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Page.02 青

 みっつの検問を潜り抜けた私は、青白い光に包まれたホールへと出た。


 ここは最下層。

 サブウェイへ繋がるホールと、ドーム全体のインフラに関係する設備、それに倉庫があるフロアだ。

 ホールに人影はなし。立ち並ぶのは天井を支える無数の柱のみ。墓標の様なそれ。


 私の靴が薄い油性の床を叩く音が遠く響く。硬い音。

 床は軟質の素材でコーティングされている。質の悪いリノリウムの一種。


 それでもこれだけ音を立てるのは、コーティングはぎりぎり限界まで薄く伸ばされており、そのすぐ下は硬い岩盤だということだろう。

 地に足をつけるたびに骨に響く気がする。

 オリオン座はその番号通り、二十四番目に造られ始めたドームではあるが、完成した時点ではもっと多くの兄弟が生まれていた。

 この床がその原因のひとつなのではないだろうか。

 現環境ではリノリウムはコストが高い。オリオン座はドームでは広いほうだ。


 私は自分の足音のこだまを聞きながらホールの端を目指す。


 仕事の都合上、伸縮性の高い運動靴を履いているけれど、ヒールで来ればよかったかと思った。

 きっと一歩踏み出すだけでも楽しいに違いない。


 しばらく歩くと白い壁が見えてくる。

 壁にへばり付いているのは大小二十四本のエレベーター。

 裏方業務以外では滅多に開くことのない大動脈。

 奇しくもドームの番号と同じ数のそれは、今は静まり返っている。


 私は端にある一番小さなエレベーターを呼び出し、ゴンドラの到着を待つ。

 ここで大声を張り上げたら、どのくらい響くだろうか?

 私はただ広い無人のホールを眺める度にわずかな衝動を弄んだ。


「叫んでみようかしら」


 行き交う者がないとはいえ、当然検問の係員は詰めている。

 訳の分からないことをすると通報されてしまうだろう。

 もし警備員に見つかったらなんて答えよう?


「ただ、叫びたかったから」


 最後の休暇に中央ドームの映画館で観てきた青臭い映画を思い出す。

 子供じみた夢想もつかの間、エレベーターの扉が開いた。

 一〇名程度しか乗れない個室。

 中型のものだと一〇〇名、大型だと四〇〇名が乗り込める。

 機械や資材の運搬を想定されているものならば、数十トンの重さに耐えられるように設計されている。


 誰も居ないのは分かっているが、乗り込む際、私はできるだけ機械的に、膝に質の悪い油圧アームのウェイトを真似させた。


 エレベーターが動き出す。最下層から第三層へ。

 ドームはよっつの層からなる。


 最下層。

 これはすでに通り過ぎようとしている。

 各種インフラと倉庫、サブウェイへの層。地下奥深くのキャットウォーク。


 私がこれから向かうのは下層、第三層。

 ドームの長たる座長や、各企業の長、それに厳しい基準に合格した一流キャストの暮らす地区だ。

 一握りの選ばれた住民(キャスト)だけが暮らすことを許される楽園。

 秘密の花園。砂だらけの大地から守られたユートピア。

 その中の生活は、他の階層のひとびとにはあまり知られていない。


 エレベーターホールまでは出入り自由だが、そこから先はまた、みっつの検問と、いくつもの隔壁を通り抜けなければ入ることができない。

 そして、多くの場合は出ることさえも。


 物資の搬入も専用のエレベーターでおこなわれ、荷物のみが載せられてやりとりされている。

 仕事でも他層の者は三層を拝むことはできない。


 一流でない者と、大地の砂から隔離された“保護区”。

 私はそこが好きではない。


 次に中層、第二層。

 中流キャストの住まい。そこにはすべてが揃っている。

 商業区、工業区、二次生産業。各区画(トゥループ)が全階層の暮らしを支えている。

 そして、それらに従事するひとびとの居住区と、彼らのための娯楽区。地下に造られたメガロポリス。

 面積としてもこの層が一番大きく、キャスト達に許可された行動範囲も広い。

 第二層に住む者は上のフロア、第一層に行くことも許可されている。その逆は不可。

 検問のたぐいがある訳ではないが、侵入が発見されれば警察官(ディレクター)に逮捕されてしまうだろう。


 そして上層、第一層。地表より上に造られたフロア。

 そこにはドーム外作業に従事する者や、一部の一次産業、そしてそれを支える人々が暮らす。土仕事と砂仕事の層だ。


 エレベーターが第三層に到着し、扉が開いた。


 私は再び姿勢を正し、つま先を持ち上げ、かかとから床を踏んでゆく。

 これから私は第三層に入るための憂鬱を通り抜けなければならない。


 潜らなければならないのはよっつ。


 人間の検問員、コンピュータの検問、マイドの検問員。さっきと同じことをやらされる。

 そして、最後に保護区である三層に“砂”と汚れを持ち込ませないための洗浄施設だ。


 ひとつめ、完璧(パーフェクト)な人間の男の係員だった。

 ふたつめ、今回はテストは無し。様々な“線”が私の身体を舐める。

 みっつめ、サブウェイの時と違って、外部からの侵入者への拒絶を態度で示す男性型マイド。


「わざわざ0001番ドームからのご出張ご苦労様です」


 早口。イヤ味な男。本心だろうか? 配役だろうか? どちらにしても人選ミスだ。

 不快なコンピュータ検問を和らげるために、人間的な振る舞いをするマイドが配置されているというのに。

 もっとも、彼がどういう役柄であろうと、このあとに待つ洗礼で気分は台無しにされてしまうのだけど。


 よっつめ、洗浄施設。

 ここでは、無菌室へ入るよりも大仰な手順を踏まなければならない。

 衣類を全て脱ぎ、服と身体についたものを追い払う。

 服は洗浄と乾燥は機械任せにやってもらえるものの、洗濯ドラムの中でもみくちゃにされてシワだらけにされてしまう。私のお洋服……。

 身体のほうにも消毒液の嫌なにおいをたっぷりと付けられる。


 だが中でも、私がいちばん嫌いなのは、風による洗浄だ。

 大切に手入れをしている髪がめちゃくちゃになってしまう。

 できれば拒否したいところだけど、いかに強い権限を持っていようとも風だけは避けられない。

 どちらかと言うと消毒液の洗浄がおまけで、風による“砂”の吹き飛ばしが重要だから。


 万が一、“砂”が下層に侵入すればとんでもないことになるだろう。

 放置すれば数年でドーム全体が“砂”に帰してしまうことになる。

 服のシワを伸ばして身に着け、乱暴を受けた髪を手櫛で慰めながらトランクの排出を待つ。


 早く出て来て。中に入ってるポーチに眠る青いヘアブラシが恋しい。


 手荷物の排出口を覗き込む。まっくらな穴。傾斜の付いたコンベアからは何も流れてこない。一秒一秒不安が募る。

 こう言ってしまうのも変だけど、髪に対する不快感はありがたかった。

 もしも手荷物の中に“砂”が入っていた場合、裏に控えているディレクターの手によってトランクを開けられてしまうだろう。

 出てくるのが遅いということは、そういうことなのだろうか? ああ、私の荷物たち!


 ……プライバシーの問題もあるが、いかにディレクター相手でも、私の立場がばれることは好ましくない。

 座長へのあいさつが済んでいない現段階であれば、なおさらだ。

 その先は考えないでおこう。私は穴を覗きながら髪を触り、気を紛らわす。人間くさく髪を弄る口実。


「いたっ!」


 思わず声をあげる。ぼんやりしていた。

 気が付いた時にはトランクの青いお尻が私の鼻に一撃をお見舞いしていた。

 トランクは巨大。だけれどさいわい、中身のほとんどは衣装だ。

 鼻の奥がじんと熱くなるのを感じながら、トランクをコンベアから回収する。

 黙って荷物が返されたということは、“砂”は混入していなかったのだろう。当然中も見られてはいないはずだ。

 私は洗浄設備内にはカメラがついてないことに感謝をしつつ、自慢のアッシュブロンドの髪にブラシを通し始めた。


* * * * *


 洗浄施設を越え、ここから先は三層のパブリックな場だ。

 自動ドアを潜り、“空”を見上げる。偽物の空に塗られた天井。

 さらに地面からの青く淡い夜間外灯の光が、色を深めている。偽物のクセに色は悪くない。


「アイリス・リデルさんでしょうか?」


 黒いスーツを着た人間の青年が私に話しかけてきた。

 彼のことは事前調査が済んでいる。

 0024番ドームの長、最高責任者ラント・キド座長の秘書でかつ、息子のナイト・キド氏。


「ドーム損傷部の調査のため、中央技術部から派遣されてまいりました。あなたは座長秘書のナイト・キド氏ですね?」

 私は堅くお辞儀をする。

 ファミリーネームからして、かつて繁栄していたユニークな島国の系譜、お辞儀の国の血が流れていそうだ。


「車内で父……ラント座長がお待ちです。どうぞお乗りください」

 彼は私が頭を下げた意味を解りかねたらしく、ちらと私の足元の地面を見やった。

 私は彼にトランクを預け、黒い公用車の後部座席に乗り込む。

 奥にはアイロンがけされた紫のスーツの裾が見える。


「やあ、オリオン座へようこそ。私が座長のラント・キドです」


 ラント・キド。五〇歳。登録番号0024-H0399876。

 コードのHは彼が人間であることを示す。

 神経質そうに整えられた口ひげに、少し余分な面積をもつ頬。

 鼻につく合成イラン・イランの香水。やや黄色がかった肌色。


 加えて、頭の豊かな毛は偽装。調べは付いている。黄色いドームは隠ぺいされている。

 彼はこともあろうか“滑らかに笑顔を作り”、その上私に“握手を求めた”。


「……中央ドーム、中央技術部隕砂研究室室長アイリス・リデルです」

 私は身分証をちらと見せると、推奨される速度よりもやや早口に身分を名乗った。


「これは申し訳ない。“北極星”からの大切なお客様相手にとんだ失礼を」

 ラント座長は少し残念そうに、つるつるとして短い指を持つ手をひっこめた。

 しかし、笑顔をしまわずに続ける。

「ここをプライベートな場だと思って“個人”を出してもらっても構いません。私を友人だと思って。私が座長ですから。誰も咎める者はおりませんよ」

 座長は“エビス”のような顔になった。


「この車は公用車かとお見受けしますが」

 ばっさり。

 今の私はマイドはおろか、作業用機械よりも堅く冷たい表情をしているのではないだろうか。演じてもいないのに。


「……若いのに随分とご立派だ。“配役”は息子と同じ“きまじめ”ですかな? それだけ見事を演じ、マイド然(・・・・)としていられるなんて。息子と変わらない年ごろに見えるのに。おっと、女性に対して年齢の話はタブーでしたな」


「座長のご配役は?」私はため息とともに訊ねた。

 女性と年齢の紐づけ。それは区別でなくて差別だ。古い映画じゃあるまいし。


「私は“シャイで努力家”です。シャイはともかく、努力家が与えられたのは幸運でした。これを見事に演じたからこそ、座長まで上り詰められた訳です。しかし、私ももう五十だ。マイド然に振る舞うには肩や膝に辛くて。あの堅苦しい動きはいけない。私は公務以外では“個人”に徹することに決めているんです。構いやしません。私が座長ですから。評価も何もないでしょう?」


「座長ならば、住民達の指標として配役や台本には従うべきかと存じますが」


「お堅いですな! 柔らかそうな肌をしていらっしゃるのに。凛と咲く花のようだ。“イズレアヤメカカキツバタ”ですな。伏し目がちなところも、つぼみのようでこれまた魅力的だ」


 千年前から発掘されたような無礼な仕打ち。私は無意識に身を固くした。


「父さん! アイリスさんの言う通りだ。僕も配役通りに振る舞うべきだと思う」

 運転席から青年の厳しい声が飛んでくる。


「ナイトまで。しかし、“父さん”で“僕”と来たか。……よろしい。過ぎたアドリブはこのあたりにしておきましょうか」

 ラント座長は満足そうに頬を引き上げた。

「室長殿。ドーム内設備の砂化は半年前から急激に進みはじめましてな。外装の金属部分がなんらかの衝撃で被膜ごと損傷を受け、そこから砂が入り込んでコメットサンド層に到達したものと思われます」


 ラント座長はようやく態度を正して説明を始めた。


「初期の処置が遅れた原因は?」

 私はノートを開く。こちらも切り替えなくては。


「当0024番ドームは水源や化石燃料に乏しく、

 エネルギーの大半をドーム外の風力、砂力、熱発電で賄っておりますゆえ、

 砂漠地帯での作業が多いのです。ゆえにドーム外作業員(パジェンター)達が中に砂を持ち込むリスクが高い。

 対策として天井パネルの内面にも保護被膜を採用しております。

 外部損傷が内側の被膜まで届かなかったせいで、かえって損傷が確認できなかったのです。

 あとから被膜が破れて天井が落ちるまで誰も気付けなかった。

 期間から考えて、損傷を受けたのが定期検査の直後だったのでしょう」


「損傷の原因は判明していますか?」

 座長の発言を記述し、訊ねる。


「恐らく、平々凡々な隕石ですな。崩落時にこぶし大のものが見つかっております。技術部で保管しておりますが、ご覧になりますか?」


「いえ、結構です。事実と因果関係さえ分かれば充分です」

 座長から聞ける情報はこのくらいだろう。

 できれば彼とは仕事の話以外はしたくはないのだが、ここは少し打ち解けておくべきだろうか。


「そうですか。ついでに技術部の見学をしていただきたかったのですが。オリオン座の設備もなかなかのものですぞ。さすがに北極星には見劣りするかとは思いますが」

「技術部の見学は後日の日程に組み込まれています」

「いやいや。今これからという話ですよ。技術部の近所には良い中華料理店がありましてな」


「結構です」

 無意識に出た拒絶。しまった。


「それは残念。やはり北極星のかたはお忙しいのですな。もう少しゆとりのある台本を貰えればいいのに」

「砂を弄る身としては興味はあるのですけれど、報告書の下準備がありますから」

「若いかたは仕事熱心だ。根を詰めると肌によろしくありませんぞ」


 不快な会話運び。……少し譲歩するか。


「今日はもうシャワーを浴びて寝てしまいたいです。本当は報告書を少し進める指示が入っているのですが、こっそり朝に回してしまおうかと」

「やはりあなたも人間ですな」

 にこりとするラント座長。


「……ええ」


 狭い車内で再び差し出される手。

 そして香水に混じった生臭いにおい。やはり私はこの男が好かない。

 それでも彼は今回の件で最重要人物である以上、しばらくは付き合わねばならない。

 私はやや軟度のある笑みを返し、ラント座長の手を握る。

 包み込むように握り返される手。彼が放すより先に私の指は離れる。


「我らが一番星様のための楽屋に着くにはもう少しかかりますゆえ、オリオン座の歴史でもお話しいたしましょう」


 しばらく座長のプラネタリウム解説に耳を傾け、車に揺られる。

 車窓から見える街並み、薄く照らされるオリオン座第三層の砂の空。

 時刻は二十時。白く整備された歩道を歩く者は居ない。一部の夜間労働従事者以外はすべて各々の楽屋(いえ)に戻っている時間だ。


 第三層のキャストにあてがわれる仕事は、研究職か事務職が大半になる。

 それから高い管理レベルを要求される飲食に関わる一次産業。

 直接砂を被るような仕事は第一層、部品生産や食物加工に関わるものは第二層がおもだ。


 第三層は「保護区」なんて呼ばれて好待遇されているけども、他の層だって大切な役がある。

 どれかが欠けるとドームは死んでしまう。この世界に脇役なんて居ないのだ。


 しかし、その大半球に風穴が開いたときている。


 死に向かうドーム。ペテルギウスの崩壊。

 原因は小隕石かひとか。私はそれを見極めなければならないのだ。


* * * * *


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