Page.45 月下の邂逅
暗がりに消える少年の背中が見えなくなるまで見送る。
私はそれからしばらく闇を見つめ、深くため息をついた。
「はしゃぎ過ぎたかな」
きびすを返し、タクシーを呼ぼうと改めてポケットに手を差し入れる。
背後から土の上を歩く足音が聞こえてきた。
私は振り返る。
「こんばんは」
中折れ帽、トレンチコート。らくだ色に身を包んだマイド。
今度は幻覚ではない。
温められた心が再び凍り付く。端末の代わりにペンをつかみ、ロックを解除する。
「彼、随分とご機嫌でしたねえ」
闇のほうを振り返りながら言う。
「あの子には何もしないで」
「しませんよ! 再会を喜ぶ挨拶にしてはあんまりですねえ」
ヘルメスは肩をすくめて両手を上げる。
「嬉しくなんてないわ。てっきり中央送りにされてチップを抜かれたものだと思ってた」
「まさか。あなたもニュースくらいご覧になられるでしょう? いやはや、地下鉄が事故を起こしましてね。危うく拘束されたまま焼け死ぬところでしたよ」
中折れ帽が外される。夜間灯に映し出されるヘルメスの顔。
……そこには表情をアピールするための部位がなかった。
むき出しの金属の骨格。焦げて張り付いた人工皮膚。それから赤い眼光。
「せっかくの顔も無くしてしまった」
「いいざまね。ヒト様の顔を奪うからよ」
私は顔泥棒に笑いを贈る。
「蜘蛛の巣から逃げるのには苦労しましたよ」
「蜘蛛の巣? サブウェイは星座よ、リゲル。……いえ、ヘルメス」
「おや、私の本名じゃないですか! 私のこと、調べてくれたんですねえ。
リゲルという呼び名も気に入っていたんですけどね。
リゲルというのはオリオン座を構成する星のひとつなんですよ。
それもいっとう綺麗に輝く星だ。……粋でしょう?」
「リゲルはゲオルグの愛称よ。部外者のあんたの名前じゃない。嘘で塗り固めて。“配役”を嗤うことなんてできないわね」
「役だって与えられるのと、勝ち取るのとでは大きな隔たりがあると思いますが。
当然、勝ち取るほうが尊い。つまり、あなたにとってはどちらでも嘘なんですね?
あなたたちのHi-Storyから授かった配役も嘘!」
楽しそうに笑うヘルメス。
「揚げ足を取らないで。つまらないおしゃべりはいいわ。わざわざ私にコンタクトをとった理由を話しなさい」
「白ウサギさんはせっかちだ。……いや、やはりあなたは迷子のほうがお似合いだ」
「アイリスよ。その名は侵入者のあなたに譲るわ」
「いたずら者のアリス。あなたがやったことは思春期の少年には少々過激過ぎやしませんかね? 羨ましい気もしますが」
「なんの話かしら。夢でも見てたんじゃないの? 話をそらさないで」
「そうですね。アリスの物語は夢の中のお話でした。それでは、本題に入りましょう」
そう言うとヘルメスは中折れ帽をかぶり直し、コートの襟を正した。
「改めて自己紹介します。0013-M0000201 ヘルメス・ラルフ。
二五二四年製造。八〇九歳。ご覧の通り、旧式三層ボディの男性型のマイドです。
当時はてんびん座になるはずだったドーム。へびつかい座の初期配属キャストでございます」
やうやうしく礼をするコートの男。それから手を差し出す。
私は応じない。手はポケットの中で銀色を弄ぶ。
「……残念。無法者同士仲良くできるかと思ったのですが」
「同じにしないで」
「まあ、あなたと私たちが違うどうかは、後日じっくり語り合うとしましょう。本日は、あなたにパーティのご案内をしに参上いたしましてね」
ヘルメスは手を引っ込めて言った。
「パーティ? またテロを?」
「しませんよ。破壊工作なんて。あれは不運な事故だった。私たちは融和を望みます。
Hi-Storyと台本システムは壊させていただきますが。
しかしそれも静かに、ひとびとの気付かないうちにおこなうつもりです」
「現実的じゃない」
「そうですね。簡単な話じゃない。我々も何百年もかけて準備してきたのです。それでもまだ足りない。単純にね、技術屋が欲しいんですよ」
「ドランテは諦めなさい。彼にも手出しはしないで」
「彼を勧誘することは諦めましたよ。
人間の子供から親を引き離すようなことは、我々としても望むところじゃないですから。
今、私が言っているのはドーム社会の中心である北極星で隕砂研究のトップに立たれるあなたのことです」
「私を勧誘?」
やっぱり、来たわね。
「そうです。我々は砂まみれで、手に入るものだけを駆使して生き残ってきました。
旧時代の道具の発掘や、独自の研究。
あなたがたがドームに籠り、砂をコントロールしようとしてきたのとは別の方向での進歩です」
「興味深いわね。お互いの技術が合わされば、もとの地球を取り戻すことも可能かもしれない」
「でしょう? 鉄のツバサで青い空を駆けることも、
白い砂浜で少年と虹を見ることもできるかもしれませんよ。
もちろん、こちら側でもできる限りのポストを用意させていただきます。
さすがに中央のトップスターの待遇には劣るとは思いますが。なにぶん我々は貧乏でしてね」
「悪くない話。だけれど、実際に活動しているのはあなたしか見ていないのよ。本当は、あなたのひとり芝居じゃないの?」
情報が欲しい。連中の懐に飛び込むのは危険すぎるけど。
「我々の仲間はたくさん居ますよ。モブばかりですけど。すでにオリオン座に何百体も入り込んでいます」
「協力者? “幽霊”なんかじゃ、バレればすぐに警戒されるわ。見立てが甘いわよ」
カマを掛けてみる。これは単なる憶測だ。
「……お人が悪い! お気づきになられていたんですね。それもお調べに? 中央の技術を侮っていたようだ」
ヘルメスは人間然に驚きを表明した。
「まさか。勘よ。“幽霊マイド”の噂だって、昨日初めて聞いたんだから。今日、たまたま実物に出くわして……ピンときただけ」
「人間の、女の勘というヤツですかね? 侮れない。素晴らしい! 尚更欲しくなりましたよ。“父”も喜ぶでしょう。あなたならHi-Storyに代わる“新しい母”に相応しい」
「父? 新しい母?」
「“父”は我々のボスのことですよ」
「残念だけれど、私は“母”になんてなれないのよ。あなたたちのパパに、ママ役もやってもらいなさい」
「今代の父はもう高齢なんですよ。代替わりをしながら人間が勤め続けています。
人間たちの解放を夢見るDNAは何百年も受け継がれている。
ですが、次の適任者がまだ見つかっていない。子供が育つには片親では不完全だ。
我々にも母が必要なんです。マザーコンピューターに従うあなたたちには、父が必要でしょう?」
「その例えはデリカシー不足ね。私にも父は居ないわ」
「書類上ではいなくとも、DNAには刻まれていますよ。あなたの少年だってそうでしょう?
あの端整な顔立ちは父親の血を濃く引いてそうだ。
クララさんも不細工ではありませんが、タイプが違いますからね」
「自分の顔も無いひとがとやかく言うことじゃないわ。DNAなんて知ったこっちゃない。私は私よ。私には父はいないし、母にもならない」
ポケットから銀色のペンを取り出し、トレンチコートに向ける。
「ノーということでしょうか? まだ分かっておられないようだ。
我々の計画はあなたの思っているほど荒唐無稽なものじゃないんですよ。
“幽霊マイド”は我々の駒に過ぎません。あれらは“協力者”ではない」
やっぱり、内通者が居るということ。
「なら、その協力者が誰か吐かせてあげる」
私はヘルメスへと歩を詰めた。指先がレーザーの発射ボタンに触れる。
「おやめなさい。あなたのその光は強すぎる。私のコートでも防げないでしょう。
私を殺すには充分かもしれませんが、この闇の先に何があるか、お忘れになっていませんか?」
私は立ち止まる。ペンの切っ先はヤツへ向けたまま。
忘れてはいない。
私のこの青いレーザーでは、奴のコートに当たらなかった場合、『中庭』までも貫いてしまうだろう。
「言ったでしょう。我々だって無闇に人間を巻き込みたくないと」
ヘルメスはため息をついた。
「マイドなら構わないっていうの? あのパトカーにだってひとは乗っていたわ。
彼らにだって家族があったのに。ドランテのように異種族家族だったかもしれない」
「人間体の妻であれば、伴侶を失えば、自身のため、子のために“次”を見つけるでしょう。
短い人生を必死に生きる本能です。毛嫌いすることはありませんよ。
それにどうせ、我々マイドは人間のためにあるのですから」
「さっきと言ってることが矛盾してるわ」
「多少の犠牲も必要悪です。悲しいパラドックス」
ヘルメスは笑って続ける。
「マイドは機械だ。作ればいい。
マイドを作るのは、我々にとってもたいして難しいことじゃない。永遠の命ですら。
だが、人間には寿命がある。ドーム外の人間は、血を紡ぐだけで精いっぱいの状況。
生きるためにしなければならないことが多すぎるのです。
短い人生では必要なことすべてを学ぶことはできない。ならばよそから取り入れるほかにない」
「あなたたちの甘言に乗る人間なんているのかしら?」
「ドーム社会に不満を持っている人間は、あなたがた中央が把握している以上に多いんですよ。
一層民だろうと三層民だろうと、なんらかの不満や不安を抱えています」
「そうね。誰だって同じよ。私だって……。
だけれど、今の生活基盤を捨て去ってまで、世迷言にすがりつくひとは居ないわ。
みんな、あなたたちと同じで、手の届く範囲を守るので精いっぱいなの。
私なんて、自分ひとりですら苦労してるのに。社会だとか世界だなんて、夢のまた夢よ。
あなたが起こした事件だって、ちょっとしたショーに過ぎない。ただの白昼夢よ。
じきにみんな忘れてしまうわ。ひとびとは台本に戻る。神話の時代は遥か昔に終わったの」
「私はそうは思いませんね。あなたも見たんじゃありませんか?
地下の長い歴史のあいだにも消えなかった神の息吹、夢の篝火を。
もっとも、誘いに乗ってくれるのは“夢想家”よりも“完璧主義者”のかたが多いんですがね」
べらべらとよくしゃべる機械。もう、いいわ。
『ヘルメス・ラーフ。私はあなたを捕縛したい』
私は宣言するが早いか、ヘルメスを腕中に納められる距離まで詰めていた。
揺れるトレンチコート。
むき出しの金属が驚愕の表情を浮かべる。
しかし私の腕は敵をつかむことなく、空を切った。
空振りのあとにはノイズの走ったヘルメスの“映像”が浮かんでいる。
「ホログラム!? このっ……!」
私は歯噛みする。
危なかった。レーザーを使っていれば、どうやってもヤツに当たるはずはない。
……でも。
「目にもとまらぬ早業。驚きました。あなたは少し怪力が過ぎるとは思っていましたが。その細い身体のどこにそんな力があるのやら」
「……」
私はヘルメスの映像を睨む。
「中央の人間を少々侮り過ぎていたらしい。
ただの技術屋の小娘に過ぎないかと思っていましたが、どうやらそうではないらしい。
一層の医療判断を書き換えた時点で気付くべきでした。
法を越えた権力で他人をどうこうしようなんて。やはり中央は傲慢だ。
アリスどころかトランプの女王じゃないか。
でも、尚更あなたが欲しくなりましたよ。絶対に手に入れてみせる」
「女を落とすには、そんな口説きかたじゃダメよ。
中央の権利でもなんでも使って、あなたたちの居場所は必ず暴く。パーティとやらもさせないわ」
「まだ誤解をなさっているようだ。パーティは我々の活動のことを指すわけじゃないんですよ。
本当にあなたへの歓迎会をするつもりだった。
我々のパーティでは、外でしか手に入らない食べ物や、旧時代の遺物の紹介をするつもりですから。
おいおい我々の組織や技術力もお目に掛けれることになるでしょう。
女を落とす方法なんて、旧時代から変わらないものですよ。
無垢で未熟な少年の愛なんかではなく、もっと物質的なものです」
私は肯定しない。
「……ハハハ! 今思い出してもおかしい! 子供を手玉に取って恋人ごっこ!
リーガルかどうかなんて問題じゃないんですねえ。
それでもこっそりやっているんだ、今の世の中には不自由なさっているんでしょう?
だったら成ればいいんですよ。あなたが法に! 母の座を奪いなさい!
ほら、我々とともに来なさい。……いいや、あなたは我々を導くべきです!」
腹を抱えて笑うホログラム。旧式のマイドのクセに。
「だったら女王様の機嫌を損なわないうちに、会場の案内をなさい。エスコートも忘れないようにね」
吐き捨てるように言ってやる。
「……地下鉄です。明日の深夜、最下層のホールに。
我々としてもあなたを連れ出すのは容易ではない。
ご自分でいらしてくださいね。造作ないことでしょう? 検問を素通りすることくらい」
そうね。それから、あなたたちの会場をぶち壊すことだって。
「分かったわ。もてなしが足りないようだったら、私の兵隊に命じて全員の首を斬らせるから」
これはハッタリ。私にいるのは友人と母くらいのものだ。
「恐ろしいですねえ。……明日の晩に逢いましょう。では、いい夢を」
ホログラムが帽子を持ち上げて挨拶する。映像はそれが終わらないうちに歪んで消えた。
それから、空から小型のドローンが落ちてきた。地面に叩きつけられて破片を散らす小さなヘリ。
「これを使って映像を投影していたのね」
……。
『私は、あなたたちを認めない』
ドローンは粉々に踏み潰された。
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