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Page.01 オリオン座

 オリオン座。

 三〇〇〇年前、古代の天文学者プトレマイオスがまとめた星と星を結ぶ星座たち。そのうちのひとつ。

 かつて、この星のひとびとは挙って空を見上げていたという。

 それは光を求めてだろうか、あるいは恐れてだろうか。


 電気技術が発達して星は地上へ落ち、見上げる必要はなくなった。

 今では見上げたくとも、空が覗くことすら珍しい。恨めしい砂の膜が大気を覆っているからだ。


 ペテルギウス。

 オリオン座を構成する星のひとつ。プトレマイオスが星を結んだ頃にはまだ見えていた(・・・・・)恒星。

 その星が超新星爆発を起こし消滅したのもずいぶんと昔のことだ。

 ペテルギウスとの距離は六四二光年。

 光が届くのにそれだけ時間がかかるということは、ひとびとが見ていたのは六四二年前の姿。


 彼が見たときは、確かにまだそこにあった。


 私がこれから訪ねる0024番ドーム。

 ドーム直径9.1km、第一層面積65.12k㎡、第二層84.65k㎡、第三層45.58k㎡、第四層31.9k㎡。

 総人口一〇〇万人を超える大型ドームだ。


 通称“オリオン座”。


 ひとびとの棲み処であるドームとドームを繋ぐ線。

 サブウェイコンステレーションと呼ばれる巨大地下鉄道網。

 その路線を図に起こせば複雑で大きな星座群のようになる。

 だからだろうか? ドームたちはニックネームに星座を頂いている。


 今や、誰も空を指さし星をなぞることはしなくなってしまった。

 星座は知識としてのみ残るだけだ。

 見つけることができなくなってからそれを探してしまうのは、“ひと”としての性分なのだろうか。


 これから向かうオリオン座が、ペテルギウスのようでなければいいのだけれど。



 私は不快な振動を伝える座席に居心地を悪くしながら、一冊の本を開いた。


 ――うたたねをする少女。

 その目の前を時計を持ったウサギが走り抜け、彼女はその慌てた彼を追って不思議な世界へと迷い込んでいく。

 子供向けの物語。一五〇〇年ほど前に書かれた古典的文学だ。


 数学的なリズミカルな言葉遊びと、どこか狂気を孕んだ物語。

 筋の通った台本ではなく、ひとびとの見る夢のような物語。

 私は物心ついた時から、このお話が大好きだった。

 「もういちど、もういちど」と何度も母におねだりをしたものだ。

 すっかり暗唱できるほどに記憶しつくしてしまっているが、今でも退屈しのぎにこの本を開くのがクセになっている。


 私は凹凸のある表紙を撫でながら、ストーリーを追うわけでもなく、ただページをめくり目に入った一節を頭にイメージした。


 ――少女と帽子屋たちがお茶会をするくだり。

 帽子屋たちはずっとお茶会を繰り返さなければいけないという。

 かれらの“時間さん”は処刑されてしまって、お茶の時間からずっと時が進まないから。

 私ならば、お茶会を終わらせてあげようとするだろう。

 “時間さん”の機嫌が取れれば、あっという間に時は進む。私はお茶会が続くのを望まない。


 私はかねてから冒険というものに憧れていた。

 何が起こるか分からない、すべてが台本に従わない、アドリブづくめの物語。

 あるいはその逆なのかも。単純に台本が嫌いで、演じるのが苦手なだけ。


 ともかく、こうしてサブウェイに乗って見知らぬオリオン座へと向かっている。


 ……でもこれは冒険とは少し違う。

 仕事だ。立場として、配役としての仕事。

 私はこれまでの仕事を、母の言いつけ通りか、台本に従っておこなうだけだった。

 そうすれば、安心してなんだってこなすことができたから。


 誰だってそうしている。母はパーフェクト以外にあり得ないし、台本にもおおむね落丁は無い。

 だが、オリオン座に母は居ない。

 私は、私ひとりで私を演じなければならない。


 退屈な車内。ほかの乗客はもの言わぬ荷物ばかり。

 自動化された鉄道には、運転手すらも存在しない。

 チューブ間の移動はごく限られた権利者か、配役の都合だけでおこなわれる。

 ひとびとに与えられた旅は、本か映画くらいのものだ。


 初めはこの状況に少しワクワクしたが、これでは自室のほうがよっぽどマシだと思う。

 私はため息をひとつ吐くと本を閉じた。

 この一冊しか持ってこなかったのは失敗だった。

 願わくば、“時間さん”が私と仲良くしてくれて、ひとりぼっちのお茶会を終わらせてくれますように。


* * * * *


『まもなく、0024番ドームに到着します。停車時間は一〇分。ご利用のお客様はお忘れ物の無いよう、お願いいたします』


 車内のアナウンスが私を引き戻す。降りなくっちゃ。

 口元の湿りけを袖で拭い、隣の空席に鎮座していた青いトランクを床に滑らせる。

 車両から外へ靴を踏み出す最初の一歩。


 そこから私は私を演じる。


「最初が肝心よ、アイリス。私は研究室の代表」


 姿勢を正し、無表情を装い、一定の歩調で改札へと向かう。


 ドーム間の出入りには六回の検問がある。退館時に三回、入館時に三回。

 大げさなセキュリティ。

 ドーム間の距離は短くとも何百キロメートルもあるというのに。

 そのあいだは砂だらけの空白の世界だ。誰が無断で出入りするだろう?


「身分証の提示を、お願いいたします」


 改札。係員用の詰所、カウンターの向こうから白い制服に身を包んだ白髪交じりの男性が私に言う。

 肌質からして四、五〇といったところだろうか。

 短くはっきりとした発音。私の目ではなく、ただ正面を見る視線。


「はい」私は堅く短く答え、カードを提示する。


 機械的な提示、機械的なチェック。白い手袋をした左手がカードを押さえ、右人差し指が内容を追う。


「アイリス・リデルさん。登録番号……0001-H2800010。書類照合……入館目的『ドーム補修及び関連業務の調査と監修』……」


 係員が番号を読み上げた時、灰色の眉がわずかに上がったのを私は見逃さなかった。

 どうやら彼は演技が完璧(パーフェクト)ではないらしい。


「……確認しました、次の検問へ向かってください」

 カードが返され、ゲートが開く。地下鉄の少し湿ったホームから、清潔色の部屋へと進む。

 歩調を乱さず、私も彼に負けじと機械のように。


 ニ番目の検問。私はこれが苦手だ。

 ひとの手に依らないチェック。赤外線やエックス線によるスキャニング。

 完全なデータ処理だから感情の入る余地などないのだけれど、まるですべてを覗かれているようで、お腹のどこかがむず痒くなる。


 唐突にブザーが鳴り、私は肩を跳ねさせた。

 これは検問に引っかかったというわけではない。

 被検者をわざと驚かせて、反応から健康状態や不審な兆候がないか等を調べているのだ。


 種類かの不快感のあと、タッチパネルを使った簡単なテストをやらされる。

 入館時限定。動揺していても、幼児並みの知能だろうと簡単にこなせる、絵合わせの遊び。


 ただし、テストがあることは事前に知らされない。

 スキャニングが終わっても一向に開かないゲートに不安を覚え、室内をうろついたり見回すことで、初めてテストを映したモニタの存在に気付くことができるようになっている。


 “台本”が存在する以上、ひとびとは時間にはうるさい。

 座ったまま待ちぼうけということは起こらないのだ。

 赤い円の図形と、黄色い三日月型、それにリンゴとバナナの絵。

 私はそれぞれを線で結ぶ。するとようやくゲートが開いた。


 意地の悪いニ番目を終えて、入館者を最後に出迎えるのはまた係員だ。


「オリオン座へようこそいらっしゃいました! 身分証の提示をお願いいたしますっ!」


 明るい出迎え。若く甲高い声。

 入館のお堅い検問係に似つかわしくない少女性。


 彼女は、かすかに機械音をさせながら口元のパーツを釣り上げ、潤滑油いっぱいの滑らかな動きで、間接にはっきりとした溝を持つ手を差し出してきた。


 ――ロボット。通称「マイド」


 直立二足歩行、あるいはそれに近い形態を持ち、人間に近い思考回路を搭載した新しい人類。“ひとびと”の仲間。

 彼女は上質で精密な第三層民用マイドボディだ。

 人工毛髪や表情筋、カメラアイには虹彩まで備えている。それでも、人間とはひと目で区別がつく程度の近似性。


「はい」私は物憂げに返事をする。


「えーっと、登録番号……0001-H2800010?! 0001って、北極星ですか?!」

 マイドの女性は、カメラアイのレンズを目いっぱい見開いて訊ねた。


「はい。0001番、中央ドームから来ました」

 身分証に書いてるでしょう?


「うわあ。いいなあ。素敵だなあ。北極星にはなんでもあるんでしょう? 新しいものも、古いものも。映画のディスクも一〇〇〇年分くらい!」

「総上映時間が一〇〇〇年に足りるかどうかは不明ですが、白黒フィルムから立体映像までのすべてがあります」


「私は映画だと……あっ」

 彼女のレンズが私のまっすぐな視線に気づく。

 交わされる虹彩。

 私のほうは現在無色……のつもり。


「ごめんなさい。入館手続きでしたね。……入館目的『ドーム補修及び関連業務の調査と監修』……。よかった。ドームの修理、全然終わらなくって。オリオン座全部が砂まみれになっちゃうかと思ってたところだったんですよー。この前なんて……」


「台本では、身分証は電子読み取り機で確認することになっているはずですが」

 私は彼女の話をさえぎり質問する。うっかりしていた。ひとつ目の検問では訊ね忘れていた。


「読み取り機、砂が入り込んでて、すぐにエラーを吐いちゃうんですよ。入れてもあかんべーされちゃいます。電子読み取りのほうが完璧なんですけど、私としてはアドリブ対応できるほうが嬉しいかなあ。……といっても、貨物のチェックばかりで、人の出入りは滅多に……」


 そう言われればこのあたりも、どこか砂っぽい鼻に張り付くような空気をしている。


「……ゲート、開けますね。エレベーターが上まで通じてるせいで、ここまで砂が入ってきてしまうんですよ。ゲートも手で開けなくっちゃいけなくて……ふんっ!」

 マイドの女性は機械の身体に不要ないきみ(・・・)と共にゲートのバーを押しのけた。


「0024番ドーム、通称オリオン座へようこそ! ごゆっくりお楽しみください!」


* * * * *


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