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Page.15 まどろみ

 病室に戻ると、ルーシーは静かに寝息を立てていた。

 私は彼女の大腿部を拭ってやってからテープでしっかりと保護し、シーツを掛け直してやった。


 彼女の処置の判断が下されるのはまだかしら?


 私が後日に訪ね直さずルーシーの病室で粘っているのには理由がある。

 現在、私には台本が出されていない。それでも大まかな予定は指示されている。


 当然、このドームへの滞在期間も決められているし、その限られた時間は二層と三層のためにも割かなければならない。

 スケジュール的に彼女に会えるのは今が最後かもしれないのだ。


「ルーシー……」


 私は疑似的な寝息を立てる娘を眺める。起こしてでも話すべきだろうか?

 古典的な時計の針の音。静かな病室。

 起きるまで待とう。

 私はノートを開き、昨日の天井崩落や、その直前に観察したリミットのパターンの記録をまとめることにした。


 少ない情報を遊ばせていると、カートの音と機械系の足音が複数近づいてきた。


「回診の時間ですよー」

 技師が看護師を伴って病室へ現れる。


「ルーシー・シャーリーさーん」

 看護師のマイドが声を掛ける。

 ルーシーは身体からかすかな機械音をさせてスリープから目覚めた。


「……おはようございます」

「お加減はどうですかー?」

「……問題ありません」

 回路が温まり切っていないのだろう。彼女はぼんやりとしている。


「ここに充電器具を置いておきますねー」

 看護師がカートからジュースの缶のようなものを取り上げ、ベッド備え付けのテーブルを引き出して置いた。

 技師は何も言わない。これはただの定期的な回診であり、告知の類はなされない。


「ケイン・コスナーさーん」

 回診は早々にもうひとりの患者へと向かっていった。


「私、寝てたのね」

「すこしね。テープは貼っておいたわ」

「ありがとう。“食事”の時間かあ」


 ルーシーはテーブルから缶を取り上げ、胸元のカバーを外した。


「人間の食事は羨ましいけど、充電コネクタの位置が口でないのはさいわいね。口にコネクタついてるモデルの“食事”を見たことがあるけど、充電中は挿しっぱなしになるから、かなりバカっぽい」

 ルーシーは胸のコネクタに電池缶を差し込んだ。


「確かに人間でも、そんな絵面はダサいわね。私は、マイドの充電はこれはこれでカッコイイと思うけど」

「そうね。でも、場所によるわ。親方は腋の下にコネクタがあるの。あれもバカっぽい」

 私たちは親方の充電風景を想像してくすくすと笑った。


「頭のてっぺんよりはマシだと思うぜ……」

 カーテンの向こうからつぶやき。

 充電コネクタの位置は、マイド特有のデリケートな問題だ。


 ルーシーの身体は、電池容量を半分以上残して充電を終了した。


「動かないから“お腹が空かない”のね。オーバーヒートのときよりも減りが悪いわ」

 電池を弄ぶルーシーが意外そうに言った。

 それだけじゃない。片足が機能していないために消費電力が少なくなっているのだろう。


「アイリスさんはお昼どうするの?」ルーシーが訊ねる。

「あなたが寝てるあいだに売店で買って済ませて来たわ」

 売店でサンドウィッチ。

 小さいが売店にはイートインコーナーがある。というよりは人間の病院とは違って、ラボは飲食できる場所の制限が厳しい。


「そっか。外に出るの面倒だものね」

「出入りするたびに髪をセットするのは面倒だもの」

「それもまた羨ましい悩みね。綺麗な髪よね」


 私は彼女の求めに自然に応えた。

 イスをベッドへと詰めて、身体を彼女のほうへ近づける。


「いいの? 触っても?」弾む声。

「触りたいんでしょう?」私も少し弾む。


 彼女は小さく「やった」と言うと、恐る恐る私のアッシュブロンドに手を触れた。

 一層民のボディには指先にまで神経センサーは無い。

 握った時に硬度を感じたり、腕などで重さを測るくらいが限度だ。

 それでもルーシーは、まるで壊れ物を扱うかのように、マイドの動作限界のごくわずかな力で指が這わせた。

「空気が流れるようだわ。何もないみたい」

「ちゃんとあるわよ。座長じゃないんだから」


 冗談を言ったが、彼女の耳には届かない。私は撫でられ続ける。


「……素敵。二層ボディにも一応髪があるけど、ここまでじゃないわ」

「髪は遺伝子の差が大きいから、人工の髪のほうがマシっていう人もいるけどね」


 私はあくびを噛み殺す。サンドウィッチのせいか、髪を撫でられたせいか。


「今、あくびしたでしょう?」目ざといルーシー。

「すこし眠くなっちゃって」素直に白状する私。

「今日は夜間なんでしょう? ここで少し眠ったら?」


「でも、あなたが退屈するわ」

 声が少し上擦る。


「構わないわ。撫でてると飽きないもの」

 それは勘弁してほしい。私は屈めていた身を起こした。

 日中は病室の扉は開けっぱなし。廊下からここは丸見えだ。


「残念。そのまま眠ったら、他にも触らせてもらおうと思ったのに」

 いたずら娘は肩を竦める。

「空いてるベッドを借りても怒られないかしら?」


「多分ね。次の回診は十六時だし。その前には起こすわ。もしバレたら、謝ろ」

「採用。論理的だわ」私は眠気が限界だった。

「ルーシー、これを貸すわ。子供向けで、あまりページもないけれど」

 私はバッグから本を取り出すと彼女に渡した。

「“不思議の国のアリス”……タイトルは知ってるけど、読んだことはないわね」

「それじゃ、私は少し休ませてもらうわ」


「おやすみ、アイリスさん」

 私はイスを持って空きベッドへ移動する。

 廊下から死角になる位置にイスを置くとそれに座り、上半身をベッドに預けた。


 * * * * *


 重い足音の立てる振動がイスのパイプを伝い、私のまどろみを揺さぶる。

 顔を上げると、ちょうど大男が隣をすり抜けていくところだった。


「よう、ルーシー。元気してるか?」

 訪ねて来たのはジョージ・ウェルズ現場主任。


「ハイ、ジョージ」

 手を挙げて答えるルーシー。


「親方、お見舞いに来るのが遅いわ」

「すまんすまん。寝ずの作業だったんだ」

「やっぱり。あまり無茶をしてはダメよ」

「おめえにそんな事言われたくないな」


 親方が笑う。ルーシーは部屋の掛け時計を見て首を傾げた。


「まだ十六時前よ。現場はどうしたの?」

「昨晩は延長して作業した人数が多かったから、夜間組が一部早く出て来てな。早めの引継ぎだ。台本通りだよ」


「そうなの? じゃあ、あのひとも寝てる場合じゃないかも?」

 ルーシーはこちらを向いて手を振った。

 私は親方がこちらに振り向く前に立ちあがり、素知らぬ振りをして近づいた。


「こんにちは。ジョージ・ウェルズ主任」

「おはようございます。アイリス・リデル室長」

「すぐに現場に行ったほうがいいのかしら?」

 私はバッグを肩に掛ける。


「いえ、夜間組の作業が本格的に始まるのは十六時半から。日がある程度落ちてからですね。入れ替わりに副主任の台本を見せてもらいましたが、あなたの出番は時間指定無しでしたよ」

「そうですか。わざわざありがとうございます」

「こちらこそ。こいつに構ってると疲れるでしょう?」

 親方は肩越しにルーシーを指さす。


「すこし」私は微笑とともに答えた。「ひどーい」と声。


「アイリスさん、ちょっといいですか?」

「ええ」


 私は親方に連れられて廊下に出た。


「あいつの、ルーシーの足の告知はありましたか?」

「まだです」

「そうですか。長引いてますな。それだけ難しいということなんでしょうか」

「どうでしょう。まだ審議していないのかも。最近は砂害や熱中症でラボは忙しいみたいですし」


 私の気休めにしばらく黙り、うなずく親方。


「親方? アイリスさん? 何話してるの?」


「仕事の話だ!」

 親方は室内へ返事を返す。

「……なるべく早くしてやって欲しいですな。宙ぶらりんなのがいちばんこたえるでしょうに」

「本当に。ルーシーは不安がってます。あなたも励ましてあげて」

「そういうのは、あんまり得意な役じゃないんですがね」

「“役”でなくてもいいと思います」


 廊下の向こうから足音が近づいてくる。十六時の回診。

 私たちは身を固くする。

 ところが、それも無駄な心配だった。ただのルーチン。

 今度は“食事”もナシ。声掛けだけで技師たちは退散した。


「ねえ、親方。親方は星を見たことある?」

 訊ねるルーシーは少し疲れているようだった。

「なんだ、急に? 星っていうと、宇宙の星か?」

「そうよ。無いわよね」つまらなさそうにルーシー。


「あるぞ」無骨な男から意外な返答。


「ウソ!? 夜よ? 『太陽も星だ』とか『地球も星だ』なんて言わないわよね?」

 ルーシーは身を乗り出す。

「ちゃんと夜に、空に見た。屋外作業をしててな。あれは確かドームからずっと南に行ったところにある砂力発電所がダウンしたときのことだ。もう五年と八か月前だな」

「私がまだ子供用のボディだったころだわ」


「発電設備の本格的な調査をするには“天気がいい”ときを狙わなきゃならないんだ。

 それも、太陽が沈んでからじゃねえと暑くて話にならねえ。

 その時は珍しく長期予定の組まれた台本を抱えて、修理隊を組んでの仕事だった。

 発電設備に泊まり込みだ。いつ晴れるとも分からんからな。

 だが、待ってたら晴れた。雲も砂嵐もウソみてえに引いた」


「それで、どうだった?」

 ルーシーのLEDがまたたく。


「まぶしかったな。映像や画像では見たことはあったが、そんなもん比にならねえ。白や赤、青なんかの星が、数えきれないほど散らばってんだ。ライト無しでも野外作業ができるくらいにな」


「願い事はした?」

「願い事?」

「……してないのね」ため息をつくような仕草。


「ロマンがねえってか? 逆なんだよな。

 俺たちは野外作業をするために晴れるのを待ってたわけだから、

 星に願いを掛けるんじゃなくって、星を見るために願いを掛けたってところかな。

 業務上のお祈りだったけどな」


「ふうん……」ルーシーは腕を組んで首を傾げる。

「悪いな。俺にゃ表現力がない。カメラでも回してればよかったんだが」

「それじゃ、意味がないわ。実際に見に行かないと」

「そうだな。そんなに見たきゃ、お前もパジェンターに転職するんだな。一生のうちに何度かは見れるらしいぞ」


「うーん。外に出れるのはともかく、ドームの近所をうろうろするだけじゃあなあ」

 娘が唸る。


「なんだ、不満かあ?」

「不満よ! じゃあ親方。雨は見た?」

「馬鹿言え。砂混じりの雨なんて降られたら、俺たちは寿命が縮まっちまうよ。それこそ、水だけの雨が見たけりゃドームの近所じゃだめだ。赤道付近の海にまで行かなきゃな。あっちでは二十四時間嵐だそうじゃねえか」


「そっか、そうよね……」

 私はふたりが話すのを少し離れたところで観察する。まるで父と娘のようだ。


 マイドたちには生物学的な血縁関係というものはないけれど、情や絆というものはきっとある。

 それはプログラムなんかじゃなく、人間と変わらないものだ。


「おっといけねえ。アイリスさん。そろそろ現場に行ってもらっていいですか?」

 親方が思い出したように私に言う。

「そうですね。そろそろ行かないと……」

 私はテーブルの上に置かれた本に目をやる。


「あっ、アイリスさん!」

 慌てたようにルーシーが声をあげる。


「この本、まだ最後だけ読んでないの」

 子供向けで薄い本。親方が来た時には彼女はすでにテーブルに置いていたようだったけど。

「本を借りてたのか? ルーシー、アイリスさんはな……」

 親方の音声はかすんで消える。


「親方、私が自分で言うわ」

 私はルーシーのそばに寄り、目線の高さを彼女に合わせる。


「ルーシー、私がここに来れるのは、今日が最後なの」

 胸が痛む。


「……やっぱり。そうよね、最初に親方には説明を受けていたし」

 ルーシーは私の目を見たまましばらく黙り込み、それからテーブルの本を差し出し言った。


「ホントは全部読んでたの。面白かったわ。私も不思議な冒険をしてみたい。たとえそれが、夢の中の話でも」

 私は本を受け取る。

「できるわ、絶対」

 ルーシーの頭を引き寄せ、額にキスをする。


「さようなら、アイリスさん」

 点滅する瞳のLED。


「またね、ルーシー」

 私は手を差し出す。


「……またね」

 握手。


 * * * * *


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