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Page.16 Bully

 昼夜変更時の夕方灯で激しく照らされた第一層。

 乾いたスモークは光を反射し、舞台を火事場のように見せている。


 夢見る少女のことを胸のすみっこへ仕舞い、次のシーンへと気持ちをカットアウトする。


 私は堂々と、マイド然として広場への道を進む。

 挨拶をしない人間の警備員の脇をすり抜け、引継ぎを終えた主任の部下たちに会釈だけで別れを告げ、今晩の仕事のパートナーのもとへと足早に向かった。


「中央技術部隕砂研究室室長の、アイリス・リデルです」

「修復現場副主任の、エルンスト・ユルゲンスです」


 形式的な挨拶。言葉の抑揚も握手も不要。

 痩せた頬、背は私よりやや高い程度の小柄な体格。親方とは対照的だ。


「追加発生した崩落により、崩落部の観察は不可能となりました。

 アドリブ挿入前の予定通り、作業が適切におこなわれているかの調査、夜間従事者向け内容を実行します。

 現場での問題点の指摘、及び改善指導ののち、第二層でのパネル生産状況の実地調査に移行します。

 0024ドームのみで修復に対応するのは難しいと判断した場合、中央ドームからの支援をおこないます」


「……承知しました」

 続く機械的なやりとり……。


 ユンゲルス副主任との軽い打ち合わせを終え、クリップボード片手に広場を徘徊する。

 ドーム内は夜間灯に切り替わり、うっすらと青い空気を浮かび上がらせている。

 それを切り裂く強烈なナイフ。夜間作業用のライトはバカみたいに、


「まぶしい」。

「それも指摘事項でしょうか? 四〇〇ルクスの基準は満たしています。基準よりも高い光量の照明を使用しているのは、砂による遮光効果を考慮してのことです」

 副主任が訊ねる。内容は不満げ、だけど発声は淡泊。


「多数の照明を稼働させるのは結構ですが、各照明の有効範囲を調整してください。明暗差については数値的な基準はありませんが、人間の視力への悪影響が考えられます」


 まぶしいなんて声に出したつもりはなかった。ただの癖。

 だけど、今の私の目にはこの照明がつらいのは事実だ。

 ゴーグル越しでも痛い。きっと、疲労が溜まっているのだ。


「設置地点にはテープで印をつけて、ガイドラインに沿った配置を心がけています。ご確認いただけますか?」

 また不満げ淡泊。ねちっこいなあ。

 私はいちおう、各照明の足元をチェックする。


「確認しました。私の誤指摘です」

「承知しました」


 私は「まぶしい」を言い訳染みた誤指摘にすり替えた。

 反射的ではない。打算的にだ。

 なぜならそれは、仕事上のミスや勘違いのほうが、“ひとりごとを言う癖がある”ことや、“個人的な都合で目が疲れている”のを暴露するよりも遥かにマシだからだ。

 特にこういう性格や配役の人間に対しては。


 ときおり台本と共に配られる“配点シート”というものがある。

 これによって、台本上で関わりを持った人間に対して点数をつけることができる。

 他者の台本に悪影響を与えたかどうか、本人の演技の良し悪し、仕事の成果など、いくつかの項目に渡って点をつける。

 当然、公正で合理的な採点が要求される。

 そういうのはマイドの得意分野。しかし、人間の場合はそうはいかない。


 私たちの横を、人間の作業員が砂用の掃除機を持って通りかかった。


「副主任。指摘事項は彼女ひとりでクリップにまとめてもらって、のちほど処理をすれば充分ではありませんか? あなたも現場作業に就くべきかと。砂の除去作業の完了の目処が一向に立ちません」


 イヤミみたいなものだろう。

 顔を覆いつくす人間の防砂装備では表情は判らないが、わずかな声色からユンゲルス副主任が嫌われていることがうかがい知れる。


「部下の指摘通りです。アイリス・リデル室長。残りは単独でお願いいたします」

 それでも副主任はマイド然を貫き、砂の掃除道具があるテントへと足を向けた。


「副主任が砂掃除、か……」

 私はマスクの中でため息をもてあそぶ。


 人間がおこなう採点には、ときおり私情が挟まれる。その影響は小さくない。

『あいつキライ。減点しちゃえ!』はよくある話。

 だけれど、単純な悪意や好意からくるものばかりではない。

 たとえ平静を装うとも、深層意識下からの働きかけが起こり、手心が加えらえるという。

 人間がいじわるな生き物という証左だろうか?

 もちろん、悪意ばかりではなく、善意によって歪められることもある。


 例えばこうだ。


『あのひとには本人に落ち度のない事故が続いて不平等だ。だから加点』

『直接指摘するのは怖いけど、点数表で己の間違いに気付いて欲しい。大幅減点』


 こういった平等を目指すコントロールというものも、そのじつは不公平にしかならない。

 個人の判断である以上、“おおやけ”ではないのだから。

 じゃあ、堅苦しかったり、摩擦を生むような配役を与えられたら損かといえば、そうでもない。

 配役が嫌われていたとしても、うまく演じられたかどうかで加点修正がされる点を考えれば、「こいつはイヤな奴である」と答えることで評価が得られるわけだ。

 答えるほうもそれで満足だろう。


 もうひとつ。人間には闘争心、競争心というものがある。

 次層にあがれる人数には制限が設けられているため、単純に正しく生きれば昇層できるという訳ではない。

 ……誰かを蹴落とせば相対的には確率が上がるという話。虚しい足の引っ張り合い。


 いっぽう、健全なマイドはそういった競争心を持たないし(極端な環境で育てば、そういう性格プログラムが構築されることもあるが)、本能として人間を補佐するから、あえて人間に対抗することもない。


 そのうえ、彼らの人間然とした不完全さを装う振舞いが、集団内ではバランサーになるとされている。

 私も見知らぬ人間の中で暮らすよりも、マイドといっしょのほうが安らぐ。

 ところが、忠実に役をこなせるマイドのほうが好成績を収めているはずなのに、全体の獲得ポイントや昇層比率に偏りは見られない。


 この理由については『人間がマイドに嫉妬をして点数操作をしているから』説が有力だとされてる。

 母もそう言っていた。


 だけれど、私はそんなことをしたことはないし、母のカンは間違っているのではないかと思っている。

 何故ならマイドは自由に人間然として振る舞っているわけではなく、建前として“配役”でそうしていることになっているので、人間の個人的感情である嫉妬心を刺激するケースは少なくなるはずだからだ。


 私は、これらは台本や配役の穴ではなく、ドーム社会における人間特有の社会問題なのだと考えている。


 ほかにも事例を挙げればきりが無いが、つまるところ、見知らぬ“人間”関係において“配役”という仮面を被らずに接すれば不利益をこうむる恐れがあるということだ。


 私にもどこかそういう、打算的というか、臆病な面があった。

 だからあんな言い訳染みた反応をしてしまった。


 人間には理論的でパーフェクトが求められる。

 どちらにせよパーフェクトでないのなら、せめて論理的なポイントは残しておきたかったのだ。


 副主任に会うのが今日限りだとしても、彼の私に対する配点分配がわずかなものだとしても、なんとなくイヤだったのだ。

 私は、自分のこういう面があまり好きになれない。


 こんな、ささいな自分の評価のことよりも、もっと大切なものがあるというのに。


「はあ……」

 私はまた、ため息をついた。


 夜間の作業現場の雰囲気は最悪だ。

 昨日の親方を筆頭としたマイドだけの職場がふかふかのベッドだとすれば、今日のここは針の山のむしろだ。

 だけど、一番とげ立ったところに立つのは私ではなく、“彼”だった。

 お山の大将。……針山のてっぺん。


「副主任。そこはすでに清掃がおこなわれています。非効率的です」

「ユンゲルス氏。中央からの使者を放って掃除なんてやっててよろしいので?」

「サミュエルの姿が見えないのですが。彼、また遅刻していませんでしたか? あなたの訓告は無意味なのでしょうか?」


 それでもユンゲルス副主任はひたすらマイド然と対応し続け、使い古した防砂服を右往左往させ続けた。


 仕事上の指摘に被せた嫌がらせ。

 ユンゲルス氏はどうしてここまで嫌われているのだろうか。

 配役? 仕事? 個人的性格? それとも、理由なんてないのかもしれない。

 文句を言わなければ気が済まないイコール、ユンゲルス氏に落ち度がある、とは限らないのだろう。


 彼を虐めている作業員たちも、“配役疲れ”を起こしているのではないだろうか。

 緊急で招集された修理部隊。連携も何もないだろう。

 常にインシデントとアクシデントが付きまとう環境で、仮面を被りながらアドリブを演じることは、生身の人間にとっては熾烈なストレスだ。


「そちらのコンテナ周りは掃除しましたですか?」

 ぎこちないパペットな動きと、妙ちきりんな言葉の男性作業員。


 そもそもの話として、与えられた配役や台本がパーソナリティと合わないことだってある。

 これはシステムが走り出した直後から抱え続けてきた問題。

 それでも、指標たる台本を失うようなことがあれば、ひとびとはみな一様に漂流者(プラネテス)になってしまうことだろう。


 誰の台本にも書かれない役なんて、居ないも同然なのだから。


 複雑に絡み合った糸。もはやほどけまい。


 各所にチェックに回っているあいだ、ユンゲルス氏はやたらと部下に絡まれていた。

 可哀想な副主任。それでも私は彼をフォローしなかった。これは保身でもなく、加担でもない。

 何も知らずにに口を挟むのは混乱を招くだけ。


 彼を助けるのは中央の権限でもなく、恣意的な台本介入でもなく、さっさとあの大穴を塞ぐことだから。

 根元を断ち切ってしまえば、糸くずはまとめて捨ててしまえる。

 彼らも本来の職場に戻り、おのおのの糸を紡ぎ始めるはずだ。


 私は夜食に配給された栄養たっぷりのカロリーバーをかじりながら、哀れな仮面舞踏会を眺める。

「砂を食べているみたい……」

 配給用カロリーバーは予定より一本少なかった。


 * * * * *


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