Page.34 霧の森
見学はお開き。化粧室を借りて本日二度目の化粧直しを終えたのち、ナイトさんが待つ待合ホールへと向かう。
本来、随伴するのは彼ではなく、ドーム長であるラント座長のはずだった。
様々な問題を孕む閉鎖病棟は部外者に無闇に見せるものではないため、ナイトさんは見学許可が下りずに待ちぼうけというワケだ。
あの場所は若者にはつらいと思う。もちろん、私にも。
デリケートな閉鎖病棟の見学を希望した理由は、何も虫食い女を見るためではない。
出発前、私は希望見学と自由見学のスケジュールを決めあぐねていた。
中央から手渡された希望可能なポイントの一覧は、単純な施設名とその説明の羅列だった。
写真も映像もナシ。そこから興味を掻き立てるのは、なかなかの骨折り。
しかも初期の時代に建設されたドームとなると、どうしても基本的な施設更生が中央と重なってしまう。
オリオン座もやはり、中央と比べて、無いものはあっても、有るものはなかった。
ドームごとに特色がない訳ではない。
海に近いドームでは海水を利用した研究がおこなわれているし、天然の森が生き残っている地域のドームではそれを活用した産業がおこなわれているところもある。
サブウェイコンステレーションによる貿易を生かすために、ドーム建設時に送り込まれる物資や人間には偏りを持たせていることも大きい。
もともとドーム建設地の地域から派生した血脈を持つ人間を住まわせ、旧時代にあった産業や文化に基づく初期物資を中央から送り、なるべく元の国に近い形を形成するのだ。
分かりやすくいうと、たとえばとあるドームにはアジアの血脈を持つ人間を多く送り、アジア文化に根付いた産業に関わる物資や家畜を送り込んでドーム運営を開始するということだ。
中東系。アフリカ系。南米、ヨーロッパ。エトセトラ。
あくまで傾向として持たせるだけで、おのおのの特徴は混血により明確に分けることはできないし、旧時代でも移民や帰化で動物学的な発祥地とは関わりのない地域に根差して暮らし続けたひとびとはおおぜい居る。
だから、特色付けをおこなったとしても、よほどの偏りを見せることはない。
ドーム建設から数百年も経てばさらに混ざるだろう。
キド親子もファミリーネームはアジアの系譜だが、人種な特徴はヨーロッパの流れが色濃く出ている。
しかし、ひとびとはいつか地上に戻り、元の暮らしを復活させられることを願っている。
なかば形骸化しているが、振り分けはその為の布石だ。
それた話をレールに戻すと、決めあぐねていたのはオリオン座がヨーロッパの流れを汲むドームだからということだ。
私の住んでいる中央も、旧時代に盛隆を極めた欧米系文化が優勢だったし、要するに見学をしても珍しいものは特に見当たらない。
そういう事情で超特例の他ドームへの旅は楽しみよりも、台本がないこと、演技の心配、知らないひとびとの中に放り出される事実など……要するに不安のほうが強くなってしまっていた。
だから、なるべく心の安寧を買いたくて母に甘えたのだ。
彼女の勧めを訊ねたらこうなった、というワケ。
希望見学先は精神病院の閉鎖病棟と孤児院。どういうチョイスなのかしら?
「怨むわよ、母さん」また八つ当たり。
ところで、先ほどから待合ホールで座長代理の青年の姿を探しているのだが見当たらない。
彼らの持つ台本通りならば、そろそろ次の見学先に行かなければならない時刻だ。
私は座席の列の端を借りてナイトさんが来るのを待つ。
精神病院とはいえ、利用客は九割以上が心療内科、神経外科、カウンセリング室、これらのお世話になるひとだし、ロンリーウルフなのだから静かなものだ。
これが内科を含む人間の病院なら空気も悪く咳き込む声が聞こえるだろうし、ラボなら音声割れや油切れの不快な音が満ちていたに違いない。
いっけん健康そうなひとびと。だけれど、こころは確実に疲れている。
私は今のところ、こういったところにお世話になったことはない。
こころは健康なつもりだし、身体の都合で特に診察や入院をしたこともない。
キド親子はどうなのだろうか。彼らもここでカウンセリングや薬の処方を受けることがあるのだろうか。
つまらない詮索を始めようとしたころ、入り口のほうから黒いスーツを着た青年が規則正しい早足でこちらに向かってくるのが見えた。
「お待たせいたしまして、申し訳ありません」
ナイトさんが謝る。
「いえ、見学も少し長引きましたから。すぐに出ましょう」
私はマイド然を身体に言い聞かせ、立ち上がる。
「次の見学先へ急ぎます」
ナイトさんに連れられ外へ向かう。
彼は何をしていたのだろうか?
個人的に気にはなったが、時間が押している。待合ホールにはひとが多い。
それに、ナイトさんは別れた時よりもマイド然に磨きが掛かっている。こちらの些末な好奇心を満たすのは難しそうだ。
「少し、電話をしていたんですよ」
車に乗り込み人目から離れると、彼のほうから理由を話してくれた。
「台本には記載されているとはいえ、孤児院は子供が中心ですから。連絡はマメにしておかないと」
「優しいのですね」私は思わず微笑みかける。
「いえ。アドリブでご心配をかけてすみません」
演技にほころびを見せるナイトさん。父親と比べて、こちらは好印象だ。
一点引っかかるとすれば、ちいさな謝罪が多いことくらいだろうか。
彼にはアジアの島国の血が濃く出ているのかもしれない。
「では、行きましょう」
青年は身分証に指先を滑らせ、認証機の前にかざした。
* * * * *
福利厚生の施設にはある共通する特徴がある。
自然を模した設備、公園が併設されていることだ。
住宅街やビジネス街、高級住宅には庭などもあるが、大抵は模造の植物で造られたものだ。
病院や学校に併設されるそれには“本物”が使われることが多い。
ひとびとの心身の癒しや、子供たちの情操教育に大きな効果があるからだ。
オリオン座の孤児院はいい意味での例外だった。
私はドーム規模からして技術研究所のように、やはり中央の孤児院の縮小版を想像していたのだが、こちらの景色は一見の価値のあるものとなっていた。
「綺麗なところ……」
視界いっぱいに広がる緑の風景。
孤児院は本物の木を植林した公園に囲まれた立地に建てられていた。
天気予報で予告していた通り、乾燥した地域ではミストの散布で加湿がおこなわれていたようで、公園の森は遠くが霧にかすんでいる。
幻想的というはこういうことを言うのだろうか。
私は深呼吸をしてみた。
湿度のせいか、天然物の草木の独特のにおいがむせ返るほどに胸に入ってくる。
「いい香り」
ランダムな枝々のしなり。ノイズの混じらない鳥の声まで聞こえてくる。本物だろうか。
「鳥だわ。枝にとまった」
私は二羽の小鳥を見つける。つがいだ。
彼らは木になった小さな赤い実をついばみ、それを小さな体の中に納めていた。
「オリオン座では植林産業はありません。だから全部、他所のドームからの輸入品なんですよ」
案内役が不満げに言う。
つまりここは黄金の森ということだ。天然の樹木をそのまま使うのは、宝石のように高価なものだ。
「中央にもこんな公園はほとんど無いわ。あっても、もっと人工的。まるでスクリーンに入り込んだみたい」
なまの自然の臨場感。
少し歩けばビルの頭が見えてしまうが、カメラワーク次第ではほぼ本物の森だ。
ここには生のすべてが、本当の世界の縮図があるに違いない。
「あっちのほうは葉の色が違う……そうか。“秋”なんだわ。ここのところ三層の環境が低温だから、葉が色づいているのよ。ということは、こっちの緑は常緑種なのね」
なんて素敵なんだろう!
「喜んでもらえてさいわいです。……僕……私はちょっとやり過ぎだと思いますが」
「そうかしら? ここには親の居ない子供たちが暮らすのよ? いくらやり過ぎても大げさじゃないわ」
私は自身の声が弾んでいることを隠さなかった。彼はこの光景に感動しないのかしら。
「造園には公費が使われていますから。福利厚生だって公園だけじゃない。もっと考えなきゃいけないことだってたくさんあります。物を買ったり作ったりで済ますのは職務の怠慢だ」
口を尖らせるナイトさん。
……そうか、これはラント座長の仕業なんだ。
私へ貸し出されている出来のいい部屋を思い出す。
彼は父親の仕事ぶりのこととなるとすぐに仮面が剥がれるようね。
私は笑顔を消しきれないまま息をついた。
子供の声が近づいて来た。
彼らの台本では学校の時間はすでに終わって自由行動になっているのだろう。
これまでオリオン座で見てきた子供たちは誰しも子供らしくはつらつとしていたが、学校からも解放されているせいか森のお陰か、土の上を追いかけあう彼らはまるで、在りし日の太陽のようだ。
「親が居なくてもこれだけ幸せそうなら、あなたのお父さんの仕事も立派なものよ」
はしゃぐ子供達を見ながら私は言った。
「……そうかもしれませんね」
ため息といっしょでの同意だが、彼の表情はいくぶんか柔らかくなっていた。
「さあ、院長のところに案内してください。子供たちがどんな風に暮らしているか、見てみたいです」
私は人間くささを残したまま促す。ここに居ると自然と配役的振舞いを忘れそうになる。
「ここでは院長のことを“マザー”って呼んでるんですよ。古臭いですけど、ここでの長は女性が務めるのが習わしなんです。それと孤児院には『中庭』という名前があります」
ナイトさんが訂正する。
「彼らに母親が居るのはいいことだわ」
「みんなに母親がいないわけじゃありませんけど……」
それは親権を失っても母親は母親ということだろうか。
「マザーは人間のかた? マイドのかた?」
「人間の女性です。彼女はいい人ですよ。僕が知る限り、いちばんの善人だ」
青年は屈託なく答える。どうやら彼は、ここに来たのは初めてではないようだ。
あの綺麗な森を見てたいした反応を示さなかったのは、父親への反発だけでなく、単に見慣れていたからかもしれない。
「彼女の作るケーキは最高なんです。子供たちの面倒見もいいし、他の職員たちも慕っています。年齢、種族、性別を問わず」
それが嘘でないことは彼や子供たちの態度からもよく分かる。
反面、私にはひとつ気がかりができた。
「マザーは御幾つ?」
「もう七十に近いかと思いますけど」
青年は答える。
「……子供さんたちの年齢、下はいくつからなのかしら」
「そりゃあ、中庭に来るのは捨てられた私生児がいちばん多いので、病院を出てすぐ」
彼は首を傾げながら答える。
「そう。マザーに会いに行きましょう」
私は訊ねておきながら彼を促した。
七十歳。健康管理の徹底されるドーム社会において、高齢化は大きな問題だ。
地下に潜った人類は、ドーム生活一〇〇年が経過したころに大きな決断を下した。
高齢化への対策。人間生存法による、生存することの許される年齢の設定。
七〇歳を超えた人間は、病院にて薬物投与をおこない、死ななければならない。
生産力として力を失うケースの多い高齢者は、狭いドーム生活において足枷にしかならない。
子供は尊いが、自由の利かない老人は不要なのだ。
六〇以上であれば、心身の不健康を理由に自発的に“処置”を受けることも可能。
七〇になれば、健康や意思に関係なく“処置”はおこなわれる。
旧時代なら非人道的だと罵られただろう。
だが、実際問題として、消費者ばかりではドーム運営は不可能だ。
それに、実際に制定してから、寿命の設定を当の人間たちが肯定するようになるのには時間が掛からなかった。
彼らは寿命を法的に定めてから、より真摯に生きられるようになったのだ。
台本と、明確な劇の終わりは、彼らの演技内容を昇華させた。
終わりのない劇では終幕を意識することが難しかった。
死を意識できなければ、生への真摯さが失われるのだ。
だから、ひとびとは自身の人生のプロットをしっかりと胸に秘めている。
子供のうちに、大人になったら就きたい仕事、なりたい人間を夢見てそれに向かって学習・訓練していくし、大人になれば結婚や家庭などの次のプランを練る。
最後のステージの“死にかた”について考えるのも自然な流れだ。
人生は長い舞台だ。普段は目立たない配役であろうと、ラストシーンにおいては誰しも主役になれる。
誰しもが自分の見せ場について真剣に考える。
死ぬ前の行動はHi-Storyにも考慮して台本を組んでもらえるし、周りのひとびともそれに付き合ってくれる。
そして、死にゆく人は投薬の直前に“最期のセリフ”を言うのだ。
それで幕は下りる。
法的寿命は一種の祝い事だ。
送られる側は配役を捨てて行動するのも容認され、配点や残高に関わらず贅沢なパーティを開くこともできる。
それでも、長年演じ続けていたクセは簡単に抜けるものではないから、最期の日も綺麗に演じ切ろうと思えばそれなりに苦労をする。
これは人間だけに許された特権だ。
マイドにも法的寿命も物理寿命もあるが、公的な祝いの席は設けられない。個人的な送りだけで済ませられる。
だが、誰しもがそれを望むとは限らない。
数年前、センセーショナルな死にかたをした男性が話題になったのは記憶に新しい。
「死にたくない。俺はもっと生きたい」
滅多にない辞世の句だ。
体調的につらかったり、薬の効きの想定を見誤ってセリフをしくじる人は多いが、明確に「死にたくない」と言うのは珍しい。
これに関しては、彼の配役的に生き汚いセリフが合うからあえて選んだのだとか、個人的にこれまでの人生に悔いが多すぎたのだとか言われたが、真実は本人にしか分からない。
最期のセリフを配役依存で選ぶことは珍しくない。
個人は尊重されるが、本人にとって長く付き合ってきた配役もまた、大切なパートナーや自身の一部となるケースもよく見られる。
ただ、その場に居合わせたひとびとの証言によると、「真に迫っていた」のは確かだという。
当然、実際の記録は残っていないし、彼らの顔や名前は保護されているので、インタビューをすることも、真偽を確認することもできない。
でも、取るに足らないニュースだったはずのそれがドームを越えた議論を巻き起こしたのは意味のあることだと思う。
……ともかく、人間は七〇歳に寿命を迎える。善人でも、悪人でも。マザーであっても。
だから、ちいさな子供たちがきちんとマザーの死について理解できるかどうかが心配だ。
マザー自身はそのことをよく分かっているだろう。
だけど、子供たちの巣立ちを強制的に見届けられなくなるのはつらいことのはずだ。
彼女もまた「死にたくない」なのではないだろうか。
私は生の象徴の中を歩きながら、死について考えていた。
おかげでナイトさんの孤児院の説明もろくに耳に入らず、前方にも注意をしてなくて……。
――衝撃。それから転倒。
「危ないな! ちゃんと前を見て歩けよ!」
私は何かの大きな塊にぶつかったようだ。
「ごめんなさい。ぼんやりしてて」
慌てて立ち上がり、服に付いた土も払わずに相手に向き直り、謝罪した。
「あんたの台本には“子供にぶつかる”なんて書いてあんのかよ?」
相手は相当殺気立っている。若い子供。年の頃は十代前半の少年だ。
はっとするような顔立ち。
整えられた短髪はカナリア色。それから、透き通るようなふたつの翡翠が不満を湛えている。
それから彼は、大きな車輪を備えた車いすに乗っていた。
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