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Page.41 Drowning

 フランク院長に図星を突かれた私は病院を出てからずっと、泥に足を取られたの如く重たい心を引きずっていた。


「これだから本質と性質の矛盾したマイドは嫌いなのよ。機械のクセに心理学なんて持ち出して。一足す一はニじゃないの?」

 私は誰も居ないことをいいことに、声に出して陰口を叩く。


 オリオン座第三層商業区。

 先日タクシーで見送ったときには、こちらの隕砂研究所同様、見るべきものはないと高をくくっていたトゥループ。


 私は今の電子ゲームの展示場に来ていた。

 旧時代でいうゲームセンターとは少し違う。旧時代文化を学び楽しむのが名目の博物館的施設だ。


 なんでもよかった。別に、この場所にこういったものがあるとも考えていなかった。

 「ひとけが少なそうだから」という理由だった。


 とにかく私は、博物館の一角に設けられた小うるさいコーナーの機械に乗り込み、宇宙から迫りくる敵を光線銃で撃ち続けていた。


 特殊な映像技術が用いられ本当に迫ってきているように錯覚はするものの、所詮はお遊び。


 ワイヤーだけで表現された敵はマヌケにも身を守るものひとつも無しにただ歩いて向かってくるだけ。

 弾切れも燃料切れもなければ、自身で歩を進める必要もない。

 単純にカーソルを合わせて、ボタンを押すだけの作業。


 敵が出てくれば撃つ。ただそれだけ。しかも簡単だ。


 それでも障害が簡単に排除され、敵が死んでいくさまは悪くないと感じた。


 私はいくつかのステージを越えて、大きなボスとの早打ち勝負を制したころにはゲームに対して愚痴を言うくらいの元気を取り戻していた。


「ボスが現実的じゃないわ。図体を生かさずに光線銃で決闘。しかも一撃で倒れちゃうなんて」

 ゲームの筐体は私の文句を浴びてもなお、次のステージを映し出す。

 私はなんだかんだで最後までそれに付き合ってやった。


「ステージが水中? 呼吸は? 光線銃の出力は? 宇宙人もわざわざ海底を歩いてるし」


 繰り返される文句。上下左右に振れるレバー。叩かれるボタン。

 千年前の若者がこういう遊びに夢中になったのも理解できなくはない。

 最後のボスは早打ち三本勝負だったけれど、けっきょく彼がどういう攻撃を用いてくるかは分からず仕舞いだった。


 クリアを示すGAMEOVERの表示ののち、名前の入力を求められる。

 入力法が分からずにボタンを押すとカーソルが二文字目に進んだ。

 ……レバーを動かしても文字は戻らない。私はボタンを連打してAAAを名乗った。

 リストの一番上にAAA。

 ほかのプレイヤーはみんな飽きてしまったのか、私よりひとつケタの少ないスコアで名前を連ねている。

 筐体から身体を離し、どこかほかの場所での気晴らしを考えた。コメディ映画でも見に行きたい気分だ。


 私がゲーム機から離れると、子供型のマイドが駆けてきてゲームのプレイを開始した。両親と思われる男女のマイドも一緒だ。

 子供は「やっと空いた」とこぼしていた。


 このコーナーに近づいた時はひとはほとんど居なかったけれど、私はどうやら彼らを待たせてしまっていたらしい。

 両親はぶしつけな子供の言葉が聞こえていないか気にして、ちらとこちらを見た。

 だが、子供に操作方法を訊ねられてすぐに笑顔に戻る。マイドの“笑顔”はどこかわざとらしい。

 古臭いBGMとともに、両親に見守られた小さな英雄は旅立った。


「ここは私の居場所じゃない」


 私は足早に出口に向かう。旧時代の品々を並べたショーウィンドウ。

 ゲーム機のとなりが戦争に関する物品を並べるブースなのは、管理者のジョークなのだろうか。


 強力な武器。

 物理的に弾丸を発射する、他者を傷つける以外に用途の無い道具。


 戦闘機の模型。

 空への夢から始まったそれは、進化の過程で多くのひとびとの夢を奪った。

 技術の発展にはつねに軍事転用が大きな助けとなる。

 鉄器も電子も今や廃れた宇宙開発も、どれも旧時代に戦争に使われた経緯を持つ。


 マイドのボディだって、かつて戦争の兵器として開発されていた技術が多く流用されているらしいし。

 コメットサンドの技術に関してだけが、いまだ綺麗なままだ。

 あのころにも戦争はあったけれど、コメットサンド製の兵器が活かされる前にひとびとは争う余裕のない地下に押し込められたから。


 ひとの暮らしを支えつつも、地球を覆ってしまった砂だけが輝く星。

 風の音だけが響く、静かな星。争いの無い星。

 地上から生き物が消えて、初めて地球はユートピアになったのかも。


 ちなみに、サブウェイコンステレーション加盟ドーム間での戦闘行為は通算ゼロ件だ。

 地上はユートピア、地下もまたユートピアだ。

 皮肉にも、ひとびとは地下に追いやられたおかげで進歩できたのかもしれない。


 出口近くに化粧室の案内表示を見つけ、中へと入った。

 用を済ませてから改めて鏡と向き合うと、今の自分がありえないほど滑稽だということに気付いた。

 いつの間にか化粧が流れ、目尻から頬にすじを作っている。こらえたつもりだったのに。


 座長と歩くのに合わせて用意した、深いロイヤルブルーのパンツスーツ。

 気取ったビジネスウーマン。遥か昔のハリウッド女優。


「これじゃピエロだわ……」

 私は思い切って化粧を全部落として屋外へ出た。


 ビルや商店の並ぶ区画。

 仕事や買い物、個人的な用事で行き交うひとびと。

 偶然だろうが、誰しもがひとりだった。言葉を発するひとは居ない。


 もしもここに、“幽霊マイド”が紛れていたとしても、誰も気付かないだろう。


 みんな灰色。一様に仮面をつけて歩いているのだ。


 胸元で手をぎゅっと握る。


 ……あるはずの感触がない。


 マフラーだ。『中庭』で部屋に案内されて、ジャケットとマフラーを上着掛けに預けたままにしてある。

 灰色のマフラーがない。あとで忘れずに取りに帰らなければ。


「どうしようかしら……」

 忘れたことに気付くと胸元や首回りがいっそう冷える気がする。

 それに、お腹も。時計を見ると胃が抗議の声をあげたが、今の状態で飲食店に入る勇気なんてない。

 今の私は仮面に守られていないのだから。


 映画館なら目立たないし、多少の食べ物はあるけれど……。

「帰ろう」

 私は予定を変えて、間借りしているマンションに戻ることにした。


 部屋に戻ると、備え付けられた防砂装置付きの郵便受けに手紙が放り込まれていた。

 中央への資料請求の不履行を伝える手紙と、郵便を仲介した証明をするボーイの署名書、それから……。


「またラブレターがきてたのね」


 見覚えのある水色の小さな封筒。

 カバンをベッドの上に放り出し、私はジャケットを脱いでブラウスのボタンをひとつ外す。

 冷蔵庫に買い置いていたチョコスティックケーキの封を切って口にくわえて、ひとりでは贅沢なリビングのソファに腰かけ、封筒を開ける。

 中からはやはり、黄金の植物で縁取られた白いメッセージカード。


『彗星は巡る。近いうちにまたお目にかかります。――リゲル』


「知ってるわよ。……っていうかリゲルはゲオルグのニックネームでしょう?」


 苦笑いする私。チョコケーキの欠片がこぼれる。

 社会の仇敵であるはずのヘルメス・ラルフ。

 彼もまたドームに踏み入ればひとりぼっちなのだろうか。


 内通者が存在するとしても、よくて業務上の信用止まり。

 裏切られれば組織の計画にヒビが入るのだ。

 彼はドランテを仲間に勧誘しようとした。ひょっとしたら、私のことも?


「ダメよ。私は邪魔をしてやるんだから」

 私は手書きのカードを指で弾いた。


 糖分を胃に納めると眠気が襲ってきた。

 前日の睡眠時間の短さも手伝って身体がソファに飲み込まれそうになる。


 私は慌てて立ち上がるとその場で青いパンツを脱ぎ、ベッドに置き去りにされた片割れも回収して洗面所へと向かう。

 壁に設置された洗濯機をスーツ用の設定に合わせ、午前の不快感を吸ったジャケットたちを中へと放り込んだ。

 続いてバスルームへ入り、指をパネルに這わせる。

 軽快な電子音とともにバスタブへお湯が注がれ始め、温かな湯気があがる。

 今日も外は寒かった。天気予報はチェックしていないけれど、昨日以上に冷えているのではないだろうか。

 私はまだ底のほうにしか溜まっていない誘惑に負けて、残ったブラウスのボタンを外し、トップスとショーツを外へと放り出して肢体をバスタブの中へと納めた。


 ……水が揺れながらせり上がってくる感触。注がれる湯は温かだが、水面はわずかに冷たい。

 

 ひたいを膝につけ、大きく息を吐く。

 長く、長く。最後のほうはわずかに震える。

 暖かな感触が足のあいだに入り込む。揺れる水面がくすぐったい。


 これからどうすればいいんだろう。

 残りの予定は第三層の残りの案内と座長宅での食事のみだ。あとは中央へ戻るだけ。


 本当のところ、私の役目はすでに終わっているのだから、冗長な正義感なんて捨てて故郷に逃げ帰るのがベターなのだけれど、否応なしに付き合わされる展開からは逃げられそうもない。


 サブウェイはヘルメスが脱走の際に傷つけてしまって現在停止中。

 ほかのドームを介するルートで中央に帰るとすれば、移動距離は数倍になってしまう。

 専用で列車を走らせるのも、どこかのドームで宿をとるのも手続きが厄介。

 出発までのラグを見込めば中央へ帰るのは一週間は遅れてしまう。

 中央に請求した追加の資料が届かなかったのも、サブウェイの事故絡みだろう。


「帰りたい。母さん……」


 ドーム社会有数のコメットサンドのスペシャリストな私も、法を犯してまで夢見る少女を助けた私も、不義をした女へ助言した私も、砂の城のように波にさらわれ崩れ去っていた。


 よくよく考えたら、私だってヘルメスのことを言えないくらいには悪事を働いているじゃない。

 そんな私に何百年も準備を重ねてきた理想屋たちの計画を邪魔する権利なんて。

 鼻をすする音が浴室に響く。

 湯に浸かっているはずのお腹も、背中と同じように冷たい。


 今の私を見たら、母はなんて言うだろうか。

 彼女なりの理屈っぽいやり方で私を慰めてくれるだろうか。それとも叱ってくれるだろうか。


 母。マザー。

 そういえば『中庭』には、また顔を出すと言っておいてはいたけど、マーサやヘンリーの台本を訊ねるのを忘れてしまった。

 行っても邪魔になってしまうかもしれない。

 そうでなくとも、アウトサイダーが来て……。でも、ここにひとりで居るのは……。


 考えれば考えるほど、濡れた身体を小さくしたくなっていく。

 涙の池に沈む私。

 私は顔から雫を一滴水面に垂らすと、頭の中を真っ白にした。


 白は次第に暗く、黒へと染まっていく。

 冷えた身体は徐々に温められ、バスタブの中で丸まった私はデジャヴュのような感覚を覚えた。

 注がれる水が水面を叩く音が遠ざかる。


 ――――。


 それから私は、鼻から思いっきりお湯を吸い込んで、すさまじくむせ返りながら目を醒ました。


 * * * * *


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