Page.19 娯楽
私はクローバ副社長に勧められて、ミスター・パネルの社内にあるカフェテリアで昼食をとることにした。
ここで使われているトレーや皿、カップなどはすべて社内でリサイクルされた隕砂製品とのことだ。
ごちゃ混ぜの隕砂化素材を使ったカップたちは、スノーノイズを思わせる模様をしている。
コストダウンかデザインか分からないけど、なかなか洒落ている。
利用者の大半はラインで働く技術者たち。私と同じブルーの作業服。
私は「ティータイムセットC」のトレーをもって青に溶け込む。
甘味料入りグリーンティーに、島国風のアンコモチだ。
もち米に甘味料を入れて練った生地で餡子を包んだ団子に、醤油と甘味料を使ったタレをかけた一品。
驚くことなかれ。なんとこの商品は、「餡子に砂糖が含まれる」とうたっている。
メニューの横には店長おすすめのマーク。それなのに誰も頼んでいない。何故かしら?
ところで、私は砂糖が大好きだ。甘くて幸せな調味料。
特定ドームでしか生産されていない貴重品。輸入しなければ手に入らない。
かつて砂糖は世界中のどの文化にも存在し、今よりももっと様々な種類があった。
しかし、シュガー排斥運動のムーブメントが起こった際に、多くの国で砂糖の生産量が下がり、ひとびとがドームに籠ったころにはごく一部でしか生産されないものになってしまった。
肥満だとか血糖値だとかがひとびとの健康を蝕んでいたのが原因らしい。
私はしっかりと脳と身体を動かしているので、そういうのとは縁がない。
だからもっと食べても平気でしょう?
ああ、砂糖が世界を支配していた時代が恋しい。……生まれてもないけど。
「副社長、またヒスってたな」
お茶に追加の甘味料を注いでいると、社員たちの会話が耳に飛び込んできた。
「回路に悪いから勘弁してほしいよ」と、男性のマイド社員。
「あのひと、家でもああなのかな?」と、男性の人間社員。
「まさか、配役だろ?」
「そりゃね。でも、マイドって人間よりも“配役に引っ張られる”っていうじゃん?」
「そういや、俺もそうだなあ。“忘れっぽい”配役なんだけど、ハタチ過ぎたあたりから、冗談でも配役でもなく忘れっぽくなっちまった。昨日なんて自分の名前が出てこなくてさ……」
マイドの社員が頭を掻く。
「ええ……。ラボで診てもらったほうがいいよ、それ」
人間社員が表情を曇らせた。私も彼に賛成。
「“キエエ”よりはマシ。アレは気が違ってるぜ。こっちは記憶領域の節約になるしな」
そう言ってマイドの社員は頭のあたりで指をくるくるした。
「あなたたち、またクローバ副社長の悪口?」
若い人間の女性が割って入る。
「悪口だなんてとんでもない。客観的な事実を述べたまでだよ」
「同じ“個人”に言及するなら、もっと不確実な事を話題にしたほうが楽しいわよ」
女性は彼らを叱りに入った割にはいたずらっぽい笑みを浮かべている。
「なんだよ、不確実な事って」忘れっぽいマイドが首を傾げる。
「秘書のゲインさんよ」若い女性は声を潜めて言う。私は耳を澄ます。
「あの“自動ドア”かい?」
「……あの人ね、クローバ副社長とデキてるのよ」
「まさか。副社長はマイドで秘書は人間だろ?」
「別に珍しくないじゃない。あなた異種結婚反対派なの?」
「まさか、旧時代じゃないんだし。ただ、異種間の欲情ってのがイメージできないだけだよ。マイドが人間に持つ感情のたいていは“憧れ”だからな」
人間の男性が言った。マイドの男性も彼の言に頷いている。
私には、マイドの憧れも異種間の欲情もあまり理解ができない。
でも、異種結婚には賛成。法律でも認められているし。マイドがロボットからマイドになったときから、初めからそう。
マイドに関わる法律はマイドが発案したものが多いが、異種結婚の法律はマイド側が発案したものではない。
人間側からの希望なのだ。彼らにはマイドがまだロボットだった頃から、非公式にロボットと結婚をしている者がいたとか。
うーん。人間の持つ愛というものは、広くて深いものなのね?
個人の自由。部外者がどうこう言うことじゃない。
ただ、私は、彼らがそのうち作業用アームやドーム天井に開いた穴とも結婚させろと言い出さないか、それだけがちょっと気がかりだったりする。
「そりゃ、本能的なものだしね。あたしも結婚するなら人間。でも、ごついパジェンターのマイドなら付き合ってみてもいいかも」
女性の人間社員が言う。私はジョージ・ウェルズ親方を思い出した。
「それなら一層に探しに行かなきゃだな」人間の男性が言った。
「イヤよ。今、砂だらけなの知ってるでしょう?」
「そうだなあ。さっさと穴を塞いでくんねえかな。俺は“あがり者”だから、おふくろも親父もあっちなんだよな。最近、顔も出せてないよ」
男性の人間社員が言う。彼は一層から二層に昇層した身分らしい。
「俺もさっさと塞いでほしいよ。穴のせいであっちこっちでアドリブだろう? おかげで我らがボスは毎日“キエエ”だぜ。ゲイン秘書はあんなののどこがいいんだか」
マイドの男性社員が首を傾げる。
「誰しも裏表があるものだからね。ふたりは他層に出れるほどの三層民なんだから、演じ分けの腕前は相当のはずよ」
「じゃあ、プライベートでは真逆かもしれないな。立場も逆転」
「いいわね、ソレ。彼女たちは毎夜毎晩……」
噂話はどんどんと下世話なほうに向かっていくようだ。
私は彼女の“個人”を垣間見ているからか、これ以上その話に耳を傾けたくなかった。
団子とお茶の甘さに意識を戻す。
……さっさと“彼”に会いに行かなければ。
穴を塞ぐことがウルシュラ・クローバ副社長の不名誉な配役の欠陥を塞ぐ手伝いにもなるだろう。
私は甘味をたっぷり堪能して、回収ボックスにトレーを放り込む。
「隕砂製品の不法投棄は重罪。無責任な噂の投棄も重罪」
ひとりごちてカフェテリアをあとにする。
* * * * *
ドランテ・アリギ。登録ナンバーM0869101。男性型、三十一歳。
生まれは第一層。一層での仕事は隕砂掃除機会社の修理技師。
アドリブでおこなった修理に用いられたテクニックが会社に評価され、本人の演技力も相まって五年前に二層に昇層。
第二層では同会社の開発技師を務める。
彼の勤める「ニコニコサンドクリーニング」は小規模な企業だったが、彼の発明した修理技術が当たり、今ではオリオン座の砂害解決のホープ企業となった。
会社は彼に自由な研究環境を与えた。
研究はさらなる成果をあげ、パネル生産における新技術を発明。
これに目をつけた大手企業ミスター・パネルはニコニコサンドクリーニングと独占契約を結ぶに至る。
これが三ヶ月前の話。
将来はニコニコサンドクリーニングの重役が約束されているとか、あるいはミスター・パネルに引き抜かれるとか噂されている。
ドランテの住まいは居住トゥループの中心部、二層内では比較的裕福な層の暮らす通りにあった。
模造庭園を備えたオレンジのレンガハウス。私はタクシーから降りる。
「ここが“彼”の楽屋ね」
チャイムを鳴らすために門へと近づく。
呼び出しには誰も応じない。
クローバ副社長からの情報だと、今日の彼はオフのはずだけど……。
「どこかに出かけてるのかしら」
つぶやく。それから、通りに誰も居ないことを確認して、庭の中を覗き込んでみる。
ポーチにひとの姿。目が合った。
「きゃっ!」
悲鳴があがった。私も同様の反応を返す。
「……し、失礼しました。留守かと思いまして。ドランテ・アリギさんのお宅のかたですか?」
私は急いで角ばった振る舞いをする。
「え、ええ……はい。ここはドランテ・アリギの住まいです」
返事をしたのは若い人間の女性。うす桃のゆったりとしたワンピースを着ている。
「あなたは?」
「私は、彼のパートナーのマーガレット・バトラーです」
おや? ここも異種カップルだ。彼女の薬指には指輪が光っている。
「奥さまでしたか」
「少し珍しいでしょう? 結婚してニ年になります」
彼女はほほえんで答える。どこか自慢げ。
「ご交際はともかく、結婚となると少し珍しいですね」
私も好意的な表情で返す。この返答で失礼は無いだろうか?
「楽になさって。主人のお仕事のかたでしょう? ここをプライベートの場だと思って。私も趣味の絵をやっていたところですから」
マーガレットが振り返る。ポーチにはイーゼルと画材。
「ありがとうございます。絵ですか。いいですね。私は芸術のほうはあまり……」
私は少し肩の力を抜いて答える。
誰かさんに勧められたプライベートとは違って、身体はそれを素直に受け入れた。
感じのいい女性で助かった。
「えっと、それで、あなたのお名前は……?」
マーガレットはちょっと申し訳なさそうに目を細めて訊ねた。
「失礼しました。私、アイリス・リデルと申します」
「アイリスさん。お花の名前ですね」
マーガレットは薄くほほえんだ。だが、すぐに表情を崩し、申し訳なさそうに言った。
「せっかく来ていただいたのに、主人は今、留守にしてるんです」
「どちらにいらっしゃるか、ご存じでしょうか?」私は訊ねる。
彼女は少し黙り、何かを考えているようだ。門前払いになってしまうのだろうか。
「……ここで立ち話をするのもなんですし、お上がりください。紅茶をお出しいたしますわ」
私はマーガレットに促されるままに、家の中へ踏み入った。
奥様のうしろに付くと、私の目の前には背中。
彼女はかなりの長身だ。長めの手足がゆっくりと、優雅に歩く。
早くドランテ氏に会っておきたかったが、彼の抱える問題について彼女ならばよく知っているに違いないし、“個人不介入”に筋を通すのなら正式に“個人的な知り合い”らしいことをしておくべきだろう。
この奥様ならば個人的な知り合いとしても歓迎できそうだ。
家の中は木目デザインの調度品に溢れていた。
イスの座面やカーテンは赤。どれもまだ新しいにおいがする。
リビングとダイニングのあいだに壁や仕切りのない開放感のある作りになっている。
マーガレットはゆっくりとダイニングのほうへ歩く。私もそれに続く。
方々の壁には、額縁に入れられた絵がいくつも掛けられている。
森の中から青空を見上げた図、雨の降る緑の丘、砂漠と花畑がいっしょに描かれた絵。
どれも、自然をテーマにしたもののようだ。覚えのあるサインが書いてある。
「これは、全部マーガレットさんが?」
「ええ。本当は恥ずかしいから全部片づけてしまいたいのですけど、主人がどうしてもって。……こちらにおかけになって。今、お茶を入れてきますから」
イスを勧められ、私はそれに従った。
「お口に合うとよろしいのですけど」
マーガレットの細い指が、優雅にもてなしを披露していく。
ダイニングのテーブルをキャンバスに、素敵なティータイムが描かれた。
暖かい紅茶。お砂糖はないけど、代わりにマーマレードジャム。それと彼女お手製のクッキー。
「美味しい……です!」
甘味は連戦、前回は本物の砂糖入りの強敵ではあったけど、マーガレットクッキーは見事勝利を収めた。
「よかった。結婚して仕事を辞めてから、料理やお菓子作りばかりで。これが美味しくなかったらどうしようかって、思ってましたの」
頬をほころばせる私へ、ひだまりのような笑顔を向けるマーガレット。
リビングの大きな窓からドームの暖かな昼間灯が差し込んでいる。
太陽を真似た灯りにも暖かさがある。
奥様のゆったりとした話しかたも相まって、ベッドが恋しくなってきそうだ。
それから私たちはしばらく取り留めのない話をした。
私自身はあまりおしゃべりなほうではない。基本的には聞き役。
だけれど、相手によって口の滑らかさが変わることもある。例えばルーシーとか。
いっぽう、マーガレットは身のこなしや気品加えて、愛嬌程度に間延びした発声のイメージとは裏腹に、会話をリードし続けていた。
もしかしたら話し相手に飢えていたのかもしれない。
家事に専念する立場になると自然と台本も薄くなる。関わる役者の数も減っていく。
私は彼女のかじ取りに任せて波に揺られていた。本題を切り出す隙をうかがいながら。
ドランテの話題が出るのを待つ。
私はなんだかマーガレットが、彼についての話題に避けているような、会話の時間を引き延ばそうとしているような気がした。
会話の内容はかつての職場の話がほとんどだった。台本上の趣味でかよっているという絵画教室の話題も大して触れられていない。昔話ばかり。
こちらから切り出すべきだろうか?
しかし小一時間ほどして、彼女のほうから彼について触れてきた。
「主人には、会わないほうがいいでしょう。会っても、お仕事の話ができるとは思えませんわ」
唐突な言い渡し。
あれだけ滑らかだった口調も少し硬くなっている。
「どういうことでしょうか?」
「ここのところ、彼はまとまった休暇を取っているのですが、昼になると『バーに行ってくる』と言って、家を空けてしまうんです」
昼間からバー? 夜間従業者のために開けている店もあるにはあるけれど。
「インスピレーションが欲しいって。彼は新しい仕事のアイディアを閃くためにお酒の力に頼るんです」
お酒。アルコール。心には薬、身体には毒。人類が有史以前から虜になってきた魔の水。
ひとびとがドームに押し込められて、酸素や食料にあえいでた時代も需要は消えなかった。
空のもとで暮らさないようになってから多くの技術や文化が失われたが、頑なに手離さなかったそれ。
もちろん、ドランテ氏は機械体のマイドだ。マイドはお酒を口にできない。
だが、人間に近づくため、近しい権利を取得するため、彼らには“酩酊プログラム”が用意されている。
酒場では人間用の酒類と一緒に、マイド用のプログラム起動コードが提供されているのだ。
そのプログラムは疑似的ながらも、人間の酔いに近い状態を作り出す。
個人の解放、思考回路の鈍化、ちょっとしたバランサーの不調などなど。
ただ人間とは違い、極端におかしくなることもないし、暴力的になることもない。
さらに、コードを使えばすぐにでも酔っぱらうことができ、醒めるタイミングも設定しておける。
――彼らにはハメ外しも二日酔いも無い!
私は酒豪ではないけれど、もしも二日酔いのあの頭痛や、お腹の不調が無いのなら、アルコール中毒患者まっしぐらの自信があった。
甘いものに合うお酒の味はいくつか知っているから。
しかし、お酒は技師であるドランテ氏の仕事との相性がいいように思えない。
「ヘンだと思ったでしょう? 酔っぱらうと、頭の中にプログラムのバグや、めちゃくちゃな構造の機械が“見える”んですって。そこから新しいアイディアのヒントを得てるって」
「古代の詩人や旧時代のバンドマンみたいなことをおっしゃるのですね」
「ほんとに。おかしいですよね。あはは!」
マーガレットは急に声を立てて笑った。
「マイドの酔いなら手が付けられないということはないでしょう。どちらのバーにいらしたかご存知ですか?」
私は少し違和感を覚えつつ訊ねた。
会話の引き延ばしはこれが理由? 彼の酔いが醒めるのを待っていただけなのかしら。
「……私も主人のこと、あまり笑えないのですけどね」
マーガレットは私の質問に答えず、壁に掛けられた絵のひとつに目をやった。
写実的な絵。小さな工房の絵だ。
「この絵以外は全部、“妄想”なんです」
「妄想?」
「ええ。山も森も空も。もちろん、本物は見たことがありません。
最近は映画くらいでは見られますけど。絵は全部、私の頭の中からひねり出したものなんです。
でも、これだけは別。これは、彼が一層に居た頃に務めていた工房の絵なの。
彼がご両親の元を離れる時に一緒に挨拶へ行って、その時に寄って描いたものなんです」
ドランテの出生は第一層だ。昇層はもちろん個人単位でおこなわれる。
子が二層に行ってしまえば、親のほうからは会いに行くことはできない。
成人していない子供がいる場合は親に昇層制限が掛かる。
三層の場合になれば、本人も他層に行くことが大幅に制限されるから、家族や知り合いと今生の別れになることが多い。
そのため、せっかく得た権利を捨てて三層に移住しないものもいる。
「……」
マーガレットはずっと絵を見つめ続けている。船は遭難。会話は座礁。
「アイリスさんは……工房の絵と妄想の絵。どちらが、“本物”だと思いますか?」
マーガレットは視線を戻さず訊ねた。彼女はテーブルの下で、何かしきりに手を動かしているようだ。何かしら?
「……描いた人にとってはどうか分かりませんが、見る人にとってはどっちも“本物”になりえると思います」
私は答えた。この質問の意味は?
「そうですか……。ドランテは『神の河』という酒場がお気に入りですわ。
そこで出されている料理が、私の好みだったからですけど……。
近くに大きな川が流れているので、近くまで行けばすぐに分かると思います。
今日もベレー帽を被って、ひとりで川を眺めてるのですわ。川といっても、あれも偽物ですけど……」
ぼんやりと話すマーガレット。本物の絵を見つめて。
「ありがとうございます。旦那様に会いに行ってきます。紅茶とクッキー、ごちそうさまでした」
私は礼を言い席を立った。彼女は私を送らなかった。
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