Page.21 笑う人形
「マーガレットさんのお腹に?」
マイドの人間へ至る道に立ちはだかる障害のひとつ。生物と無生物の究極の隔たり。繁殖行動。
当然、マイドは細胞分裂をしない。機械仕掛けなのだから。
それでも、形式上の家族や子供を持つことを望むようにプログラムされている。
正確に言えばそういうふうに“プログラムが成長していく”のだそうだ。
マイドが子供を持つためには二つの条件が定められている。
結婚をすること(異種同種問わず)、一定レベル以上の機械工学の資格を取得すること。
そして、実際の子作り行為は“両親の学習プログラムの一部を引き継がせ、形だけでもいいから子供用ボディの一部を親の手で造る”のだ。
人間の子供の場合は遺伝子がベースとなる子供の才能や性質を決定するが、マイドの場合は、親の評価やプログラム・性格的特徴を真似て基本設定される。
これは、人間とマイドの異種婚の場合でも可能だ。
マイド同士のカップルの場合はこの方式で子供をもうける。
人間同士の場合は、ご存じ古来よりの方法。ただし、三層の場合は認可制。事前登録が必要になる。
人間とマイドのカップルの場合はいくつか手段が用意されていて、人間の配偶者の性によって精子か卵子の提供を受けるか、マイド式で子供を造るかのどれかになる(統計としては人間側が女性のケースに提供を受けることが多い)。
あるいは、人間とマイドには同種の養子を貰う権利もあるので、不幸な子を引き取るという形も選ぶことも可能だ。
「僕はメグとの生活と仕事との合間に、子供のための資格取得を始めた。物理学や人体構造も含めた勉強だから、普段の掃除機相手とは勝手が違うんだ。だから、勉強にはちょっと苦労したよ」
彼が資格取得をするということは、マイドの子供を予定していたということだ。でも、マーガレットのお腹には。
私は何も言わない。答えは分かっているクセに。
下世話な邪推を好むと思われたくないから? 綺麗なフリをしていたいから?
いくつかのアンビバレントな感情を感じながら、思わず自分のお腹に手をやってしまった。
「もちろん、彼女も賛成してくれた。でも、大口の仕事……ミスター・パネルのラインの件で忙しくなっちゃって、勉強の時間があまり取れなくなったんだ。試験は半年に一度あるし、無理に急ぐよりも生半可な知識で合格をとっちゃうほうが後々悪いかと思って、資格取得を先延ばしにしたんだ」
話に砂煙が立ち込めてきた。彼の悩みも、うっすらと見え始めてきた。
ドランテはまだ資格を取得していない。ミスター・パネルとの契約は三か月前。
次の試験はまだ先。確か六月と十二月だったかしら。でも、すでにマーガレットのお腹には……。
「アイリス?」ドランテ氏が首を傾げる。私は無意識にこめかみに手をやっていた。
「ごめんなさい、ちょっと頭痛が」……する気がする。
機械体の彼にも、私の頭痛がケガや病気によるものではないことに察しがついたのだろう。
彼は表情パーツを皮肉っぽく歪ませると、背もたれに身体を預け頭打ちの青天井を見上げた。
「毎晩、彼女のことは抱いていた。愛していたから。
……もちろん、人間のカップルで言う“抱く”には届かない抱擁だけど。
僕の二層ボディだと、神経というほどではないにしろ、相手を抱きしめた時の硬度や圧力くらいは測れる。
かえって、それで気付けたというか。データは日増しに増えていった。僕にも察しがついた。
鈍い人間なら勘違いか、少し太ったかなで済ますかもしれない。彼女はあまりお腹が目立たないタイプらしくて」
マーガレットはゆったりとしたワンピースを身に着けていた。
腹部には私の目を引くほどのふくらみはなかった。やりとりの大半ではテーブルに隠れていたし。
「初めは、メグはマリアか何かかと思ったよ。僕にとっちゃ似たようなもんだったし」
いにしえの多数派宗教の書に登場する女性。彼女は聖母かマグダラか。
しばらくの沈黙のあと、ドランテは鼻で笑った。
「気の毒だわ。彼女、そんなことするひとには見えなかった」
マーガレットは会話の中でドランテについてはほとんど触れていなかった。
「ありがとう。でも、僕はどこかでまだ信じてる。彼女を愛してるんだ。……ロマンに毒され過ぎだよね。歴史は科学万歳になって久しいっていうのに」
「彼女とは話をしたの? あなたが気付いていることを知っているの?」
「話はしてない。どうせバレるってのに。それでも言い出してこないのなら、知っていようがいまいと同じことだろう?」
「言い出すのもつらいことだわ」自然に出た言葉。
「やっぱり君も“人間の女”」ドランテは私に冷たい視線を向ける。
「そうじゃないわ。気付いているのなら解決をする手はあなたにも打てるってこと」
「何が解決? 彼女のお腹を蹴飛ばせばいいのかい?」
「そんな乱暴なことは言ってないわ!」
「じゃあ、離婚すれば解決かい? これまでずっと彼女への愛ひとすじで生きてきたっていうのに?
意見するのは結構だけど、きみは何様のつもり? 神様かな? 神なら光見せてくれよ!
脚本家ならハッピーエンドを! 北極星なら僕の進むべき道を示して見せろ!」
ドランテは声を荒げるとテーブルを叩いた。
近くの席の親子が退散していく。
怒れる詩人はだらしのない格好で座ったままズボンの両ポケットに手を突っ込み、親子を灰色の目で見送った。
「彼らは巣に帰るようだ。巣に使われる枝は、果たしてどこの木から持ってきたものなのだろうね」
「……あまり上手な表現じゃないわ」
「そうだね、問題は卵のほうだった。カッコウー、カッコウー!」
ドランテは立ち上がり、おどけた調子で音声を発した。周りの客たちが怪訝な顔をしてこちらを見た。
彼はもう一度鼻で笑い、座り直す。
「僕の苦悩、分っただろう? これのせいで、仕事も勉強も、何も手につかない。酔ってるのはアイディア出しのためでもなく、ただ逃避するため。ここに居るのも、家に居たくないからだ。機械仕掛けのクセにね」
「そうね……」私は遠慮がちに同意した。
「僕の作った機械は複数のラインに充てられてる。
それに、ミスター・パネルがドーム天井のパネル生産を受注してることも知ってる。
そのうちよそが修理を請け負う可能性も無くはないけど、
遅れれば遅れるほどオリオン座が終焉を迎える可能性が上がることも理解している。
……だけど、今の僕にとっては、どうでもいい」
私は、彼が遭遇したような裏切りも不義も未経験だけど、客観的な理解くらいはできる。
彼にとってマーガレットは人生を変える切っ掛けだったし、話を聞けばどれだけ入れ込んで、愛していたかだって。
今の彼は自身の人生にリミットの連鎖が始まってると言っても過言ではないくらいだ。
だけれど、工場の機械を直せるのは彼しかいないのもまた、事実だ。
「天井が崩れて、多くのひとが死ぬことになっても?」
「死や滅び、儚さや哀れ。詩的だろう?」
詩人はテーブルに両肘をつき組んだ手で口元を隠し、私を見つめた。
ちょうどその時、彼の背後に映る川は昼夜切り替えを知らせるオレンジに染まった。
「それは配役上の見解でしょう?」
私はなるべく理論的に、マイド然を借りて彼を説得する。
「僕にとって、演じることはもう難しくはない。そして、多くのマイドは配役と個人の融合を起こす。
人間に近づくため、プログラムが書き換えられていくためだね。
僕にとっても、もはや配役と個人は等しい。……多分ね。
ところで、人間には“配役疲れ”なんてものがあるらしいね。
僕のマーガレットはそうならないように上手にやれていたみたいで、結構なことだと思わないかい?」
見えない口元は歪んでいるだろう。
「彼女が演技であなたを愛していたとは限らないわ」
「それは彼女の口から聞いたこと? 化石みたいな“女の勘”ってやつ? それとも、“普遍的な愛の話”かい?」
「どれでもないわ。可能性の話よ。もっと論理的になって。マイドのあなたなら、あなたの行動が数字的にどれだけ重要なのか理解できるはずよ」
私はずるい。自分の目的や願望のために、また他人をどうこうしようとしている。
ルーシーにとっては助けになったかもしれないけど、ドランテにとっては残酷な突き付けに過ぎない。
「全体のために個人を犠牲にしろって?」
「どの道よ。苦しむのはあとででもできるわ」
「勝手だな。僕は今が苦しい」
「英雄的犠牲も人情よ。それも美学よ。詩的でしょう?」
理論と感情の間を漂う私のつたない意見。詩人は大きなため息をついた。
「……あえて言うよ。そういうのは映画の話だ。
僕たちマイドは本来イレギュラーなアドリブよりも、コツコツ積み上げる日常的な人間味を求める。
僕は伏線の回収よりも、短絡的で子供っぽい破滅のほうが人間味が強いと思うね。人間味の追及はマイドの本懐さ」
「マイドの本懐というなら、あなたが助けられるひとたちの半数は“人間”よ。“マイドは人間のためにありたい”って……」
「ハハハ! 人間のアンタがそれを言うかい? そこにはマーガレットも含まれるし、腹の子の父親だって含まれるんだぞ!?」
けたたましく笑った。狂ったように。
夕焼けの川を背に。刻一刻と広がる漆黒。忍び寄るドーム崩壊の足音。
「お嬢さん。じきに日が暮れる。あなたも巣に帰るといい。よその木ではなく、自分の木のね。僕もカッコウの卵を抱く仕事があるから帰らないと」
ドランテは立ち上がり、背を向け歩きはじめる。
「……また、明日も来るわ」
「好きにしたらいいよ。答えは変わらないだろうけど」
薄闇に消えるドランテ・アリギ。
厄介なものを抱え込んでしまった。私の手には余る闇。
……私はどうすればいいの?
* * * * *
マンションに戻ったときには、時計は午後九時を示していた。ボーイの彼には謝罪と断りを入れた。
胃の中のマーマレードは今や未消化の皮だけ残し、苦い残滓に変わっていたが、それでも何かを食べようという気は起きなかった。
私は髪もよく乾かさないままベッドに身体を沈め、夕食の代わりに受け取った電子ロック付きの堅い封筒を眺める。
中央からの返事だ。さすがだわ。私と違って仕事が早い。
スキャンをすり抜ける素材の封筒に、私にしか開けられないロック。中を調べられた形跡はナシ。
『フリードリヒ・ゲオルグについての調査結果』
それは二枚の書類にコンパクトにまとめられていた。
私の送ったデータから、0024-M0909177に登録されているボディとカメラ画像が一致しないことが判明した旨が書かれている。
つまりは別人。誰かが“リゲル”ことフリードリヒ・ゲオルグに成りすましている。
「誰が? いったいなんのために?」
私の疑問の答えはニ枚目の書類が答える。
たった数秒の動画、彼の話しかた、わずかなノイズ、癖を差し引いた動作のプログラム。
それらの解析結果がある特殊なボディを導き出していた。それと一致する確率は三〇%。
「0013番ドーム製?」私はベッドの上に座り直す。
0013番ドーム。中央直轄の大規模ドームプロジェクトのひとつ。……になる予定だったもの。
それは本来、プロジェクトの七番目、てんびん座の愛称を冠する予定だったドームだった。
わけあって欠番。現在は別のドームがてんびん座の名で呼ばれている。
そして、欠番となった0013番には“へびつかい座”の名が与えられた。
へびつかい座は現在、歴史の教科書と中央のデータにだけ記述される存在だ。
欠番の理由は、完成直後に起こったテロ。今から数百年も前の話。
0013番は大規模ドームで、Hi-Story以外の部分は中央を参考にして作られている若い世代だ。
だから、暮らしやすさはともかく、防衛システムやディレクター組織編成については折り紙付きのはずだった。
しかし、完成直後ということがわざわいした。ひとびとは新たな劇場と役に慣れていなかった。
せっかくのシステムは活かされず、旧世代の武器による殺戮と制圧が舞台を赤く染めた。
当然、中央ドームとサブウェイで繋がった隣接ドームからは精鋭ディレクターたちが送り込まれ、テロの制圧が試みられた。
だが、犯行グループはディレクターが突入する前にサブウェイを爆破し、さらには崩れた地下道に鉛を流し込み、自ら封印してしまった。
それ以来、0013番ドームは音信不通のままだ。
犯行グループは“部外者”と呼ばれる一団。
新時代の到来時、すべての人間が地下やドームに逃げ延びたわけではなかった。
孤立した地に住んでいた者、国家に代わる新しいシステムに難色を示した者。
その多くは地上の過酷な環境に裸のままにさらされて、滅びてしまった。
だけど、ひとびとは好んで彼らを見捨てたわけじゃなかった。
全員を全員が満足のいく手段で解決すること自体、土台無理な話だ。
話をまとめる余裕なんてなかった。地上の砂化の速度はそれほどに早かったのだから。
生物が生きることが困難な環境。それでも、そこに取り残されたひとびとの一部は生き残ったのだ。
それから、地下に潜った人たちを恨んだ。
私たちは、彼らのことをアウトサイダーと呼ぶ。……本当は、部外者なんかじゃないのに。
ともかく、へびつかい座は奪われた。そこに住んでいた人間やマイドと共に。
物理的にも電子的にも遮断されたへびつかい座が、現在どうなっているのかは全くの不明だ。
本来の法律や台本、Hi-Storyによる制約がないのなら、数百年前のマイドが生き残っている可能性も否定できなくはない。
数百年のうちにアウトサイダーや住民が増えたか、あるいはへびつかい座を使い潰してしまい、次を求めているのかもしれない。
腹を晒しているオリオン座は格好のターゲットだ。
「三〇%……」
私はつぶやいた。微妙な確率。
管理社会だ、だれかに成りすましている時点で大犯罪。それも刑事室長に。
これが当たることはすなわちオリオン座の、いや、現社会の危機といっても過言ではない。
「さすがに私の領分じゃないわ」
私は両手で顔を覆い、弱々しく言った。
他人の不倫話ですら手に余るっていうのに。
とはいえ、中央から派遣され、関わってしまった以上、残りの七〇%が白か黒かはっきりさせなければならない。
相手は意図的に私にコンタクトを取って来たのだ。私には、義務とチャンスがある。
成りすましなんて大罪を犯すマイドのことだから、スクラップを使って違法改造のボディをこしらえたとか、旧法で移植をされた際に0013番製に類似するパーツが紛れ込んだとか、そういう可能性だってゼロじゃない。
二度と会いたくない人物だと思っていただけに気が重い。
それに、私にとって別の点においても危険人物だとなるとなおさらだ。
「私はあの子が好きだったのよ……」
私は自分で自分に言い訳をする。
アウトサイダーが刑事権限を持って、私の行った“違法行為”に気付いた可能性がある。
つまり、中央が強請られる可能性も生まれてきたわけだ。
これまで、自分のやったことに目を背けてきたが、私は確かにラボのコンピューターの判断結果を書き換えた。
『ドーム存亡に関わるの有事につき、補修メンバーであるルーシー・シャーリーの右脚部全体の移植を認める。運動データについても左チップからのコピー改変を認める』
ルーシーの足は、リハビリもなしに元通りだ。
もちろん、コンピューターがそう判断を下したとしても、一〇〇%その通りになるとは限らない。
技師たちの大半がノーを突き付ければ却下される。
だから、ドーム存亡を盾に取る一文を挿入した。定型文ばかりを吐く機械としては例外中の例外。効力は絶大なはずだ。
……というか、実際にそれはクリティカルな効果を発揮した。
天真爛漫のプロンプターはすでに、私が第二層の問題を解決した場合に生じる台本差分を受け取る準備ができているのだ。
「言い訳しても、ダメね。自分の尻拭いは、自分でしなきゃ……」
リゲルを名乗る男。彼についての情報も集めなくては。
もっとも、彼は私に興味を持っていたのだから、放って置いてもまたコンタクトがあるだろうケド。
任務なかばでのイレギュラー。
私の大舞台は、とてつもなく長いアドリブシーンの気配を醸し始めていた。
* * * * *