第三十話「邂逅」
「むっ」
アニエスが目を覚ますと、隣で寝ていた筈のアリスの姿はすでになかった。
王城にいたころは毎朝寝顔を見るのが日課だったのに、とアニエスは不満げに呟く。
ベッドから出ると、制服に着替える。
机の上のメモに気づいた。
「先に学校へいって勉強しています、か。
そんなに勉強しなくても十分できるでしょうに」
アニエスはメモを読み上げると、制服のまま再びベッドの上につっぷす。
足をばたばたさせながらそのメモを見返した。
学校に入る前の入試対策としてローラに勉強を叩きこまれたアニエスにとって、今回の中間試験も自信があった。
ローラの教えてくれた範囲は入試対策だけでなく、学校で教わる範囲も含まれていたのだ。
アニエスにとって王立学校の授業は予習済みなのである。
授業のアリスの様子を見ている限り、全ての授業をそつなくこなしている。
そつなくどころではないか。
十歳で入学を許されるだけの才能を見せつけている。
アニエスがあの年で、あれだけできれば、真面目に授業を受けることはないだろうと思っていた。
アリスは才能に驕ることなく真剣に授業を受けており、その姿をみて、アニエスも気を引き締めて毎回の授業に取り組めている。
そんな立派なアリスなのだが、先週、中間試験という存在をしってから顔を青くし、いつも以上に真剣に授業を聞いていた。
寝る前になると初級魔術の暗唱をぶつぶつと呟きはじめる。
アリスに「魔術、得意なんだから、そんなに根詰めなくても大丈夫よ」と声を掛けたが、詠唱句といったものを覚えたことがなく、必死に今覚えているとの回答が返ってきた。
さらに、この王国の歴史といったことについても知識が乏しく、覚えることが山積みであると。
邪魔しては悪いと思いアリスをそっとしておくことにした。
そんな姿もアニエスにとっては愛おしいのだが。
「構ってくれないと、お姉ちゃんは寂しいぞー」
不満を口にし、少しすっきりしたアニエスは「よっと」掛け声と共にベッドから起き上がり、身だしなみを整える。
いつもより少し早いが、アリスのいる学校へと向かうことにした。
◇
時間が早いこともあり、寮から学校へ向かう道で人と出会うことはなかった。
教室のある建物へ入ろうとしたときだった。
「きゃ……!?」
体を突き上げるような地響きが襲う。
(じ、地面が揺れてる!)
言い知れない恐怖がアニエスを襲う。
地響きは収まらない。
それどころか震動は大きく、いや、なにかが地面から近づいてるような……。
「!?」
アニエスの目の前で地面が隆起し始める。
轟音と共に。
収まらない地響き。
その隆起は大きくなっていく。
砂煙が舞う。
遂に地響きがおさまる。
「な、なんなのよ?」
徐々に砂埃が晴れる。
(脚……?)
目の前に現れたのは鱗の張り巡らされた脚。
巨大な爪。
上へ視線を向ける。
巨大な翼。
天へと広げていた翼を横に広げる。
校舎ごと翼の影に飲み込まれる。
そして見えた、巨体の主の顔。
黄金色の瞳は縦に割れ、辺りを見回していた。
竜だ。
物語に登場し、勇者に討伐される伝説の生き物。
一瞬、その瞳がアニエスを捉えた気がした。
(逃げなきゃ!)
本能がそう叫ぶ。
しかし、アニエスは恐怖に身がすくみ身体が動かせない。
竜が口を開け、その周囲に熱が生まれる。
吐き出される。
圧倒的な熱量がアニエスを襲う。
咄嗟に腕でかばう。
熱にのまれる。
…
……
………
しかし、身を襲うはずだった熱量はいつまでも感じない。
アニエスは恐る恐る目を開けた。
目の前には見知った後ろ姿。
黒い髪を風になびかせ、アニエスの目の前に立っていた。
「アリス?」
アリスは手をかざし、巨大な防御魔術を展開していた。
アニエスを襲うはずだった熱を拒絶していた。
現実味のない光景。
熱がおさまる。
「ししまる!」
アリスが叫ぶ。
「Nyaaaaaaaaaaaaa!」
地を震わす咆哮と共に、竜に巨体が突進する。
(広場の石像?)
石像が竜を襲う。
軽く竜が右前脚を踏み出す。
鬱陶しそうに。
石像は俊敏な動きで回避する。
アニエスがアリスに声を掛けようと瞬間、浮遊感。
「えっ?」
気付いたときには竜が眼下。
少しして、アニエスはアリスにお姫様抱っこされ、飛んでいることに気付く。
直後、先ほどまでいた場所が巨大な尻尾で薙ぎ払われる。
アリスは小塔の上で着地、眼下の竜と石像の戦いを見つめている。
束の間。
アニエスを再び浮遊感が襲う。
小塔からアリスが飛び降りたのだ。
遠くで竜と石像の戦闘音が聞こえる。
アニエスの心臓はバクバク言い、暴れまわる。
「アニエス姉さん大丈夫ですか?」
黒い瞳が心配そうにアニエスを覗き込んだ。
アリスと目が会う。
何故だかわからないがアニエスは顔が火照るのを感じた。
アニエスは今アリスにお姫様抱っこされていることを思い出した。
「お、おろして」
アニエスはアリスの目を見ないように、そう呟くのが精一杯だった。
「あ、ごめんなさい。
すぐおろします」
アリスがそっとアニエスを地面におろす。
アニエスは二度、三度と深呼吸をする。
(うん、少しおちついた)
アニエスはアリスの方へと顔を向け直す。
アリスは難しい顔をして何やら考え込んでいる。
「アニエス姉さん、ここから先にもし行こうとする生徒がいたら、止めるようにお願いできますか?」
アニエスが声を掛けるよりも早く、アリスがアニエスに頼みごとをする。
アリスの視線の先は、先程いた場所を捉えている。
(アリスはあそこに戻る気?)
だめよ! と声は喉から出てこず、飲み込まれる。
小さいアリス。
いくら魔術の実力があるとはいえ、今あの場にいるのは竜。
伝説の生き物だ。
人がどうにかできる存在ではない。
でも、その先をみつめる黒い瞳にアニエスは頷いてしまった。
「お姉ちゃんに任せなさい!」
そう言葉がでた。
アリスはその答えに笑顔を見せる。
「この場はお願いします」
言い残すと、跳躍。
元いた場所へと。
その後ろ姿をアニエスは見つめる。
アニエスの心臓はまだバクバクいっていた。




