Page.05 黒い車と砂の街
「私ひとりのお迎えとなって申し訳ございません。座長は既に公務で出られました」
マンションから出た私を、黒い公用車とその運転手ナイト・キド氏が出迎えた。
幸運なことに彼の父であるラント座長は、各業界の有識者たちとの意見交換会のためにすでに出てしまったとのことだ。
私のほうには台本が無いけれど、これは彼らの台本通りらしかった。
「“シャイで努力家”な彼は、ひとびとの前で発言をするのが苦手なため、一足先に会場入りをしてリハーサルを重ねる」だそうだ。
ナイトさんの“謹厳実直”でマイド然とした促しに従い、私は後部座席に乗り込む。
「本日は第一層ドーム破損部の調査でしたね。エレベーターまでお送りいたします。朝の三層は混雑しますから、到着には四十分程度掛かる見通しです」
「了解しました。よろしくお願いいたします」
機械仕掛けなやり取りを済ませ、車が発進した。
青年は正面を向き、しなやかな指でハンドルを撫でる。
私は本に目を落とし、ページをめくる。
トランプの庭師が白い薔薇を赤く塗っているシーン。
自分勝手ですぐに処刑を言い渡す女王様に仕える不憫なひとたち。
ナイトさんにとっての父親も、女王様のようなものなのだろうか。
私は正面を見る。バックミラーに映った真面目そうな黒い瞳。その持ち主の纏うスーツも黒。
沈黙。静かなエンジン音とタイヤが地面を擦る音だけが響く。
車が信号で停止した。
ふと、ミラー越しに視線が合う。私は盗み見を隠そうとしたが、青年がいっすん早く口を開いた。
「先日は、父が失礼いたしました」
これは台本? それともアドリブ?
業務上のアドリブの修正が後日の台本に影響するのは当たり前だが、あれは個人同士の関係にまつわる出来事だ。
中央や台本管理のコンピュータはそこまでの把握はしない。
「いいえ、ラント座長も公務でご苦労なさってるでしょう。誰かと会うのが仕事なのですから“配役疲れ”なさっても仕方がありません」
「そうではないのです。あのひとはいつも、ああなんです。さすがに大勢の前では配役や台本を守りますが、少人数で会うとすぐに個人を出したがって」
彼の人差し指がハンドルを叩いてる。
「演じるのが苦手なかたもいらっしゃりますわ。私だって、あまり得意なほうじゃありませんから」
少し上擦った返事。
「わざとなんです。あのひとは座長ですよ? 配役や台本がこなせない筈がありません。わざとああいう個人を演じて楽しんでるんですよ」
ナイトさんは少し熱っぽく言う。
「それは困りますね。ナイトさんはご子息というだけでなく、秘書官でもありますから、ずいぶんとご苦労なさるでしょう」
私は“謹厳実直”な彼がどういったつもりなのか読みかねた。
昨晩の態度から考えれば不思議ではないが、信号はまだ赤だ。
「……それだけじゃない」
彼は口を開いた。青信号。交差した道の信号が赤を示す。
「すみません。今のは聞き流してください。私も父の事は言えない」
「お気になさらず、よくあることです」
「他のかたには内密にお願いいたします」彼の顔にわずかな焦り。
「私はただの技術屋ですよ。権限で言えば、あなたより低いくらいですわ」
私はミラー越しでも判るよう、少し大げさにほほえんで見せた。
* * * * *
青年と別れ、第一層へ上がるためにエレベーターホールへ向かう。
座長はきっちり滞在許可の登録を済ませてくれたようで、私は検問の係員に裏口を使うように言い渡される。これからは顔パスだ。
これで私がチェックを受けなければならないのは、第三層に戻る際の洗浄だけになった。
どうせならこちらがパスになればありがたいのだが、そうもいかない。
これから向かう場所ではきっと、服にたっぷりと砂を吸わせなければならないのだから。
0024番ドーム、オリオン座第一層。
資料では多くのドームの一層と大差ない設備や治安状況となっているようだ。
発展したドームであれば、一層であっても辺境ドームの二層よりも上等なものだけど。
さすがに三層には大きく劣るが、暮らすのに困ることはない。娯楽だってある。
食事はほかの層と変わらないし、私用車は無いが路線バスがある。
服装は仕事上、スーツよりも作業着で過ごす者が多くはなるが、私服に関しては同等に自由だ。
もちろん一層にだって“偉大なる洋服シワくしゃマシーン”を完備しているし、ホール、設備、生活区画のあいだには気密性の高い壁と検問が存在する。
しかし、私は早速エレベーターのガラス越しに異常を察知した。
隕砂検知機なんて必要ない。
ガラスはスモークのようになっていた。
私はドアが開く前に慌てて簡易ゴーグルとマスクを身に着ける。
ホールにはコメットサンドの粒子独特の、鼻の粘膜に張り付くような空気が充満しているのがマスク越しでも分かった。
大量に吸い込めば、強制の鼻うがいで泣きを見るはめになるだろう。
「中央技術部隕砂研究室からお越しのアイリス・リデル様ですね?」
一層の検問係がマスクゴーグル姿で出迎える。
スーツや制服ではないものの、彼も業務用の防砂服を着ていない。
「エレベーターホールまで砂が侵入しているように見受けられますが」
私は身分証を提示しながら言った。
「洗浄設備が砂で故障してしまっておりまして」
彼は握手を求めることも、私に興味を示すこともしなかった。
「防砂服の貸し出しをおこないますので、こちらへ」
私は係員に案内され、作業服を軽くエアブローガンで洗浄して、その上から防砂服を身に着ける。
防砂服はその名の通り、コメットサンドから発生した細かな粒子をシャットアウトするために使われる。
旧時代の宇宙服のようなヴィジュアルだ。
白く密閉されたボディには、高温に対抗するために保冷剤が仕込まれており、快適というよりは寒い。
だが、次第にちょうどよくなるだろう。
保冷材には限界があるため、最終的には汗の湿気でとんでもないことになるのだけれど……。
「サイズが合ってないわ」
着ているというよりは、中に入っているような感覚。頭を保護するキャップも緩い。
「申し訳ございません。貸し出し用の防砂服が不足しておりまして、緊急で手配できたのが男性用のLLサイズだけでして……」
係員は一瞬動きを止め、私のほうを見た。
彼のゴーグルの下の有機的な瞳は充血している。砂のせいだ。
でも生真面目なのだろう。トラブル以外でのアドリブはナシだ。
彼は私の前では目を擦るような仕草を一切しない。それは人間に推奨される振舞いではないから。
ここにあった最後の一着は、彼ならばちょうどよく着こなせたはずなのに。
「……ありがとう。大切に使わせてもらうわ」
私はゴーグルの友人から修理現場までの地図を受け取る。
みんな困っているに違いない。衣装は与えられた。あとは演じるだけだ。
私は決意を新たに第一層の街へと繰り出す……が。
「これはどういうこと!?」
エレベーターホールまで砂が侵入していた時点で予測できて然るべきだった。
白い天井の空はぼやけ、巨大な穴がぽっかり。
アイボリーの天空。ドーム外で吹き荒れる砂嵐が内部までを曇らせている。
立ち並ぶ住居やさまざまな施設。レストラン、修理屋、本屋、服屋。すべてにシャッターが下りている。
地面には砂。灰色、茶色、白色、とりわけ目立つのは黄色い砂。
それでも第一層の住人達は普通に生活をしていた。
目をこすりながら、咳き込みながら。店への出入りは勝手口を使って。
これから学校へ向かうのだろうか? 子供の姿までがある。
防砂服も身に着けず、人間もマスクとゴーグルを着用していないものが多数。
この分ではマイドも関節やスリット部の保護がなされていないのではないだろうか。
「どうして誰も避難させないの? どうしてこんなになるまで? なんで中央に報告しなかったの!?」
頭に座長を思い浮かべて思いっきり罵倒する。
彼は言動だけでなく、ドーム構想まで古い映画に侵されてしまったのか。
これでは古典の西部劇か、被迫害人種のスラム街じゃないの!
「ちゃんと報告があれば台本だって対応できたのに!」
ああもう、母さんが見たらなんて言うかしら。
巨大な穴からの騒音が私の叫びをかき消す。誰もこちらを見ない。
「……ともかく、アレをどうにかしなくっちゃ」
彼への文句はあとだ。穴を塞がなければ掃除も意味がない。
冷静に考えれば、一層民の仕事なしにドーム全体が成り立つはずがないし、この状況は一層の全トゥループに及ぶものに違いないのだ。
彼らはここで暮らしているのだ。「避難なんてどこへ?」という話だ。
私はゴーグル越しに天井に空いた大穴を睨みつける。
「そこで待ってなさい、塞いでやるから」
大穴は突風をもって返事をくれた。キャップがめくれ、私の大切なアッシュブロンドが砂色と混ざる。
とっさに髪を押さえ付け、眉間にシワ。
『いいわ。とことんまでやり合ってやるから』
* * * * *