Page.10 アドリブとプロンプター
昼休みの終了と同時に、一層全体を対象とした放送が流れた。
「第一層全トゥループに連絡です。各台本係のかたは大至急、エレベーターホールに集合してください。繰り返します。各プロンプターのかたは大至急、エレベーターホールに集合してください」
プロンプター。それはドームにおいて最も台本と密接に関わり、反して台本通りにいかない仕事。
ひとびとの行動と仕事を書き記した台本は、読み手が眠っているあいだにHi-Storyによって書かれて各ドームへデータ送信。
日の出ないうちに印刷され、ひとびとが目覚めた直後に手にできるよう配られる。
無数の台本を配るのはプロンプターたちの仕事だ。
それもまた台本に書かれている。その光景は、旧文明の新聞配達のようだ。
次に、プロンプターはおのおのに定められた職場に向かう。
そこでは、それまでの台本の実行精度を聞いて回る。
大小関わらず、演じ損じの申告があった場合、Hi-Storyにデータが送信される。
そして、Hi-Storyが無数の台本と演じ損じの再計算をおこない、大きな修正が発生した場合、差分のページが発行される。
差分のページを対象者に配るのもプロンプターの役割だ。
台本の不遂行から生まれる作業であるため、これは当然、台本には記載されていない仕事となる。
ちなみに、差分ページの発行が不要な程度だったり、発行が間に合わない場合は、その小さなひずみをおのおのでアドリブによって埋めて、つじつま合わせをおこなう。
「それじゃ親方、行ってきます!」
元気よく砂の広場を駆けていくルーシーを見つける。
彼女の仕事はプロンプターだ。プロンプターと修復作業場の見習い。一人二役も珍しくはない。
「台本の修正があるようですね」
私は視界の悪い道の向こうへ消えていく娘の背中を見送りながら、ジョージ・ウェルズ主任にクリップボードを渡す。
挟まれた書類には小道具の管理法に関する指摘とアドバイス。私が書いたものだ。
「呼び出しまであるってことは、広範囲の修正でしょうな」
小範囲の修正であれば、エレベーターホール付近の役場に詰めているプロンプターが配りに来て終わりだ。
本来ならプロンプターが持つ端末にデータを送れば早いのだが、電波は短距離通信にしか役に立たない。
かつて世界中を飛び回った電波だが、現在の荒れきった天候では乱されてドーム外を飛ぶことはできないし、地下ももちろん圏外だ。
遠距離通信といえば有線がメインで、サブウェイと共に各ドーム間を繋いでいる。
そんな状況だから、ひとびとはさらに昔の手段、手紙や早駆けの口伝を復活させた。
私も可愛い便せんを集めるのが趣味だったりするが、ここではその話は置いておこう。
「何かトラブルでしょうか?」
私は主任に訊ねる。大規模な修正があったということは、事故か何かだろうか?
「えっ? ……さあ、どうでしょうね」
主任は驚きの声をひとつあげ、私の顔を見た。すぐに目を逸らして天井の穴を見上げる。
「あっ……」
すぐにその理由に気付き、私も思わず声を上げる。
そうか、今回の大規模な修正は私のせいだ。
私の来訪はイレギュラーで、ラント座長さえも直前になって知らされていた。
一日経った今日では台本に私の存在こそは記載されていたが、現場で口出しをした分はまるっきりアドリブになる。
パネルの生産枚数も、私のために昼食でなくておやつをとってくることも、アドリブが必要な場面を引き起こす。
やはり、作業アームに吊るされてでもパネルの点検をするべきだっただろうか。
同じ迷惑をかけるにしても、末端作業で正確な情報をつかむことができれば、パネルの生産が増えようとも、最終的な歪みの合計は小さくて済むのだから。
私の仕事勘からきた心配が、ドーム全体の台本を狂わせたのだ。
「気を落とさないでください。お互い様ですよ。アイリスさんだって、ほぼすべてアドリブでやらなきゃいけないんでしょう? われわれが隕石の衝突に早く気付いていれば、あなたがそんな苦労をする必要もなかったのですから」
主任が私の肩を叩いた。がっしりとした指が優しい振動を伝える。
「そうですね。でも必要な仕事とはいえ、みなさんの台本やスローガンの実行に悪影響を及ぼすのにいい気はしません」
「なあに。アドリブに飢えているひとは多いですから。二層のほうからだって『ルーチンな仕事でばかりでつまらない』とよく聞こえてきます。私だって、アドリブの多い一層やパジェンターの仕事に誇りを持っていますよ」
力こぶを作る仕草。マイドの身体には筋肉は無いけれど。
「親方の言う通りですよ、アイリスさん。こう言っちゃ不謹慎なんだけど、俺たちは天井が崩れてから生き生きしてるくらいだ。それに、アドリブを上手にこなせたほうが出世も早いし」
通りがかった作業員のひとりが足を止めて言った。
「私も楽しいわ。今度、親方と上に登る機会があったら、身を乗り出してみようかしら」
使用済みの冷却用タオルの束を抱えたマイドの女も言う。
私は頬が熱くなるのを感じながら、思いのほか口の軽い主任を見上げて睨んだ。
「ち、違いますよ! 言いふらしたりなんかしてませんよ! 塔には地上とやりとりするためにカメラとマイクが取り付けられてるんです。当然でしょう? 全部筒抜けだったんですから!」
主任の弁解に、私は鼻や耳まで熱くして小さく謝った。
やり取りを見ていた作業員たちから笑い声があがる。
「三層の人間のかたはマイド然どころか機械みたいなんだと思ってましたよ。それか座長みたいな嫌な奴かなって!」
「北極星出身だから、もっと気取ってるイメージだと思ったわ。意外と私たちと変わらないのね。なんだか嬉しいわ」
マイドだらけの現場。
なんだか研究室の休憩時間を思い出す。人間だけならばこうはいかないだろう。
私が上手にマイド然に振る舞えないのは、彼らに引っ張られてるからなのだ。……多分。
それでも、明日は夜に現場を訪れる予定なのが残念に思えた。
午後の日差しが強い時間帯。作業員たちは取り外したパネルの仕分けをおこなう。
パネル本体は隕砂化したケイ素やアルミ……要するにその辺の石ころを素材に作られており、四辺を隕砂化させていない樹脂素材でカバーされている。
パネル同士が触れ合うと連続した面として認識されてしまい、途端に保温性が上昇したり、巻き込みリミットの要因になる。これを防ぐためのカバーだ。
とはいえ、仮に通常素材を挟んだところで、小さな粒子がパネル同士をつないでしまうこともしばしばだ。
私は主任と何人かの作業員と共にテントに籠り、コメットサンドに関連した最新の知識や研究について話し合った。
それと、与太話として私の技術者としての勘や経験の話も。
本来ならば不確定要素を嫌うとされているマイドの頭脳には他人の曖昧な経験は毒にしかならない。
でも、私は彼らにどうしても伝えたくなった。
主任は、私の曖昧な体験談に首こそ捻ったが、それでも耳は真剣に傾けてくれ、いくつかのケースについては他の部下にも伝達すると約束してくれた。
こちらも専門の研究職として、現場の意見もありがたく拝聴し、互いに知識を高め合う。
研究者同士のディスカッションとは一味違った愉しみ。
事実から思考を進める現場と、仮説から理論、理論から事実を裏付ける研究所。
真逆の性質を持つ私たちの交わりは、とても実りの多いものだった。
紙の報告書でも似たようなことはできるが、やはりそれはただのデータに過ぎない。
効率やデータ上だけの問題ではない。
現場の人間だって、研究者だって、リアルに近い形で体験したがっているのだ。
仕事もまた配役であり、同時に個人でもある。私たちはそれらにプライドをもつ。
この話を研究仲間にすれば、彼らの引きこもりがちな性格も矯正されるに違いない。
外の天候が変わり、砂のヴェールがさらに太陽を遮り、時間と共に気温は落ち着きを取り戻し始めた。
私は昼間の作業が終了してしまう前に、もう一度だけ塔に登りたいとわがままを言った。
彼らのためなら、少しの無茶をしてもいいだろうと踏んだのだ。
台本や私のスケジュール次第にはなるが、彼らと会う機会ももうないだろう。
私はあくまでも実態調査でここに来たのであって、天井の補修そのものは仕事ではない。
昼間と夜間の作業を見たら、次は二層に行かなければならない。
修理は専門である彼らに任せるとして、私は彼らの仕事に少しでも役立てるように、なるべく多くの情報を残して立ち去ろうと思う。
「見るって言ったって、手の届く範囲のパネルはもう取り外しちまってますよ。望遠鏡を使ったって、砂でかすんでよく分からんと思いますが。いいですか? ニ、三分だけにしてくださいよ?」
塔の頂上で、私は望遠鏡を覗き込む。
外されたパネルの断面。やはり空気を介せば介するほど、砂でぼやけて視認しづらくなる。
さらには料理のできそうな塔の鉄板部分。防砂服の中がボイルされるようだ。
私は地獄の中で目を凝らす。勘と、知識と、精一杯の視力を使って。
『私は役に立ちたい。このひとたちの役に』
「今、何かおっしゃいましたか?」
「……! あそこ」
私は指をさした。
「どこです? かすんで何も見えませんよ」
「設計図で言うと、五〇二列の一一二番パネルです。そこだけ、リミットの兆候があります。そこだけといっても、カバーや他のパネルで隠れてるところは見えませんけど。万が一修復前に一一二番が崩れると、五〇一列と五〇〇列もたくさん巻き込んで落ちることになります」
「ええ? 本当に見えてます?」
主任は私から望遠鏡を受け取ると視覚センサーに当てて唸った。
「……分からん! 人間ってそんなに視力のいいもんなんですか?」
「個人差はありますから。一層用のマイドはそのドームの人間の平均的よりも+0.5ポイント高い程度で視力の設定がされてるでしょう? 人間の遺伝子差はもっと幅広いものですよ。私は仲間内で一番目がいいんです。健康診断のたびに自慢してますから」
胸を張る私。とはいえ、ちゃんと視えたのかと聞かれれば、百点満点の保証は無い。
サンプル数が少なすぎる。一回中一回を一〇〇%と呼ぶのは乱暴どころの話じゃない。
だけど、私には“自信”があった。
「ふうん。まあ、人間だろうとマイドだろうと、他人の見えかたなんてわかりゃしませんけどね。数値で言われてもサッパリ」
主任が頭を掻く。金属の擦れる音。
「とにかく、五〇二列の一一二番です。カバーを掛ける前にそこだけは取り換えておいてください」
「分かりました。あなたの勘を信じましょう。さ、もう充分でしょう。私たちがいくら仕事熱心とはいえ、台本通りに午後五時を迎えるのが最重要なのは変わりませんよ」
「午後五時までにはまだ時間がありますけどね」
「あなたを病院に送るほどの余裕はないって話ですよ。戻ったら身体をよく冷やしてくださいね」
「ふふ。本当、冷たいシャワーが恋しいわ」
ゴンドラに乗り、私は自ら下降のボタンを押す。
「……今日はありがとうございました。ためになったし、何より楽しかった」
差し出される手。
「私もです。台本がないのも、悪くないかもしれません」
私は手を握り返し、いたずらっぽく笑って見せた。
「とんだトリックスターだ。夜間担当の副主任は私よりはるかに非力ですから、地面とキスをしないように気を付けてくださいよ」
ジョージ・ウェルズ主任が楽しげに言った。
その時、何かが流れ落ちる音と、重く乾いた音がドーム中に響き渡った。
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