Page.31 料理の海
研究所をあとにして、ラント座長おすすめのレストランへと足を運ぶ。
赤い色に塗られた店舗の壁。ダクトからは脂っぽいが食欲をそそるにおいが流れてくる。
ここはチャイニーズを食べさせる店だそうだ。
ドーム社会において、特定文化の専門料理屋ほどアテにならないものはない。
ドーム生活になる以前から他国の文化への誤解なんてザラだったのに、地下に潜りお互いにやりとりが薄れ、もとの文化までも消えていったのだから、本来のそれとは間違った料理が供されることもしばしば。
それでもどこの料理屋も、自分のところがスタンダードで正しいと確信しているところはタチが悪い。
もちろん、文化の理解の問題だけでなく、食材そのものの都合ということもある。
この前なんて、研究仲間とアメリカンステーキハウスなるお店に食べに行ったのだけれど、散々だった。
参加者みんな、身分証から沢山のお金が引き落とされることを覚悟をして、お腹もたっぷり空かせて挑んだのに、出されたのは味のしない大豆の練り物の塊だったのだ。
三層民でも評価ポイントを貯めないと利用できない高級店のクセに!
その店には奇妙なこだわりがあって、動物性由来の素材を一切使わないそうで、高級品である肉はもちろん、卵、ミルク、デザートのゼリーに使われるゼラチンすらも制限しているのだと店主は言っていた。
実際のところ、この狭いドーム内において、陸上の動物由来の食品というのは貴重である。
肉は高級品。ほとんどが味付け用エキスに回されるし、肉そのものを使った料理は引き落としのケタがふたつも変わってくる。
大抵のドームでは食品における一次産業は第三層の役目で、完全に管理された環境でおこなわれている。
すべて機械管理。ひとは数値のチェックをするだけで、畑の土に手を触れることはない。というよりも、絶対禁止だ。
家畜たちもいっさいを管理された箱の中で、目に触れるのは数値だけ。役目を終えるまで延々と卵、ミルク、肥料を生み続ける。
そして、食肉へと変換される際も機械に任せ、その最期の工程が誰かの目に触れることもない。
かつてのように自然に任せた農業ができるような土地などないのだ。
そんな土や牧草地があるのなら、まず、ひとびとは挙って靴を脱いでその上を歩き回るだろう。
だから本格派をうたう店で模造食品が出されても何も驚くべきことではない。
それでも、私たちが疲弊したのは、味を似せるために使われる動物性エキスもすべて禁止していたからだ。
何が肉だ。あれはトーフというもの!
味付けが塩くらいしかないのなら、その辺の喫茶店のランチのほうがよっぽどおいしい。
……そのくせ、標準より高い料金だけはしっかり取られた。
さて、この座長肝いりの『アイヤー・アルアル』は、視察ですっかり疲れ果てた私を満足させることができるだろうか。
綺麗な赤い生地に金の刺繍の入った“アオザイ”とやらに身を包んだ女性店員に案内され、円卓テーブルに着席する私たち。
テーブルは二重になっていて、上部を回転させて大皿をシェアする仕組みだそうだ。
「アイリスさん、先ほどの視察は散々でしたね」
数時間ぶりに口を開くナイトさん。
「私が視察をしたときは、あんなじゃなかったんですがね」
ラント座長の声もどこかすり切れた感じがする。
「よそ者が歓迎されないのはお約束ですから」
堂々とため息を吐く私。
「私なんか、どこへ行っても人気でかえってつらいものですな」
ラント座長が笑う。この店は高級店で、一部のキャストにしか解放されていない。
高評価を得る人間はパブリックな場では大人しく素行がいいので、ここならば座長が追い回されることもないのだろう。
開放的な席で他の客も居たが、彼らはちらと見ただけで噂話すらしていない。
マイド相手だと逆にミーハーが混じっていたりするのでこうはいかないだろうが、職場外ではマイドが人間の食事に同席することはあまりない。
「研究所連中はこんなお綺麗なかたを歓迎しないなんて、どうかしている。
ルイ室長は乞食のような見かけだったし、アイリスさんに嫉妬していたのでしょう。
所長は……所長は多分、勃起障害か早漏に違いない。それか、便所でも我慢していたか」
座長節が炸裂した。
「父さん!」
ナイトさんが叱りつける。
でもこのほうが、私はかえって気が楽だった。
というか、連中にならもうちょっと言ってくれてもいい。
“休憩時間”は始業終業の時間と共に台本にしっかり明記されている。
それぞれ業種により時間やタイミングは異なるものだが、どの場合でも休憩時間には個人の優先が保証されている。
息抜きをするにも、社会を回すにも、私たちには切り替えというものが肝要だ。
さすがの座長も自身の食事においてはこのあたりを弁えているらしく、食事が運ばれてくると、軽口から食事に不向きなセリフはカットされた。
テーブルの上段に乗せられる料理たち。
「こんなにいっぱい……」思わずつぶやく私。
ランチというには不釣り合いな量。
秘書であるナイトさんもここは初めてなのか、目を丸くしている。
「食べきれないよ」
「チャイニーズでは食べ残すのが礼儀なんだよ。さあ、どんどん食べてください。料金は私の身分証で落としますからな!」
得意げにテーブルを回す座長。そのうえ席を立って、わざわざ私やナイトさんの取り皿に料理を盛っていく。
「そんな、自分で取るよ」
恥ずかしげな息子さん。
「いいや。ナイト、周りをよく見てみなさい。どこも一番年寄りが盛って回ってるだろう? これが中国式なんだ」
言われて確認すると、他のテーブルでも同様のことがおこなわれていた。
誰かがそこまでするのなら、なんのためにテーブルは回転するのかしら?
一枚の皿にでたらめに盛られた料理たち。
白いまんじゅうのようなもの、細く透明な麺を使った料理、生地にいろいろな具材を挟んだ独特のサンド。
小さなライスの塊の上にニンジンか何かが乗せられてる……これは“スシ”ね。
ほかにもいろいろあるようだけど、半分混ざってしまっていて大皿と比べないとどれがどれだか分からない。
「あら、これは何かしら……?」
私は料理の中に不気味な物体を見つけ、思わずお箸で指した。
映画で見た怪物のようなビジュアル。巨大な虫?
「おお、アイリスさんはさすが目聡いですな! それは“エビ”ですぞ! ウワサの海洋生物です」
海洋生物。地上が砂だらけになったとき、海もコメットサンドのマイクロ粒子ですっかり汚染されてしまった。
隕砂粒子が人体に入ると、さまざまな内臓を詰まらせて身体に異常を起こす。
そのため、生物濃縮の濃い海洋生物はほとんど食べることができなくなってしまっていた。
一部ドームに持ち込むことができた魚介類はいまだに“栽培”されていて食べることができるが、エビはデータでしかお目に掛かれないもののひとつになっていた。
「うお座ドームの新技術の賜物ですな。ウチも負けてないつもりですが、このあたりには海がありませんからなあ」
残念そうにエビの殻を割る座長。
うお座ドームの新技術。
海水にすむ生物から生きたまま隕砂粒子を99.9999999%除去するというものだ。
水から隕砂を取り除くのはそう難しくはないが、生物の体内に入り込んだものを組織を破壊せず取り除く技術というのは、何百年も待ち望まれていた技術だ。
食品だけでなく、砂害の治療への応用も期待されている。
私も論文に目を通したし、サンプルの機械を作って中央でも実験をしたことがある。
それがとうとう実用化されたらしく、この“エビ”はその賜物だということだ。
見かけはアレだったが、味は香ばしく、身はぷりぷりとして、とてもおいしかった。
今後、次々と新たな海洋生物が食される時代がやってくるのだろう。
私は、できれば食べやすいヴィジュアルのものを希望します。
「そのうちにロブスターも食べられるでしょうな。アイリスさんはロブスターをご存じで?」
「あのダンスを踊るって言う?」
カバンに収まっている本を思い出す。
「ダンス? まあ、かつては専門店のあったくらいの食材ですよ。エビを大きくして、ニ本のハサミをくっつけたような見かけをしとるんです」
座長は箸を器用にハサミのように動かして見せる。
そういえば、本の挿絵にロブスターの描かれたものがひとつあった。確かにエビとそっくりだ。
あんな見かけのものばかりがお皿に並んだと考えると……。
私は胸のムカつきを押さえるために、楽しみにしていた白くてふわふわなかたまりに手をつける。
小麦を練って作った生地に、餡が入っている代物。
しかし私は、それに裏切られてしまう。
「……!」
まんじゅうを口に固まる私。
「ここのおまじゅうは口に合いませんか?」
心配そうなラント座長。
ちくしょう。騙された。これはあんまりだ。私が中央で同じ見た目のものを食べたときは、中身はアンコだったのに!
「い、いえ。美味しいです」
スマイル。
――この世界において、たんぱく質というものは貴重である。
ひとびとが地下に潜ったときには、いくらかの人間にとって役立つ生物が共に持ち込まれた。
だが、呼ばれもしないのにやってきた連中もいる。
これはエビよりも悪い。味はともかく、歯ごたえで何を口にしたのか分かってしまった。
ここのドームでは食用として受け入れられているんだ……。
私は必死にいろいろなものを堪えながら呑みこんだ。
……いい? アイリス。これは食べ物なのよ。
構成物質でいうなら、どの生物だって似たようなものよ。問題ない……問題ない……。
ああもう、本来なら中華店の大敵だったあいつが、なんでここに!?
口直しとごまかしを兼ねて、皿に盛られた植物由来の食材を次々と頬張る。
「おお、いい食べっぷりですな。女性が食べている姿というものも、また素敵なものだ」
座長は私の咀嚼にシンクロさせて自分の顎を動かしていたが、私はそれどころじゃなかった。
……ともかく、食事は進んでお腹は満漢全席になった。
私は取り皿の上のゴマをまとった団子のようなものに手をつけるかどうか悩んだが、胃の訴えを受け入れて食事を終了した。
もう何も入らない。味も分からない。
「遅いですね」
ナイトさんがげっぷを隠しながらつぶやく。
ラント座長は食事の途中でお手洗いに立っていた。それからもう10分くらいになる。休憩時間もあまり残っていない。
「ちょっと様子を見てきますね」
ナイトさんも席を立つ。
「はあ……」
つかの間のひとり。円卓に残された料理たちに眉をひそめる。
そのままゴミになるということはないだろうが、せっかく人間が食べられる形にまでなったものを、食べずに終わらせるなんて。
いくら高級料理店だとか、文化だからといって、食べ物に対してこういう扱いをするのはいただけない。
それとまんじゅうに入っていた脚の多い生物も。
「好ましくないわ」
「そうでしょう! 女性をひとりきりにして席を立ってしまうなんて好ましくありませんな!」
肩口からヒゲおやじの声。
「……ラント座長。戻っていらしたのですか!?」
胃に続いて胸まで調子を悪くしそうだ。
「しっ! ナイトに見つからないようにしたいので、手短に話しますぞ」
ラント座長は私の口元にひとさし指を当て、真剣な顔つきになった。
「私はこれから“体調不良”で公務をお休みいたします。残念ながら、アイリスさんのご案内ができなくなってしまうのですな……」
悲しそうな顔。
「どうしても、どうしてもやらねばならぬ仕事がございまして。
ですが、台本違反になりますし、ナイトの奴も絶対に許してはくれないでしょう。
そこで、ここは『食べ過ぎの腹痛で帰ってしまった』ということにしておいて欲しいのです」
朝に何やら仕事のことでふたりが揉めていたのを思い出す。
「本日の残りの視察案内は、ナイトにやらせますからご安心を。
寂しくなったら端末に連絡を入れていただいても結構ですがね。
いやね、今までナイトに任せていた仕事を自分の手で片づけようという腹で。
大勢の台本のためです。どうかお許しを」
私はちらと彼の息子が消えた方向を見やる。
座長には意図が伝わったのか、
「どのみち、個人の時間に労働をすると、喧嘩になりますからな。視察は明日もありますし、どのみち叱られるのなら、私も夜はしっかりと眠って、はつらつとあなたにお付き合いをしたく存じあげますし……」
と両眉を上下させた。
真面目なのか不真面目なのか。
どうもそれだけではないような気がするけど、私も付いて行きますなんて言えるわけがないし、ここは大人しく彼の好きにさせてやることにしよう。
くりかえし頷く私。
「では、また明日お目にかかりましょう。我らが北極星! あっ! お腹痛い! 超痛い!」
座長は去っていった。
やっと解放されたくちびるに濡らしたナプキンを押し当てる。
「あっ……しまった! 事件のこと話すの忘れてた!」
がっくりと肩を落とす私。
……ナイトさんが戻って来たら座長のことを説明して、私も化粧室に行かなくては。
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