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Page.44 My boy

 ひとごみを抜け出し、近場の総合デパートへと足を運んだ。

 食品スーパー、日用雑貨、衣装などがこの建物ひとつでほとんどそろう。

 ドーム面積から考えると、この施設を利用したことがないオリオン座第三層民は、存在しないのではないだろうか?


 またひとごみだ。こちらはまだひとの流れが規則的なぶんだけ歩きやすい。

 だけれど、私はついうっかり通行人に肩をぶつけてしまった。


「痛っ! ……ごめんなさい」

 かなり堅い感触。衝撃に危うく転びそうになる。


「いエ、こちらこそ失礼しましタ」

 マイドの男性が機械音声を発する。三層ボディの精巧な顔は微動だにもしない。

 それから彼は、すぐに向きを変えてひとごみの中に消えていってしまった。


「大丈夫? アイリスさん」

 ヘンリーが心配する。


「ええ。でもなんだか今のひと……」

 マイドが人間に激しくぶつかった場合の反応としてはありえない。

 どれほど親切な配役だろうと、なにらかそれらしい演技があってもいいはずだ。


「噂の“幽霊マイド”かも」

 耳元でささやくヘンリー。


「まさか。あんな硬いおばけがいてたまるもんですか」

「また“おばけ”って言った」

 くすくす笑い。

「こら、からかうな」

 私も釣られて笑う。


 しかし、ヘンリーは先に笑いをやめて再びささやいた。


「ねえ、アイリスさん。またマフラー貸してくれない?」

 声色から明るい色が消えている。

「構わないけど、私、暑くて外そうかと考えたところなんだけど。映画館、寒かったかしら?」


「大丈夫。そうじゃなくて、学校で見た顔があったから」

 振り返るヘンリー。視線の先には彼と同じかそれより大きいくらいの少女が居た。両親同伴だ。


「なるほどね」

 私は自身の首からマフラーを外すと、ヘンリーの顔を隠してやった。

 彼が歩けることは学校でも秘密にされている。

 顔さえわからなければ、私と歩く彼が何者かに気付くひとは居ないだろう。


「ねえ、思いついたんだけれど……」

 私は提案した。


 それから、少年と連れだって衣装売り場へとやってきた。

 老若男女、人間マイドだれでもカヴァーするラインナップ。

 マネキンたちが出迎える。だけれど、どれも一様に厚手の服や上着込みのコーディネートだ。

 オリオン座は立地の都合上、三層が冷え込みやすい。

 これが熱の酷いドームだと薄手の服が流行るのだろうが、ここでは秋冬ものがマジョリティである。


「何か服を買うの? 僕のセンスで大丈夫かな?」

 彼は試着室から出てきた私を評価する役を想像しているようだ。

「逆よ。あなたの服を買うの」

「僕の? 服は間に合ってるよ。まだファッションには目覚めてないんだ」

「違うわ。そのマフラーみたいに顔を隠せるものとか、クララの知らない服(・・・・・・・・・)を持ちなさいってことよ」


「なるほど。そのほうが出歩きやすいもんね。でも、僕の身分証じゃたいしたものは買えないかな……」

 彼は身分の都合上、福利厚生と称して多くのマネーポイントが振り込まれているはずだ。

 だけど、子供である以上は親がそれをチェックすることができる。

 あまり散財をしてしまうと気付かれてしまうだろう。


「私が出すわ」

「そんな、悪いよ」

「いいのよ。これは私のためでもあるの。お姉さんにも格好つけさせなさい」


 ヘンリーは口をとがらせて返事をしようとしない。


「私に与えられたぶん、いつか誰かに与えたらいいのよ」

「でも、僕はアイリスさんに何もあげてない」

 背の低い男の子の眼がじっと私を見つめてくる。


「もう貰ってるんだけどなあ」

 私は笑みを隠しきれなくなって彼の頭をつかみ、髪をくしゃくしゃにしてやりながらおでこ同士をぶつけてやった。

 それでようやく彼は屈服した。


 ヘンリーの私服は、まずクララが選んだものに違いない。

 スラックスにベスト。性別を選ばないユニセックスなチョイス。

 彼は身体が痩せていたし、顔立ちも整っていたから、どうにかいじれば女子に見えなくもない。


 某精神科医風にいえば、「子離れできていない母親の劣等感を反映させている」とか「息子が“オトコ”になるのを拒絶している」とかそういうところだろう。


 私はヒト様の子供を書き換える遊びをたっぷりと楽しんだ。

 彼は言われるがままだ。

 それでも、線の細い少年の持ち味を引き出すためにベストと思われる選択に辿り着いたときには、「本物の母親には敵わない」という現実を突きつけられてしまった。

 意気消沈しながらも会計を済ませていると、ヘンリーの姿が見えなくなっていることに気付いた。


 ついさっきまで居たのに。お手洗いだろうか? でも、黙って離れるわけないし……。


 荷物を抱えながら右往左往する私。

 付近には姿が見えない。だけれど、その場を離れていいものかも分からない。


 『悪い子になる』と決めて、今日は時間も気にしないつもりだったが、彼の消失と時計が私を急かし始めていた。

 彼は身体が悪いのだ。今日はそれほど距離を歩いていないとはいえ、離れた先で脚が痛くなって動けなくなっているかもしれない。


「ヘンリー……」


 恋人でもなんでもない。借り物の子供なのだ。


 私の胸に罪悪感が忍び寄ったとき。


 背中に柔らかい何かか押し当てられた。乾いた音からして紙袋のようだ。


「ヘンリー?」


 振り返ると、探し求めていた少年の姿があった。


「心配したのよ」

 私は彼に向かって両手を伸ばしていた。……が、代わりに紙袋が腕に入ってくる。

「あっちのレジ、混んでたから」

「これは?」

「僕が買ったんだ。アイリスさんにあげる」


 私は紙袋を受け取る。中にはワインレッドのマフラー。


「似合うかどうか、分からないけど。また、どこかに忘れた時の予備にでもして」

 ヘンリーはそう言うと、またひとりで歩き出した。

「お腹が空いたよ。何か食べようよ」



 その後、レストランで食事を済ませ、夜間灯と街の明かりが混じり合う中をふたりで歩いた。

 よほどのワルでなければ、子供は家で寝支度を始めている時間。

 街をうろつく大人も、夜間従事者の出勤タイムが過ぎ、昼間の鬱憤を晴らし終わったひとが増えてきた。


「すっかり遅くなっちゃったわね」


 再び繋がれた手。

 だけれどヘンリーにはもう、私を引っ張るだけの元気は無いようだ。

 歩きかたも心なしかおかしくなっている。


「ママに怒られるかな」

 声にも疲れがにじんでいる。


「どうかしら。マーサが上手く誤魔化してくれるって言ってたけれど。……タクシーを呼ぶわね」

「いい」

 意地っ張りな子。

「私も疲れてきたから」

 繋いだ手を離し、ポケットから端末を取り出す。


「……僕も疲れたけど、もう少しふたりで歩きたいんだ」

 私は端末の操作をキャンセルして、ポケットに戻す。


 ポケットから出た手は素早く細い指に捕まった。


 私たちは言葉を交わさずに街を歩いた。


 無慈悲にも景色とともに時が流れ去る。

 風が吹いた。ドーム内でも風が吹く。

 空調や地面の熱の吸排で起こる温度差が、空気の流れを生み出すのだ。

 木々のざわめきが近づく。ひんやりとした森の空気。公園から『中庭』への道。

 自然的な配置を壊さないようにか、地面にライトは設置されていない。空からの夜間灯の青い光だけが頼りだ。

 私たちはその暗い道を前に、どちらからともなく足を止めた。


「ねえ、アイリスさん。ブルームーンって知ってる?」

「ブルームーン?」

「そう。青く見える月とか、一か月のあいだに二度も満月が見えることをいうらしいんだけど」

「月は黄色でしょ? 満月なんて一生に一度も見られないと思うけど。どうしたの、急に?」

「だから、ずっと昔は『ありえないこと』とか『珍しいこと』とか、『幸運なこと』って意味だったらしいよ」


 少年の顔が空を見上げた。月の無い空。空の無い空。


 しばらくの沈黙。


「帰らなきゃ」

 ぎこちない足が一歩を踏み出す。


 私もそれに続こうとする。しかしヘンリーは立ち止まり、こちらを振り返った。


「ここまででいいよ。別れがつらくなるから」

 本当につらそうな顔。


「施設の前まで送るわ。暗くて危ないもの。もう少しいっしょに居させて」

 私はそれを打ち消そうとする。


「ママが外で待ってるかもしれないし。アイリスさん、見つかると面倒かもよ」

 少年はあきれたような声で言った。

「……僕、映画を観て思ったんだけど、あまりママを心配させたり、面倒くさがったりするのも、よくないかなって。本当なら、このままアイリスさんのところに泊めてもらってもよかったんだけど」


 そう続けると、ヘンリーは服の入った紙袋を土の地面に置いた。

 私はませた少年を叱ろうと身構える。


「これ、返さなくっちゃ」


 マフラーの下から、はっとするような、大人びた顔。

 差し出される私のグレーのマフラー。

 背伸びをした少年がそれを私の首に掛けた。


「今日はありがとう」

 少しかげった、だけどしっかりと私を見つめる瞳。

 少年の顔は月光のように蒼白だった。


 私は掛けてもらったマフラーを外して、彼の首にひっかける。


「これは、あなたにあげるわ。私にはこれがあるから」

 ヘンリーから貰った紙袋を抱く。


「ズルいよ。それじゃ、貰いっぱなしだ!」

 きっと彼は背いっぱいに格好をつけたつもりだったんだろう。“オトナ”の演技が暴かれる。


「貰いっぱなしだったのは私のほうよ」



 ――私は身を屈めた。



 ほんの一瞬。長い長い一瞬。風がやみ木々が息を潜める。

 子供を守る法の上では重罪。

 だけど、私たちの月には顔がない。ささいな蜜月。お目こぼしがあってもいいじゃない?


「ズルいよ……」


 離れる体温。


「ごめんね。ありがとう」


 ――さようなら、私のヘンリー。


 あえかなる少年はうつむき、マフラーを自分の顔にぐるぐる巻きにすると、母たちの待つ家へと駆けていった。


 * * * * *


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