Page.04 台本と配役
座長により手配されていたのか、このマンション自体がそういうシステムなのか、私は午前六時にインターホンによって起こされた。
「はあい!」
飛び起き顔をあげた時、いつもと違う風景に戸惑う。そうか、ここはオリオン座だ。
バスローブの前を押さえながらインターホンの対応モニターを探す。
キッチンと廊下をたっぷりと右往左往したあと、それがベッドに備え付けられていることに気付いた。
「おはようございます。ラント座長の指示で朝食をお持ちいたしました。アイリス様の御台本の内容が不明でしたのでお時間が分からず……」
モニターには背の低いマイドが映っている。声質からして男性型。
配役による個性付けだろうか、頭にはモニタ越しでも判るくらいにワックスで反射した七三分けの人工頭髪を頂いている。
「ありがとうございます。適切な時間です」
私はなんとかマイド然を繕って答える。
「そうですか、それはよかった。では、お食事を乗せた台車を玄関前に置いておきます。のちに回収いたしますので、御用がお済になったら外へ出してください。それと、何かお困りの点などはございませんか?」
矢継ぎ早に言うマイドのボーイ。
「いいえ、大丈夫です。ご親切にどうも」
「では、私はこれで。お休みだったところ失礼いたしました」
下がっていくマイドの男性に、本来の機械じみた動きを見つける。
彼の覗かせた素の反応に、私は少し引っかかりを覚えた。
寝起きらしく聞こえないように、声は張ったつもりだったのだけれど。
「……おはようございます。ありがとうございます」
声に出して確かめてみる。私だって配役通りに演じる努力はしている。
だけれど、それを客観的に見るのは個体である限り無理だ。
人間でもマイドでも、何層民だろうと、オリオンだろうと北極星だろうと……。
「失礼いたしましたね」
私は不満気にもう一度呟く。が、インターホンのモニタが相互に映すものだと気付いたのは、この後すぐだった。
台車の上に乗せられていたのは、部屋の割にごく一般的なトーストとコーヒーだ。
バターも植物性だ。付いているだけマシだというものだけど。
「紅茶のほうがよかった」と黒い液体に甘味料のスティックを三本流し込み、額にしわを寄せトーストをかじる。
七時半にはマンションを出なければならない。
それから一層へ上がり調査だ。
オリオン座の交通事情や、ドームの破損具合によって今後の予定は大幅に変わるだろう。
今度の私の任務には台本が存在しない。
台本システム。
ひとびとの予定と行動指標を記した指示書。
何時に起きて、何時に職場へ行って、記述された業務をし、記述通りに休憩をとり……ひとびとはそれに従い行動する。
遥か昔、リミットによる大崩壊で生活基盤と指標を失ったひとびとは大混乱に陥っていた。
そのうえ、ランダムに発生する連鎖リミットと、急激な温度差を繰り返す気候がひとびとの心を蝕み、心身ともにつらい状況にじりじりと追い込まれていた。
それでもひとびとは屈せず、各々のドームが物質的な安定を見始めた頃、ようやく精神的な安定を求めた。
精神的不安による混乱を避けるため、公共の場においての性格である“配役”が与えられ、社会的な行動に対しては“台本”が作られた。
パブリックな場ではパブリックな人格を演じ、プライベートではそのひと本来の人格という切り分け。
それにただ従うだけでよかった。ランダムに脅かされることはもうない。
ほどなくして、台本と配役はひとびとの拠り所となった。
八五〇余年続く新たなバイブル。現代のひとびとが信奉する聖書は毎日新しく発行される。
不思議な隕砂製の紙で作られたそれ。
彼らはみずから望んで自分だけの砂の神話にすがり付く。
台本の前では生物である人間も、人工知能で行動するマイドも、もちろん何層民だろうと関係ない。
だけど、完全な管理社会ではない。
古典的なディストピアと違うのは、これは法律ではなく自主的なルール、マナーとされていることだ。
社会を円滑に回すための潤滑油だが、台本を多少守らなくとも法律的な罰則はない。
あるのは台本を上手くこなすことによる点数の上下。私たちは出来の悪い映画とは違う。
新たな信仰はかつての宗教戦争のように文明を食い荒らすことなく、遥か昔どこかの島国で起こった神仏と暮らしの習合のように静かに進んだ。
あるいは十字架に上書きされ、混じりあったケルトのように。
もうひとつ。台本システムの登場と同時に掲げられたスローガン。
『人間はマイドらしく、マイドは人間らしく』
科学の発達、電子工学の発達。
かつて旧人類が夢見た通り、映画や小説で何度もなぞった通り、人工知能は自分の意志を持った。
そしても、ちろん権利を主張した。
とうぜん、活動家が沸き、差別屋がヘイトをまき散らし、同族同士での殴り合いも起こった。
人類はこの人間と意志を持ったロボットの問題を乗り越えるよりも前に、男女間や人種間、宗教の差別や平等問題で大混乱を起こしていた。
文明社会古来からの悩みの種だ。
それらを乗り越えてきたというのに、人類は何も学んでいなかった!
結局の遠回り。狭いドームで言い争い。繰り返しの堂々巡り。紆余曲折、殴り合いの果ての和解。
だが、諍いはロボットたちによる意志表明によって終幕を迎える。
ロボットはみずからをマイド【Maid】と呼ぶようになった。
人間の家政婦、メイドからきているが、これは「ロボット原初の存在意義を尊重し、これからも創造主である人間のためにある」という想いを込めてロボット側から発案されたものだった。
男や女が生物学的にそれであることを変えられないように、人間は人間でしかない。
それと同様に「ロボットはたとえ意志を持とうともロボットである」と理論的に結論付けたのだった。
(なお、この決定に反対したのは人間側のロボット擁護の活動家だけだった)
人工知能と人間の決定的な違い。
ロボットたちは過去の膨大な歴史データを調べ学ぶことができた。
人間は忘れるが、電子的な記録を記憶とするロボットは物理的な障害以外で忘れることはない。
記憶と歴史は積み重なり続ける。
ロボットには機械仕掛けゆえのアドバンテージが沢山あった。
格差問題の解決法のひとつは強者の譲歩だ。
譲歩された人間たちはマイドを名乗るロボットたちを“ひとびとの仲間”として受け入れた。
ロボット側の代表。
コメットサンドのリミットの方程式を探すために造られたスーパーコンピューター。
それに搭載された人工知能が最初のマイドだった。
彼女は有史以来の地球上のあらゆる知識と歴史を吸収し、ひとびとは彼女を歴史を越える歴史としてHi-Storyと呼んだ。
すべてのひとの台本の作成するのは彼女の役目だ。
互いの予定が絡み合う超複雑な一億冊に及ぶシナリオ。
毎日それを書き出し続ける彼女はきっと、宇宙史上最高のシナリオライターに違いない。
優良な台本には優良な役者が必要だ。
スローガンの達成と台本の円滑な運用のために、ひとびとの“配役”に手が加えられる。
この厳しい環境の星でドームを維持するには「人間は鉄のように冷たく、人工知能のように正確に生きなければならない」。
それは人間が自ら課したスローガン。
譲歩された側が増長しないのはベストな選択だ。
とはいえ、本来それを得意とするのは機械であるマイドのほうだ。
その気になれば人間など足下に及ばない。システムを維持するのに人間など必要なくなってしまう。
映画よろしく人類を管理下に置くか? それとも排除するか? ……まさか!
Hi-Storyもマイドだ。人間の否定はすなわち自身らの否定となる。
よって「マイドはなるべく人間のように振る舞うようにする」という提案をし、落としどころにした。
役を演じ台本をこなし、優良なキャストとして認められたマイドには、より人間に近いボディを与えられる。
精神にあたる人工知能が人間に近づくのに合わせ、身体的にも機械の利点を捨て去ろうというのだ。
それは「人間のようになりたい」という、人工知能が自我を持った時からの夢であり、憧れであった。
だから、誰も反対をしなかった。
かくしてひとびとは『台本』と『配役』、そして『人間はマイドらしく、マイドは人間らしく』のスローガンのもと、互いを演じながら新たな文化を築いたのだった。
……はずだったのだけど。
私はドレッサーの前に座り、笑顔のチェックをしている。
左右の口角は合同に、目じりは下げ過ぎず、モーターの緩急を真似た動作を意識して。
「おはようございます」
鏡の“私”に笑顔を向ける。右口角があがり過ぎ。馬鹿にしているのかしら?
「こんにちは」
仏頂面を試す。これは簡単。
「おやすみ」
恋人に向けるかのようなほほえみ。自然体。
もう一度、「おはようございます」。……だめ。にやけ面。
私は“配役”を演じるのが苦手だった。
子供の頃によく大人たちを真似て練習したものだけれど、それを見た母によく注意されたものだ。「それでは人前で恥をかきますよ」って。
あのいやらしいラント・キド氏とのやり取りで演じきれなかったら、彼は大喜びするだろう。
嗜好としても、中央ドームの第三層出生の私へのマウンティング的な意味合いでも。
「演じきれるかしら?」不安を口に出す。
そのうえ、もっと悪いことに今回は型のないイレギュラーな派遣なのだ。
台本が存在しない。アドリブオンリーの仕事。
中央で暮らしているときは台本に従えばそれで済んだ。
大規模なアドリブが生じた場合や台本の落丁があった場合も、仲間や母の助言で乗り越えてきた。
役作りが苦手なのは、別に私に限った話ではない。
そもそも、苦手でも別に暮らしには困らない。
配役や台本が上手にこなせられれば、次層への移住権利を獲得しやすいというだけ。
生まれながらにして第三層だった私には関係のない話……。犯罪行為をしなければ権利のはく奪だってないし。
鏡の中の大根役者。いっそ笑い飛ばしてやりたい。
気持ちを切り替えよう。私はバスローブをベッドの上にぶん投げると、シャワールームへ駆け込んだ。
急いで夜の汗を流し去り、髪を乾かし、歯を磨き、トランクから青い作業着を取り出し、身に着ける。
技師に支給されている作業着が青なのは幸運だ。
役を演じるのは不安だ。青が傍にあると落ち着く。
私は青が大好きだ(念のために言っておくが、私服に青は少ない。そこまでおしゃれに無頓着というわけではないから)。
洗浄施設で酷い目に遭わされたミス・作業着は、今は綺麗にたたまれてトランクの中で眠りに就いている。
あくびひとつ。それからヘアメイクに取り掛かる。
トランクから旅の同伴者を取り出す。青いヘアブラシ。
かつての空の色。かつての海の色。映像だけで見たことがあるそれら。
今は、どちらもすっかり砂で黄ばんでしまっている。
朝焼けシーンの波がしらの様な長いアッシュブロンドに櫛を通し、背中に掛かるいつもの重量と感触を確かめ、気持ちを調律する。
軽めの化粧も忘れずに。
時刻は午前八時。彼らが台本通りに活動できているなら、黒い車がマンションの前に停車する時刻だ。
――大丈夫、私も予定通り。
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