Page.18 赤と黒
応接間に通された私は、柔らかな座り心地のソファに腰かけた。
入り口からここまで案内してくれたのは物腰の落ち着いた人間の男性だ。
先導の最中、扉という扉は彼の手によってスムースに開かれていった。
彼は私にコーヒーを勧め、「ウルシュラ・クローバ副社長を呼んでまいります」と言った。
彼が退室したのち、出されたコーヒーに小さなカップに入ったシロップをみっつ注いだ。カップは丁寧に重ねてひとつに見せかけておく。
……あの電話口から聞こえてきた奇声はなんだったのだろう?
甘いコーヒーで気持ちを落ち着かせ、ウルシュラ・クローバ副社長が現れるのを待つ。
「いったい、どんなひとがでてくるのかしら……」
警備員との電話のやり取りの主が“クローバさん”ならば、あの『キエエ』の主もクローバ副社長ということだ。
私はひとりソファーで待つ。少しそわそわしてしまう。
自動ではない応接間の扉がひとりでに開き、さっそうと燃えるような紅の服に身を包んだ女性マイドが早足に現れた。
頭から肩に炎のゆらめきのような人工赤毛をまとっている。
続いて、先ほどの男性。こっちは短髪のブラウン。
「あなたが中央からいらしたかた? なんでブルーカラーなのかしら?」
ハスの利いた舌ったらずな音声。
「中央技術部隕砂研究室室長アイリス・リデルです」
私は立ち上がり、彼女の疑問を無視して手を差し出した。
クローバ副社長の顔は精巧な表情パーツを使っているようで、眉毛を八の字に曲げ、口をへの字に結んだあとに、やっと握手を返してくれた。
それからハグ。
「……ごめんなサイ。こういう役柄なんデス」
彼女は私の耳に機械じみた小声でささやいた。私は彼女の背中を優しく叩いて返事とする。
「それで、中央のかたがいったいなんの用なのかしら?」
すぐに役へと戻る副社長。
「第一層外殻部、ドームの天井崩落事故についてはご存知ですね?」
私は堅く訊ねる。
「もちろん。うちもそのパネルの受注をやってるから。あなたがなんの用で来たのか、その質問でだいたい分かったわ」
クローバ副社長がため息をついて言った。
「工場のラインが故障して動かせなくなってるのよ」
私は副社長に連れられて工場棟へ向かった。
入ってすぐに大仰な洗浄施設。
「手間だけど、規則だから」副社長が肩を竦める。
コメットサンド技術を扱う大工場となると、砂粒の管理には当然うるさくなる。
大手ということもあってか、ここの洗浄設備は第三層の入り口に匹敵するものだった。
そして生産ラインはそれぞれガラスで仕切られ、ひと粒の砂も通さない。
壁、天井、まっくろな空間。そして強いライト。機械類までも黒く塗装されている。
隕砂素材の多くは光沢のある黒か、黒の中で目立つ白系の色をしている。
これらは粒子の漏れをチェックする際に役立つのだという。
もちろん、専用のキャップや防砂服もまた、停電の夜のような黒。
もしも粒子が付着していれば、それは星空のようになるのだろう。見たことはないけれど。
あんまりにも黒ずくめだと、すべて溶けて混ざってしまうのではないだろうか? なんてつまらないことを思う。
ラインでは、多重チェックをおこなう作業員たちが目を光らせている。
先に設備を使わせてもらった私は洗浄中の副社長を待つあいだ、目の緊張を緩ませて遊んでみる。ぼやける視界。
やっぱり混ざり合う。人間もマイドも、機械も、壁も天井も。
「当プラントでは品質の維持のために、人間、マイド、コンピュータの三重チェックをおこなってますのよ」
慣れているのか、私の予想よりも早く洗浄施設を抜けてきたクローバ副社長。
彼女の防砂服は白色だった。紅の服を透けさせている。
「ドーム間移動のチェックを彷彿とさせますね」私は素直に感心を表す。
「私はオリオン座から出たことはないけれど、
ここの洗浄設備は全ドームでも指折りのものだと自負しておりますわ。
もちろん洗浄設備だけではありませんことよ。
三層研究所での技術開発はもちろん、二層や一層での技師のスカウトや新技術の公募などもおこなっておりますの!」
大仰に手を広げて見せるウルシュラ・クローバ副社長。
この黒の世界が彼女の舞台。夜空に輝く赤い星。
防砂ガラス越しに聴こえてくる忙しない機械音の中、副社長に案内されて廊下を歩く。
「このあたりは隕砂製のガラスがメインのラインですわ。白いのは隕砂化結合をした石英を使ったガラス。耐熱性に優れます」
機械が白く透き通った板を吐き出し、コンベアの川を流れる。
防砂服姿の職員が指さし点検の最中だ。
「向こうの黒いのは雲母のガラス。あれはパネルのままでは使用せずに、部品加工の会社に卸してコンデンサに加工されるそうですわ」
大きなブラックガラスパネルがカットされている。
私も加工品や小さなサンプルを相手にしたことはあるが、あれだけ大きなものは初めて見た。
「その次が特殊形状のパネルを生産するためのラインで……」
微妙な曲面が成形されたパーツが流れる川を眺める。
そのうちのひとつに、流れが完全に止まっているラインがあった。
特別大きな面積を割り振られたライン。
ライトも切られ、こちら側の明かりが闇に沈んだ機械の角をわずかに映すだけだ。
「このラインは停止していますね」
「……これがドーム天井部品に充てているラインですの。外部の技師から採用した技術を使った設備が導入されてまして。もちろん、技術の内容は極秘になるので、近くではお見せできませんけど」
クローバ副社長は流れの無い川を見てため息をついた。
「技術に不備が?」
「いいえ、故障自体はこっちの落ち度で技術には問題はありませんわ。ただ、修理をできるのが開発者だけで」
「予定がつかないのですか?」
「……“個人不介入”の案件で開発者が引きこもってしまって」
副社長はがっくりと首を垂れた。
“個人不介入”の原則。
おおやけにおいて台本と配役は重視される。
だが、ひとはやはり個体である以上、プライベートを最重視すべきである。
個人的な問題に関しては、企業はもちろん、公的機関も口出し厳禁とされている。
「配役上のことなら、“ケツ”を叩いてでも修理させるんですけど」
流れるような猥言から咳払いひとつ。これも演技。
「……失礼。だから、誰かに代わりにやってもらえると助かるのですけど」
彼女は私の目を見た。
「極秘の技術なのでしょう?」
私は首を傾げる。
機械工学は一通りやっているけど、他人の作った物をすぐに理解できるかは微妙なところだ。
「まさか。そっちじゃなくって。わたくし、“彼”とは直接面識がありませんの。
知り合いになるほどのコンタクトをとるだけの時間も。
社長は三層にこもりっぱなしなので、二層のすべてはわたくしに任されておりますもので。
アイリスさんは中央からの実地調査でいらしたのでしょう?
オリオン座二層の技術開発者。
調査サンプルとして不足はないかと存じますわ。……もしもお時間があれば、ですけど」
なるほど。
私に個人的に開発者に会って問題を解決するか、修理に向かうように仕向けて欲しい、というワケね……。
ミスターパネルの生産力はこの広大なプラントが示している。
一層で親方は「予定のニ割程度の搬入しかない」と言っていた。
交換部位の増加に追加の崩落。
あの穴を塞ぐための最短ルートがそれだというのなら、私は引き受けないわけにはいかない。
さいわい、私には台本がない。
そして彼女の言う通り、“彼”の個人的な問題も“調査対象”としてうってつけだろう。
「個人的にお会いしてみるのも、悪くないかと存じますわ」
私は彼女の口調を真似て返事をする。
クローバ副社長はあっけにとられた表情を一瞬見せたが、周りを確認したのち、私の手を取った。
「ありがとうございマス。……じつは何人か職員を派遣してみたのですが、“彼”の問題を聞き出すにも至ってなくて。わたくしもこういう役柄ではありますが、個人的には配役なしに、知らないひとと関わるのが非常に苦手でシテ……」
「ご苦労なさってるのね。あまりひと好きのする配役ではありませんし」
憐憫を込めて彼女を見つめる。
「そうですね。お陰で部下たちには嫌われっぱなしで。そのほうが評価にはいいというのもなんだかムズ痒くって……。わたくしの住まいは三層なので、このくらいがいいんだとは思うんですけど……」
しょげかえるウルシュラさん。
層を跨げる三層民には守秘義務がある。
他層と三層には暮らしぶりや生活に大幅な違いは無いが、保護区という建前上、いくつかの三層特有の法律やルールがあり、それは他層に知られてはいけないことになっている。
万が一、言いふらしでもすると重いペナルティが課せられる。
彼女が個人的に二層をうろつくには、多くのリスクと手続きをクリアしなければならないのだ。
「私も口が堅いほうじゃないから、他層のかたとやりとりをするのは少し疲れます。ひとりごとも多いし」
他層へ行ける三層民の共感。私たちはほほえみあった。
『ピピピピピピピ!』けたたましい呼び出し音がした。
副社長は慌てて防砂服のポケットから端末を取り出す。
「……何かしら? またアイツ? ちゃんと報酬は盛っておきなさいって言っておいたでしょう? ……それでも? わがままな技師ね」
電話越しのやり取り。苛立ちが見える。それも演技なのだろう。
「こっちはドームパネルの件で手一杯なのよ。厄介ごとを持ち込まないで欲しいわ。これ以上の上乗せは“詩人”を上回る成果を出したら考えるって、あのタコに言っておきなさい。……え? すでに言ってる? タコも? だから話が? あんた、バカじゃないの!?」
電話の内容は外部の技師と報酬で折り合いがつかない、といったところだろう。連絡してきた部下も部下でちょっと難アリのようだ。
「キエエエエエエエ!」
……個人の本質と相反する性格の配役を与えられると誰しも苦労する。
ミスター・パネル副社長のウルシュラ・クローバさんは唐突にヒステリックな奇声を上げ、地団太を踏んだ。
廊下いっぱいに響く騒音。
防砂ガラスの向こうの作業員たちが一斉にこちらを向く。
だが、それも一瞬のことで、彼らはすぐにラインへと視線を戻した。
「……ごめんなサイ。“高飛車でときどきヒステリック”でシテ」
申し訳なさそうに言う“ウルシュラさん”。
「お気になさらず」私は高鳴る胸を小さく叩いて落ち着かせ、言った。
彼女は私の顔を見て少しほほえむと端末へと向き直る。
「……それで、新しいシートの取り寄せはどうなったの? ……材料不足で規格統一ができない? だったらゴミ袋でも被せときなさいよ! ゴミ袋は隕砂製素材だぁ? 冗談くらい分りなさいよ!
」
通信の向こうに向かって怒鳴りつけたのち、再びマイク部分を覆って私のほうを向く。
「ほんとに、ごめんなサイ。ごめんなサイ」
わけが分からなくなりそうだ。
「……いい? とにかく、どっちの件も譲っちゃだめよ?
それとあんた、また食べながら電話してるでしょう? 人間の咀嚼音は神経に触るのよ!
……マイドに神経はないだろって?
三層ボディの副社長に向かってなんてこと言うのよ!?
……せっかくの生身を粗末にするんじゃないわよ。この、ブタッ!」
電話を切るクローバ副社長。
私はお気に入りの物語のワンシーンを思い浮かべた。
「うう。申し訳ありまセン」
彼女は精巧な三層ボディの表現能力いっぱいを使ったミゼラブルな表情をして、私に謝った。
「……どうぞお気になさらず、公爵夫人」
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