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Page.51 エゴとイド

 ――――。


 激しい咳き込みの音で、私は現世に引き戻された。

 血の流れを取り戻した身体のあちらこちらが熱く、冷たくなる。


「……どうなったの? 私、助かったの?」


 痛む首をさすろうとすると、右手に銀色のペンが握られていることに気付く。

 それと同時に、焦げ臭いにおいが鼻についた。

 銀色のペン。母に持たされた過剰なまでの護身武器。

 何ものでも切断しかねない青いレーザーはもはや破壊兵器といえる。


「いったい何が……」

 私の右手側の床から茶色く焦げた筋が走っていた。それを目で追う。

 地割れのようなそれは清潔な床を切り裂き、奥にある白いタンクを縦断、天井の中ほどまで達していた。

 アウトサイダーたちの切り札の一端は、火花を散らしショート音を繰り返している。


 ……そしてその根元には、トレンチコートのひとかげが背を預けていた。


「ヘルメス……!」


 ヘルメスは肩から煙を上げ、自慢のコートの左袖、そしてその中にあるはずのものを失っていた。


「……ああ、よかった。私はしくじった」

 ノイズ混じりにうめくヘルメス。

 その身体はコンピューターに強く叩きつけられたらしく、白い筐体は丸く大きな凹みを作っていた。


「私がやったの……?」

 私は半歩後ずさる。視界が下がると、目の端にヘルメスの切断された左腕が映った。


「そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれない。私はあなたの首を絞めて殺害しようとしました。

 あなたの身体の芯は硬くなって、私の腕を何度も叩きました。

 それでも私は、『あなたは人間ではない』と必死に言い聞かせて、始末しようとしたのです」


 ヘルメスは無事なほうの腕であたりを探り、中折れ帽を見つけ出す。

 それからそれを表情のない頭部に被せた。


「あなたの首や腕から力が抜けるのを感じました。

 私の顔に三十六℃の空気が触れて、指があなたのもっと深い所に届きそうになったとき……、

 私は思わず力を緩めてしまった。私は、あなたを殺せない理由を無意識のうちに探していたのです」


「でも私は……」

 右手の中の銀のペンを見つめる。


「それも無意識でしょう。生存本能ですよ。法的にも正当防衛だ。ひとでもコンピューターでもそう判断します」

 被害者であり加害者である男は私を励ますように言った。


 彼は機械の身体だ、腕を失ったくらいでは生存機能に支障は出ない。

 しかし、それは個体での話だ。彼の言う通り、ひとやコンピューターに“判断”をして貰えば、人間でいう死亡に相当する重症。

 状況の把握とともに、足元から悪寒が私を書き換えていくのを感じる。


「私は……私は……あなたを殺そうと」

 指が震えてペンを取り落とす。

 いまだに動き続ける工場の騒音に混じって、カラカラと音が響いた。


「気にすることはありません。ここは非公式の場なんですよ。アイリスさんから見て、ドーム社会に属しない私は“ひと”ではないのです」

「でも……」


 目の前のマイドには意志があるし、口だって利いている。

 それから、元々は登録ナンバーを所有していて、データの残っているボディの部品を使っていて、私と同じく、合図とともに自身の力を引き出す特技を持っている。


「しかし、逆に言えば、我々ドームの外に暮らす者から見て、あなたが多少変わっていたとしても、それを人間ではないと言いのけることは、自身の否定に繋がる行為だったわけです。だから私は手が緩んだのでしょう」


「やっぱり、私は……」

 間違っていたのだろうか?


 社会に仇名す悪の撃退も、母やひとびとの暮らしを守ろうとする行為も。

 誰かが言ったわ「他人の命をどうこうしようなんて、それ以上におこがましいことはない」って。


 私はやっぱり人間以下よ。

 指は震えているけれど、こんなに硬く冷たくなっている。まるで機械。目的のためなら……。


 私は軍服のデザインを借りて作ったドレスを滅茶苦茶に引き裂きたい衝動に駆られた。


「ひと殺しじゃあ、ないですよ。それでも、私も、あなたも“ひと”なんです。

 あなたが本能的におこなった行為は、“助かろうとした”だけのこと。

 殺すのが目的だったら、私は今頃口を利いているはずはないのですから」


 ヘルメスはよろよろと立ち上がり、天井を見上げた。それと同時に大量の水が流れ落ちてくる。


「レーザーは思いのほか遠くまで破壊したようです。

 恐らくオリオン座の水道網か何かを傷つけたのでしょう。騒ぎになるでしょう。ここもいずれ見つかります」


 噴き出したしぶきが私の頭を濡らす。

 水と一緒に私のアッシュブロンドの髪が糸のように流れるのが見える。


「先ほど撃ったときに、あなたの髪を傷つけてしまった。申し訳ありません。

 私も、“慣らし”のつもりで何度も撃ったと申し上げましたが、あれは嘘だったんですよ。

 本当は、あなたの胸や額を狙ったつもりだった。

 でも、どんなに身体に命じても、引き金を引くたびに狙いが狂ったのです。

 私は無意識のうちに、ひとを殺すのを嫌がっていたのです。あなたが私を殺さなかったように」


 ヘルメスは私のそばまで歩き、残った腕で私の肩を叩いた。


「いやあ、アクション映画の登場人物のようにはいきませんねえ。彼らは容赦なく敵対する人物の命を奪うというのに」


 他人事のように笑うヘルメス。

 その声はどこか遠くで聞こえるような気がする。本当に彼の言う通りなのだろうか。


 ……彼は間違っているの? 正しいの?


「行きましょう。私のオリオン座での任務は失敗に終わりました。あなたの勧誘も失敗に終わった。ディレクターたちが駆けつけてくる前に、あなたはここを離れるべきだ」


 ヘルメスはプラントと部屋を繋ぐ通路へと歩き出す。

 去り際にパネルを操作し、用済みになった機械たちに休みを与えた。


 私はあっけなく計画を諦める彼の背中を茫然と眺める。


「どうしました? 行きましょう。彼らも待たせっぱなしです。ああ、彼らの処遇を考えていなかった……」

 ヘルメスはひとりでぶつくさ言いながら廊下へと消える。

 私は慌てて彼のあとを追った。床に溜まった水をヒールが急かすように叩く。


 * * * * *


 食事をした部屋に戻ると、ナイトとエヴノがヘルメスを出迎えた。


「リゲルさん。さっきのすごい音はなんだったんですか!?」

 不安げに訊ねるナイト。


「“計画”は失敗に終わりました」

 肩をすくめるヘルメス。


「……その腕! 何があったんですか!?」

 ナイトが上司の身体に重傷を見つけ声をあげた。


「落ち着け。彼の腕なんてすぐに付け替えれる。そんなことより、やっぱりあの女もダメだったか。

 ……ナイト。お前の提案はことごとく裏目に出るな。

 使えそうな女が来たっていうから、彼はこの数日間、あの女をつけていたというのに。

 時間の無駄どころか、計画に支障をきたすところだったんだぞ」


「僕は情報を伝えただけだ。勧誘はリゲルさんの決定だ」


「おっとそうだったか、それは失礼した。だが、そのリゲルさんが目に掛けた女ですら始末するほかなかったんだ、もっと使えなさそうなお前の女はどうしたらいいかな?」

「……うかつだったのは謝る。だけど、彼女は見逃してくれ」

「計画に支障が出るようなら始末したまえよ。今度は自分自身の手でな!」

「声が大きいよ。隣にいるクララに聞こえてしまう……」


 青年は扉のほうへ視線をやると、両手で顔を覆った。


 ……私はふたりのやり取りに一瞬足を止めたが、すぐにヘルメスに続いて部屋に戻った。


「その心配はありませんよ。誰も始末なんてする必要はありません」

 ヘルメスは苦悩の青年に声を掛けた。

 ナイトはヘルメスを見上げ、慈悲を求めるような目で見つめた。


「……おい」


 私は焦げたコートの肩越しに、もう完璧の青年と目が合った。


「なんでここに、この女が!?」

 エヴノは怒声を発した。

「勧誘に失敗した場合は始末すると言ったじゃないですか!」

 ヘルメスに詰め寄る共謀者。


「始末!? 僕は聞いてない、リゲルさんはアイリスさんを確実に勧誘できるって!」

 落ち込んでいた青年は威勢を取り戻して、もうひとりの青年に噛み付いた。


「中央のヤツだぞ。そんなわけないだろう! 勧誘を試みるのは計画のうちだったが、

 どちらかと言えば、我らの“父”の邪魔になるだろうから始末するのが優先だった。

 お前がうるさいに決まってるから、教えなかっただけだ!」


「何の相談も無しに! 僕も仲間だろう!?」

「仲間? 俺たちはお友達じゃないんだぞ。同志だ。こころざしを同じくするものだけが仲間だ。計画の邪魔をする者は、お友達だろうとも敵だ」


 吐き捨てるように言うエヴノ。


「敵!? そんなことを言っていて、みんなを救うことなんてできるはずがないでしょう!?

 前から思ってたけど、先輩は少し冷たすぎる。目的のためならひとの命だって斬り捨てかねない」


 ナイトはかぶりを振った。


「斬り捨てるさ! そうやって世の中は進歩し、変化してきたんだ。犠牲はつきものだ。

 産業の発展とともに食い物にされた貧乏人も、新大陸の開拓で殺された先住民や奴隷も、

 地下に潜る際に斬り捨てられたドーム外の人間たちも! バカや敵は言うまでもない!

 使えない奴は全員斬り捨てる覚悟が必要だ!」


 エヴノは別室への扉を指さす。


「クララの事を言っているのか!」


「その足の悪い息子もな! 歩けないなら、もっと要らないだろう! ひとりのためにひとり以上に手間をかけさせて、なんになる!?」


「ヘンリーは本当は歩けるんだ! クララのために歩けないフリを続けているだけなんだよ!」

 ナイトはエヴノの指の前に立ちはだかる。


 エヴノは前に出てナイトの胸を強く突いた。


「知ってるよ。お前たちのことは調べさせてもらった。どうもお前は危なっかしかったからな。

 ……するとどうだ? お前の親の座長はドームを私物化しているうえに、

 それを非難するお前自身だって、立場を無視して孤児院に肩入れしてるじゃないか。

 それだけじゃない、孤児院もあの女に対してひとひとりに掛けてやるにしちゃ大げさなことをしている。

 ドームごとグルにさせて! そのことを言っているんだ!」


 青年たちは私たちをそっちのけで言い争っている。

 ヘルメスはため息をつくと、私のほうに振り返った。


「こういう、人間の若者らしい考えが好きなんですよ。私も“父”も。

 常にエネルギッシュで、革新的な考えが飛び出してくる。

 愚かでも、賢くもあり、完全であり不完全だ。

 彼らのような者が居るから世の中がラディカルに変化する。アイリスさんも、そう思いませんか?」


 そう言った八〇〇歳のマイドの表情はうかがい知れない。私はいい返しが思い浮かばなかった。


「もちろん、あなたもその若者のひとりです。しかし、これはどうやって収拾をつければいいのやら。

 私はもう充分生きましたし、彼らを見ていると、まあいいかという気になるんですけどね。

 ……彼らはやはり、最終的にはテロリストとして逮捕という形になるんでしょうかねえ?」


「勧誘しておきながら無責任よ」

 私はようやく意味のある言葉を吐き出した。


「ありませんよ。責任なんて。彼らが選び取ったことです。

 これからディレクターたちに追われるとして、逃げるにしても、大人しく捕まるにしても、彼らが選ぶことですし」


 ヘルメスはそう言うとイスに腰かけて、ふたりのやりとりを眺め始めてしまった。


「面白いですねえ、彼らは。エヴノ君も、仕事中はあんなにパーフェクトだったのに、今はすっかりメッキが剥がれているじゃないですか」


 注意深く観察しているようだ。

 まるで、長い年月をかけて練っていた計画や、付き従っていた父よりも大切なことだと言わんばかりに。


「もういい! ヘルメスさん!」

 エヴノは言い争いを切り上げて叫んだ。

「はい、なんでしょう?」


「……ヘルメス?」

 首を傾げるナイト。


「こいつは“使えない”。女たちもだ。強硬策に移行すべきだ。その女と何があったかは知りませんが、あなたは深手を負っている。この場は私に任せてもらおう。人形たちを使ってこいつらを処分する!」


 あちらこちらに指をさしながらエヴノが怒りをまき散らす。


「何を言ってるんだ!?」ナイトがわめいた。


「お前たちの次は孤児院のガキたちもだ! ヘルメスさん!」

 エヴノは上司の指示を待つ。

 返事をしないヘルメス。


「リゲルさん! まさかそんな指示は出さないでしょうね!?」


「ヘルメス! 私ならやり遂げられる! あなたの力に! 父の力に! この世界を完全にする仕事は、私でなければできないんだ!」

 若者ふたりは座って黙り込んだままのヘルメスを揺すり合った。中折れ帽が落ちる。


 ……中から現れたむき出しの疑似眼球には、光がともっていなかった。


「……死んでる!? いや、機能不全だ。まだ息はある!」

 ナイトの叫びに私の背筋が少し冷える。


 私もヘルメスの身体を確認する。よかった、まだ死んではいない。

 重度のダメージを認識して、身体がセーブモードに入ったのかもしれない。


「くそっ! 彼も使えないのか! もういい、私がやる!」

 エヴノはテーブルを力いっぱい叩くと部屋を飛び出していった。


「いけない。先輩を止めないと。人形はコードさえ知っていれば誰でも命令をくだせるんだ。先輩が本気なら、僕たちを殺させたあとに、殺人マシーンになった人形をドーム内に送り込むかもしれない!」


 そう言いながらもナイトは動き出さず、私の顔をまっすぐに見た。


「……ナイト。私に止めろっていうの? あなたは?」

 私は自身の胸に嫌悪と怒りが湧き上がるのを感じた。


「ぼ、僕も行きたい。勇気がないわけじゃない。でも……」

 そう言うと愛するひとが居るであろう扉のほうを見た。


 ……扉は開いていた。そして、その向こうに居たはずの彼女も。


「みなさん、今の話、本当なんですか……?」


 * * * * *


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