Page.52 Deception
「クララ。どうして部屋から出たんだ」
私はナイトのこめかみに雫が流れるのを見止めた。
「だ、だって。ナイトさんがまた、あのひとと言い争いをしてるのが聞こえたから、それで、気になって聞き耳を立てていたら……」
クララはしどろもどろに話しながら身体を前後に揺らしている。
どうやらヘンリーのことも聞いてしまったらしい。
「違うんだ。これはみんながクララのためを思って……」
弁解するナイト。
「いいの。私ひとりのために、大勢のひとが苦労をするのはよくないわ……」
脚の悪い子の母親はショックだったのだろう。
彼女もまた顔を青白くし、冷えた汗を流している。
「無理をしないで。イスに座って落ち着くのよ」
私は手近なイスを引いてクララを座らせる。ナイトは脚が悪くなったかのように動かない。
「クララ。僕は、みんなは君を騙していたわけじゃない。君の病気にとって、ヘンリーが歩けることを知らせるのは……」
ナイトは恋人の顔を見ずに言った。
「いいの」
椅子に座りながらも身体を揺すり続けるクララ。「いいの」彼女は繰り返す。
「よくない。でも、本当はそれを知らせなければ、君もよくならないんだ。だけれど、難しい問題だから……」
「いいの」
「その、ヘンリーも歩けるように練習をしているけれど、母親の助けが要らなくなったわけでもないし……」
「いいの。……分かっていたのよ、本当は。
床ずれもできなくなっていたし、マッサージをしたときの脚の硬さも違ったもの。
私は、ヘンリーがよくならないほうがいいって、心のどこかで思っていたのよ。
問題を先延ばしにしておけば、誰かが私たちのことを心配してくれるから。
“あの時”みたいに、誰も助けてくれないんだって思わずに済むから……」
クララは口の中で言葉を転がす。
ショックは大きいようだが、発狂するほどでもないようだ。
実際にヘンリーが歩いているところを見るまで、安心はできないだろうけど。
「そんな。誰も助けないなんて、ありえないよ。僕はヘンリーが居ようと居まいときみのことを助けたいと思ってる。これからだって……」
ナイトもようやく彼女の変化への恐れが無くなったのだろう、しっかりと相手の顔を見て言った。
「そんなことはいいの。それより、私は“全部聞いていた”のよ」
クララは揺れるのを止め、ナイトと、座ったまま動かなくなってしまったトレンチコートの男を見比べた。
「違うんだ! 決して、ひとを傷つけるようなことを考えていたわけじゃない! これは、みんなのためになることなんだよ!」
青年は叫んだ。
「違うわ。それも、違うの。ナイトさん、あの男のひとを止めないと」
「あ、ああ。そうだ。エヴノ先輩はなんで出ていったんですっけ?」
青年は片手で頭を掻きむしると私のほうを見た。
「ナイト、しっかりして。エヴノは人形を使って、私たちを殺させる気よ。あの人形たちはどうやって命令を受けるの?」
「ええと、声紋認証と特定のキーワードを聞かせることで、命令の入力を受け付けるようになるとか。
複雑な命令の指定はプログラムしなきゃならない。
普段はリゲルさんの声しか登録してないはずなので、彼は今その登録をおこなっているはずです。
そうでなければ、すでに外の人形はこっちに来ていると思う」
「なら、まだなんとかなりそうね」
エヴノを追おう。始末されるのはごめんよ。彼が手に掛けるのが私たちだけで済むとも限らないし。
私は小さな希望をもってナイトのほうを見たが、青年の瞳はクララに向けられており、動くことはなかった。
心の中で彼への評価を彼の父親以下に変更し、ひとりで怒れる完璧主義者役に立ち向かうことに決める。
人間を相手にするのはつらいけど、危害を加えずとも止める方法は、必ずあるはずだ。
「……あのひとは、すごく怒っていた。何もかも壊してやりたいっていう、全部を憎もうとしてるけど、何を憎めばいいのか分からない顔。……あのときに、すごくそっくり」
クララがつぶやいた。
「あのとき? 先輩と知り合いなの?」
ナイトが訊ねた。
「ううん。なんだか似ているのよ。そっくり」
「誰に?」
「ヘンリーの父親と……」
私はふたりを残して会議室を出た。
* * * * *
ハッチを抜けると、相変わらず立ち尽くしたままの人形の群れがあった。
私が会議室から出るや否や、彼らは一斉に顔をこちらに向けた。
三層ボディと同等の、人間を模倣した顔つき。視力が悪いひとなら人間と勘違いしそうな作りだ。
しかし彼らの動きはマイド然というよりは、機械然としている。
シルエットだけでいうなら、ルーシーのほうが遥かに人間だ。
私は墓標のように立ち並ぶ人形たちの横をすり抜け、エヴノの行き先を調べる。
もともとは何かの掘削場で、広い機材置き場から伸びる坑道や、工員用と思われる部屋など、分かれ道が多い。
どうかすると自分が出てきた会議室も見失ってしまいそうだ。
「エヴノはどこに行ったのかしら」
つぶやくと一斉に機械音。人形たちが首を同じ方向へと向ける。
私は驚いて小さく悲鳴をあげ、彼らの向いた先を見た。
新しめのハッチ。そこにエヴノは居るのだろうか?
人形たちの導きに従い、ハッチに駆け寄る。
取っ手もノブもない、つるつるとした板。横に取り付けられた機械は暗証番号式だ。
「エヴノ! 開けてちょうだい。バカな真似はよして!」
私はハッチを叩いた。
「カードキー型でないならいけるか……」
私は開錠用のキーパッドの液晶を確認する。四桁。一万パターン。
私は腕の筋をしっかり伸ばし、指先のストレッチをする。
『私は、すべての番号を試したい』
指先をパッドに這わせる。滑らかに動く指先。
0000、0001、0002……。次第に数値を意識しなくとも指が動くようになる。エラーの連打によるロックもないようだ。
0156、0157、0158……。ギャング映画のマシンガンのような指先。
0339、0340、0341……。ただ指が動く。何も考えない。
1814、1815、1816……。パッドがエラー音を発し続ける。
ここまででおよそ一分半。最悪あと七、八分は掛かる。
私は高速でパスワード入力し続ける。腕が痛い。集中力が切れる。
2000、2001、2002……。
内側から「ピー」という電子音。ハッチが開いた。
ふいを突かれた私は、中から早足で肩を怒らせ現れた男に押しのけられ、床の上に積もった砂に尻もちを突いた。
「お前たちも終わりだ」
エヴノは私を見下ろし、ハッチが再び口を閉じるまで見張り続けた。
「やめなさい。ひとを殺すなんて恐ろしいことよ」
「私が殺すんじゃない。殺すのはあいつらだ」
人形たちはいつの間にか、真正面を見る姿勢に直っている。
エヴノは手近な人形に近づいた。私服姿の若い女性マイド型。
私は立ち上がり、ハッチを背にポケットを漁る。
お守りはさっきの部屋に落としてきてしまったらしい。
「三六番」
人形の肩に手が掛けられる。私は身構える。見た目には分からない、でも何か気配が変わった。
――「踊れ」。あの女を捕らえろ。
エヴノがそう命令すると、人形は雑踏で急ぐ人のように早足で私に歩み寄って来た。
私は、こちらへ伸ばされる腕をすり抜けて、人形の群れから距離を置きつつ走り出した。
機材置き場は広い。人形はそれほど高速には動かないようだ。性能が悪いのか、命令の問題か。
「逃げ切るのは簡単だけれど……」
私はクララとナイトが残ったままの会議室があったと思われる方向を見た。
「三七番」
広場に声が響く。
――「踊れ」。あの女を捕らえろ。
エヴノの指令に従い、背広姿の男性型が追手に加わる。黒いスーツ。
「エヴノ! こんなこと、よくないわ!」
私は叫んだ。
「お前にとってはな! だが、ヘルメスにとって、我らにとって、全人類にとって、お前は邪魔なんだ! だからここで始末する。ここには誰も来ない!」
「プラントを破壊したとき、配水管が破損したの。生きてる水道だった。ここはオリオン座の掘削場跡よ。水道局が気付いたら、ひとを派遣してくるに違いない!」
「やっぱり破壊工作をしたんだな! それも派手に。
お前は情報を仕入れていないから知らないだろうが、傷ついたのはここの配水管だけじゃない。
ドーム内の配水管や、サブウェイや通信にも破損が出ている。
今頃、第三層はアドリブとイレギュラーの嵐だ! こんなところに誰かが来るはずがない!
お前は、私たちだけでなく、何も知らずに暮らすキャストたちにとっても害悪だ! 使えない人間以下だよ!」
あのとき、私のペンのレーザーは最大出力で振り上げられていたらしい。
最低出力でも役職を持った警察ディレクターが所持する赤色レーザーを上回る威力。
無意識だったとはいえ、私はオリオン座を破壊してしまった。
物は直せる。でも、万が一、誰かがレーザーに当たっていたら……?
鼓動が早くなる。逃げる足に血を送る余裕がなくなり、私はへたり込んでしまう。
男女の人形が追い付き、私の両脇を固めた。
「やはり人形はいい。命令を下す者次第で、有能になれる。人間だとこうはいかない。バカでアクティブなヤツなど、本当に手が付けられない。それに、すぐに騙される」
私を捉えた人形を満足げに見やるエヴノ。動けなくなった私に迫る。
「三六番、三七番。そのまま押さえていろ」
機械のような力強いホールド。
私の両腕は痛むほどに固定されてしまう。ような、じゃない、彼らは機械なのだ。
「いいザマだな、北極星のトップスター。お前は、中央が送り込んだスパイか何かだったのか?」
あな憎しと顔を歪めるエヴノ。
「違う。私はドーム天井の修理状況を視察しにきただけよ」
「だけの女が“テロ組織”に潜入して、テロリストの腕を切断するものなのか?」
「本当よ! それに、ヘルメスの腕だって……」
「勝手にちぎれたとでも言うのか!
仮にお前が特殊なディレクターでないとしても、中央の特権を行使しているのに違いはない。
いびつな社会システムに加担しておきながら、自身は法外な活動ができるとは、ずいぶんといい身分だな!」
エヴノの腕が振り上げられる。
彼の冷たい手が私の頬を打った。痛い。
だけれど、返す言葉もない。Hi-Story擁する中央ドームは、ほかのドームよりも上位に位置する。
サブウェイコンステレーションに加盟するドームのリーダー的役割、貿易の采配や通信規制、運送列車ダイヤの作成などもおこなっている。
「私は……」
それでも私は何か弁解がしたく口を開く。
「小娘が!」
しかし、返す手が私の頬を再び打った。
口の中に鉄くさい味が広がる。
「お前は我らの仲間になりえないよ。特権階級で! ガキのクセして! それに女! 我らの理想を理解できるはずがない!」
中央第三層の研究所の若き女室長。
成り上がり自体は実力だけれど、母の影響による能力であることも否定できない。
それに、母もまた特殊な立場なのだ。
エヴノに打たれ続ける私の頬。
私が何かしたの? 殺すなら早く殺せばいいのに。
また手が振り上げられるのが見えた。私は反射的に首を縮める。
振り下ろされない。
「第三層のことを“保護区”とはよくいったものだ! お前もまた社会の倒すべき象徴だ。お前の死体を中央に送ってやる。社会の間違いを正す我らの存在を、世の中に知らしめる必要がある!」
怒りと愉悦の色が混じった声。
「それは間違ってるわ。ヘルメスも“父”も世の中のためを思って、ひとびとが自ら気付くことが大切だって。考えかたは違うけど、目的は間違ってない! あなたのその発想は、ただのひと殺しよ!」
「知ったようなクチを利くな!」
おなかに固い物が強く入り込んだ。完璧に磨かれた靴。鈍く重い痛み。足が震える。
「ひと殺しはお前だ。ヘルメスの損傷は人間なら手当が遅れればすぐに失血死する傷だったろう。
どうやった? 旧時代の武器でも隠し持っているのか? 刑事室長でもそんな武器は持ってなかったぞ」
「……ヘルメスはまだ死んでない。
それに、無為に社会システムに傷をつければ、結果的に命を落とすことになるひとだってでてくる。
あなたたちがやろうとしていることだって、ひと殺しには違いないじゃない」
「必要な犠牲だよ。それに、直接殺害するのと、結果的な死亡には大きな隔たりがあるだろうが!」
彼はそう言って私のおなかにもう一発靴をお見舞いした。
身体中の筋肉が痛む、部分へ向けて収縮する。
「……あなたは、間違っている」
私は喘いだ。
「この世の中が間違っているんだ! ひとびとのための台本でありHi-Storyだったはずだ。今やその逆だ。役をこなすために生きさせられ、Hi-Storyを維持するために世の中は回っている!」
「Hi-Storyは人間の為に台本を書き続けているのよ」
「中央で暮らすお前なら知ってるだろう?
Hi-Storyは最初のマイドだ。だったら何故まだ生きている?
何百年にも渡り例外として生き続けて。何が『マイドは人間の為に』だ!
結果として自分を維持するためにやってるんじゃないのか?
人間を家来のように使って! まるで神気取りじゃないか!」
……。
「あのひとは神なんかじゃない!」
私は叫んだ。
「神はひとではない!」
またエヴノのつま先が突き出される。
私はとっさに膝を上げて蹴りを阻止する。
「――っ!」
ひるむ嗜虐的な男。
「もういい! 三六番、三七番。この女を片づけろ!」
待機していた男女の人形が命令者の顔を見る。
私は一時的に精神的優位を勝ち取ったものの、両脇を押さえられていることには変わりがない。
ほんの数秒のスキがあれば、自己暗示でなんとか脱出を試みれるのだけれど。
何かあいつの気を逸らす方法は……。
ナイトとクララは出て来もしなければ、逃げ出してくる様子もない。
もしかして、他に出口があって、とっくに逃げてしまったのだろうか?
「どこに片づけますか? 資材の収納倉庫は2番、3番にスペースの空きがあります」
機械仕掛けの男女が同時に言った。
「……そういうことじゃない! 三六番、三七番。この女を、殺……」
『私は、あなたたちに屈しない!』
男性型推定八五キログラム、女性型推定七〇キログラム。
「なんだと!?」
ボールのように頭上に舞うふたつの人形。唖然と見上げるエヴノ。
「お返しよ!」
私は男の脚の間目掛けてヒールを力いっぱいに蹴り上げた。
「アカン!」
悲鳴を上げる青年。メガネが床に落ち、自身の足でそれを踏み潰した。ざまあみろ。
続いて遠くで人形が落ちる音がした。
電気的な反応でのたうち回るニ体。
「頸部損傷! 頸部損傷!」
「命令実行不可!」
まるで激痛に苦しむ病床の患者。重なるトレンチコートの幻影。
……そっちは見ちゃダメ。
私は大きく息を吸う。蹴られた下腹部が疼く。
頭から痛みを押し出せ、雑念を消して。
もう一度演技を。もう一度仮面を。
社会のために、みんなのために、母さんのために。
「あなたの嫌いな中央特権を行使するわ。全ドームに対する危険思想と、0024番ドームへの破壊活動の疑いで逮捕する!」
――――。
私の宣言のあとに、ホールに大きな破裂音が響いた。
* * * * *




