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Page.25 命のチューブ

「ああああああああ! ひとをハネてしまった!」

 タクシーの車内から嘆きの声があがる。

「タクシードライバーなのにい! わざと! ひとを! あーあ! 明日から監獄ドーム暮らしに違いないぃ! 私の台本、サヨナラ!」


 タクシーのドアが開き、中から頭を抱えた人間の女性運転手が出てきた。

 急転直下の出来事に、警官も野次馬も私も、ただぼんやりと突っ立って彼女を見守り立ち尽くす。


 彼女は恐る恐る車の前を覗き込むと、いちど小さく肩をしゃくりあげ、それからこちらを向いて大きく手を振った。


「ちょっとお! 早く捕まえてください! こいつテロリストですよう! 気を失ってるうちに早くう!」


 運転手の叫びで正気に戻る私たち。警官たちが慌ててリゲルの確保へ向かう。

 それとすれ違い、こちらに駆けてくる運転手。

 運転手がここまで来てようやく気が付いた。彼女は先程まで行動を共にしていた、あのタクシー運転手の女性だ。


「アイリスさん! ドランテさんは、旦那さんは見つかりました?」

 当のドランテもほかのひとびとと同じように警官の仕事を茫然と眺めている。

 先ほどまで会話をしていた人物が原因で警官に囲まれ、“ひとばなれ”したわざを見せられた上に、この捕り物劇だ。無理もない。


「ドランテさんは無事?」運転手が繰り返し尋ねる。

「え? ええ、彼はそこに。……それにしてもあなた、大手柄ね」

 私は呆れたように言った。


「手柄なんてどうでもいいですよ! それよりマーガレットさんが! 赤ちゃんが!」

 運転手は殆ど泣きそうになりながら私の両腕をつかんで揺すった。


「マーガレット!? メグが、彼女がどうかしたんですか!?」

 妻の名を聞きつけてドランテが駆け寄ってくる。

「あなたがドランテさん? 大変なんですよう! 奥さんが! 赤ちゃんが! 大変なんです!」

 要領を得ない運転手の訴え。大変大変とばかり繰り返す。


 ドランテはそこからひとつ単語を拾い上げると、視線を沈ませて反芻した。

「赤ちゃん……」

 黙り込み、電源が切れたかのようになる。


「ドランテ。つらいのは分かるけど、行かなくては」

 私は彼の腕をつかむ。返事はない。

「そうですよ! なんだか知らないけど、お母さんと赤ちゃんにはあなたが必要なんです! ほら!」

 運転手もドランテの腕をつかむと強引にひっぱった。


「こら! 君たち、何を勝手なことをしている!」

 慌てて止めに入る警官。


「逮捕ならあとでされますから! とにかく急がないと!」

 運転手と警官が揉み合う。

「あっ、私の車が!」

 とり押さえられながら首を伸ばして運転手が叫ぶ。

 彼女の仕事道具は早くも警官たちの手によって、バリケードテープに囲まれて封印されてしまっていた。


 ところでリゲルはどうなったのだろう?

 いくら違法改造を施したボディとはいえ、車ほどの大質量が加減なしにぶつかればただでは済まないだろう。

 ……まさか死んでないわよね?


「彼女を解放してやりなさい」

 ふくよかな声が聞こえた。トマーゾ署長だ。

 彼はようやく起き上がれたらしく、腰をさすっている。


「署長! おケガはありませんか?」

 警官は運転手を放して署長に向き直る。


「しこたまひどくぶつけたよ。あの怪力、たまらんな。それより、すぐに病院に行こう。私も病院で診てもらいたいし……」

 署長のひと声で運転手は解放。警官は代わりにドランテを車へと促した。

 さすがに警官たちに囲まれてしまえば、ドランテも動かないわけにはいかなかった。

 彼は素直に従い、パトカーへと乗り込んだ。


 病院への車の中。私の横でドランテはしきりに何かを口走っていた。

 私は耳だけで彼をうかがう。


 ……詩人の口が紡ぐそれは、“神への呪いの言葉”だった。


 無理もない。彼は子供を欲しがってはいたが、考えうる最悪の形での成就だ。 

 子供は旦那である彼の許しもなく、血も繋がらず、裏切りと罪を背負い生まれてくるのだ。

 子供がもたらすのは幸せではなく、彼の積み上げてきたものの否定だろう。


 子を目にする審判の時、彼はいったい何を思うのだろうか?


 でも私は、たとえ彼が絶望に打ちひしがれようとも、今度こそは工場へ引きずっていかねばならない。

 関係者たちに聴取をされれば、すべてが明らかになるだろう。

 そうなればディレクターたちももはや“個人不介入”などとは言っていられない。


 ドーム存亡の危機に加えてテロリストだ。

 彼らは彼らで罪を背負ってでもドランテを工場へ送り込むに違いない。


 できればその役目は私が引き受けたい。

 私は何もすることができなかったけれど、この件に首を突っ込んだ以上、なんらかの責任を果たしたかった。


 サイレンを鳴らして走るパトカー。

 過ぎ去るひとびとが興味と不安でこちらを見つめる。


「ゲオルグに成りすました輩は確保できたそうだ。

 一時的な機能停止に陥ってはいるが、生命維持には問題がないらしい。これも違法改造の賜物かね?

 もっとも、勇敢な女性をひと殺しにしないで済んだのだから、

 我々は悔しいことに、悪事もよいことに働く面があるというのを認めなければならないね」


 助手席から署長の声。彼は饒舌に言った。


「さあ、凱旋と行こうじゃないか。なあに、気を落とすことはないよ。奥さんは無事に違いない」

 パトカーは再び行列を成して道を走り始める。

 これは勝利への道なのか。それとも、ゴルゴタの丘へと続く道なのか。



 悲喜交々を抱えてパトカーは病院に到着。

 待ち構えてた看護師がマイド然と車に近寄り、私たちを案内する。


「早産です。母子ともに危険な状態だったんですよ」

 遅れてきたことを叱るように言う看護師。

 “だった”というワードに私は胸を撫でおろす。


「生まれたんですか?」反して、死んだように訊ねるドランテ。

「はい、先ほど。保育器から出すことはできませんが。今は安定しています」

「メグ……母親のほうは?」

「眠ってます。病室にご案内いたしますね」


 ドランテの足が止まる。


「旦那さん? どうかなさいました? 早く奥さんと赤ちゃんに会いに行きましょう。あなたのことを待っていますよ」

 看護師は何も知らないのだろう。

 生まれてきた来た赤ん坊は、正式に精子の提供を受けて宿ったものだと思い込んでいるらしい。


「……いえ、その。メグは眠っているなら、赤ん坊のほうを先に」

「そうですか? それならご案内いたしますね。お連れ様たちもご一緒で?」


 ドランテはぞろぞろとついてくる私たちを一瞥すると、「ええ」と返事をした。


「でも、早くお母さんのところに戻ってあげてくださいね。目が醒めてひとりだと、とっても寂しいですから」

 ドランテはそれには返事をしなかった。


 NICU(新生児用の集中治療室)の室内。

 いくつかのクベースが並んでいる。

 制御室のようなたくさんのモニターが、生まれてすぐに二度目の戦いを強いられた子供たちの戦況を刻一刻と映し出している。

 室内では洗浄を受け衛生服を身に着けたドランテが、付き添いの看護師の説明を受けている。


「あんな太いチューブを通されて、おっかないなあ」

 運転手はガラスに張り付くようにして中を覗いている。私と署長と運転手はガラス越しの面会だ。


「見てられんな……」

 自身の巨体に押しつぶされたかのような声をあげる署長。彼は顔を背けていた。


 私は“父親”を見つめる。

 彼はこちらに背中を向けている。ときおり看護師にうなずきを返している。


 やはり早産の切っ掛けになったのは今回の事件だろう。

 それと、私が彼女を訪ねたこと。

 マーガレットを助けた時、彼女はすでに悟っていたのかもしれない。私が聞かされていたことを。

 そして、ドランテが戻らなかったことからも、彼も気が付いていて自分を避けているのだと。

 その中でのイレギュラーだ。

 彼女の心身へのストレスは生半可なものではなかっただろう。


 流れてしまわなかっただけでも幸運だ。


 ドランテがクベースに近づく。カバーには手を差し入れるための穴が開いている。

 看護師は励ますようにドランテの背中に手を添えている。

 機械体であるはずの父親の身体は、こちら側から見ても明らかに震えているのが分かる。


 父親の、マイドの、機械仕掛けの腕が穴へと差し入れらえる。

 彼の指はいっしゅん宙をさまよい、まるで機械のように固くなりながらも赤ん坊の頬へと近づいていく。

 指先がまだ赤い子供の頬に触れる。


 ――ドランテ・アリギの震えが止まった。ひとなで。


 彼はクベースから手を抜くと、まっすぐにNICUから出ていってしまった。

 看護師が不思議そうに赤ん坊と父親の背中を交互に見やる。

「ありゃ? もういいのかな?」

 首を傾げる運転手。


 私は部屋を出るドランテの背中に何かを見た。

 あれは何? 多くのものを含むような、何かに突き動かされているような、そういう気配。


「マーガレットに会いに行ったのかも。私たちも行きましょう」


 通路を出て病棟へ戻る。長い廊下だが、すでにドランテの姿はない。

「あれれ。ドランテさんどこ行った?」

 またも首を傾げる運転手。


「……彼、何か早まったことをしないといいが」

 二層ディレクター最高権力者が私の心配を言い当てた。

 しかし署長は、慌てて彼を追いかけるようなことはしない。

 マーガレットの居る個室の前まで来ると、扉が開いた。


「……アイリスさん!」

 彼は病室から出るなり、私の手を握った。


「ドランテ、マーガレットは?」

 私は訊ねる。さいわい、彼の手が血塗れていたりはしない。


「起きてますよ。調子は悪そうでしたが。……とりあえず、僕は褒めてやりました。『今日の君は世界でいちばん偉いよ』って!」

 詩人の言葉にしてはシンプル。


 それでもドランテは自慢げに語った。


「僕は驚きました。冷たいガラスケースに入れられて。自分の指よりも太いチューブに繋がれて。

 自分で呼吸さえもままならなくて。でも、それでも確かに温かくって!

 “なま”なんですよ! 機械の身体じゃあない!

 僕はいまだに試験には受かっていないけど、彼女はそんなことお構いなしに創り上げたんですよ!」


「そ、そうね。……いいの?」

 私は彼の言葉に圧倒されて、それだけ訊ねるのがやっとだった。


「いいも何も。感謝しかありません。つまらないことだったんです。

 僕に絡まっていたチューブは細くて、なんの役にも立たないものだった!

 ……ああ、こうしちゃいられない! 彼女たちのために工場に行かなければ。

 彼女たちがこれから生きるこの世界を砂に沈ませたりなんて、決して許すものか!」


 詩人はそう力強く言うと、急ぎ足で立ち去ろうとした。


「お待ちなさい。連絡を入れて車を回しますから。テロリストもひとりだけだとは限りませんし。きっちり警備をつけねば。もちろん、ここにもです」

 署長が慇懃に言った。


「ありがとうございます。ああ、僕たちはなんて幸福な役を貰えたんだ。ふたりのためだけじゃない。このドームに生きるすべてのひとのために! さあ、早く僕を工場へ!」

 ドランテは肩を弾ませながら立ち去った。


「はあ~。旦那さん、ウッキウキですねえ。いいなあ。私もあんなふうに愛してくれるひとが居たらなあ」

 機械の父親の背中を見送りながら運転手がぼやく。


「愛、なのかしら……?」

 私は首を傾げる。


「アイリスさん、あんがい、人間の愛に対する認識のほうが間違っているのかもしれませんな」

 トマーゾ署長は規則正しい動きで頭を掻く。


「……とにかく、マーガレットさんを頼みましたぞ」

 署長は私に言った。


「私も! マーガレットさん私より若そうなのに、これからは先輩って呼ばないとなあ」

 楽しげな運転手の女性。しかし彼女はまたも肩をつかまれ、止められてしまう。


「すっかり忘れておりましたが、あなたはあなたで聴取せねばならんですな」

 署長が運転手を引っ張って行く。

「ええ~!? このタイミングで? そんなあ~」

 べそをかく運転手。

「それではアイリスさん。のちほどこちらを訪ねてください。マーガレットさんのことは頼みましたぞ」

 署長は名残惜しそうにする女性と共に去って行った。


「いちばん厄介な役を振られちゃったわね」

 私は小さくひとりごちると、病室の扉をノックした。


「……どうぞ」

 声。


 扉を開くと、ベッドの上に身を起こしたマーガレットの姿があった。


「すべて、お話いたしますわ」


 * * * * *


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