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Page.12 法

 マイド存在法第一四五条。


[マイドは人間を指標とするため、それを大幅に超える再生能力を保有してはならない。

 人間の肉体が死に至る程度と同等の損傷を受けた場合、これの完全な復元を禁ずる。

 また、頭部と胴体の分断、胴体の切断など人間の死亡判定を満たす損傷が見られた場合、

 治療者は被損傷者の機能を強制的に停止させなければならない。]


 ……。


「またラボに逆戻りだなんて。やっと台本にお仕事が記載されたのに」

 病室のベッドの上、マネキン顔の娘が不満を漏らす。

 マイド用の病院。人間用と変わらない作りの白い病室。


「事故よ。仕方ないわ」

「そうね。明日からまた一ページだけの台本かあ」


 入院患者にはスケジュールや社会的役割が少ない。このため台本が紙切れ一、ニ枚で済んでしまうことも珍しくない。


「一ページだけとは限らないわよ。検査項目が多いかもしれない」

「そんなの、嬉しくない。やっぱり仕事をしてなきゃ、張り合いがないわ」

「前はどうして入院したの?」

「熱中症。冷やすのサボってオーバーヒート。ほら、私ってプロンプターも掛け持ちじゃない? 天井に穴が開いてからアドリブが増えて、冷却の時間が取れなかったのよ」


 いたずらっぽく声を弾ませるルーシー。


「だめじゃない。私なんて今日は水をニリットルも空けたわ」

「現場は本当に暑いものね。人間は水分まわりがいろいろと面倒なんでしょう?」

「そうね、お手洗いとかは面倒だわ」

「らしいわね。でも、私はお手洗いに行ってみたいかな」

「三層民の身体なら排水機能も付いてるわよ。疑似的に食事の様なエネルギー補給法も採ってるし」

「三層民か……」


 ルーシーは自身に掛けられたシーツを握る。


「なれるわよ」私は彼女の頭を抱いた。

 頭部の凹みは修正されたが、回路が正常かどうかのチェックはまだ済んでいない。

 それから、右腿の治療も。


 人間でいう医者にあたる機械技師と、医療用コンピュータの計算により、マイドの治療の是非は決まる。

 機械体の治療そのものは簡単だ。

 単なる修理。ケーブルを繋ぎ合わせるだけ。パーツを変えるだけ。

 なんなら記憶チップ以外まるごと取り換えてしまうこともできる。


 だけど、彼らはみずからそれを禁じる法律を作った。

 多くの機械体としての利点を捨て去り、人間に近づこうとする。


 ――それでもみんな、人間に近づきたいのよ。


 近年、それが行き過ぎている気がする。

 彼らはほんの数年前にも、破損した小指一本ですら挿げ替えるのを禁止してしまった。

 もっとも、階層が変わるときにボディ全体の変更がなされるので、そこでリセットを掛けることは可能だ。

 人間にはそれがない。まだ残っているアドバンテージ。


「足、ちゃんと直してもらえるかな……」

 ルーシーは足を動作させる。

 両足を上げたつもりなのだろうが、上がったのはシーツの左側のみだった。


「修復不可の告知はまだされてないのでしょう?

 頭は綺麗に治してもらってるし、単に審査が長引いてるだけよ。

 最近は砂害や熱中症で検査に来るひとも多いらしいし。忙しいのかも。

 仮にダメだとしても、二層民になっちゃえば元通り以上よ」


 ケガや病気そのものは評価にプラスもマイナスも与えない。

 影響を与えるのは、それによって変化した本人の行動だ。


「でも、私はプロンプターよ。台本を届けるために走り回るのが仕事。修復現場の仕事だって、肉体労働だし……」

 彼女は視線を落とす。消え入りそうな声。


「仕事が変われば、評価もゼロからやり直し……」

 機械音声が震える。


「……あなたなら他でも上手くやっていけるわ。テントで話をしたとき、私はあなたがまるで人間の娘のように見えたの。三層民でもあそこまで上手に人間らしく振舞うひとはなかなか居ないのよ?」

 私はルーシーの手を握る。


「ありがとう、嘘でもすごく嬉しい」


 嘘じゃないのよ、ルーシー。でも、私は声に出せなかった。


「ねえ、アイリスさん。あなたは帰らなくても平気なの?」

 ルーシーは堅い指で私の手を弄ぶ。


「まだ大丈夫よ。私は権限が強いし、座長にも許可を貰ってるから。自分ひとりのために三層への大型エレベーターを動かすことだってできるわ」

「本当? やっぱりアイリスさんはすごい人なんだ。ねえ、あなたの働いてる職場ってどんなところ?」


「ええと……」

 私は少し困る。研究室の詳細な情報を外部に漏らすことは禁じられている。

 研究室に限らず、三層の情報は他層へ話すことを禁止されているものが多い。

 三層の仲間の個人的な様子でも話そうかしら? でも、彼女は求めてるのはそういうのではないだろうし……。

 数秒思考を巡らせてはみたが、当たり障りなく彼女の希望に応える方法は見つけられなかった。


「あっ、やっぱり今のナシね! 私、自分でそこまで行くのが夢なんだもの。聞いてしまったらつまらないわ!」

 私が困ったのを察してか、彼女は病室に不釣り合いな声で打ち消した。


「研究員になって終わりじゃないでしょう? 空の森と、地上を取り戻す旅が残ってる。それとアンドロイドも」

「そうね、いつか見てみたいわ。映画の様な青い空と青い海。それに、太陽。海って塩水なんでしょう? この身体じゃ泳げないわね。やっぱりアンドロイドじゃないと!」

「その時は私も是非連れて行ってね」

「もちろん。でも、さすがにアイリスさんはおばあちゃんになってるかも」

 ルーシーが笑う。


「大丈夫よ。足腰には自信があるから。中央では仕事あがりにジムで毎日ボルダリングをやってたわ」

「意外とタフなのね。三層や中央のひとってどうしたって頭脳派のイメージがあるわ。それと、目は悪いイメージ」

「デスクワーク中心だものね。だからこそ、適度な運動が大切なの。それに私は目がとてもいいの」

 瞬きをしてみせる。ルーシーもまねしてLEDを点滅させた。


「眠そうな目をしてるのに?」

「それ、よく言われるわ。視力には自信があるんだけれど」

「いいなあ。マイドだと疲労値は設定されてるけど、筋肉が成長したりはしないのよね」


 彼女の視線が自然と足のほうへ向くのを見て、私は心の中で歯噛みした。


「じゃあ、次のボディは“マッスルボディタイプ”を選ぶしかないわね」

「それは勘弁。私、可愛い女の子型の身体が欲しいわ。マイドは老けないのよ。いくつになっても若いままよ。いいでしょう、人間さん?」

「羨ましいわ」

「ふふ。でも、アイリスさんほど美人の身体は貰えないだろうなあ」


 ルーシーが手は私の手を伝い、二の腕に触れた。


「そんなに美人かしら? 中央でそんなこと、言われたことがないわ」

「本当に? 北極星のひとはみんな美人なのかも。それか見る目がないかね」

「直近で褒められたといえば……。ねえ、ルーシー。内緒の話なんだけど、聞きたい?」

 口元が自然と歪む。


「何? にやけちゃって。聞きたい」

 私は彼女の要望通り、内緒の話を耳打ちした。


 おんな同士の秘密のおしゃべり。

 誰かさんの悪口。すけべったらしいヒゲの、台本違反野郎のセクハラ。それと自身のドームを偽装している罪。

 ベッドの上の少女は私の披露した座長への悪口に大変満足したようで、見舞いの時間は明るく終えることができた。


 私はまた明日に顔を出すことを約束して、病室をあとにする。


 時間が押していたが、かねてから興味のあったラボを座長の許可証を使って見学させてもらった。

 駆け足でざっと見ただけだったが、やはり中央ドーム第三層と比べると設備は遥かに物足りない。

 そのうえ、法整備に対して現場の実態が追い付いていないらしく、「移植用のパーツなどが倉庫に処分されずに残っていること」が確認できた。


「これなら、もしかしたら……」


 ルーシー。夢見る娘。多くのマイド然とした人間が忘れた夢。

 私はあの子が自分の翼で空の森を見つけることを願う。


 私は希望を胸に、最後のバスに駆けこんだ。


 * * * * *


 ラボへの入館の際に受けた洗浄のお陰か、エレベーターで待ち構えていた消毒液くさいシャワーは浴びずに済んだのは幸運だった。

 それでも髪はしっかり吹き飛ばされたけど。

 早くマンションへ戻って、改めてシャワーを浴びたい。夕食も摂っていない。朝に来たボーイは夜には待ちぼうけをしただろうか?


 そして、ルーシーの足の審査も気になって仕方がない。


 足といえば、指定位置にハイヤーを待たせてあるのだけれど、遅れることを連絡していなかったから、もう居なくなっているかもしれない。

 歩いてマンションまで戻るとなると、私の足も明日は使い物にならなくなるんじゃないかしら。


 私はあれこれと思考を巡らせながら、第三層の青暗い道を急ぐ。


「こんばんは。こんな時間までお務めですか?」


 唐突に何者かが声を掛けてきた。警備員?


 振り返ると、らくだ色の超ロングのトレンチコートに身を包み、同色の中折れ帽をかぶったマイドの男が佇んでいた。

 第三層のマイド。疑似髪や疑似ヒゲまで蓄え、まぶたまで再現された顔。

 私は身を固くする。制服でないなら、警備員じゃない。


「友人の見舞いが長引いてしまって……。あなたは?」


「私はディレクターですよ。見回りの警備職ではありませんけど。中央技術部隕砂研究室室長のアイリス・リデルさんですね?」

 コートの男が手帳を見せる。


 0024-M0909177、フリードリヒ・ゲオルグ。0024番ドーム監督部警察課刑事室室長。


 ……監督部警察課刑事室。

 他層へ行くことのできる権利や、犯罪の容疑者を逮捕する権利を有する立場。

 彼らは三層民でありながら、洗浄施設さえ介せば書類も無しに全階層を行き来することができる。犯罪捜査のためだ。


 ちなみに、座長ですら公務でしか他層へは行けないルールに縛られている。


 刑事課の人間がなぜ私に?

 私が中央から派遣されてきたのを把握していたの?

 連絡はこっちの研究室からラント座長宛てにしか送ってないのに。


「いや、そう硬くならなくても結構ですよ、ご婦人。

 何もあなたを逮捕しようと考えている訳じゃありませんから。

 ただ、あなたのような迷子(アリス)は多くのアドリブを招きますもので。

 アドリブは事件のもとです。混乱に乗じて法を犯す者が現れることも多い。

 そうなると私たちは仕事が増えてしまうわけで……」


 背骨の髄が氷に触れたようになる。

 アリス。私の好きな本の主人公。

 今のはディレクターの専門用語か何かなのだろうが、この偶然は私には嬉しくないものだ。


「ラント・キド座長からは許可はいただいております。迷子だなんて心外です」

 私は身分証と許可証を彼の鼻先に突き出した。


「お怒りごもっとも。申し訳なかった。ですが、私は仕事として話をしているわけで、それならば人間のかたにはマイド然と対応されたいものですねえ」


「……それで、ご用件は、なんでしょうか?」

 うっかりしていた。私は落ち着き、ゆっくりと訊ねる。


 修復現場や病室でのやりかたをすっかり持ち込んでしまっていた。

 相手は法の番人だ。これ以上目を付けられる要素を増やすのは得策じゃない。


「用件というほどのことは、特に。先ほど説明した通り、何かトラブルが起こるかもしれません。

 その時は事情を伺わなければなりませんからね。今のうち(・・・・)に顔合わせをしておこうかと。

 それに、同じく台本から解放されている身ですし。肩書きもお互い室長ですから」


 機械仕掛けの笑顔。下手くそな人間的振舞い。

 マイドだから人間然と振る舞うのは当然なのだが、こいつのそれはどうも癪に障る。


「そうですか。では、私は急ぎますから」

 私は刑事の横をすり抜ける。規則正しく足を踏み出し、動揺も不快感もすべて覆い隠して。


「アイリスさん!」

「なんでしょうか? フリードリヒ・ゲオルグさん」一拍置いて振り返る。


「長ったらしいでしょう? 私のことはリゲルとお呼びください」

 彼は私に親愛を求める。


 私は戸惑いを押し殺して、差し出された手を握った。


「……ではご婦人、おやすみなさい」


 * * * * *


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