Page.30 顔
車は第三層の街並みを滑らかに進んでいく。
オリオン座のトップスターたちが暮らす高級住宅地。オーナーの個性をエクスプレッションした建物たち。
車内の雰囲気とは正反対の賑やかな風景。
建物のカラーリングや造形は公序良俗に反しない限り自由なので、ときおり極彩色に塗られたものや、何かの形をかたどった奇妙な建物が主張している。
目がちかちかしそう。
統計的には二層から三層へ自力であがった者は、一軒家で暮らすことを希望することが多い。
アーティスティックな物体に暮らしたがるのも“あがり者”に多い傾向だ。
住宅は居住者のニーズに対応するため一軒家だけでなく、マンションなどの選択肢もある。
私の貸し与えられているのもマンションタイプの一室だ。
中央の自宅、ゲストとしての住まいのどちらもだ。
家や庭を飾るのも悪くはないけど、個人的には自分の持つパーソナル空間をあまり広げたくないタチなので、私には一軒家を持つ予定はない。
これは私にも当てはまることだけど、二世以降の三層民はマンションタイプを好む傾向を示すという。
当然、世代が進むにつれて二世以降は増えるため、年々一軒家よりもマンションタイプの需要が増えつつある。
一層二層にもマンションはあるけど、こういった傾向はない。
マンションはひとつの建物内に住む他人の数は多いけど、共用の施設やコミュニケーションルームを利用しなければ、ご近所づきあいというものがほとんど起こらない。
郵便や台本を受け取るポストはドアに備え付けられているし、庭もなければ、共同廊下の掃除も業者任せだ。
狭いドームで狭い建物に押し込められているクセに、隣近所の顔すら分からないということもザラだ。
オリオン座に来て数日になるけど、いまだに私の仮住まいの隣や、向かいに暮らすひとには会ったことがない。
私の用訊きのために派遣されているボーイも、別のところで暮らしているらしかった。
そんないっぽうで、個人的にどういう暮らしをしていようと、多くの人間に顔を知られるひとというものも居る。
信号で停止するたびに、車内に飛び込んでくる視線。
通行人たちはラント座長の存在に気付くと、ちらちらと彼のほうを気にしている様子だ。
一部の若者に至っては指なんてさしている。隣に座る私まで居心地が悪い。
ドーム長はドーム唯一の顔の知れた公人だ。
公的な発表や、新施設のPRをする際には、本人からの発信であることを明らかにしなければならないので、彼は映像配信にたびたび登場している。
不特定多数に対して一方的に顔が知られていると、個人を侵害される恐れがあるので、誰しもそんなことを望まない。
そんなのは個人の死でしょう?
私が中央からこちらへ来る際にデータ送信された顔写真の配布ですら、身体の一部が切り取られたかのような気持ちになったのに。
かつてはテレビ番組や映画、音楽のプロモーションなどで映像に顔を露出し、一般に広く顔を知られるひとびとが存在したが、今や映像に誰か個人の顔が映ることはない。
旧時代は天気予報やニュース番組にすら読み上げるキャスターの顔を映していたらしいけど、いったいそれにはなんの意味があったのだろう?
映画では顔が映るのは当然だけれど、それは大昔のひとだし、今はもう生きてはいない。
映像の中だけの存在だ。
現在、映画撮影などの文化も存在していない。演劇は子供の学芸会が関の山。
台本システムが運用されたあたりから自然と需要が減少して、そういった業界はすべて廃れてしまった。
残ったのは文字や合成音声、個人を示さないイメージ映像だけだ。
ニュースなどを伝える際も、実名は不要で、登録番号があればそれでいい。
映画鑑賞のブームもここ十年くらいで復活したもので、Hi-Storyによって決定される“配役上の趣味”に映画鑑賞が設定されるようになり、それに伴って新しい娯楽施設として映画館が登場した。
これはかなり刺激が強く、ひとによっては理解の過程で混乱をきたすこともあり、“配役上の趣味”から“個人的な趣味”に流行りが伝播する過程では賛否両論の激しい議論が巻き起こった。
ここ数年になってそれもようやく落ち着き、大っぴらに「映画鑑賞が趣味です」といえる空気になってはきたが、映画反対論者などもまだ少数ながら存在している。
「見て! あれ、座長じゃない?」
締め切られたドア越しでも聞こえてくる声。
「顔が知れるとご苦労も多いのでしょうね」
私は、座長にまさかの労いの言葉をかけた。これは同情に値する。
「車に乗っているので、まだマシなほうですな」
短い返答。愁い混じり。初めて見せる表情だ。
ひょっとして、彼が公務においても個人を出したがる理由は、これにあるのではないだろうか?
彼はつねに公私のラインを破壊されているのだ。買い物すらも難しいのに違いない。
……もっとも、スケベで差別的なのは別問題だけれど。
化けの皮が剥がれたら、みんなはなんて言うのかしらね。
座長への同情が何度か繰り返されたのち、私たちは0024番ドーム技術部隕砂研究所へと到着した。
「私はアイリスさんを案内してくる」
ラント座長は運転席に座っている息子に言った。
「じゃあ、いつも通りに……」
ナイトさんの返事。
「いや、今日からはいい。私が自分で処理する」
なんの話かしら?
「父さ……座長は台本では午後五時まで彼女の案内です。それから普段の業務を処理するだけの余裕はないでしょう?」
訴えかけるようなナイトさん。
「いや、個人の時間を潰してでも自分でやる」
座長はきっぱりと言った。
「公私の混同は……」
「いい。元々、お前に押し付けていたのがおかしいのだ。
座長は公人だ。ドームのキャスト全員のためにある。
私が個人の時間を割くことで大勢の台本の助けになるのなら、それは望むところだ。
私が個人的に望んで、誰の台本にも迷惑をかけないのなら、何がいけない?」
強い口調。私が車から降りても、ラント座長とナイトさんは睨み合っていた。
お互いにまぶたはわずかに下ろされ、眉は寄っている。人間特有の微妙な不快感を示す表情。
やはり、ふたりのあいだには何かトラブルがあったのだろう。
「分かったよ……」
秘書は不満げにハンドルを握り直す。
「何をやっているんだ。お前は私の秘書だろう。車を降りてついてくるんだ」
ナイトさんは鼻から息を吐きしぶしぶ車を降りる。
「見苦しいところをお見せいたしましたな」
ラント座長がこちらに向き直った。
「えっ? ごめんなさ……失礼いたしました。建物を中央のものと比べていてて……」
私は素知らぬふりをして話を盗み聞いていた。演技で返す。
座長には少し怪訝な顔をされたが、探りを入れているのに気付かれるよりはマシだ。
……気付かれてないわよね?
技術部隕砂研究所。
コメットサンドに関わる新技術の開発や、その特性の研究をおこなう公的機関。
私も中央では同等の施設に所属している。
所長に引き合わされ、案内と説明を受けた。
「こちらは洗浄施設、こちらは防砂服の耐久チェック用サンプルの保管庫、それからこちらが未使用の部屋で何もありません。あっちはお手洗いです。それは緊急用の隕砂粒子掃除機」
所長は人間の男性で、彼はやたらと時計を気にして一分刻みで各所を案内しようとた。何から何まで。
だけれど、彼は自分自身の紹介のことは忘れていたらしい。名前を聞きそびれた。
「私が0024番ドーム技術部隕砂研究所、研究室室長のルイです。あなたが北極星の室長なのね」
いっぽう、こちらの研究室の室長はマイドの女性で、役作りなのかマイドなのにビン底メガネを掛け、清潔感の欠如した白衣を着こんで、人工毛髪をかきむしる悪癖のある人物だった。
そして仁王立ちで、腕を組みながらの挨拶。
どうも彼女は、中央に対して対抗心を燃やしているらしくて、それは研究アピールとしてではなく、なんにつけても「機密です」とか「結果待ちです」などと言って情報をシャットアウトする形で表された。
他の研究員たちもそれなりに研究に熱心だったけれど、私から見ると彼らの研究は少しつたなく、後進的なものが目立っていた。
中央の研究結果は第三世代のドームまで共有されているから、第二世代であるオリオン座にも情報が与えられているはずなのに、どうしてこんなことをしているのだろうか?
もしかして、過去に判明したことを再検証をしなければならないような新しい発見が?
私は気になって室長に訊ねてみたが、三層マイドボディの表現力を限界までつかった心底不愉快な顔をされて「何度も申しあげますが、0024番ドームの機密事項です」と言われてしまった。
まさか、張り合うあまりに中央や他のドームが発表している論文をスルーでもしてるのかしら? それで後進的な研究を……?
研究を遠巻きに眺めているうちにその疑念はますます強くなる。
同じ研究者としてこれは放っておけないと思い、私はルイ室長との関係がさらに悪くなることを覚悟で進言した。
もしかしたら、ウルシュラさんのように配役でこんな態度を取らされているだけで、中身はいい人かもしれないし。
……結果は失敗。
マイドにありがちな配役と個人の同化。
私のアドリブは劇をいっそう赤くとげとげしいものに変えてしまった。
ラント座長も配役に徹しているためか、私の味方はしてくれない。
ナイトさんも無言。親子揃ってノーコメント。
所長の刻む時計に助けられて研究室をあとにした。
扉が閉まる際に、ふるいに掛けられないままの罵倒が投げかけられた。
その後の視察も、やはり少し時代遅れな設備を披露され続け、午前いっぱい施設内を引きずり回された。
……私はすっかり疲れ果ててしまった。ひと前だし、ため息すらつけない。
この調子では視察報告書も中身の無いものしか書けないだろうし、文字数を稼ぐのにも苦労しそうだ。
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