Page.23 警察
0024番ドーム監督第二層部。通称“警察署”、プラス“清掃局”。
旧時代ローマ風に作られた大仰で伝統的な建築を模した風貌を持つ建物。
二層におけるドーム監督業務のすべてを管理する。治安のかなめ。
清掃局とも呼ばれる通り、ドーム監督とは警察だけを指すわけではない。
ドームに害をなすのは悪人ばかりではないのだ。
警察業務のほかにも、砂や空気清浄に関わる清掃や環境保全業務も含まれる。
ディレクターたちの総本山。警察課はあくまでそのひとつだ。
ここに出入りする一般キャストたちの多くは、リミットや砂害の発見報告に訪れるものがほとんどだ。
報告は義務であると同時にポイント稼ぎにも持ってこいだ。
当然、広大な二層をこの建物ひとつでカバーすることはできない。
各トゥループにはディレクターたちの泊まり込み可能な施設“コーバン”が複数配置されている。
私たちは女三人連れ立って警察署へと入った。
掃除機を持った作業着の一団や、制服姿のディレクターが闊歩する署内。
いくつもある窓口では利用者が列を作っている。
私たちは自然に長い列のうしろに付きそうになったが、私は思い直して彼女たちに手招きし、案内板に従って警察課へと直接向かうことにした。
「アイリスさん、あの男のひとは何者なんですか? 探偵?」
マーガレットが訊ねた。疲れたのだろうか、少し息が上がっている。
「いいえ、テロリストです」私は短く答える。
「ひえっ」続くタクシードライバーの悲鳴。
「テロリスト? テロリストなんかがどうして私を……?」
マーガレットは単語のきな臭さに反して、安心したように息を吐いた。
「私と同じ。ドランテ・アリギの居場所を突き止めるためよ」
私は苦々しく言った。恐らく、あのテーザー銃はドランテ氏に対して使うつもりなのだろう。
「あのひとの?」
「もっとも、私とは目的が逆でしょうが。テロリストは工場のラインが直ったら困るのです」
「工場?」運転手が口を挟む。
「……旦那さんから何か聞いてませんか? 彼の開発したシステムがドーム天井のパネル生産に関わってることとか」
「私、ミスター・パネルに彼の作ったものが採用されたって話しか。でも、テロなら工場に直接何かしたほうがいいんじゃ……?」
マーガレットが疑問を口にする。
私は足を止め、振り返った。
「何も聞かされてないのね。ミスター・パネル側のことだから仕方ないか。
現在、工場の生産ラインに故障が発生していて、天井パネルの生産が大幅に遅れています。
システムはドランテ氏が開発した特殊なものだから、復旧できるのは彼だけ。
今なら表立った破壊活動抜きにドーム崩壊を狙える……」
「それであのひとが……」
ようやく動揺する不義の女。
「はー! なんかの映画みたいですねえ!」やかましい女運転手。
「そして、彼は今、“個人的な悩み”で仕事が手に付かない状態。悩みを理由に失踪したって不思議じゃないかもね」
私はマーガレットの顔を見つめる。彼女は琥珀の瞳を伏せ、顔を反らした。
「……とにかく、あいつのことを警察に報告しなくちゃ。彼のところにも警官を送ってもらわないと。マーガレット、ドランテさんは自宅? それともバーに?」
マーガレットは苦悶の表情を浮かべくちびるを噛む。
しばらくの沈黙のあと、大きく息をつき、無意識なのか落ち着くのか腹をひとさすりしてから答えた。
「あのひとは、昨晩は帰りませんでした。“神の河”はお昼前からのオープンなのでまだ開いてないはずです。今、どこに居るか、分かりません……」
私は通信端末を取り出し、ウルシュラ・クローバ副社長に連絡する。
多忙であろう副社長だが、通話はスリーコールもしないうちに繋がった。
大音量の“キエエ”から始まり、すぐに小さく謝罪。私が訊ねると落胆色のノーの返事。
「工場には姿を見せてないみたい。マーガレットさん、ほかに彼の行きそうなところは?」
「あまり思い当たるところは、ないです。彼はきっと、私を避けているから。私の知ってる彼の行きつけの場所は、全部私の行きつけだったもの」
マーガレットが腹を撫でる。青白い顔。
「……とにかく、警察に相談しましょう。どこかで身分証を使っていれば足取りがつかめるかも」
警察課を目指して歩き始める。……「私は悪くない」のつぶやきが聞こえた。
私の心の中でドランテ批判からマーガレット批判に針が振れる。
この調子だとテロリストの目的が遂行されなくとも、ドーム修理の遅延は免れないだろう。
「そうですよ。悪いのはテロリストです!」
事情を知らない運転手がマーガレットを励ました。
警察課の表札の付いたドアをノックすると、中からすぐにマイドの男性が現れた。
「おや、こんなところに迷い猫。窓口はあっちですよ」
私たちが来た道を指し示す警官。
「緊急事態なの。いちいち並んでられないんです」
「はあ、緊急事態。リミット以上にマズい出来事? 掃除機お貸しします? 清掃局にご案内しますが」
「冗談で言ってるわけじゃないんです。……テロリストよ!」
私は部屋の中に届くように大音量で発声した。
「テロリスト!」
二層ボディの警官は大仰そうに目を見開くと、カラカラと笑った。室内からも笑い声。
「アハハハハ……お嬢さん。ドーム監査部には病院は無いんですよ。砂害によるご病気の発症なら、病院のほうへ直接行っていただかないと。なあに、大丈夫ですよ。病院は向かいですから。ご案内いたしますよ。どうせ暇ですから」
警官が私の肩をつかむ。室内からバカにしたように「脳に砂が入ったのかしら?」。
「ふざけないで。とにかく、話を聞いてください」
私は無能警官のカメラアイに、北極星を頂く身分証とラント・キド製の印籠を突き付けた。
「……ナンテコッタイ! おい、誰か来てくれ!」
機械音声をあげる警官。
「中央技術部隕砂研究室室長アイリス・リデルです……ってちょっと!」
室内から出てきた増援は私の両脇をがっしりと取り押さえた。
「身分証や証明書の偽造は重罪だよ。配役が“ほら吹き”でも“クラウン”でもね」
ため息を吐く警官。
「ちょ、ちょっと! 彼女は嘘を言ってませんよ!
身分証も支払いでちゃんと通りましたし! 私もこの目で見たんですって!
テロリストは映画に出てくるテーザー銃を持ってたんですよ!
ほら、あなたも何か言ってあげて! 襲われかけたのを助けられたでしょう? 旦那さんもピンチなんでしょ!?」
運転手が必死に声をあげた。マーガレットは青白い顔で沈黙している。
「あなたがたは? 彼女のお友達? 手錠はふたつ? みっつ?」
マイドの警官が指をおりおり、マーガレットと運転手に訊ねた。
「ひっ、ひとつでお願いします……。ワタシハシガナイタクシードライバー……。ハイヤクハ“控えめで沈着冷静”……」
唐突に油の切れた旧式になる運転手。
「偽造じゃないわ。あとで照合して後悔しても知りませんよ!」
私は声を張りあげる。
「こら、暴れるな!」
さらに増援。運転手やマーガレットも囲まれる。
本当に暴れてやろうかしら。だめ。落ち着くのよ、アイリス。
時間が掛かっても照合さえ済めば先に進めるはず。こいつらが無能でも、機械は正直なんだから。
「さっさとつまみ出せ。照合も時間の無駄だ!」ほかの警官に指し示すバカたれ。
「公平じゃないわ。機械にカードを挿すくらいのことはしてくれてもいいでしょう!?」
「ああ~、悪いね。ドームの天井が破損してるのは知ってるだろう? 砂が機械に詰まっちゃってね~」
「砂は二層まで流れてきてない!」
「じゃあ、さっき食べたドーナツのカスが詰まったに違いない。探偵ごっこは外でやってね」
指先をくるくると、頭のあたりでドーナツを作る役立たず。
「あんた、マイドなんだから、もっと論理的に考えられないの!?」
私は思わず叫んだ。
「なんだ~? 差別かぁ!?」
警官の声に赤が混じる。
「オリオン座二層のディレクターたちがこんなにもアテにならないなんて!
仕方ないか。三層の刑事室室長ですらテロリストに身分を盗まれる程度なんですから!
頭にドーナツみたいに真ん中に穴が空いてて、脳みそチップが落っこちたに違いないわ!」
……信じてもらえないだろうが、これらは頭の中で言ったつもりのことだった。
「訳の分からんことを。やっぱりつまみ出すのはやめだ。逮捕するぞ!」
無能警官の色が他の警官に伝播する。一斉に金具のジャラジャラいう音。
手首に鋭く冷たい感覚がした。その時。
「これはなんの騒ぎですか?」
間の抜けた鼻声。警官たちが静かになる。
「はっ、署長殿! 身分証を偽った不届きものを捕縛していたところです!」
無能警官が署長と呼ばれた人間の男に向き直り、敬礼をして答える。
「身分証を拝見します」
署長は肉感たっぷりのふくよかな顎を機械的に上下させると、直線的な動きで私の身分証の前に手を差し出す。
見事なマイド演技。パーフェクト。
私は署長に身分証を手渡した。
「おい人間の女。署長を怒らせると怖いんだからな」勝ち誇ったように言う警官。
「登録番号0001-H2800010 アイリス・リデル。中央技術部隕砂研究室室長。
……数日前に臨時のキャストとして報告があったかたですね。
顔写真も拝見しております。お可哀想に、せっかくセットした髪が乱れてしまっていますな」
署長は懐から私のものと同じラント・キド印の許可証を取り出し、並べて警官たちに見せる。
続いて一部の三層キャストに配られたのであろう、私のナンバーと顔写真の記載された書類。
「エッ、ソレジャア……」割れた機械音声になるマイドの警官。
もしも彼が人間ならば、真っ青になっていたことだろう。
運転手を取り押さえようとしていた人間の警官が彼の顔色を代弁している。
「これはお返しいたします」
私に身分証と証明書が返される。
「登録番号0024-H0449812、0024番ドーム監督第二層部部長、トマーゾ・サンポリスです」
トマーゾは自身の顎に負けないほどふくよかな手を差し出した。
私は握る。彼の手はとても暖かい。
彼の手の抜き差しは見事にマイド的だったが、握りの力加減は遠く北極星で私の帰りを待つ青色クッションのように私の荒れた神経を調律してくれた。
「ありがとうございます。署長」私は息をつき言った。
「お話はしっかりとうかがわせていただきます」
にっこり微笑むトマーゾ署長。
それから彼は失態を犯した警官のほうを向き、大きな人間的ため息をついた。
「私はこれからご婦人がたと話をしますから、彼女たちを放してやってください。それとお茶菓子もお願いしますよ」
署長の警察課のディレクターたちを見る目は、まったく笑っていなかった。
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