Page.03 Note
ラント座長から提供された部屋は、私から見ても上質なものだった。
一流キャスト用のマンション。
オリオン座三層の夜景を一望できる高層階。
地面から伸びる背の低い建造物のかずかずが、薄青の夜間灯の海に浮かんでいる。
偶然だろうけど、カーテンも私の好きな青だ。手触のいい……ひょっとしてこれはシルクだろうか?
素材に隕砂を用いない一流の調度品、ドレッサーに至っては木製。
それも端材を固めたものではない。綺麗な、本物の木目のあるものだ。
オリオン座に植林産業はないはずだし、このあたりの地上も、森が生き残った地域ではなかった。
残っていたとしても、木材が貴重であることにはかわりがない。
座長は外部からの来訪者用に用意したものの中でも特別、「中央から来た者の為に支度をした」と話していた。自慢するだけのことはある。
しかし、彼は自慢もそこそこに私邸へ帰っていった。
ここに到着したのが二十時半過ぎたところだったので、本来の台本通りの公務ならば、とうに終了して夕食も終えている時間だ。
私の来訪の伝達は今朝になってからおこなわれたのだ。
急なアドリブ。座長とはいえ疲れるはずだ。
彼に習うわけではないが、私も早く寝てしまいたい。
だけど、その前にいくつかやらねばならないことがある。
ベッドの上にトランクを置く。これには他人には開けられない特殊なロックが掛かっている。
私の指だけがキーになる。
私はトランクを開けて、そこからタクト型の装置を取り出した。
壁、天井、コンセントの差込口、各種ライト、ドレッサー、念のためにお手洗いやバスルームも。
それぞれの場所にタクトの先を向ける。
「不審な電波やセンサー類はナシ……ね」
ひとりごちて一息つく。
万が一、盗撮や盗聴をされていても仕事には差支えは無いのだけれど、やはり確認をしておかなければ落ち着かない。
こういったことは警備が信用できた中央勤めの時には気にしないで済んだけど、よそのドームとなれば話は別だ。
特にラント座長の場合は、中央ドームに対抗意識を燃やしているのがありありと見て取れる。
風の噂では彼は中央で役を貰いたいのだとか、オリオン座を中央に取って代わるものにしたいのだとか囁かれている。
中央技術部室長の持つ情報が欲しいかもしれない。……あるいはただ私の肌が見たいのかも。そういうのはNG。
「よし! シャワー浴びよ」
そして何より、私はひとりごとが多い。これもカットだ。
私だってひとだもの。プライベートは欲しい。ずっと役者ではいられない。
でも、安心して個人でいる為には、母の言いつけはしっかり守らなければ。
室温二三℃、湿度五六%、除菌済み。適切に管理された空気。ひとりきりならば衣類にたいした意味はない。
私はベッドルームで肌を晒し、服を抱えてバスルームへと向かう。歩くと肌を快適な空気が撫でる。
……言いわけをしておくが、私に裸で部屋を歩き回るクセがあるのではない。
服に移った不快な香水から一刻も早く離れたかっただけ。
壁に取り付けられた洗濯機の口に服を放り込み、バスルームへ足を踏み入れる。
シャワーヘッドと蛇口、それに湯船。
先ほど一通りチェックして回った時に気になったのだけど、ここはバスルームとお手洗いがそれぞれ別の部屋に設置してある。
座長のアイディアだろうか? それとも遠い祖先からの習わし?
どちらにしろ、私の中のラント座長のスコア表に初めて加点が入った。
このほうが清潔感もあるし、お手洗いの個室は狭いほうがプライベート度が高く感じられて落ち着く気がする。
中央に帰ったら提案してみようかしら。無数にあるバスルームを改修するなんて現実的じゃないけれど。
操作パネルに指を触れ、シャワーヘッドから水を出す。
それを顔で受け、顎から首に伝い、身体を経て足へと流れていく感触を楽しむ。
備え付けの石鹸。きめの細かな泡立ちは滑らかなクリームのようだ。予想以上に高級なそれに愉しくなってくる。
私は目をつぶったまま、手探りでスポンジを探した。
用意されたスポンジはふたつ。泡も合わさって滑るような感触。
きめが細かいほうは堅いボディを傷つけず磨くためにマイド用に用意されたスポンジ。
もう一方は、人間用。古い皮膚をこそぎ落とせるように、比べて少し目の粗いもの。
私の肌なら後者にすべきなのだろうけど、あえて滑って逃げるほうを捕まえた。
自宅にも両方置いてあるが、目の粗いスポンジを使う。母が怒るから。「汚れが落ちないでしょう」って。でも、めったにない機会だ。
「くすぐったい!」
思わず漏れる嬌声。滑らかな泡とマイド用のスポンジは、私の肌には少し刺激が強すぎたようだ。
* * * * *
髪から垂れる雫をしっかりタオルに吸わせ、バスローブ姿で寝室に戻る。
真っ白なベッドに顔からゆっくり倒れ込み、身を沈ませてみた。これも高級品に違いない。
このまま眠ってしまいたいけど、やはりそうはいかない。ノートを開かなくては。
私にはふたつの宿題がある。研究室へ提出するレポートと、母からの個人的な宿題。
それらをこなす材料として、今日の出来事と、オリオン座で出会った人物を整理・記述する。
登録番号0024-H1029199 エドワード・ベラン。
男性、三十六歳。サブウェイの検問係員。第三層在住。与えられた配役上の性格は“寡黙で冷静”。
彼は私の登録番号を見たときに少し反応をした。
中央からの客が珍しいからだろう。三層に暮らしてはいるものの、パーフェクトではないらしい。
台本が噛み合えば帰りも彼を観察することができるだろう。
以降、外部者でない限りドーム番号を示す上四桁は省略する。
登録番号M1783256 ヨハンナ・スピラ。
女性、四十五歳。前者と同じく検問係員。第三層在住。配役は“元気な田舎娘”……何、これ?
通常のマイドの振舞いよりも大げさで芝居掛かった演技。
彼女は“個人”の時はどのように振る舞っているのだろうか? とても興味深い。
H1066666 トーマス・ミラー。
男性、五十五歳。第三層の検問係員。当然三層在住。与えられた配役は“寡黙で頑固”。
エドワード氏よりも遥かにマイド然とした振舞い。
というよりも意思のないコンベアの様な正確な動作だった。
M0145432 ウィリー・モリス。
男性、二十一歳。第三層の検問係員。両親は第二層で暮らしていると言っていた。
つまりは二十一歳にして第三層にあがることを認められた優等生。
マイドは見た目で年齢が分かりづらい。彼に身分証を提示したときにはあまりいい印象は無かったのだけど。
配役は“排他的で厭味な男”……なるほどね。
さほど重要ではない人物たちはまとめて一ページで充分だろう。
ここから先は追記分も含めて多くのページを割くことが予想される。
H0399876 ラント・キド。男性、五十歳。
0024番ドーム長兼、総監督官。両親共に第三層出身。
先祖代々、一流キャストの家系。本人も三十六歳まで各要職を歴任。
試験的にニ桁番号ドームにておこなわれた「第三層キャストの投票による選出」によりって当選。
なお、人間、マイド共に偏りなく票を獲得している。
選出された者は配役に関する苦情や減点案件が一定数貯まるか、身体的または精神的理由で続行不能になるまでは職を追われることはない。
彼に関するクレーム報告は四年前から右肩上がり。
初期は特定個人からの報告に偏っていたため無視されていたが、今年に入ってからほかのキャストからの苦情が爆発的に増加。
ラントが兼任する総監督官は七年に渡って空席。
本来、座長と権利を二分し、相互監視の立場にある総監督官だ。
歴史からみて、この状況が望ましくないことは明白。
しかし、中央は各ドームの自主性を尊重、ドーム運営自体にも他ドームと比べて顕著にトラブルが見られるわけではない。
今度の隕石によるドーム損傷の件は、彼の不手際ではないだろう。損傷の件については後述する。
私の個人的な彼への批判については、書き始めるとページ数が膨大になることが予想されるため、控えておく。
特記事項として台本の無視、配役の無視、ドームの私物化の兆候。
中央からの出向者とはいえ、一介の技術屋風情である私が口を挟む領域ではないため、詳しい詮索はナシ。
それと、配役は“シャイで努力家”。……どこが?
H0881320 ナイト・キド。
男性、二十歳。ラント・キドのひとり息子。ドーム長秘書官。
秘書官は本来なら第三層出身でも齢二十でたどり着ける職ではない。
配役は“謹厳実直”。実直はともかく、謹厳さの演技は不充分かもしれない。
それとも父への苦言は、個人的なものなのだろうか?
彼に関しては以降も記述が増えると思われる。余白は充分に取った。
さて、ドームの損傷についての記述に移ろう。
0024番ドーム、通称オリオン座。
西暦二五〇〇年着工、西暦二五二五年完成。
第ニ期大規模施工ドーム群のひとつ。完成から八〇〇年余、半年前の小隕石衝突までドーム存亡級のトラブルは無し。
中央は衝突時に把握済み。一方で0024からの報告は無し。
過去数件の同様の事例により衝突後処置のテキスト化と配布が済んでいたことと、各ドームの自主性尊重のために中央からも今日まで0024へのアクションは無し。
第三層からの通報により、破損部の補修が大幅に遅延していることが中央ドームに発覚。通報者は不明。
ただし、第三層キャストの大半は第一層への移動権限を持たないため、権限を持つ特殊な役職であるか、出生が他層民である可能性。
報告によるとドーム外殻破損部の限界は認められないものの、外部から侵入した砂による砂害で第一層の八割から九割で問題が発生。被害は他層にも及び始めている。
通報には物理的な被害、砂粒子による粘膜の炎症、因果関係の証明は済んでいないものの、肺病の流行などが挙げられており、ラント座長の怠慢やドーム私物化傾向が工事を遅らせているとのこと。
これが事実だとしたら大問題だ。通報したのは誰だろうか。
次は歴史のおさらいだ。
砂。この地球の大半を覆う砕屑物。
地質学上の分類では2mm~1/16mmの物を指していたそれ。
現実には極細粒砂を下回る1/16mm未満のものも含めて呼ばれる。成分は問わない。
現在、地球上にある砂の大半は“コメットサンド”由来だ。
コメットサンド製の構造物等の“リミット”から発生した粒子。
――地球の歴史の節目。すべてのはじまり。
西暦二一九九年。南極西部に隕石が落下。
衝突による津波や振動等、ダメージの大半は南極氷床がクッションとなり軽減され、ひとびとの暮らす地域への被害はごく軽微だった。
当時の世界連合組織が落下地点を調査。
隕石から特殊な物質が発見される。
成分は地球上にある元素と同様。
ただ不思議なことに、いろいろな物質が混ざり合いながらも、過去に類を見ない形で強く結合しあっていた。
これは科学者たちの興味を集め、世界中でこぞって研究が開始された。
西暦二二〇二年。隕石から発見された物質の生成法が判明。
詳細は省略するが、非常に手軽に加工できる。
しかも、“複数の物質で構成”しなければならないのではなく、結合それ自体が特殊なだけで、触れ合った場合の化学反応さえクリアできるのならば“素材はなんでもいい”のだ。
その辺にある火山岩でも堆積岩でも、精錬された金属でも、なんならゴミを使ってもいい。
一度、砂のようにこなごなに分解してから結合し直されたそれは、すべて画一の強度になる。
元となる物質に影響されるのは、用意の手間と重さだけ。
夢のような技術。究極のリサイクル。世界は沸いた。
その技術は隕石に混じった砂からの由来であったため、コメットサンドと名付けられる。
程なくして実用化。翌年から世界規模の置き換えが始まる。
それまで数百年に渡って人類を支えてきたアスファルトとコンクリートとの決別が開始された。
西暦二二一〇年。温暖化が悪化。
隕石衝突が原因かと疑われたが、調査によりコメットサンドの保温性が原因と発覚する。
実用前のテストでは保温性は確認されなかった。
サンプルは1㎡のパネルが使われていたのだが、連結、あるいは大きなパネルを作った場合にのみ保温性が向上する特性が判明。
粒子レベルの結合でなくとも、隣り合うだけでアウト。
ベースとなる物質によっては、さらに強烈な吸熱性と保温性。
……すでに世界はコメットサンドで覆われていた。
もっと悪いことに、一度コメットサンドに加工してしまった物質を元に戻す方法は発見されていなかった。
砂を結合し直す再リサイクルは容易だったのだが。
西暦二二一四年。極地の氷が解け海面が上昇し始める。
温帯地域がすべて消滅。亜熱帯は熱帯に、温帯は亜熱帯となり、各地が砂漠化を始める。
西暦二二二〇年。
多くの地域で日中の野外活動が“不可能”になる。
雪は消え、森は燃え、海面上昇により多くの島国が山を残して地図から消えた。
都市部では気候管理を試みるドーム都市、郊外では地下都市を建設しはじめる。
太陽から逃げるか、宇宙からの恩恵を捨てるかで激しい論争が交わされる。
西暦二二八一年。人類は太陽と決別。
彼らは夢の技術を捨てることができなかった。
西暦二二九一年。コメットサンド材質の限界が起こる。
リミット。まったく不可解な現象。なんの前触れもなく、分離と崩壊が起こりこなごなに、超極細粒砂化する現象。
世界各地の道路や構造物が砂になり始める。
調査するも原因は不明。
判明したのは、結合後八〇から一〇〇年のあいだにランダムで発生するということ。
まるで生体の寿命のようだった。
そして、連鎖作用。
崩壊した砂がほかのコメットサンドに付着すると、極低確率で寿命を無視した崩壊が始まる。
いわば生体における癌のようなものだ。
これも発覚した時点ですでに手遅れ。つぎつぎと文明が砂に帰す。
大崩壊と超温暖化。大気中へ舞った砂が太陽を遮り、局地的に超寒冷化。
地球の気候はランダムなものになってしまった。
とうぜん、人類含む地上の動植物のほとんどが死滅。各都市は孤立。ここから人類の苦難と再生の時代がはじまるのだが……。
「眠たい……」
私は枕に顔を沈める。白くてゴキゲンな枕。
要するに、だ。
ドームの穴から入り込んだ砂によって、リミットの連鎖がいつ起きても不思議ではないということだ。
それはもう始まっているかもしれないし、一〇〇年後かもしれない。
明後日にはオリオン座は消え失せているかもしれない。
天井の穴は命取りだ。急速に埋める必要がある。
仕事としては単純。穴を塞いで散らかった砂を片づける。
だけど、それが成されていない、間に合っていない。
発見が遅れたとはいえ、人口と生産力の高いオリオン座がそうなったワケは?
私は枕が吸った空気から、不快な移り香を見つけた。
ドーム禿のにやけ面が頭に浮かび、手を握られた瞬間の感触が反芻される。
ほかの事は全部、明日に回してしまおう……。
「おやすみなさい、母さん」
私は疲労に沈む頭の中で、母に今日の出来事を報告をする。
ひとりぼっちでよその星へ来た私。せめて、ここでの成果がよいものであればいいけれど。
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