Page.39 密会幽霊
意識を集中しながらノートと報告書をやっつけていく。
「M0092679 ヴィクトール・フランク……」
精神病院の院長。明日の午前にもう一度、彼にアポイントメントを取ってある。
彼には話したいことや聞きたいことがあった。
あの謎めいた八十九番患者のこともそうだし、ヘルメス・ラルフやアウトサイダーの企みについての見解も聞きたい。
本来ならドーム存亡や反社会的破壊活動に関わる連中の情報を話すべきではないけれど、院長ならば都合よく理解してくれるはずだ。
「H0823009 マーサ・バーネット……」
『中庭』に関してはたくさんのページを割く必要がありそうだ。
マーサ、ヘンリー、クララ。それとラント座長にも好意的な追記が必要。
母が彼のことを気に入っていたのも分からなくはない。
実際に会って話しをすれば、そんな気は消し飛んでしまうと思うけれど。
「H1054011 クララ……」
――窓の外で何かが動いた気がした。
色までは分からない。外は暗い。
施設の光の届かないところは完全な闇に見える。森の木々が夜間天井灯の光を遮っているのだ。
「何かしら」
私は目を凝らし、耳を澄ます。
「……ま、分からないわよね」
ノートを閉じ、借り物の部屋着(クララの私物だ)に同じく借りたカーディガンを羽織り、扉の鍵を開けて廊下へ出る。
時刻は午前一時。夜間作業従事者以外は基本的に“就寝中”のシーンだ。
廊下は薄暗い。
音の無い闇に木造りの板にわずかにきしむ音をさせて、足早に玄関へ向かった。
「鍵が開いてる」
鍵はカードタイプ。恐らく職員の身分証で開閉ができるタイプだろうが、この時間に施錠されていないのは不自然だ。
どうやら先ほどの影は心配による錯覚ではないものの、心配するたぐいのものでもないらしい。
あたりをうかがいながら外へ出る。ひんやりとした空気。気配はない。
私の借りた部屋のある方角へと進む。落ち葉と土が思いのほか音を立てる。
森の中をしばらく進んで、私は足を止めた。
誰かいる。
「……あれは、クララさんと、ナイトさんだわ」
少し拓けた広場。木々の隙間から夜間灯が差し込む位置にふたりは立っていた。
影はひとつだった。
「ふたりとも、いい気なものね」
彼女たちが個人的にどうしようと勝手だけど、ヘンリーの置かれた状況を知っている以上、どうしても納得しきれない部分がある。
クララさんは未婚だから倫理的に問題もナシ。
ヘンリーもナイトさんには懐いているらしいから、いいことなのかもしれないケド。
憎らしいことにひとつになった影は夜露のスモークと月光を模したライトアップで幻想的な様相を披露していた。
足元が霞んでいる。まるで、死してから結ばれた恋人たちの幽霊のようだ。
だけど、実際にこれをヘンリーが知ったらどう思うだろうか?
私は子供のことを思いながらも、借り物の服にわずかな嫌悪感を憶える。
「アイリスさん」
何者かに腰をつつかれた。息を吸い込み両手を口に当てる。
「……ヘンリー。あなたどうしてこんなところに居るの?」
彼は寝間着姿で車いすも無しに私の背後に立っていた。
「歩行練習だよ」
「だめよ、こんな夜中に。それに……」
あっちには見せてはいけないものが。
「昼間にはできないでしょ。マザーにも許可は貰ってるんだ」
「そうなの、でも……」
背後で嬌声。ロマンというには俗っぽい。
「アイリスさんは覗き? ふたりの邪魔をしちゃ悪いよ」
ヘンリーはカーディガンを引っ張った。
「あなた知っていたの?」
私はゆっくりと退散を始める彼について行く。うしろはヒートアップ。
「偶然ね。いつも夜中に練習をしていたら。とにかく、僕は戻るからアイリスさんも一緒に。
職員じゃないと外からドアは開けられないんだ。ふたりよりあとに戻ると締め出されちゃうよ」
まあ、私もラストまで観る気はさらさらないけれど。
ヘンリーに連れられて部屋へと戻って来た。
彼は車いすを取ってくると言って自室へ戻った。やはり“アレ”に関して何か話があるのだろう。
平静を装っていたけど、内心はショックだったのではないだろうか。
ふたりを見る目も変わってしまったに違いない。
私はなんとか彼を励ます材料はないかと、自分の人生経験フォルダーを漁る。検索結果は乏しい。
色恋沙汰でいちばん印象深い経験といえば、つい先日に第二層で見た異種婚夫婦の話だけど、役には立たなそうだ。
こういうのは映画でたまに見かける展開だけど、これは現実だ。
ひとりでぶつぶつ言っていると扉がノックされた。
「ヘンリー? 鍵は開いてるわよ」
扉がゆっくり大きく開かれて、電動車いすが静かに入室してくる。
薄暗い。外に光が漏れないように部屋の明かりは消してある。
「驚いたでしょ。ママとナイトさんがデキてたなんて」
思い返せば、夕食の支度の時も息は合っていたし、楽しそうに会話もしていた。
なんとなくそれらしい兆候はあったのだ。
「そうね。ヘンリー、あなたは大丈夫なの?」
「大丈夫って?」
首を傾げる少年。
「その……だって。ナイトさんがお父さんになったりするかもしれないのよ」
「家族が増えるのはあまり気にならないよ。こういう施設に住んでるんだから」
そっか。彼は孤児院で集団生活をしているんだった。
「それに、ナイトさんのことは好きだし。ママにとってもいい影響がありそうだから」
「いい影響?」今度は私が首を傾げる。
「ママはいつもナイトさんをリードしてるからね」
少年は窓のほうをちらと見て、にやっと笑った。
「……」
私は言葉を詰まらせる。
「へへ。そういうことじゃないよ。覗いたりなんかしてない。
ママのお医者さんが『僕の病気が必要』って言った話を憶えてる?
つまりは『世話をする相手が必要』ってことなんじゃないかなって。
そういう関係ではあるけど、彼に施設の手伝いを教えたり、料理を教えたりしたのもママなんだよ」
「なるほどね。クララさんがナイトさんとくっつけば、あなたの病気が治っていることを知っても、彼女は平気で居られるかもしれないってことね」
私は呆れた声とため息を吐いた。
「正解。だから、そうなってくれたほうが、誰にとってもいい。でも、まだほかのひとは誰も知らないと思うけどね。マザーだって」
「そういうことなら、これは秘密ね。ふたりの邪魔はしないわ」
「そういうことじゃなかったら、邪魔するの?」
ヘンリーはいたずらっぽく笑う。
「しないわよ!」
「へへ。ふたりが上手くいくといいね。……ところで、アイリスさんはなんで外に出ていたの? 寝付けなかった?」
「なんでって。それは、誰かが窓の外を通ったような気がしたからよ」
「ふーん?」
「あなたたちのうちの誰かだったんでしょう」
「それはちょっと無いかな」
ヘンリーは腕を組んで眉で弧を描く。
「どうして?」
「だって、逢引きするふたりが、ひとの居る部屋の窓の外を通ると思う? 僕だって、こっそり練習するときには窓に近寄らないよ。それに僕たちが外に出たのはもっと前の時間だと思うよ」
確かに彼の言う通りだ。じゃあ……。
「もしかしたら、“幽霊マイド”かもしれないね」
ヘンリーが言った。
「幽霊マイド? それって、トレンチコートを着ていたりする?」
「トレンチコート? 有名な話なんだけど。そっか、アイリスさんは中央から来たひとなんだっけ? じゃあ、幽霊マイドの噂はオリオン座だけの話なのかも」
ヘルメスではない……のかしら?
「どういう噂なの?」
「見かけはね、普通の大人のマイドなんだ。……服装は特に決まってない。
現れる場所も、三層だけじゃなくて、一層や二層、最下層のサブウェイホールにも現れるらしいんだ」
ヘンリーはなぜかゆっくりと、片方の眉を上げながら、おどろおどろしく語り始める。
「その、幽霊マイドは何が目的なのかしら?」
「分からない。だけれど、見たひとによると、『話しかけても返事をしない』とか、『返事はするけど顔がいっさい動かない』とか言うんだ。男型だったり女型だったり、ひとりだったり複数だったり……」
「証言が曖昧なの?」
「ううん。それだけ目撃件数が多いってことらしいよ。学校の先生も見たって言ってた」
「幽霊だったら夜中でしょう? 不審者が居たらディレクターたちが黙っていないわ」
「それが、昼間にも現れるらしいよ。もちろん警備員や清掃業者のひとが目撃したって話もある。
声を掛けたら、走って逃げちゃうらしいんだ。ちゃんと足も付いてるし、足音もするらしい」
「おばけらしくはないわね」
「おばけ。……まあ、人間の幽霊ならそうはならないよね。
フッと消えるとか、脅かしてくるとか、そういうのがお約束。
それでね、共通してるのが“マイドのクセに人間然に振る舞う素振りがない”ってことなんだよ」
「それはヘンね……」
台本や配役を否定するヘルメスですら、かなり芝居がかった人間臭い性格をしていた。
演じていようが演じていまいが、マイド然とはしていなかった。
「だから不気味で噂になるんじゃないかな? これが普通に人間らしく振舞おうとしていれば、ただの不審者だからね」
「そうね……」
私は床に視線を落として考え込む。
表情の変わらない、人間らしく振る舞わないマイド。
何かマイド特有の病気かしら。これもフランク院長に聞けば、何か意見を聞かせてくれそうな気がする。
明日は午前だけの予定だったが、なんとか時間を延ばしてもらえないだろうか。
話したいことが増えてしまったし。
「ふたりの今後」が本当にいいほうに左右するかどうかとかも……。
「どうしたの? 怖かった? アイリスさんが見たのも、“おばけ”だったかもしれないよ」
からかうような声。
「ヘンリー、大人をからかわないの」
私は顔を上げてイタズラ少年の顔をにら……。
「きゃっ!」
……ヘンリーは自身の顔を携帯ライトで下から照らしていた。
「あっはっはっは!」
膝を叩いて大ウケするヘンリー。ライトの光が暗い部屋で踊る。
「もう、心臓が止まるかと思った!」
背中に氷を当てられたような気分。
「ごめんごめん。そんなに驚くと思わなかったんだ!」
少し大人びてると思わせたらこれだ。やっぱり、彼はまだまだ子供ね。
「……あんまり騒ぐとほかのひとに気付かれて叱られるわよ」
私は彼の肩を優しく叩く。暖かい。
「もう部屋に帰って休みなさい」
「はあい。いいものも見れたしね」
「こらっ」
ぱちんと音を立てるヘンリーの頭。
ヘンリーが退散したあと、私は時計を確認していっそう背筋を寒くする。
「朝、起きられなくなっちゃうわ」
私はノートにイタズラ少年の項を追加してベッドに入った。
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