Page.43 映画
私は端末でタクシーを呼びながら森を歩く。
「大丈夫? もっとゆっくり歩いたほうがいい?」
手を引く少年に声を掛ける。
「大丈夫だよ。少し遅いくらい」
そう言うとヘンリーは歩調を速めた。
「そう、それならいいんだけど。あなた、少し歩きかたを直したほうがいいかも」
「やっぱりちょっとヘン?」
彼の歩行は、極端にスピードが遅いということはなかったが、着地時に引っかかるようなクセがあった。
クリーム色のスラックスに包まれた少年の臀部は、年齢の割には少し頼りない。これがぎこちなさの原因だろうか?
……ずっと車いすに座っていたせいで。彼はちゃんと成長できるのだろうか。
「誰かに会わないといいけど」
ヘンリーはあたりを見回す。
気付けば彼は私より少し前を歩いて、私のほうが手を引かれるような構図になっていた。
まだ伸び切っていない背。
今は私より低いけれど、成長期のうちにたくさん体を動かせば、あっという間に追い抜いてしまうんじゃないだろうか。
でもきっと、私にそれを見ることは叶わない。
「森を出たところでタクシーに乗りましょう」
「どこに行くの?」
「どこがいい?」
「どこでも。アイリスさんに付き合うよ」
小さなボーイフレンドが振り向き笑った。生意気ね。
「じゃあ……。私、何か映画を観ようと思ってたんだけど。用事で見そびれちゃってて」
「いいね。でもタクシー? 映画館だったら歩いても行ける距離だよ?」
ヘンリーは自分の脚は丈夫だと言わんばかりに不満げな顔を見せた。
「ずっと歩いていると誰かに会うかもしれないし、映画のあとには買い物や食事にも付き合ってもらうんだから。時間短縮よ」
私はすまし顔で理由を並べる。
「そっか。それじゃあ、時間短縮!」
ヘンリーが走り出した。手を引かれる私もいっしょに走り出す。
「ちょっとヘンリー、危ないわよ」
身体と一緒に声も胸も弾んだ。
タクシーに乗り込み街へ。
車内では私たちはあまり会話を交わさなかった。
運の悪いことにおしゃべりな男マイドの運転手だったからだ。彼は自身の他愛のない出来事を話したがった。
タクシーを降りるとき、運転手に「仲がいいですね」と言われた。
私が乗車中にずっと彼の手を放さなかったからだろう。
「仲がいいですね、か」
苦笑い。私はもう少し“悪い子”のつもりだった。
彼だって、はりきって私を映画館の館内へとエスコートしているし。
「うわ。ひとがいっぱいだ」
ヘンリーが声をあげた。
「あなたはここ、初めて?」
「ママが映画は教育によくないからダメだって。でも、車いすでここに入るのはもっと問題だ」
気を付けなければ肩がぶつかり合うほどの密度。空前の映画ブーム。
旧時代の人類は、現在とは比べ物にならないほどに数が多かった。
それに比例して身体の不自由なひとの数も。
だが、ドーム社会なってからの人口激減、土地の問題、寿命の制限や出生前の治療や選別が加わって、バリアフリーのたぐいが考慮されることはなくなってしまった。
それでも、誰かのハンディキャップに対しては、マイドが親身で積極的に、あるいは人間だって頼めば義務的に手助けをするし、病院やラボには介助の専門家だって所属している。
なんなら配役評価目的のサポートマニアだって。
形は変われど、ひとびとが支え合っているのは今も同じだ。
「とはいえ、これは生身でも骨が折れるわね。ヘンリー、はぐれないようにね」
私たちはひとでごった返すホールを見て身を寄せ合った。
中央でも映画館には頻繁に足を運んでいた。
しかし、館の広さや数が違うためか、ここまで込み合っているのには遭遇したことはない。
「何を見よう? 僕は何でもいいけど」
ヘンリーはチケット売り場の長い列を見る。
「待っている時間がもったいないわね。ねえ、ヘンリーあそこ」
いくつかの窓口を見ると、ひとつだけひとの並びが少ない列があった。
次の上映時間まで十分足らずだが、今回分の席はまだ空いているらしい。
私たちは単に早く映画にありつけるからという理由で、その列でチケットを購入することにした。
しかし、受付けの男性はチケットを渡すとき、配役を越えた振舞いをしてきた。
「構わないんですか? この映画をお子さんと?」
「失礼なかたですね。あんな大きな子供がいる歳に見えますか?」
私はマイド然不機嫌調で返す。
「ママと姉弟じゃないかって間違われたことはあるけど……」
横からも不満げな声。
「まあいいわ、時間が無いもの。でも、“アレ”は外せない。ヘンリー、お菓子やジュースで苦手なものってある?」
私は申し訳なさそうにするヘンリーに構わず、漠然とした質問を投げつけた。
「多分ないけど……あっ、アイリスさん、どこ行くの?」
「そこで待ってて!」
私は慌てる映画館初心者をその場に待たせて、ひとごみをかき分け、“ある場所”を目指した。
映画館における旧時代からの“しきたり”。炭酸飲料とポップコーン。
私はコーラふたつとキャラメルポップコーン(砂糖使用の都合でこれはほかのフレーバーよりも高い!)、さらに最小サイズのアイスコーヒーを買った(コーヒーを買うひとにはミルクとシロップを受け取る権利がある)。
売店のカウンター数には余裕があったが、思いのほか時間が掛かってしまった。
そわそわして待つ少年のもとに荷物を抱えて戻ると、彼は進んでそれを受け取った。
それから私たちは、奇しくもドーム番号と同じ二十四番シアターへと駆けこんだ。
照明が落とされ、スクリーンだけが眩しく光る。やはりこの映画は不人気らしく、席には空白が目立った。
私は中央付近のいちばんのおすすめスポットを難なく確保できた。
なぜか観客たちは端のほうに構えて、なるべく互いにあいだを空けて座っている。
中には腕を組んで開始前から不機嫌全開で、まるで親の仇を睨むかのようなマイドまで居た。
「これ、何の映画だろう?」
ヘンリーの疑問に私はチケットに書いてある文字列を確認する。
タイトルだけでは内容が分からないシロモノ。単純なアルファベットふたつ。
だけれど私には、この映画がなんなのか分かってしまった。
それから、男性係員のアドリブは私たちをおもんばかってのことだったのと、観客たちがどうして娯楽に不釣り合いな振る舞いをしているのかも。
映画の内容はおおよそこうだ。
未来(映画が撮られた旧時代からみて、だ)の世界で子供を失った夫婦のもとへ、愛をプログラムされた少年型ロボットが養子になる物語。
しかし、本来の子供が奇跡的に帰ってきて、それからすべてが崩れだす。
子供に怪我をさせたことをきっかけにロボットの少年は捨てられてしまうのだ。
それでも彼は愛を求め、母を求め、自身の存在を疑ったり、人間になりたがったりするのだ。
この映画が発掘され、ドーム社会で上映されたときには非難の嵐だった。
現代のマイドと違って目的別に造られているロボットや、少年ロボットの感情や欲求に対して不釣り合いな機能。
それから、第三者視点で見るとあまりにも救われない結末。さらには人類の滅亡後まで描かれている。
今の社会には刺激が強すぎるシロモノだったのだ。
ウケがいいのは、旧時代の文化がよく描かれた作品だ。
人間マイド両方に好評。映画といえばこれか、単純に悪をやっつけるアクション映画が好まれる。
ほかには恋愛ものは種族問わず女子に人気。
人間ドラマはマイド全般。自然ドキュメンタリーは人間ウケがいい。
いっぽう、SF作品はあまりウケがよろしくない。
中でも特にディストピアものに分類される作品は、反社会的の烙印が押されて封印されるものも多いし、ロボットものが好かれないのは言うまでもないだろう(例外として、宇宙を舞台とした光線銃や光る剣で戦う作品や、巨大ロボットに乗るたぐいのものは馬鹿ウケだ)。
そういうわけで、私たちがこれから見ようとする映画は、中央ではすでに上映禁止にされているもののひとつになっていた。
中央で上映されたときは、観客の異種族混合家族が破滅するきっかけになったり、子供のマイドがルナティック症状を引き起こして廃人寸前にまで追い込まれた事例がある。
ここでも時間の問題だろう。係員や観客の態度で分かる。
私はヘンリーが人間で、私たちが家族でないことに感謝しつつ、座席に背を預けた。
私の映画の好みは悪食といえる。
好みのジャンルは問わないが、こういった禁止されそうな映画は積極的にチェックしている。
今回の映画も一度観たものだし、何より内容が気に入らなかったから、映画よりもキャラメルポップコーンの味と、それよりももっと甘い少年の顔を観賞することに終始没頭した。
ヘンリーは、終始あまりいい顔をしなかった。
難しい顔をしたり、表情を失ったり。それから、泣いていた。
私は初めは彼の顔を盗むように見ていたが、彼のほうは上映中は一度もこちらを見なかったために次第に大胆になっていった。
彼はポップコーンも手つかずで、そのせいで私がほとんど平らげてしまった。
エンドロールになると、ヘンリーは慌てて服の裾で顔をつくろい、素知らぬ顔でスクリーンを眺める私に向かって「悲しい話だったね」と言った。
私は「ええ」とだけ答え、それから少年の冷たくなった手を再び握る。
「ありがとう」
少年は真っ暗な画面に流れる白い文字を見つめながら、物思いにふけり続けていた。
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