Page.26 Repentance
病室でマーガレットとふたりきりになる。
消毒液のにおい。それは扉が閉まると、重くいっそう身体にまとわりついた。
裏切ったはずの彼女を下にも置かない扱いをして褒めたドランテには悪いけど、私は自分の瞳が彼女に対して侮蔑を発しているのを許すしかなかった。
他人事なのに。ドランテが修理に向かったのだから、これでサヨナラでも構わなかったのに。
「あのひと、喜んでたわ……」
マーガレットは青白い顔でつぶやく。
「そうね。何もかも知ったうえで。……信じられない」
とげ立った私の言葉。
「私も信じられないわ。あのひとに赦されるなんて。初めから大して気にしていなかったのかしら。マイドってそんなもの?」
他人事のようなマーガレット。
私に視線を合わさず、壁を向いて語る。
「そんなわけないわ。ドランテは悩んでいた。『神の河』で話を聞いたわ。彼がどれだけあなたを愛していたかを。あなたはドランテを愛していないの? こんなことをして、何とも思わなかったの?」
尋問は自然と早口になる。
「私だって愛しているわ。ドランテからの愛には負けるけど。あのひと、一目惚れで私を二層まで追いかけてきたのよ? 笑っちゃうわよね」
そう言うとマーガレットは口だけで笑った。
「それでもね。こっちに来てから、付き合うきっかけを作ったのは私のほうだったの。
通っている絵画教室の小さな展覧会があって、彼が偶然そこに来たの。
私の絵をなんだか深刻そうな目で……といっても機械の目なんだけど。
とにかく、私はそのとき、彼がとても寂しそうで、いつかどこかで会ったような、そんな気がしたのよ。
だから声を掛けたの。そしたらそんな話でしょう? 私、運命なのかなって思った」
マーガレットは深く息を吸い、天井を見上げて吐いた。
「交際は順調だったわ。彼、私を楽しませようといろいろしてくれた。
二層と一層の行けるところは、すべて行った気がする。
昔はひとりで一層に行ったりもしたけど、たいして変わりがないんだって、がっかりしたんですけどね。
そのうちに施設やお店なんかは行きつくしちゃって、
なんでもない路地を帰宅時間ぎりぎりまでふたりで歩き回ったり、工場地区の蒸気塔の数を数えたり、
こっそり空き家の庭に忍び込んで、そこでふたりで古い文学に浸ったり……」
恋人との思い出を指折り数える。少女の面影。
「あのひとと居ると、なんでもないことが全部冒険みたいだったわ。
彼って“詩人”だから、つまらないことでもなんでも大げさに言っちゃうのよ。
路地は大迷宮だし、蒸気は大昔のいくさの狼煙になっちゃう。ちょっとした悪さをする時は子供に戻れた」
今や語るのはおとなの女だ。
「あのひとの愛が重たいと感じることもあったわ。
マイドは配役に引っ張られやすいから、どこでもあんな調子だったし。
私の虫の居所が悪いときは神経に触った。
それでも彼って敏感だから、私がちょっとでも違う反応を見せると、なんでも分かってくれたの。
だから、今度のことも気付かないはずはないって、分かってた」
「ばれると分かってて」私は口を挟む。
「逆なの。ばれると信じていたからです」
マーガレットは睨むように私を見た。
「もはや私の世界は、彼なしじゃありえなくなってた。
私の趣味の絵画も……
趣味といっても、元々は配役で指定されたものだから、好きでやってたわけじゃないんですけど。
彼が私の絵を褒めてくれるから、積極的に教室に通うようになったわ。
教室にはね、人間もマイドも、男も女も居るの。趣味でもみんな役を演じるから。
……ほら、人間は大人しい役が多いし、マイドは活発な役が多いでしょう?
仲良くなるグループも偏っちゃって。私の周りは同性同種族ばかりだったのよ」
よくある話だ。マイド側は外交的な役が多く、本心から人間が好きだから積極的に関係を持ちに行くが、人間側の配役や本質が排他的だと、やはり親密になるのは難しい。
台本に不真面目な“個人”だったり、受容的な性格をした配役であれば友人関係になれるのだが。
「“友達”は私と世代が変わらなかった。それも必然なんだろうけど。
彼女たちにはみんな、人間の恋人や夫が居たわ。長く付き合うと色々聞かされた。
男なんてどこも同じ。みんな不満たらたらだったわ。
私はドランテには満足していたから、こころの中では彼女たちを見下して優越感に浸ってた」
マーガレットは自嘲的な笑みを浮かべる。
「私は幸せいっぱいで、バカだった。舞い上がっちゃってたの。あるいは彼に毒されていたのかもしれない」
笑い声が漏れる。
「ある日、あのひとが怪我をして帰って来たわ。プレス機か、隕砂の振り分け機だったかしら?
とにかく機械に指を挟んでしまったの。薬指の一方を真ん中から持っていかれたの」
テラスバーでドランテの指を見たとき、確かにそれは欠けていた。
彼は何故だかそれを自慢げにしていたけど。
「昔なら、その程度の欠損は部品を買って修理することができたわ。
だけど、タイミング悪く法律が変わってしまっていて、人間と同じように、元には戻せなくなってたの。
あのひと、最初は私に何があったか言わなかったの。
人間の大怪我と違って痛がらないから、破損部位を目にしなきゃ分からない。
だけど、あのひとの落ち込みようったら無かった。
すぐに分かったわ。いつか私の絵を見ていたときと同じ目をしていたから。
問い詰めたらすぐに白状したわ。大事な身体を傷つけてしまった、って泣き出したの」
マーガレットは右手を持ち上げ、私の顔の前で手のひらを広げる。器用に薬指だけ曲げて。
「それで私、どうしたと思う?」
マーガレットは愉しそうに言う。私は答えない。
「……アイリスさん、左手を出して」
何を言い出すのやら。さっさと話してしまえばいいのに。
しかし彼女は、私が動くまで続きを話さないつもりのようだった。
しぶしぶと彼女を真似て手のひらを出す。薬指だけを曲げてみようと試みたが、私の指は言うことを聞かなかった。
「あなたの指はそのままで」
そう言うとマーガレットは私の手のひらに自分の手のひらを重ね合わせた。病人の冷たい体温。
「ほら、これで九本になったでしょう?」
マーガレットは口説き文句を言うと、肩を揺らして笑い始めた。
私は思わず手を引っ込める。彼女の笑いは収まらない。
顎を上げてヒステリックに笑う。割れるような音。
「……どう? ロマンティックでしょう? これでもう結婚。
翌日にはふたりで役所が開くのをドアの前で待ち伏せたわ。
ほんとはあのひとには仕事があったんだけど、この日だけは台本を無視。
私たちは若かった。ほんとに楽しかった。……でも、それも長くは続かなかった」
ようやくの本題。私は鼻から息を長く吐く。
ここまで聞かされただけでも充分に胃がムカついている。
他人の幸せが嫌いなんじゃない。
マーガレットの態度と、初めから見えている、いびつな結末のせいだ。……多分。
「別に何かが変わるわけじゃなかった。同居はとっくにしていたし、単に肩書きが変わっただけ。
姓も揃えなかったわ。どちらかが、どちらかになるのがイヤだったんじゃなくて、
私にとってドランテ・アリギはドランテ・アリギだったし、
あのひとにとってマーガレット・バトラーはマーガレット・バトラーだった。それだけ。
だけど、何かしら。結婚という形になった途端に、恋人同士ではなくなってしまったのね。
よく言えば落ち着いたってことなんでしょうけど、ふたりとも少し醒めてしまったの」
お付き合いの次は結婚、結婚の次とくれば。
「ドランテは子供を欲しがった。私も特に反対はなかった。
異種族同士でもそういった真似事が無かったわけじゃないけど、
子供を手に入れるにはなんらか手段を講じる必要があった。
夜に関しては不満はなかったわ。リスクや勝手な欲望がないぶん、彼は人間の男より千倍は優秀よ。
子供をつくるのも彼に任せたほうが私は楽だし、
彼を愛せたようにマイドの子供を愛することをできるって疑いもしなかった。
……もちろん、今でも疑ってません」
私が彼女の話を不快に感じてしまうのは、私の持っていないものを粗末に扱った彼女が気に入らないからなのだろうか。
「時が進むのは私たちだけじゃない。“友人”たちの生活にも変化があった。
彼女たちは相手が人間だったから、当然のように妊娠、出産、子育て……。
ほんとに大変そう! 聞いてるだけでも、私の選択がとても賢いことだったって思うくらい。
だけど、どうしても、胸の中に何か……。ううん。お腹の中に何かつっかえるものがあったの。
私はその正体が分からなかった。不幸は無いし、正しい選択をしたのにどうして不満なのか。
だから、いつものやり方であのひとを試したの。気付いてくれると思った。私に教えてくれると思った。
だけれど、彼は仕事と勉強にばかりかまけていて、私の抱えた不満に気付かなかったわ」
「勝手ね」私は言った。
「ちょっと考えれば分かったの。ああ、私は子供が産みたいんだ、って。だけど、恋人同士だった時のように、彼が気付いてくれることはなかった」
「言わないからよ」
「そうね、あなたの言う通り。精子の提供を受ける相談をしても、彼はまず反対しなかったでしょうね。
だけど、それじゃ意味がないと思ったの。
“ドランテが気付いてくれる”って形じゃないと、私には意味がないって思ったの」
「彼への当てつけで? 相手は誰?」
私は無意味に問い詰めたくなった。
「相手は絵画の若い先生でした。台本みたいに型にはまった、つまらない絵を描く人。
そのくせルール違反にはすぐに乗ってきた。見てくれはちょっとだけよかったけど。
もちろん愛なんてない。でも、これだけは誓って言えます。
私を放り出したドランテに嫌気がさしたわけでも、寂しさを埋めるためでもない。
あのひとに気付いてもらうために、ただお腹を大きくしようとしただけ」
マーガレットは吐き捨てる。
「“だけ”だなんて。気付いた彼はどれだけ苦しんだと思ってるの? ただじゃすまないわよ」
私は噛みつくように言った。
「やっぱりそれも、アイリスさんの言う通りだった」
マーガレットは空っぽになった腹を撫で、顔を苦痛に歪めた。
「傷が痛むわ」マーガレットは横になる。
「傷? お腹を切ったの?」
「帝王切開。私は無理にでも自力で産みたかったんだけど、医者と機械が決めてしまったの。
気を失ってるあいだにすべて終わってしまったわ。麻酔のせいで産声はあげなかったそうよ。
あの子は母にも、父にも見守らずに生まれてきてしまった……」
これなら、あのひとに任せたほうがよっぽどよかった。マーガレットは私に背を向け、声をあげて泣き始めた。
きっと罰なのだろう。二層に適応される法律には抵触しない。
それでも、彼女の冒した罪は果てしなく深い。
「アイリスさん。私はこれからどうやって生きていけばいいの?」
病室の中をマーガレットの泣き声が支配する。
彼女はいったい何に泣いているの? 子供に? 裏切られたドランテに? それとも自分自身にだろうか?
「私は神父さまなんかじゃないわ。話すべきひとに何も言わなかったくせに、部外者の私にそういうことを聞くなんて、フェアじゃない」
私は突き放す。
「……ごめんなさい。やっぱり、あなたの言う通り。どうしてでしょうね。自分でも分からない。
でも、私、あなたに最初に会った時、何故だか分からないけど、
あなたは私とあのひとの仲立ちをしてくれるんじゃないかって、感じてしまったの。
訪ねて来たのがほかのひとだったら『神の河』のことは教えないわ。
実際、副社長さんの部下がいらした時もお帰りいただきましたし……。
とりもってもらえなくても、私のことを裁いてくれるんじゃないかって、どこかで期待していた……」
いい迷惑よ。そう言いたかった。
だけど、ドームの存亡に関わってしまった以上、私だって放っては置けなかったのだ。
パネルの生産枚数が増えたことにも一枚噛んでいるし、もしかしたら私が来なければ追加の天井の崩落があっても、ルーシーは怪我をしなかったかもしれない。
それと同じように、私が今こうしてここに立っていることは、私の演技の招いた効果のひとつだということは変えられない。
「罪のあるものは石を投げるべきじゃないわ」
私はかつて信じられた書の話を持ちだす。
「聖書のお話ですね。あのひとが好きで、私も読んだことがあります。
でも、私たちには、神様もイエス様も居ないんですよ。
台本と与えられた役を信じるほかに、何があるっていうのでしょう?
これは私の役なんですよ。筋書き通り。裁きが無ければ、永久に赦されることはない」
マーガレットは私にすがるような目を向ける。
「……でも、ドランテはあなたのことを赦したじゃない」
私は石を放り投げるように言った。
「……? 確かにあのひとは嬉しそうに私を褒めてましたけど……。そんなはずないでしょう? ……あれは演技ですよね?」
マーガレットの瞳が震えた。
「私には、そうは見えなかったわ。彼が赤ちゃんに対面するところも見たけど、あれが何かの演技だとは思えない」
確かにあの時、彼には何か尋常ではないものが降りていた。
それがヤケなのか、感動なのかは区別がつかなかったけれど、彼がルナティックに侵されたり、なんらかの凶行に走らなかったところを見ると、後者だと信じてもいいと思う。
でも私は、マーガレットにそこまでは伝えなかった。
「あのひとを信じればいいの? 私は赦されているの?」
「信じる信じないの前に、あなたたちには確かめることが足りないわ。ドランテは昇層が認められるほどの演者だけれど、だからってマイドの得意な論理的な事実確認を怠るべきじゃなかったわね」
なんだか怒りを通り越して、呆れが私を支配し始めてきた。
「それでダメだったら?」
「私に聞かないで。あなたのほうが年齢も経験も上のクセして」
短絡的な憤怒に引き戻される。バカにされてるのかしら。
「……でも、前例を示してあげることはできるわ」
仕方ない。本物のバカには言ってやらなきゃ分からないようだから。
「前例?」
「ええ。“たった一度仕事のやり取りをしただけで惚れて、層を跨いで追いかけたストーカー男が、相手の女に洗いざらい吐いて受け入れてもらった話”を聞いたことがある」
私はそう言って、彼女に背を向けた。
「……ありがとうございます」
お礼なんて要らない。私は神父様なんかじゃない。
ひとびとが聖書や経典の代わりに信じるようになった台本。
これらの決定的な違いは、『過去にあった出来事を記したもの』か、『これから訪れる未来を記したもの』か、だ。
過去を記した書を失ったのならば、代わりに経験や思い出を信じてみればいいんじゃないかしら。
彼女は私よりも長く生きているようだから、たくさん持っているはずでしょう?
病室を出る時、マーガレットが“誰か”に向かって「愛しているわ」とつぶやくのを聞いた。
私はひとり寂しく病院の廊下を歩く。
「……愛こそが世界を動かしている」
お話の中のセリフ。ばかばかしいわ。世界を動かしているのは台本とその役者たち。
「茶番よ、こんなの」
私の足音が反響して、笑うように返事をする。
「……認めるわよ。ちょっとだけ羨ましかったって」
私は自身の罪を認めて、懺悔室をあとにする。
道路を挟み、向かいにそびえ立つのは、古代ローマ建築風の建物。
「白状させなきゃいけないやつは、もうひとり居るんだから」
私をつけ回したほうの男のいるであろう建物を睨みつけ、ひとりごちる。
リゲル、やつあたりが混じっても大目に見てよね。
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