Page.11 悲劇
……現実世界を劇に例えるのは古来からよくある表現技法だ。
悲喜交々、悲劇もあれば喜劇もある。
この世界には台本が用意されている。
だが、劇や映画のように感情的なシーンが記述されることはない。
予想外の展開というのは感動を生み出す。では、現実世界ではどうだろうか?
五〇二列一一二番パネルのリミット。該当するパネルが砂に変わり、地上に雨となって降り注ぐ。
パネルは互いに互いを支えあう構造だ。補修のため取り外され、支えが心もとなくなったところへの追撃。
ありえない偶然が閉じられるべき穴を引き裂く。
五〇二列一一二番の支えは失われ、五〇一列と五〇〇列のパネルが何枚も地上へと降り注いだ。
超高層からの重量物の落下。まとっていたカバーが剥がれ、どこかへ流されていく。
角を突き立てて空を切り、地面に向かって突き進むパネル。
ゴンドラで下る部外者と責任者を追い越して……台本を置き去りにして……夢を打ち砕いて。
大轟音とともに、あたり数百メートルが砂煙に沈んだ。
「本当に。本当に落ちやがった! おい、早くしやがれ!」
ゴンドラを叩く現場責任者。……いいえ、“親方”。
「怪我人はアリマセンカ!?」「被害状況をホウコク!」
とっさの事故で感情データが処理しきれないのだろう、乾いた霧から飛び出すのは割れた機械音。
ロボットがえりしたマイドたちの声。
ゴンドラが地上に到着する。親方はなかば飛び降りるように飛び出し、タラップを駆けおり、砂煙へと突進した。
「ジョージ! まだ落ちるかもしれない!」
私は叫んだ。
「うるせえ!」
彼の“聴覚センサー”は私の声を捉えた。
だが、“彼”には届かない。砂煙の中に消える背中。
すれ違いに何人もの作業員たちが飛び出してきた。
彼らはカタログスペックのすべてを使って、人間味の無い動きで逃げてくる。
口々にヒステリックな機械音を発し、繰り返し警告するロボット。
記憶領域からでたらめな単語を吐き出すだけの者。処理能力を超え、フリーズを起こす者。
狂気状態だ。
唐突に大きなトラブルに巻き込まれたときに発生する、マイド特有のパニック症状。
彼らが機械としての利点をそぎ落とし、人間に近づこうとした結果に得たもの。
それは「暖かいこころ」のプログラムだけではない。
人間らしい精神を再現したプログラムと、不確定を非常に嫌うプログラム。
このふたつの組み合わせが引き起こす障害。
せん妄、解離、躁鬱などの症状が発露する。ルナティックはマイド全体の八割が起こしうると言われている。
「みんな、慌ててはダメ! 落ち着いて“計算”よ。“把握”するのよ。崩落現場に近づかないで。砂煙が治まるのを待って“情報収集”に努めるの!」
私は叫ぶ。出来る限りひとりひとりの肩を捕まえ、大声で。
障害の度合いはトラブルを受けた時の状況にもよるが、個人差が大きい。
耳のセンサーが生きている個体には私の忠告が届いたらしく、私の声に驚いたり、人間らしく胸を押さえて落ち着こうと努める者が現れた。
「……ああ、アイリスさん! いったい何が起こったの? 私、タオルをあの中に落としてきてしまって」
女マイドのひとりが不安げに訊ねる。
「天井のパネルがリミットを起こしたの。それも運の悪いことに他のパネルの支えになっていた場所だった」
「だったらまだ、追加の崩落もありうるのね? いけないわ、親方が中に走って行ってしまった。彼も狂ってしまったの?」
「大丈夫よ。彼は人間以上に人間らしいマイドよ。狂ってなんかいない。でも、パネルが降ってくる危険性はある。あなたは手近な人に呼びかけて正気に戻してやって。学生時代を思い出して。保健の授業で習ったでしょう?」
彼女の両肩を優しく叩いてやる。震えながらもうなずくマイドの女性。
私は正気に戻った他のマイドたちにも同じように指示をする。
また大きな音が響く。短い悲鳴。
「あくまで抵抗する気ね」
憎しみを込めて天井の穴を睨む。砂煙の向こう、二〇〇メートル先。
どんなに目を凝らしても、肉眼では見えやしない。
まだパネルが降るのなら、飛び込むのは危険だ。危険ならば……飛び込まなければならない!
「動けなくなったひとを急いで引っ張りだして!」
私は走りながら声を張り上げる。
金属ごしらえの身体を持つマイドは重たい。
最新式に近くなるほど、層があがるほどに人間のそれに近くなるが、素材とバランサーの都合上、一般的な一層用ボディは女性型でも一〇〇キログラムを超えることがある。
「メリィが動かない! 誰か手伝って!」
男マイドが情けない声をあげた。
彼はフリーズして倒れた女マイドを引っ張っている。
人間らしく作られた事のデメリット。彼がただの機械ならば、一〇〇キロでも二〇〇キロでもひとりで動かせるだろう。
とはいえ、崩落部の位置からして彼らの頭上にパネルが降る心配はない。
「もっと中心が危険なの。ここまで崩れることはないわ」
危機的状況でかえって冷静になる私は、人間らしくないだろうか? こころが冷たいのだろうか?
「どうしてそう言い切れるんだ!? メリィは僕の大切な人なのに!」
「自分でなんとかしなさい!」
「くそっ! 中央の、三層民の、人間は! なんて冷たいんだ!」
彼は唸りながら恋人を引っ張る。機械の足は砂で滑るばかりだ。
「三層も人間もへったくれもないわ! 私は奥のひとを助けに行く! これは演技でも台本でもないのよ!」
私は彼を叱咤する。砂煙の濃いほうから「怪我人がいる!」の叫び。
マイドの男性は恋人と声のするほうを見比べ、一瞬動きを止めたが、再び恋人を引っ張り始めた。
私は奥へと駆ける。後方で重たい何かが引きずられる音がした。
人間の筋力は普段二〇%程度の力しか使われない。
一〇〇%本来の力を発揮すれば身体に大きな負担が掛かり、自壊してしまうからだ。
だから脳にリミッターが存在する。
カタログ上は人間の普段と大差ない力しか発揮できないとされているマイドたち。
おおやけにはされていないが、彼らにもリミッタープログラムが仕込まれている。
ちらと振り返れば、メリィはより安全なほうへと移動させられている最中だった。
その恋人はたった一瞬だが、マイドであり人間であり、それと同時に両者を超えていた。
奥へと進むと、もやの中からルナティックな叫びをあげるマイドが、正気を保った二名に引きずられながら現れたのとすれ違った。
「雨ときどき天井! 雨ときどき天井!」
「……手伝う?」
私は引っ張るふたりに訊ねた。
「いえ、奥にまだ誰か倒れていた。そっちのほうを頼みます」
さらに奥へ。パネルの残骸、地面に散らばった砂が姿を現した。崩落現場の中心。
そして、糸の切れた操り人形のように身を投げ出したひと影。
私はそのマイドによく見覚えがあった。
「ルーシー!」
返事はない。
彼女のマネキンの様な顔に付いたLEDは、不規則な点滅を繰り返していた。
物理ショックによる一時機能停止や通常の睡眠では、LEDは消灯する仕組みのはずだ。
人間でいうところのまぶたを閉じていることに相当する。
「まずいわ」
私は彼女の胸に耳を当てる。体温システムや駆動音は途切れていない。だが、酷いノイズだ。
「ルーシー、しっかりして。空の森を見つけに行くんでしょう?」
彼女の身体の損傷をチェックする。動かしてもいいものか?
頭部に凹み。……それと右腿に大きな断裂。まっぷたつに折れた大腿骨フレーム。切れてはみ出した電力ケーブル。
声をあげず、静かにあたりを見回す。間近にひとは居ない。このケガでは引きずるわけにもいかない。
ルーシー。
彼女とは今朝に初めて出逢った。友人と呼ぶには短い関係。
ましてや恋人でもない。それでも、彼女は私に夢を語って聞かせてくれた娘。
彼女が最後はどこへ行きつくのか、見てみたい。
『私は……』
「アイリスさん! ……そいつはルーシーか? 煙ってて何がなんだかわからねえ。何人かは外へ引きずり出したが、誰がどこにいるかさっぱり分からねえんだ!」
突然、視界に大きな機械の身体が現れた。第一層でも特別大きな設計。
旧式の屋外作業向きの無骨なデザイン。だが、それゆえに人並外れた腕力と、それを扱うのにふさわしい体重を備えた男。
「親方!」
「俺ならひとりでこいつを担げる。だが右足がひでえな……。アイリスさんはルーシーの右足を支えてやってくれ」
ジョージ・ウェルズ親方は軽々とルーシーを持ち上げた。
私は慌てて両手で彼女の足を支える。それはどうにかすると自重でちぎれてしまいそうになっていた。
ふたりでルーシーを連れ出すと、広場には救急車が何台か到着していた。
混乱も徐々に収まり、正気に戻った作業員たちは互いに互いを励ましながら、崩落部を見つめている。
「おい! こいつを優先してやってくれ! 頭を打ってる。それに足に大怪我だ!」
親方は救急隊員に声を掛けた。
マイドと人間の混成部隊が四人がかりで担架を持ってくる。救急車へ運び込まれて行くルーシー。
「アイリスさん、あなたの言う通りだった。やっぱり午前中、無理させてでも、もっとよく視てもらえばよかったんだ。俺の判断ミスが招いた事故だ」
うなだれる親方。
「ジョージ、それは違うわ。リミットの発生を一〇〇%で予測することはできないわ。
計算者がたとえHi-Storyであっても。
それに、パネルの追加の交換を決定したのは主任であるあなたよ。
今日取り外した部分は既にカバーが破損していた部分。
元の予定分しかパネルを外さなければ、その分崩落が酷くなっていたのよ。あなたは最善を尽くしたわ」
私は彼の背をさすった。まだ熱を持っている。それでも私はやめない。彼の背に神経は無いとしても。
「だがよう、怪我人が出ちまった」
サイレンの音。
「そうね……」
けっきょく、ルーシーを乗せた救急車以外は誰も乗せずに動き出した。
不幸中のさいわいだろうか、他に緊急搬送が必要なほどの怪我人は出なかったようだ。
「見ただろう? あの子の、あの足を……」
現場で一番の責任と力を持った男は、声と共にその身体を小さくした。
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