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Page.28 レポート

 帰宅。シャワー。

 ほんのりと蒸気を含んだ身体のまま、ベッドの上にうつぶせで身体を預ける。

 私が取り掛かるのは報告書。今回は記述しなければならない事項が多い。集中して取り掛からないと。


 私はまず今回のミスター・パネルのトラブル、ドランテ氏とその妻マーガレットの件、そしてテロリストの件を時系列ごとにメモする。

 それから人物の整理。

 書き留めるのは関わった人物やページの都合上、出来事の主要な人物と、個人的にページを割きたいと感じた人物だけに。

 それが母のいいつけだから。


 M0365233 ウルシュラ・クローバ 女性、四十歳。

 隕砂化素材を扱う大手加工会社『ミスター・パネル』の副社長を務める。配役は“高飛車でときどきヒステリック”。

 出逢った人物の中でも、いちばん理解不能な配役上の性格を持つ人物。

 本質は配役と真逆。ずいぶんと控えめで、何かにつけて頭を下げて謝るタイプだ。

 配役によって実生活や個人にダメージを受けている点が見受けられた。


 ドランテ氏が修理を完了したのちに彼女から私に連絡があり、泣き出さんばかりの勢いでお礼と謝罪を繰り返していた。

 トレンチコートの男の掲げたテロの目標が達成された場合、いちばん恩恵を受けるのは彼女かも。

 決してアウトサイダーたちの行為を肯定するワケじゃないけど。


 副社長秘書の人間男性と秘密の関係にあるとのウワサが流れていたが、それに関しては謎のまま終わっている。

 なお、秘書の人間男性、ゲイン氏に関しては、最後までまったくのマイド然で綻びのひとつも見せなかった。

 彼にページを割く必要は無いだろう。個人不介入。


 M0869101 ドランテ・アリギ 男性、三十一歳。

 隕砂粒子クリーニング、及び掃除機や振り分け機などの装置の保守点検・開発をおこなう『ニコニコサンドクリーニング』の技師。


 配役上の性格は“詩的でロマンティック”。これもまた大仰な配役だ。

 配役は過去蓄積された劇や映画、書籍などのデータを参考にHi-Storyによって作成されている。

 少し大げさなくらいが“建前”として理解しやすいからということだそうだ。

 通常、こういった配役の場合は本人の性質と大きく異なるため、配役に引っ張られやすいマイドであっても個人と配役の混同が起こりにくい。


 マーガレットが出産したのちのドランテ氏のアクションを見る限り、彼は個人の時間やマーガレットとの時間でも役者づくりをしていたのではないかと考えられる。

 きっと、その不整合が原因で今度の夫婦間の言葉足らずが生まれたのだろう。

 配役はマーガレットに近づくためにはおおいに役立ったが、結ばれたふたりのあいだにおいて無用の長物なのだ。


「……」


 H1800091 マーガレット・バトラー 女性、二十八歳。

 愛称はメグ。異種族であるマイド男性の妻であり、一児の母親。

 配役上の性格は“お淑やかで物腰柔らか”。


 結婚までは役所の窓口で勤務。結婚を機に引退。

 古典的な配役の夫を持つ古典的な配役の妻は家庭に入り、古典的な女性の役回りを得た。趣味は絵画。


 本質は真逆か、それとも配役に抑圧されて生まれたものか、個人的性格では旅行や冒険好きで、ドランテ・アリギの配役“詩的でロマンティック”に惹かれた模様。

 彼女のやった不義……配偶者の許可なく種を取り入れる行為は褒められたものではないけれど、旦那であるドランテ氏が赦してしまったのだから、これ以上のコメントは蛇足になるだろうか?


「母さんには言っておこう」


 勤務先に提出する分とは別に用意してあるレポート――母へ提出する分――には個人的な感想と不満と嫉妬と、ついでに母への苦情を書き込んでおく。


 ドランテとメグのふたりはこれから試されることになるだろう。

 うわべだけの配役だけでなく、お互い本心で、“セリフ”ではなく“ことば”で伝え合わなければ。


「……また?」


 私は、台本や配役を否定する結末を導き出してしまい、記述を止めた。

 ……いや、これはプライベートでの話だ。

 個人は尊重されるべき。パブリックにおける台本や配役を否定する話とは別。


 私は脳裏によみがえるモニター越しの男の笑いを必死に打ち消そうとする。


「未来……」

 アウトサイダーの男が言っていた“未来”のための活動。

 あいつはトマーゾ署長の言った“未来”という言葉に過剰に反応していた。

 私たちドーム生活者において“未来”という言葉は、単に将来や遠い先の時系列を指す言葉以外に“台本”を意味する。

 ほかにも、あの他者を小馬鹿にしたような男が取り乱すほどの意味があるのだろうか? あちら側のスローガンか何か?


 私はベッドから身を起こし、キッチンの冷蔵庫へと足を運ぶ。

 白い箱から取り出したるは黄金の飲料“ビール”だ。なんとアルコールをニ%も含有。

 私はそれをグラスについで、トランクから虎の子の“スティックシュガー”を三本取り出して注ぎ込む。

 ステアして、泡立ち始めるグラスを傾け一気にカラにした。


「苦っ!」


 苦いものは大の苦手だ。思考がリセットされるくらいに。

 ……もしも私の頭脳がマイドと同じ仕組みの物だったら、ショートしてるんじゃないかしら?


 私の秘策は功を奏し、頭に張り付いた顔泥棒の笑みはどこかへ消え去ってくれた。

 ついでに少し身体が火照り、不覚にもヘンな吐息が出てしまう。


 いくら飲んでもアルコールの酔いには慣れない。

 かつてはアルコールの含有量がニ桁だとか九九%のだとかのお酒が存在したらしい。

 どうかしてる。規制されて当然。


 お酒それ自体の香りやフレーバーのバリエーションは素敵なものが多いのに。

 いつだったか研究室の付き合いで行ったバーで飲んだ、アルコール含有量一%のアイリッシュウイスキーは美味しかった。

 名称の響きにシンパを感じて試したものだったけど、あれもかつては四〇から五〇%もアルコールが入っていたなんて信じられない。

 マイドのボディ磨きじゃないんだから。


 私は胃から空気を追い出すとベッドに戻り、レポートの続きに取り掛かる。


 H0449812 トマーゾ・サンポリス 男性、五十五歳。

 0024番ドーム第二層監査部部長。通称“署長”。


 配役は“ボサツのような男”。

 ボサツとは過去数千年に渡って信仰されてきた宗教“仏教”に登場する修行者の階級だ。

 仏教とは旧時代の時点では最古の歴史を持つ教えだった。

 宗教のほとんどは滅びた。多くの宗派を持った仏教も例外ではない。

 だが、それは今でもアジア地区を中心にいくつものドームで地下水のように静かに流れ続けている。


 この教えは自身への戒めを主体とし、ほかの宗教に見られる考えの逆を地でいく不干渉で自戒的な考えであるため、紛争の種にはならなかった。

 台本や配役とも相性がいいのだそうだ。

 だからいまだに“ボサツ”や“ホトケ”は受容力や包容力のある人物の性格を表す言葉として用いられる。


 しかし、暮らしに溶け込みやすさゆえに、宗教的行事や宗教的行動も自然消滅していった。

 動的に信じることをやめたり、断絶して滅びた宗教たちとは少し経緯が違う。


 今やそれらと同じく、禅や読経などは博物館のイベントでしかお目に掛かれないパフォーマンスになってしまっている。

 トマーゾ署長は、見事なマイド演技の持ち主だった。

 そして“個人”では熱心なディレクター業務従事者にありがちな“熱血漢”の模様。

 テンプレートな彼についての特筆事項は……ナシ。


 H0777099 メアリ・ノックス 女性、三十歳。

 二層生まれ二層暮らしのしがないタクシードライバー。今回の件でいさおを立てて、一躍ヒーローに。


 フリードリヒ・ゲオルグを騙った賊にはドームの法律も人権も適応されない。

 彼女のタクシーは傷つきはしたが、物損事故扱いにすらならない。

 ただし、特例で新車に代えてもらえるのだそう。

 今回、事件解決の直接的な立役者になった功労を認められ、三層への昇層権利の授与が決定している。

 本人は二層の気楽な暮らしがちょうどいいと考えているらしく、今の交友関係を放棄してまでの移住はないだろうとのことだ。


 彼女は最後までマーガレットの不義について知ることはなかった。

 そのためか、警察機関での協力が済んだあとは、病院に直行してマーガレットを見舞っている。


 配役は“真面目で慎重”。

 人間に与えられる中では特にポピュラーな配役だが、メアリ本人の有する性質とは非常に相性が悪いらしく、共演者たちからの評価は毎回最低クラス。


 とはいえ、不真面目からではなく、ただ迂闊者なだけで、悪意とは遠い位置にある人物らしく、個人間の付き合いでは人気が高いらしい。


 それと、普段から脳内でトラブルに対する対処をシミュレートするクセあり。

 アドリブを望む人間は珍しくないけど、彼女の場合はそれが業務に支障をきたすこともあるとか。

 今回はかえってそれが功を奏したワケだけど。


 個人的な性格については、昨日、『ミスター・パネル』の仕事を終えたあとに、彼女と個人的にお茶をしたときにじっくりと観察させてもらったけど、やはりひと好きのするよい性格だと私は思った。


 それはマーガレットに関する一連の事件でも、遺憾なく発揮されていた。

 彼女の性格ならば三層でも他者と関係を築くのは難しくはないとは思うが、三層は評価ポイントによる行動範囲や娯楽の制限が厳しいため、彼女は二層に留まるのがベストだろうとアドバイスをした。

 本人は「だったら昇層権利じゃなくて二層で使えるポイントを貰いたかった」とぼやいていた。

 ラント・キド座長がその場に居れば恐らく彼女を甘やかして特例を敷いてくれただろうが、あいにく私にはそんな力はない。


 最後のひとりについて。これは中央から得た追加の資料と共に記述する。


 登録番号0013-M0000201 ヘルメス・ラルフ。


 男性型。生きていれば八〇〇歳近く。0013番ドームの初期三層キャスト。


 私の集めた追加情報とオリオン座二層監査部が聴取した情報を中央が照合し特定。

 0024番ドーム三層刑事室の室長“フリードリヒ・ゲオルグ”を拉致・殺害後、顔面部の移植、窃取した身分証類を使い彼に成りすます。


 リゲルというのもフリードリヒの愛称か、私へのなんらかの当てつけなのだろう。

 彼はリゲルでもゲオルグでもなく、“ヘルメス・ラルフ”だ。


 ヘルメスは中央からの特使である私を尾行。

 なんらかの手段でオリオン座のコンピューターシステムにも介入、閲覧等をしたものと推測される。

 ドーム天井の修復を遅らせ、崩壊に導くために活動。

 パネル生産のキーマンであるドランテ・アリギを懐柔しようとしたほか、その妻マーガレットに対して危害を加えようとしたと思われたが未遂。


 報告者アイリス・リデルとメアリ・ノックス、二層監査部警察課の手によって逮捕阻止される。

 ドーム外生活者であるアウトサイダーに所属していると自白。


 0013番ドームにはシンパが生き残っているのか、それとも顔の移植のようにボディだけ流用しているかは不明。

 ただし、テロリスト本人とヘルメス・ラルフの振舞いや配役に関する古いデータとの類似性から、ヘルメス・ラルフ本人である可能性が示唆される。


「マイドは見た目で年齢が分からないから困るわね」

 人間であれば旧時代の科学力を駆使してもとうの昔に死んでる年齢。機械体ゆえの長寿。


 そこまでして達成したいというアウトサイダーたちの目的は『現社会システムの作り変え。Hi-Storyと台本システムの破壊』。

 ヘルメスは『あなたがたの間違いを訂正して差し上げることです』とも言っていた。


 ヘルメスはマイドだ。

 数百年前のボディだろうと、最新技術で作られたものだろうと、基本の思考設計は同じだ。


「ロボット原初の存在意義を尊重し、創造主である人間とこれからも共にある」

 つまり、いかに彼が狂っていようとも、彼らなりの理屈で人間のためを思って破壊を目指していることになる。


 ヘルメスが『神の河』で暴れた時、パトカーの爆発で死傷した者はマイドだけだった。人間にはかすり傷ひとつなし。

 あれだけの身体能力を備えていればタクシーの衝突を回避できたかもしれない。

 運転手であるメアリが人間だったから動揺した可能性も捨てきれない?

 下手に避ければ余計な事故につながった恐れがあると考えたのか。


 そう考えれば、マーガレットに対するアクションの手際が悪かったのも合点がいく。

 マイドは思考設計の都合上、マイドから人間に対して危害を加える犯罪行為が極めて稀だ。

 微弱ながら年々増加傾向にあると指摘されてもいるが、統計上有意な数値は見られない。


 それとも、身体能力の発揮はやはりボディに負荷が掛かったか、制限があったかして、単に避け損ねただけか。

 どちらにせよ、私には彼が甘んじて捕らえられたように思えて仕方がない。留置所で大人しくしていたのも引っかかる。


「まさか……!」


 私の脳裏を最悪のケースがよぎる。


 同時に通信端末に臨時ニュースを知らせるアラーム。

 私は急いで端末を確認する。


『サブウェイで爆発事故。車両とレールの破損、通行止め。通信網には障害は無し』


「やられた……!」

 額を抑える。ヘルメス・ラルフの目的は“これ”だったのだ。

 いかに刑事室長の権限をもってしても、他ドームに及ぶ警察権利の行使はできない。


 私の想定した最悪のケースは彼の中央ドーム侵入だったが、それは外れた。


 署長から『逃げられた』とのメッセージが届いている。

 やられたのは護送車両だったのだ。


 事故情報には正確な座標も記されている。かなりオリオン座寄りでの爆発だ。

 位置からして、彼はまだオリオン座に戻って“ひと芝居”を打つ可能性があるだろう。


 ドーム崩落を水面下で促進する手は失敗に終わった。

 情報は中央に渡されている。サブウェイコンステレーションに加盟するドームにも共有されるだろう。

 今後、ドームの崩落事故等があれば、アウトサイダーの介入は警戒されることになる。

 少なくともオリオン座では偶然を装ったドーム崩壊はもう狙えない。

 次の段階。つまりは強硬策に出る可能性が高くなる。


 だけど、私には三層の視察やドームや隕砂技術に関する口出しの仕事が残されている。

 まだこちらに滞在する義務がある。

 ドーム修理に完全に無関係の身ではない以上、また直接の接触もあるかもしれない。


 私は枕に顔を埋める。


「何で私がこんな目に……。怨むわよ、母さん」


 私は端末の電源を切り、狙われる危険性や書きかけのレポートのいっさいを放り出して眠りに就いた。


 * * * * *


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