Page.29 不安の青
『今日の三層は、地上からの熱が届きづらく、気温は一〇℃以下になる予想です。四十八から五十八番区画では湿度の低下が続いているので、日中にミスト放出が予定されています』
端末に流れ込んでくる温度情報。今日は冬日。
短い天気予報。かつて天気予報だけで五分も十分も時間を消費していた時代があったらしい。
一層はドーム外の気まぐれな天気の影響を受けやすく、ひとが暮らすには厳しい高温にまで上昇したり、その逆に夜間は低温になることもあるため、空調設備で広い空間をコントロールしなければならない。
ドームの立地によって大幅に異なる話だ。
だけど、どこも電力の大半が空調にあてられているのは変わらない。
屋内は簡単に調整できるが、屋外の広いドーム空間を毎日完璧にコントロールするのには、莫大なエネルギーが必要になる。
冷媒の手に入りやすい地域であればコストが下がるのかもしれないが、基本的に一〇〇%のコントロールを目指すのは資源の無駄遣いだろう。
二層は地上の影響を多少受けにくくなるものの、面積が大きく、屋外空調の効果も薄い。
だから毎日の気温に一〇℃程度の振れが起こることもしばしばだ。
地下深い三層は冷えやすく、冬日の日数が増える。
暑いのはともかく、多少寒いくらいなら着こめば容易にカバーできる。
だから、私たちは多くの服を所持している。旧時代から受け継がれるファッション文化。
ドームごとに受け継がれるファッションには差がある。
どのドームもフォーマルやカジュアルな洋服がスタンダードではあるが、ドームの在する大陸によって、そこにかつて存在していた民族衣装の流れを汲む服装も生きている。
オリオン座のあるヨーロッパ大陸ではかつて、奇抜ともいえる最先端ファッションの発信地となっていた歴史もあるそうだが、残っている資料を閲覧した私には冗談にしか映らなかった。
自宅であればもっと服の選択肢が広がるのだけれど、ここは旅先。
厚着と薄着をそろえるだけで私の大きくて青いトランクは満杯になっている。
昨晩は早めに就寝することができたから、今朝はたっぷりと身支度に時間がとれる。
披露する相手がラント・キド座長なのがちょっとシャクに触るけど、それでも服装が決まって鏡を見る至福の時間で、充分なお釣りがくるからよしとしよう。
移動式の姿見を使い、前や横、くるりと回って背中をチェックする。
今日からは公式な三層視察になるため、フォーマル寄りな服装で挑むことになる。
本日はシンプルなパンツスーツルックだ。白いブラウスにジャケット。
スーツカラーは深めのロイヤルブルー。自宅には青系統以外もちゃんとそろえています。悪しからず。
三層の低温仕様で上着の生地はゆったりと厚く、丈も長め。首にはグレーのマフラーを捲いておく。
アッシュブロンドはうしろに流してまとめ、自身の髪の一部を使って結い留める。
肩に掛からないと後頭部が少し重い気がするけど、気を張るべき場ではそのくらいがちょうどいい。
「よしっ!」
鏡の前での中央技術部隕砂研究室室長アイリス・リデルの衣装確認が完了する。
「……」
もう一度、全身をチェック。身体を捻ったり、鏡の外から中へと歩いてみたり。
今日の私は、可愛いし、格好いいし、おしゃれに違いない。
鏡の中の役者へと笑いかけ、手を振ってみせる。
「……行こう」
表情をマイド然と引き締めなおし、マンションをあとにする。
エントランスを抜けると、いつもそこに居るはずの黒い公用車の姿が見えない。
普段の彼らの台本通りなら、午前八時きっかりに現れるはずなんだけど……。
「また、座長のアドリブかしら?」
私は首を長くして、通りを走る黒を探す。
三層は二層ほど面積は広く無いものの、道を走る車の台数が多い。
私用車の所持が許可されているからだ。
一層、二層においては車両はバスやタクシーか、業務用という形でしか存在しない。
個人の移動手段で所持できる最高の物は低出力のスクーターである。
かつては自動車や二輪車両はひとびとの暮らしを支えるだけでなく、趣味とロマンの代表格でもあったようだが、狭いドーム社会において、土地の贅沢以上の贅沢はないだろう。
映画のように自動車や二輪車両で世界を駆け回るのは、もはや宇宙旅行に等しい夢だ。
私も叶うことなら、美しい景色の中に整備された道路で、めいっぱいバイクを飛ばしてみたいものだ。
ひとりエントランス前で立っていると、今朝からずっと誤魔化していた不安が首をもたげてくる。
サブウェイの事故。
レールの損傷は大きく、パジェンターたちがドーム損傷関係で出張ってる都合も重なって、いまだに修理は完了していない。
複雑な星座を組むように存在する路線だから、ひとつが塞がったところで、中央への道が途切れる訳じゃない。
だけれど、実際に帰るとなると他のドームを経由しての大回りとなる。
私が帰るころには修理が完了しているだろうか?
そして何より、その事故を起こしたであろう「張本人の行方」が気になる。
公表されたのは事故による物流の休止の件のみ。
罪人の輸送車両からテロリストが証拠品と共に逃げ出したことは、私はトマーゾ署長から直接連絡を貰ったが、もちろんトップシークレットだ。
道路を走る車に普段よりディレクター関係車両が多く見受けられるのも、この件が関係しているに違いない。
リゲル改め、ヘルメス・ラルフはいつ仕掛けてくるのだろう?
暗躍が不可能となった今、強硬手段を講じてくる可能性が高い。
直接、ドーム外壁や工場に対して破壊工作をおこなったりはしないだろうか?
私はヘルメスが接触してくる恐怖よりも、今日までに関わってきたオリオン座のひとびとの安全が気がかりだ。
連中は台本システムの破壊を狙っている。そして、マイドに対する殺人には躊躇がない。
ルーシーやジョージ、ウルシュラさんは人間ではないのだ。彼女たちの安全は配慮されないだろう。
私は端末で0024番ドームの一層と二層のニュースをチェックする。事件はゼロ件。
「はあ……」
息を吐くと私の暖かな蒸気が白く煙る。
今日は予報よりも冷えそうだ。
行き交う車を眺めて二十一分。ようやく私を迎える車が現れた。
「いやあ、遅れて申し訳ない」
オリオン座最高権力者ラント・キドドーム長。愛称はヒゲおやじ。
私は彼が嫌いだ。ルールもマナーも違反するし、スケベったらしいし。
何より、母が「彼のことは気に入っている」と発言したのが堪らなく不快だ。
母とラント座長に面識はない。母が中央権限で一方的にデータを所持しているだけ。
具体的にどこがどういいのかは訊ねなかったけれど、レポートには彼のことを重点的にあげておいてちょうだいと念を押されている。
初めは母の発言によって彼に興味が湧いたのだが、出会って数秒で好奇心のすべては不快感へと変換されてしまった。
そのうえ、現在ではテロリストに情報を流している可能性まで挙がってきている。
こんな男のどこがいいっていうのやら?
「アイリスさん、どうなさいました? さあ、お乗りください」
私は彼に招かれて後部座席へ乗り込む。それからマイド然と朝の挨拶。
運転席からは返事がない。いつもは不機嫌であっても返事くらいは帰ってくるのに。
「おー、今日もアイリスさんはお綺麗ですな……」
また始まるのね。だけれど、今日の私は、私に自信がある。
「えー、本日からアイリスさんは三層の視察ということで……」
えっ、それで終わり?
もう、せっかく褒められる準備をしてきたっていうのに。
それに、この歯切れの悪さはいったいなんだろう?
「わたくしの台本はアイリスさんのご案内を中心となっており……」
なんだか照れくさそうに身をよじる座長。……気持ち悪い。
「0024番ドーム長として一所懸命、努力精進していく所存でございます」
私は思わず首を傾げる。彼はどうしてしまったというの?
「えー、シャイで努力家。シャイで努力家でございます」
ラント座長はちらとバックミラー越しに運転手の顔色をうかがい、小声でつぶやいた。
……そうか、彼は配役を演じているんだ。
本来なら当たり前のことなのに、彼は私に対してずっと自由奔放に振る舞ってきていたので、すっかり失念していた。
これまでの送迎だけでなく、本格的に座長業務が始まるからだろうか?
「はい、よろしくお願いいたします」
私も姿勢を正し、きちんと彼のほうを見て返事をした。
返事をしながら私もミラーに目をやる。厳しい目つきのナイト・キド氏。
もしかして親子喧嘩でもしたのだろうか?
なんにしろ、座長に大人しくしてもらえるのなら、これ以上のことはない。
「本日はまず、0024番ドーム技術部隕砂研究所のご案内をさせていただきます」
ラント座長はそう言ったきり、黙り込んでしまった。
「ラント座長」
仕方なしに私のほうから声を掛ける。
「はい、何でございましょうか?」
「先日で二層までの視察が済みましたので、それに関連したレポートの提出を」
私は提出義務のあった報告書を彼に渡す。
「確かに受け取りました。のちほど拝見させていただきます。
して、どうでしたか? 中央の目からみて、ドーム修復に至らない点はございましたか?
作業日程が大幅にずれ込んでいるのは把握しておりますので、何か問題があったかと存じますが……」
なんだか腕が痒くなる。
「詳細に関しては報告書にまとめています。問題は小さなものではありませんでしたが、無事に解決いたしました」
……が、彼の態度の大きな変化はひとつの推測を提示する。何日か前にもちらと疑った件。
「それと、当然、座長のお耳には入っているかと存じますが、
第二層においてテロ行為と思しき事件が発生いたしました。
緘口令の敷かれている案件ですが、私は偶然にも直接関わりを持ちましたので、
その件については私の口からご報告させていただきたく存じ上げます」
私は早口で口上を述べる。彼の顔色をじっくりと窺いながら。
私の目は彼の嘘くさい演技の綻びを見逃さない。シャイな薄笑いの下に確かな動揺を察知。
その動揺は、事件への驚き? それとも、“何か”を知っているから?
「……私、あのような体験をしたのは初めてで、怖くって」
私は意図的に態度を崩す。らしくないけれども。
だが苦労もむなしく、ラント座長は口元を少しすぼめたくらいで、マイド然と仕事に務めた。
「昨晩に、トマーゾ・サンポリス第二層監査部部長からの報告書に目を通しております。
全容の把握はできておるつもりです。その中で、あなたがどのような役割を果たしたかも。
ですので、あなたを煩わせる必要もないかと存じますな。
どうしても個人的な感想をお話になりたいのであれば、昼食の時にでも伺わせていただきます」
食いつかない。単に配役を徹底してるだけ? それとも、この話題を避けたいのか。
まあいいわ。昼食という言質はとれた。
これまでのあなたの職務の不備が、ただの怠慢によるものなのか、何かの意図を孕んでいるものなのか、必ず明らかにしてみせる。
ここにはいないはずのヘルメス・ラルフはドームに侵入し、違法改造ボディを有し、他人の顔を奪う所業をおこなったのよ。
いくら超人的な存在だとしても、この管理社会において何者の手引きもなしにそんなことができると思う?
もしもあなたが、オリオン座の滅亡に手を貸すのなら、私の権利のすべてを使ってでも、あなたを正すわ。
かつてないほど静かな車の中、私はディープブルーの服の裾をシワになるほど強く握り、これから起こりうる事態のかずかずのリハーサルを頭の中で繰り返し始めた。
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