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Page.32 月と狼

 ナイトさんはラント座長が退散してからすぐに、入れ替わるようにして戻って来た。


「父さんが!?」

 ナイトさんはあんぐりと口を開けて目を丸くする。

それから表情をなんとか戻すものの、すぐに額には手が当てられた。

 彼のこころの中では呆れが渦巻いているのだろうか。それとも怒りだろうか。


「そういう事情ですので、午後からはよろしくお願いしますね」

 私はなるべく穏やかにオーダーして、彼の不快感を取り除こうと試みる。


「え、ええ……」

 ナイトさんは比較的、感情が表情に出やすいタイプだと私は見ている。

 あった初日から、父親と剣呑な雰囲気を見せ続けてきた彼。

 ずっと眉をひそめたり、非難を口にしてきていたが、今は不安や焦りとも取れる表情を漂わせている。


「アドリブですけど、気楽にやりましょう。お化粧室に行ってきますね」

 私は彼にそう告げると席を立った。


 若手俳優を待たせないように手早く用を済まし、店員にすでに料金の支払いが済んでいることを告げられて店をあとにする。


「ええと、午後からは福利厚生施設の見学ですね」

 ナイトさんが運転席で台本にメモを加えながら言った。


 H0881320 ナイト・キド。男性、二十歳。ドーム長秘書官でドーム長こと座長その人のご子息だ。

 キド一族は代々オリオン座で有力な地位に着き続けている。

 彼もまた例外ではなく、今年度より座長の秘書官に就任。

 これは親の七光りだとか、不正による就任ではない、らしい。

 遺伝か生育環境の影響か、彼は幼少期より常に優秀なスコアを出し続けているのは事実。


 ドーム社会において就職は本人の希望と、台本の執筆を行うHi-Storyの手によって決定される。

 学業の成績、台本や配役の配点からの職業適性と、単純に職業の席に空きがあるかどうか。このニ点での選定。


 希望が通らなかった場合は、なるべく近い職か適性の高い職が検索されるが、本人が希望し続ければ、のちに再審査を受けて希望の職に転職することもできる。

 座長秘書の場合でもHi-Storyがタッチすることになるから、息子であろうと就任時に未成年であろうと、不正の無い公式決定ということだ。


「まずは精神病院。アイリスさんの希望になってますね」

 先ほど、急な代役にナイトさんは焦りを見せたようだったが、今の台本を追う指は細くしなやかで滑らかだ。


「砂にはまったく関係のない分野ですので、個人的な興味での希望です。せっかくのほかのドームを見学するチャンスということなので。自由見学の時間を貰ったんです」

 にこやかに答える私。


「そうですか。その後は孤児院の見学……」

 ナイトさんはわずかに首を捻った。


「ラント座長は福利厚生関係の職の出だそうで。それで、座長に選出されるひとを育てた環境に興味が湧いて。……暗いところばかりでごめんなさいね」

 私は彼の疑問を拾って答えた。

 謹厳実直の配役を持つ彼は、軽々しく自分の疑問を口に出すことはできない。


「……いいえ。どちらも社会に大切な施設ですから。それでは、参りましょう」

 彼のかざした身分証に車が返答し、モーターが動き始める。


 私は、後部座席から助手席へと席を移していた。

 左目でちらと若い運転手の顔を盗み見る。

 やや彫りの浅い顔。彼のファミリーネームの発祥地の残り香だろうか。

 細い眉はわずかに幼さを感じさせ、厳格に交通ルールに従う視線は反して、大人の神経質さをまとっている。


「目の保養」

「何かおっしゃいました?」

「いいえ」


 * * * * *


 精神病院。第三層に「だけ」ある専門機関。

 一層や二層の場合は、病院やラボのいち病棟として存在する。


 なぜって? 三層においては専門の施設を設けるほどにその需要があるから。


 三層にはニ種類のキャスターが居る。

 生まれながらにして三層民だった者。それから、二層からやってきた“あがり者”。

 この二者には病院を利用する理由に有意な特徴が認められる。


 まずは生粋の三層民。

 彼らは成長して社会構造を知るにつれて、自分たちがドーム社会において上位であることを認識していく。

 それによって台本や配役への意識の高まりが起こるのだが、当然、生まれが三層だからといって演技がパーフェクトだとは限らない。


 それを受け入れられず、適応障害を起こすことがあるのだ。

 台本を上手にこなせなかったり、役が合わずにストレスを抱えたり、意図しない配役と個人の同化に悩んだり。

 これらは他層でもよくある問題ではあるが、三層ではより顕著になっている。

 ポピュラーな悩みであるため、個人間では気兼ねなく他人に打ち明けることも可能で、それによって乗り越える者も多い。

 それでも乗り越えられなかった、あるいは相談できなかった人たちがこの施設を利用している。

 マンションの流行と関連して、人付き合いの薄くなりつつある三層では、精神病院の利用率は右肩上がりだ。


 次に“あがり者”。

 彼らは二層で社会的な功績を立てたとか、演技において大きな評価を得たことで昇層してきた者だ。

 その多くは配役を見事にこなし、社会に貢献し続けてきたのだから、三層の仲間入りを果たした時点ではすでにパーフェクトに近い役者になっているのが普通だ。


 この点がまた生粋の三層民のコンプレックスを刺激するのだが、もちろんあがり者の彼らは彼らで問題を抱えている。

 芯までパーフェクトの個体なんてそうそう居るはずがない。当たり前の話。

 配役と一〇〇%の同化をしていなければ達成できない領域だ。


 一〇〇%に満たない部分には多かれ少なかれ個人への負担がいっているはずで、そのひずみが大きければ大きいほど無理をしているということになる。

 三層に移ったはいいが、それで人生における大目的のひとつを達成してしまい、燃え尽きてしまうこともしばしば。

 緩やかに鎮火するのならまだしも、それが急速な崩壊を起こすパターンもある。

 人間でいえば発狂。マイドでいえば継続的なルナティック症状。

 昇層は当然単独でおこなわれるので、知り合いや家族のいない環境に放り出されるということもダメージになるだろう。


 長年の積み立てにより昇層したものには人生を折り返す年齢の者も多いため、新たな人間関係の構築をすることが難しい。

 こういった事情と三層での妊娠出産が許可制ということも合わさり、あがり者から二世が生まれるケースは稀となる。

 可哀想な気もするが、三層は人類の保護区という役割も持つため、人口バランスの都合でもどうしようもないのだ。


 つまり、精神病院の利用者の大半はロンリーウルフ。孤独を患っているのだ。


 受付を通し、まずは院長に面会。

 院長室。様々な本の納められた棚の並ぶ、書斎のような部屋だ。


「院長のフランクです。あなたがキド氏のご子息で。思ったより似ておりませんな」

 白衣の老マイドが青年と握手する。


「母親似でして」硬く返事をするナイトさん。

「そういえば母君のムアダ女史に眉がそっくりだ」

 フランクは白い人工眉を緩めて笑う。

 彼は老人タイプに改装したらしく、人工的なシワや真っ白な毛髪のコントラストが様になっている。


「あなたの御父上とは学生時代からの仲でしてな。当時の私は教師をしておりました」

 何か言いたげな青年の無言の言葉を拾い、フランク医院長は続けた。


「最近顔を見て……直接は顔を見ていなかったもので、会えるのを楽しみにしていたのですがな」

「申し訳ありません。ドーム長は病気療養でして」

「病気療養。それはいけませんな。わしみずからが見て進ぜようか?」


「その必要はありません。ただの食あたりですから。専門外でしょう?」

 少し演技に綻び。恥ずかしそう。


「はっはっは。彼は昔からよく食べる人でしたからなあ。でも、必要がないとは言い切れませんぞ。

 公人というものは一般キャストでは計り知れないストレスを抱えるものです。

 公人という立場は旧時代では珍しくもなかったが、今ではドーム長の専売特許だ。

 広く見知らぬ他人に顔を知られるストレスというものは……想像しただけでも震えがきますな」


 機械仕掛けの身体をぶるりとさせる院長。

 それから彼はこちらに手を差し出す。


「挨拶を後回しにして申し訳ない。ご婦人。中央ドームからの旅行者だそうで。書類を拝見いたしました。あなたも半公人ということになりますが、カウンセリングでもひとついかがですかな?」


 彼の手から振動が伝わる。

 老人の演技なのか、ボディに物理的な寿命が近いのかよく分からない。


「中央技術部隕砂研究室室長のアイリス・リデルです。一握りではありますが、面識のないかたに先に顔を知られているというのは、なんだかむず痒いですね」


 率直な感想。

 私を台本に織り込む人物には、あらかじめ私の顔写真が配布されている。

 気恥ずかしいような、どこか恐ろしいような気分。


「興味深いですな。じっくりとお話を伺いたいのですが、時間が押しておりますゆえ。

 ……本日は、閉鎖病棟の見学をなさりたいとのことですが。

 いやはや。伊達や酔狂ではお勧めできませんが。

 まあ、真剣でも勧められたものではないですがね。行きましょうか」


 院長は机からカギ束を取り出すと、指にひっかけくるくる回しながら私たちを先導し始めた。


 

 閉鎖病棟。

 他者に危害を加える可能性がある患者、他者との接触が本人の病状にとって大きな害となる患者を隔離するための入院施設。

 ドーム全体の人口が二〇〇万人未満なのに対して、閉鎖病棟への入院患者は数十人。

 正確な人数は公表されていない。一時処置としてすぐに出される者もいれば、何度も出入りをする者もいるためだ。


 これを逐一記録すると、誰がここに入っていたのかが分かってしまう。

 彼らは病人であり、環境の被害者ではあるが、今も昔も一般からの認識は厳しいものであることは変わりがない。

 社会復帰後に暮らしの妨げになる要因はなるべく削ぎ落すべきなのだろう。


「彼は二十七番患者。極度の対人恐怖によるルナティック症状から未帰還です。今は大人しいものですが、ときおりメモリーの中で何者かと会っているようで、急に騒ぎ出します」


 フランク院長は個室の中のベッドで眠るマイド男性の患者を番号で呼んだ。

 収容者たちは施設内だけで通用するナンバーで呼ばれる。

 これも別に患者をひととして見ていないからではなく、個人のプライバシー保護のためだ。


 私たちは一方的に様子をチェックできる窓から説明を受ける。

 隕砂化されていない真っ白なリノリウムの通路。

 患者の安寧のために、掃除や保守点検の頻度を下げる工夫らしい。

 隕砂素材は入手や加工は楽だが、あちこちで小さなリミットが発生するために、保守点検に大きな手間がかかる。

 それはそれで労働の需要を生んでいるから必ずしも悪ではない。


「未帰還といえば……こちら。五十番患者。

 職場で起きた事故で同僚のマイドが死に、ルナティックから未帰還になりました。

 もう十年は前の事故ですが。サバイバーギルトというやつですな。

 常に罪悪感に駆られており、マイドに対して異常な執着を見せます」


 室内には何やら熱心に絵を描き続ける人間の男がいる。

 ヒゲと髪は伸び放題。入院着の胸元は伸び切っている。

 それから床にはたくさんのロボットやマイドらしきものが描かれた紙がびっしりと、規則正しく並べられていた。


「ひとの精神というものは何百、何千年も研究されてはきましたが、

 旧時代のころですら、解明できていたのはほんの、ほんのごくわずかです。

 そのうえ新しくマイドという仲間が加わり、研究対象が倍に増えたうえ、

 相乗に因果してそれこそ天文学的な規模の謎が生まれました。

 私自身もマイドではありますが、自身の精神のすべてを分析するには至っていない。

 永遠の命でも無ければ、すべてを解明するのは不可能でしょうなあ」


 永遠の命。私は最近、それに近いものを得たと思われるマイドに会った。

 そして、彼はばらばらにされる運命からも逃れ、いまだ行方をくらませている。


「もしも、もしもですが院長」

「なんですかね、アイリス君」

「永遠の命が手に入るとしたら、あなたはそれが欲しいですか? 違法か合法かという話は置いておいて」


「ノーだよ」院長はにやりと笑ってすぐに答えを返した。


「研究は永遠にでも続けたいところだが、不死身になってしまえば生死観が変わってしまう。

 人生という劇において山場がない者は居るかもしれないが、オチの無い者は居ない。

 この前提が覆されてしまえば、あらゆるものの見方が変わってしまうだろう。

 そうなれば、学問や社会的な意見ほか、様々な“答え”も逸脱してしまう。

 研究というものは“前提が正常である”としておこなわれるものだ。

 精神研究の前提たる本人が“異常”なら、その者が導き出した答えはなんの役にも立たないだろう。

 確かにわしは永遠の命とは言ったが、それは大きな矛盾を孕んだものなんだよ」


 彼も考えたことがあるのだろう。滑らかに持論を述べる院長。

 フランク院長の言う通りなのだとしたら、ヘルメス・ラルフの考えはやはり“異常”ということだ。

 だったら、それと似た意見を述べた母は? そしてその娘は?


「して、アイリス君はどうかね?」

「えっ、私ですか?」

 廊下に私の声が響く。


「私ですか? じゃないよ。君が質問したんだろう。質問したんだから、何か思うところがあってのことじゃないのかね?」

 苦笑いの表情パターンが返される。


「私は……私は分からないです。でも、特に死にたいとも思いません」

 私は少し思考してから回答した。


「悪くない回答だね。その歳で別の結論がでてるようなら、考え直すか、やはりわしのカウンセリングを受けてみるべきだろう」

 フランク院長の表情から苦みが消え、いたずらっぽい老人に変わった。



「アアアアアアアアアアアアアアアアアア!」



 唐突に響いた耳をつんざくような絶叫。

 私はしゃくりあげて胸に手をやる。


「失礼。あれは八番の患者だね。五十番とは対照的で……」


「大丈夫ですか!? 僕が救いますよ!? 早く、先生開けてください! あのマイドを助けなくては!」

 今度は五十番の個室から紳士的な叫びと、暴力的な音が響いた。


「君の助けは必要ないよ!」

 個室へと言い放つ院長。顔は半笑いだ。


「八番はつい先日入院したんだ。急に人間に危害を加えたマイド男性。

 それまで配役や仕事に目立った問題もなく、人間へはマイドらしく協力的だった。

 外から見て、きっかけもなく唐突に凶行を犯した。しかもわざわざ、この病院のホールに来てね。

 軽度の心身症を患っていた人間の女性が犠牲になったよ。

 彼は意思疎通が難しいくらいにプログラムが狂っている。

 警察の審査待ちのあいだ、研究のためにアドリブで許可を貰ってここに置いたんだが……」


「マイドの入院患者たちを解放しろ!」

 

「どうも五十番とは相性が悪いようだね」

 哀れなメシアを語る顔には憐憫が微塵も見当たらない。


「救わなければ! うおーーう! 可哀想な! 人間はマイドを助けなければ! うおーう!」

 八番が叫ぶ。フランク院長は肩を竦めて耳に指を突っ込んだ。


「面白いだろう? 他人のルナティックに気付くとああやって叫ぶんだ。

 まるで古典の狼男みたいじゃないかね? 

 しかし、この配置は患者たちにとって大きな失敗だった。実際問題、相当なストレスだろうから。

 いい教訓だよ。ユートピアとはいかないまでも、患者にとってよりよい環境を目指すことは……」


 ――救わなければ!


 私も肩を竦めて耳に指を突っ込んだ。うおーう……。


 * * * * *


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