ろで。何もない所を見続けている。ただ口だけが動き、機械のように命令を下し続ける。
「踊れ二一番。……俺を殺せ」
「やめて!」またクララが。
「正気に戻ってくれ先輩! 死ぬことはない! 計画ならまたやり直せばいいじゃないですか! リゲルさんだってまだ死んだわけじゃない!」
「アイリスさん! 彼を止めて!」クララ。
「アイリス! クララを助けてくれ!」ナイト。
「みんなで死ぬぞ! これなら公平で平等だろう! なんの心配も要らない!
アウトサイダーは旧世界の兵器を掘り出してるんだろう!?
ほら、アレがあるんじゃないか? かくばくだんだよ! かくばくだん!!」
エヴノは自身をかばおうとする女を押しのけ、自ら人形の群れに飛び込んでいった。
「みんなのためのかくばくだんだ~~!」
もう滅茶苦茶だ。誰かのためだとか、社会のためだとか。
敵とか味方とか。マイドがどうしたとか、人間がなんだとか。父とか母とか。
「頭が痛いわ。目の前がぼやけてきた。音もうるさい」
ひとりごと。
「リセット! リセットだ!」
叫びながら殴られる狂人。
そういえば、母も言っていたことがあった。
「社会の立て直しは、リセットしたほうが早いんじゃないかと思うことがある」って。
だったら、エヴノの言う通り、今生きているひとをみんな殺してしまえばいいんじゃないかしら。
……でも、それだとなんのために社会を正すのか分からないわね。
過去とか、未来とか、今とか。親とか、子供とか。
何が正義で、何が悪だとか。
「どこからが“ひとである”で、どこからが“ひとでない”のか」
これも母が言っていた。
基準は何? 誰が決めるの? 台本にはなんて? それを演じるために必要な配役は?
私はぶつぶつと自身へと質問を投げ続ける。
目の前のつかみ合い。誰が誰だか。あれは誰かの母親だったかしら。
私はつかまれる。誰に? 硬い指。ただただ、不愉快。
私が力の限り蹴飛ばした人形。うしろ向きにのけぞり、首がありえない方向に曲がる。
何か叫んだ。機械じみた音声。命乞いかしら。
痙攣する機械人形。まるで人間みたい。
悪寒が走る。
マイドは人間の姿を模しているんだもの、人形も構造はマイドと同じなんだもの。不愉快で当然よ。
だからって、みすみす殺されるワケ? 彼らは抵抗はしても、攻撃はしないじゃない。
ナイトはバカだし、クララはエヴノをかばうし、エヴノは私たちを殺そうとするし、ヘルメスもわけが分からないし。
私は何? どうすればいいの? これ以上、どうしろっていうの?
こんなめちゃくちゃな劇を、台本も無しに?
……そういえば、私の配役ってなんだったかしら。
オリオン座に来てから、台本も配役もあっちに置いてきちゃったから、思い出せないわ。
アドリブにも限界があるものよ。アドリブはアドリブ。
不測の事態を繋ぐためのものにすぎないの。
全部がアドリブだなんて、そんなのは劇じゃない。……でも、監督たちはハッキリしたことを言ってくれないし。
「もう限界よ……」
もう演じることはできない。
くだらない寸劇の数々。
私が穴を調べたり。
私が怪我人の命を救ったり。
私がメロドラマの仲裁に入ったり。
私がコーヒーに三杯のお砂糖を入れたり。
私がスクランブルエッグを作れなかったり。
私がシャワーを使って少年に虹を作って見せたり。
私が私を騙しながら、気に入らない医者に相談をしたり。
私がキスをしたり。
……私が誰かを殺したり。ほら、また私が人形を殺した。
なんて嫌な気分。彼らには感情プログラムもなければ、自律的な意思もないし、家族だっていないのに。本当にムカつく。
ムカつくといえば一足す一がニにならないなんて言うヤツ。
それから、一〇割る三も嫌い。あいつは白衣を着ていた。
目に映るわ。黒いスーツの青年の腕が、変な方向に折れ曲がっちゃってるのが。
あっちでは、人間の女性が大きな男の人形に馬乗りに押し倒されてしまってる。
こっちでは、人形に自分を殴らせてる完璧主義者。顔が赤く、青くなっちゃってる。
足元にあったはずのコートも、どこかに引きずられていってしまったわ。
みんなを救いたい? 丸く収めたい? そんなの無理?
それができないなら、“私”なんて消えてしまえばいいのに。
『私は、私を演じられない』
――――。
少しづつ鮮明になる視界。それから音。はっきりとするのに。何も分からない。
目の前の人形が吹き飛ぶ。
ネイビーブルーのかたい生地がひらひらと揺れた。これは誰かのにおい。
何かを振り回す音がする。
ひとの腕を折った人形の腕が、めちゃくちゃにひしゃげてちぎれた。
ドレスの腕が別の金属の腕を握っている。
その腕が別の腕を打ち、腕の持ち主は視界から消えた。
誰かに馬乗りになった人形。上下に身体を揺すりながら、両手で下に居る者の首を絞めている。
同じようにドレスの腕がその人形の首に手を掛ける。人形の首と胴が分離した。
“ひと”の顔。それはどこかへ飛んでいって、何かを引きずる人形に当たった。
らくだ色を引きずる人形は腕だけを残してどこかへ消えた。
赤茶けたオイルの筋が砂の広場に染みを作っている。
それからたくさんの人形が現れた。
人形の足元には赤い顔の何か。
たくさんの人形が大きくなる。
ひときわ大きな人形。
景色が変わる。人形たちは見上げている。それから拡大された天井。
そこは月よりも高い?
二度景色がくるくる変わり、それから反転。また、アイリスのフレグランス。
景色ががくんと下り、ヒールのかかとが、丸くて堅い物にあたり、丸くて堅いものが凹んだ。
唯、流れていく風景。
人形。衝撃。人形。衝撃。
壊れる。人形。壊れる。人形。
人形は全部動かなくなる。ただの鉄くず。
物言わない、唯、そこにあるだけの物体。
音が消えた。そのうちに動くものも消えた。ただ、延々と砂場だけが映る。
――――。
「……リスさん! アイリスさん!」
視界が揺れる。
「しっかりして。しっかりして!」
誰かの心配そうな顔。これは誰? 母さん? ……違う。でも、そう。
誰の? 私の? ……少年の、だ。
『私は……』
私は自身のつぶやきと共に認識を取り戻した。
「クララ」
「アイリスさん。よかった~。いきなり暴れ出すから、どうかしちゃったのかと思ったわ」
間の抜けた声。安堵の息が私の顔に掛かった。それから暖かい抱擁。
「……これ、私がやったの?」
クララの肩越しに見えるのは、バラバラにされた人形たち。
砂の色は濁り、空気にもオイルのにおいが染みついている。
「そうよ。驚いたわ~。でもよかった。みんな助かったんだもの」
クララは私の背中を優しく叩く。鼻の奥がすこし熱くなった。
「ははは。驚きました。私はもう少しでバラバラでしたよ」
両片足を失ったマイドの男が笑った。彼はそれでもトレンチコートを離していなかった。
「……信じられない。人間業じゃない。」
呻く様な声が近づいてくる。
「クララ、彼女から離れるんだ。彼女は普通じゃない。彼女は人間じゃない!」
ナイトが私からクララを引き離しに掛かった。
クララは、あっさりと私を放し、青年のほうに向き合った。
それから、ピストルの発砲音に似た音を響かせる。ぱぁん。
「……どうして! 僕は君のことを思って!」
頬を押さえる青年。
クララは答えなかった。
「エヴノ君、エヴノ君。生きてますか?」
ヘルメスが訊ねる。
顔がトマトのようになった人間は返事をしなかった。
代わりに、胸を上下させながら、口や鼻から赤い泡を吹きだす湿った音を立て続けている。
「生きてる……」
私は赤く汚れたスーツの青年から目を背けた。
「アイリスさん」
ヘルメスが呼ぶ。
「……何?」
「引き分けですね」
マイドの男性は楽しそうに言った。
私はあっけにとられて、しばらく思考が消える。
「引き分け? あなたたちの計画はオジャンよ。私たちの勝ちじゃないの?」
遠くから、たくさんの規則正しい音が聞こえてくる。階段のほうからだ。
「警察が駆けつけてきたようです」
彼らはハッチを開けるのにてこずっているらしい。
しばらくガタガタやったあと、扉を乱暴に叩き始めた。
「私と、彼らは逮捕されるでしょう」
ヘルメスが言った。
ナイトは息を飲み、目を凝らして砂の床を見つめている。
「恐らく、中央の権限によって、この事件のことは隠匿されるでしょう。
ですが、ナイト君とエヴノ君は、オリオン座第三層においてそれなりの立場にある人間です。
事件そのものを隠すことができたとしても、彼らが消えたこと、逮捕されたことは知れてしまう。
恐らく、座長の汚職もおおやけになる。ひとびとは考えるでしょう。今のいびつな社会について。
これだけでも、我々にとっては大きな利になるのです」
ははは、とヘルメスが笑った。
「そうね。“我々”にとってね」
私は言った。
「いまさら、仲間になると?」
ヘルメスは笑いをやめた。
「まさか。我々も、私も、あなたも、みんなひとびとのうちよ。手段がアナーキーで乱暴だっただけで、その目的は崇高だったと思うわ」
転がる人形の残骸を眺めながら言った。マイドと変わらないボディ。
警官たちがこの現場を見たらどう思うだろうか。特にマイドの警官が心配だ。
「これからもあなたも私とは、……中央とは相いれないと思うけれど、
あなたが人間のために在ったことも、
あなたたちの父がひとびとのためを思っていたことも、忘れずにおくわ」
私はそれ以上何も考えないようにし、残骸から視線を外した。
「いちばん乱暴だったあなたが言いますかね」
ヘルメスは人間然とため息をついた。
「憶えておりませんし」
私はマイド然に答える。
「でも、スッキリしたでしょう?」
意地の悪いドーム外生活者が笑った。
「否定しないでおきます」
ヘルメスの言う通り、私は胸のすくような思いだった。
ほとんど憶えていないのは本当。ただ、全身の酷い痛みだけが証拠。
それでも、私は何か身体と心の汚れのすべてを洗い流した気でいた。
お風呂よりも、森の空気よりも、もっともっと深い洗浄。
残ったのは死体の山のようなスクラップたち。
それでもカタストロフな結末とは、似ても似つかない不思議な幕切れだ。
これまでに募っていたイライラは、砂の城のように崩れて消えてしまっていた。
「ふふ」
私は笑い声を立てる。
もしも、もしも砂嵐が晴れて、青空の下へ出ることができるようになれば、きっとみんな、これと同じ思いができるんじゃないかしら?
「……ねえ、ヘルメス」
「なんでしょう? アイリスさん」
「エヴノがやったように、人形を使って私を殺させなかったのはなぜ?」
単純な疑問。それは愚問だ。
だけれど、ヘルメスは残った片方の肩を竦めただけで、何も答えなかった。
それから程なくして、なだれ込んできた警官たちによって、私たちは保護された。
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